第1話 六年前の、現金な思い出。
「なんだ、久しぶりだな」
人気のない夜の漁港に、その声は不意に響いた。宮坂蓮は足を止めて振り返る。
防波堤の上に、一匹の黒猫が座っていた。月明かりを受けた毛並みが、濡れたように艶めいている。
「なんか困ったことでもあったのか、レン」
「……まあ、ちょっとね」
「やっぱりな」
黒猫はフンッ、と鼻を鳴らした。沖から吹いてくる潮風に尻尾を揺らしながら続ける。
「そういう時ばっかり来やがる。たまには雑談でもしに来いよ。煮干しのひとつでも持ってきてくれりゃ、なお歓迎だ」
「猫らしいこと言うな」
「猫だからな」
ひらりと防波堤から飛び降りる。音もなく着地した黒猫は蓮の足元まで歩いてくると、その場で香箱を組んだ。
「まあいいさ」
金色の目が見上げてくる。
「で?」
波音に混じるような静かな声だった。
「今度はどんな話を聞かせてくれるんだい」
* * *
四月も終わりに近づいていた。
校庭の桜はとっくに葉桜になり、窓から吹き込む風も少しずつ暖かさを増している。教室のあちこちでは、間近に迫ったゴールデンウィークの話題で盛り上がっている……そんな放課後だった。
「タイムカプセルを掘り返す!?」
教室の隅。自分の机を中心に集まっていた五人の輪の中で、蓮は思わず声を上げた。
「うん、だめかな?」
御牧珠美が眼鏡の奥の目を細めて、申し訳なさそうな顔をして、手を合わせる。
「いやいやいや」
真っ先に首を振ったのは菱野柑奈だった。
「成人式の日に掘り出そうって約束だったじゃん」
「そうそう」
木崎弥太郎も頷く。
「小学校三年の時に埋めたんだから、まだ六年くらいしか経ってないぞ」
「あと四年くらいあるよね」
西浦三咲も苦笑した。
どうやら反対四票らしい。が、それでも珠美は諦めなかった。
「実はですねぇ……ちょっと困ったことになってまして」
もったいぶるように身を乗り出し、声を潜める。
「来月末、ピクセルステーション2が発売するじゃない?」
その瞬間だった。
「ああ」
「なるほど」
男子二人が同時に頷く。
「私、どうしても欲しいのよ」
珠美は机の上でぎゅっと拳を握った。
「それでメイカ玩具のおじさんに頼み込んでたんだけど」
「でも無理だろうなって言ってたじゃん」
蓮が口を挟む。
「メイカ玩具でピクステ2なんて仕入れられるわけないって」
メイカ玩具は、この町の商店街にある昔ながらの――言ってしまえば、昭和の遺産のような、最新のゲーム機とは縁がなさそうなおもちゃ屋だ。
「そう!」
珠美の指が勢いよくこちらを向いた。蓮は反射的にのけぞる。
「私もそう思ってたの! ところが!」
一拍置く。
「一台入荷できることになったんだって!」
「マジかよ!」
弥太郎が机に身を乗り出した。
「すげえじゃん!」
「でしょ!?」
珠美の顔がぱっと明るくなる。だが、その笑顔が長く続くことはなく、次の瞬間にはふっと肩を落とした。
「ただ……問題があってさ」
「金か?」
「そう。金」
深いため息のような声だった。
三咲が目を丸くする。
「メイカさんにお願いしてたのに、お金用意してなかったの?」
「なにやってんのよ」
柑奈が呆れたように言う。
「だって私もまさか入荷できるとは思ってなかったんだもん……」
珠美は視線を泳がせた。
「いや待て」
蓮は首を傾げる。
「それがなんでタイムカプセルを掘り返す話になるんだ?」
「あー……」
珠美が口ごもる。
急に教室のざわめきが遠くなった気がした。四人の視線が集まる。
「実はさ」
観念したように珠美は言った。
「私、あのタイムカプセルに五万円入れてるんだよね」
一瞬、誰も反応できなかった。窓の外から運動部の掛け声が聞こえてくる。それが妙に大きく聞こえた。
「……は?」
ようやく蓮が声を出す。
「現金?」
弥太郎が眉をひそめた。
「タイムカプセルに?」
柑奈も目を丸くする。
「うん」
珠美は苦笑した。
「二十歳になった自分へのプレゼントってことで埋めたの」
「それは……」
三咲が困ったように笑う。
「小学三年生にしては立派だと思うけど……」
そこで言葉を切った。
四人は顔を見合わせた。たぶん、全員が同じことを思っていた。
――現金、埋めるなよ。
少しの沈黙の後、弥太郎が口を開いた。
「まあ、そういう事情があるなら……いいんじゃねえの?」
「成人式の記念にしたいって気持ちがあるのはあるけど」
「現金を埋めっぱなしっていうのも、ちょっと気がかりだしね」
続く柑奈と三咲の言葉を受け、珠美はうんうんと頷く。そして四人の視線が揃ってこちらを向く。
なぜだか昔からそうだった。
遊びに行く場所を決める時も。
秘密基地を作る場所を決める時も。
誰かが最後の一言を求めると、なぜか視線は蓮に集まる。
蓮自身、その理由はよく分からない。ただ今回も、結局そういうことらしかった。
「……じゃあ、全員、無事高校進学できた記念ってことで」
「ありがとう!」
珠美は勢いよく蓮の手を掴んだ。
「ありがとうありがとうありがとう!」
「わかったわかったわかったから離してくれ」
ぶんぶん振り回されながら蓮が抗議する。
「良かったねぇ」
三咲が笑う。
「私、何入れたんだっけな?」
柑奈はそう言って、少し考え込むように視線を上げた。
「みんな、ゴールデンウィークは特に出かける予定もないんだろ?じゃあ初日にみんなで掘りに行こうか」
蓮の提案に、全員がしっかりと頷く。
こうして、ゴールデンウィーク初日、五人でタイムカプセルを掘りに行くことが決まった。
しかし。
その日、蓮たちがタイムカプセルを掘り出すことはできなかった。




