第1話「抱っこ」
「母たん、抱っこ」
「我も」
私は、思わず目の前の二人を見下ろした。
片方は金髪。
もう片方は黒髪。
どちらも2歳くらいの男の子。
そして、どういうわけか二人とも私の服の裾にしがみついている。
「嫌よ」
即答した。
二人はそろって目を丸くする。
「どうちて?」
「理由を聞こう」
「腰が痛いからよ」
金髪の子が首を傾げた。
「腰?」
「腰よ」
今度は黒髪の子が聞いてくる。
「それは我より重要なのか」
「重要どころじゃないわ」
私はため息をついた。
「50歳になったばかりのレディにそんなことを要求しないで。しかも二人同時になんてありえないわ」
二人が顔を見合わせる。
何やら小声で相談を始めている。
「老人だったのか」
「人間だから老人だな」
「誰が老人よ!」
二人が揃って肩を震わせた。
笑っている。
腹が立つ。
だが事実だ。
そしてさらに言えば、この二人は重い。
抱けば、ここだけ重力が変わる。
2歳児というのはどうしてこんなに重いのか。
腰への負担は単純計算で二倍である。
「母たん」
「何」
「抱っこ」
「諦めなさい」
「母親とは抱っこをする生き物ではないのか」
「それをどこで覚えたの」
「絵本」
「あの絵本は、燃やした方がいいわね」
そう言った瞬間だった。
ドォン、と地響きがした。
遠くの山から黒煙が上がる。
二人が振り向く。
私も振り向く。
「あら」
山が爆発している。
「母たん」
「何」
「あれは大丈夫?」
「私に聞かれても」
「爆発しているぞ」
「見ればわかるわよ」
嫌な予感しかしない。
異世界に来てから三日。
穏やかだった日は一日もない。
昨日は井戸からスライムが出た。
一昨日は村長の頭が突然フサフサになった。
今日は山が爆発した。
順調に悪化している。
「行かにゃいと」
金髪の子が言う。
「そのようだな」
黒髪の子が頷く。
二人は同時に私から身体を離す。
そして胸を張る。
「我が解決する」
「いや、僕」
「我の方が適任だ」
「それは、ない」
私は頭が痛くなった。
何しろ、この二人は自分達を、一人は勇者、一人は魔王だと言い張るのだ。
もちろん見た目は2歳児である。
片方の金髪は、まだまだ幼児的な発語で威厳のかけらもない。
けれども問題はーー。
本人達が本気でそう思っていることだった。
「はいはい」
私は二人の襟首を掴んだ。
「まずお昼寝」
「はなちてぇー」
「無礼だぞ」
「うるさい」
両手両足を大きく動かしてジタバタしている。
でも、しょせん2歳児だ。
勝てる。まだ、なんとかーーだけれど。
「母たん!」
「母たんじゃない!そもそも、そこが間違ってる!」
「言ったな」
「聞いたぞ」
「いや、ごめん、それは撤回する。言い過ぎた」
大人げない発言に後悔の大嵐というブーメランを喰らう。
二人は嬉しそうに顔を見合わせた。
全く。
どうしてこうなったのだろう。
本当に。
どうしてこうなったのだろう。
私はつい三日前まで、ごく普通の日本に住んでいる主婦だった。
娘も独立した。
離婚届も書いた。
長い結婚生活にも区切りをつけるつもりだった。
これからは自分の人生を生きよう。
そう思っていた。
そのはずだったのに。
「母たん」
「何よ」
「お腹が空いた」
「我も」
「10分前に食べたでしょう」
「昔はもっと食べていた」
「昔?」
二人がしまったという顔をした。
そして慌てて目を逸らす。
私は眉をひそめた。
この二人には妙に不自然な部分が多い。
2歳児のくせに片方は言葉遣いがおかしい。
二人とも知識がおかしい。
時々、大人みたいな顔をする。
まるで本当に。
昔は大人だったみたいに。
その時だった。
空から風が吹いた。
ぞくりとするほど冷たい風だった。
私は反射的に空を見上げる。
青空の向こう。
何かが見えた気がした。
黒い帽子。
長い髪。
そして笑い声。
『うまくやってるみたいね』
女の声だった。
聞き覚えはない。
脳内に直接響くような忘れられない声だった。
『さあ、坊や達。お楽しみはこれからよ』
「……誰?」
私が呟いた瞬間。
声は消えた。
二人も空を見上げていた。
その表情は初めて見るほど真剣だった。
もしかしたら、この子達は本当にーー?
「お腹空いた」
「我もだ」
私は空を見上げて大きくため息をついた。
「……まずは昼ご飯ね」
世界の平和なんて知らない。
でもその前に、この二人を何とかしなければならないことだけは確かだった。




