12.カイムの娘
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カイムは僅かながらの余暇が取れた。余暇と言っても、一時間かそこらしか時間は無い。個人的にエマのことにも着手したいし、特別に動かしている猟犬も多かった。本当に僅かな隙間でしかないが、無視するより良いから、ジゼルへ会いに行く。
今、背を向けたら、おそらくカイムは理由を付けて会いに行かなくなる。そんな気がする。カイムに取ってジゼルは、まったく縁の無い他人だ。どんなに気を配っていても、ジゼルの優先順位は下から数えた方が早い。
今回はチェスカル一匹だけを連れて、ジゼルに会うことにした。チェスカルも暇とはほど遠い猟犬だが、伴にするには最適だった。
先を歩くカイムの背後に、チェスカルがぴったりと付いて歩いている。
「お疲れではありませんか。ジゼルにはミランダを付けておりますから、わざわざカイム様が御足労になさらずとも」
「まあね、だけど放置は出来ないよ。あの子の将来も考えなければいけないし。今は、十才前後。まだ子供だからと悠長に考えていたら、あと数年で、直ぐに年頃になってしまうだろう」
「それは……」
「僕がジゼルと過ごせる時間――というより、待遇の良し悪しを判断してやれる期間は、十年もあるかどうかすら判らない。ジェイドやチェスカルだけには言っておくが、あの子に雄猟犬を充てがおうと思う。ジゼルの年頃に近くて穏和、顔立ちの良い仔犬は幾らでもいる。狭い世界で、単純接触を繰り返してやれば、情も生まれるだろう。勿論、その猟犬は戦闘行為に出さない。良い夫、良い父親として、一生涯ジゼルに添わせる――それが仕事だ」
ヘルレアの言葉から悩んで出した結論でもあった。王はジゼルを、カイムの妻や愛人にしたらどうかと言っていた。だが、それは勿論無理な提案だ。そもそも妻帯出来ないし、愛人など囲えば、凄まじい争いの芽になるのは分かり切っている。それにジゼルは、カイムの性的嗜好として幼すぎて無理だ。十年経っても、彼は手を出せないだろう。
「猟犬を伴侶とする……確かに難しいことではないかもしれません」
「……残酷かもしれない。主人が猟犬を、人間の伴侶として充てがうような、作為性の強い行いは、確実に互いの心を無視することになる。だが――」
「間違っているとは思いません。擬似的な家族を築かせてあげられるなら、それも幸せの一つではありませんか。たとえ、主人から猟犬へ対する命令ありきの愛情でも、ジゼルが女性としての幸せを、自分で選択出来る機会が増えるのならば、全てが悪いものだとは限りません……そして主命を尽くすのが、猟犬なのですから。また、猟犬も幸福でしょう」
「僕にもう少しだけ、時間があれば良かったんだが。まだ気が早いとも思える話しを、しなければならないのは、やはり心苦しい。しかもそれが、歪んだ形で他人から手を加えられるものだから、なおいっそう痛ましいものだ……自由な恋もさせてやりたかった」
「そうして、心を寄せてくださるだけで……幸せなことだと思います」
部屋の前に着くと、カイムが何も言わずとも、チェスカルが軽くノックをする。そうすると、使用人がそれ応えた。チェスカルはカイムへ確認のように頷くと、腰に帯びた鍵束から、当該の鍵を選んで鍵穴に差し込んだ。
ヘルレアが居なくなった今、既に少女を強く拘束できる者は無く、世話役の使用人と共に部屋に鍵を掛けて、軟禁状態においた。
背広姿の使用人、ミランダがカイムに礼を取ると、控室へ下がった。ジゼルは不安そうにベッドに起き上がり、カイム達を見ている。
チェスカルが椅子を手早く用意して、カイムは気にせず深く腰を下ろした。
「やあ、ジゼル。気分はどうかな」少々、大袈裟なまでの笑顔を見せる。
「何も……変化はありません。お父様」
カイムはお父様と呼ばれているのが自分自身なのだという、実感があまりなかった。人間の子供を持つことは、一生涯無いと決まっているものだったから、今更、人の親という役割を負うには、あまり向いていない。ただ、カイムを父として身を預けているジゼルを、否定しないという態度だけで精一杯だった。
「気分も悪く無いようで良かった。じゃあ少し、これからの話しを確認も含めて話してみようかな」
「これから……」
「そう、家で生活するのは決まりごとが多くて、不自由になる」
「ヘルレアも仰っていました」
「その理由が、どのようなものかお訊きしたかな?」
ジゼルは小さく首を振って否定した。
「そうか……、今話してしまってもいいかもしれないね」背後のチェスカルへ意識だけで問いかけると、制止の判断が返って来なかった。
「ノヴェクの家は特別で、とても危険が多い。傭兵というの分かるかい?」
「兵隊さんを貸す? 借りる?」
「そう、よく知っているね。ノヴェクは昔から戦闘行為に従事しているんだ……正直、僕は我が家の兵士に君を会わせたくない。僕個人の部屋にも兵士は来るものだから」カイムはチェスカルを振り返る。「僕はね、ジゼルのお父さんになろうと決めた時、普通の女の子として育てたいと思ったんだよ」
「普通の女の子ですか」
「だからしばらくは、極力兵士を排除した、この部屋だけで過ごしてもらおうと思う。だから、ジゼルは自由に部屋を行き来出来ない状態に置かれているんだ……でもね、心配しないで、そのうち部屋を移動して、もう少し自由が利くようにしようとは考えている。この部屋には窓もないから、窮屈だものね」
カイム達ステルスハウンドとて、無能の集団では無い。ジゼルの身体に刻まれた異常への対処が出来る猟犬もいる。ただ少し時間が必要だ。ヘルレアのように、その場その場で手早く処置出来ないだけのこと。ジゼルの安全性をもう少しだけ高めて、自由にしてやれるのではないかと、結論が出ている。
「もう少し自由になったら、家族で食事が出来ますか」
「そうだね、いつか出来ると良い」
ジゼルの口元が少しだけ和らいだ。
「あの……その、」
「どうしたんだい? 遠慮無く、言ってごらん」
「あれは……この音、雨音がするんです」ジゼルが首を傾げる。
「雨音? か。古い建物だからね。水道管に水が通る音がするかもしれないね」カイムはそう言ったものの、館は確かに古いが、内装設備はかなり修繕されている。特にカイムの私室だから、下水道の音など一切しないように厳重な施工がされている。
だが子供だから、大人よりも聴こえる音の幅が広くて、様々な音が耳についてしまうのかもしれない。
ジゼルは不思議そうに、部屋の床や天井をぐるりと見回す。「いつもざあざあとしていて、煩くはありませんか」
カイムは、少女が何を言っているのか、そこで初めて気が付いて、動けなくなった。
「カイム様……、これは!」カイムは手でチェスカルを制すると、軽く頷いて猟犬を止めた。
「どういう風に聴こえる? もう少し詳しく教えてくれないかな」
「はい、部屋全体に雨が降っているみたいで、耳を塞いでみてもあまり変わらないんです。配管なんですか? ――今、雨が降っているわけではないんですね」
「そうか……ごめんね、ジゼル。仕事があるから、また――ミランダ、よろしくたのむよ」隣室からミランダが顔を出し、カイムへ礼を尽くす。
廊下に出るとチェスカルが、急いで部屋に鍵を掛けた。チェスカルは扉を背にして、カイムとの間に立つような形で塞いだ。「カイム様、あの子は駄目です。近付いてはいけません。危険です」
「よりによって……外界系の天与の器か。もう一度、エルドと会わせてみよう。何の能力か見極められるかもしれない――それで彼女の処遇を決める」




