11.レグザの光
11
任務内容はバゼットに会い確認する。今はただ、〈レグザの光〉に準じよ――。
――本物の信者になれ、か。
クラシックな革の、大型トラベリングバッグ一つに詰めたのは、〈レグザの光〉の教本、数枚の衣類と、歯ブラシ、髭剃り、蜜蝋で作られた整髪料など最低限の物品だけ。質素でいて、装飾のような無駄が無い。
今回、シド自身もそう見えなくてはならない――そもそも、着飾らない質ではあるのだが――衣服は教義で定められたものだけで、特に印象的なのが黒いロングコートと同色の中折れ帽だ。深い黒が宗教的な清貧さを強調している。服装にも、装飾の類を禁じたうえでの色味と簡素さが表れている。
そして、濃厚な金色をした髪は、今までよりも更に短く整えて、刈り込むような短髪にしていた。ここまで髪を短くしたことが無くて、つい帽子を取って頭をなぞるように撫でてしまう。
――整髪料などいらないだろうに。
だが、最低限の身だしなみとして、整髪料の所持が許されているようだ。
――自分の姿を見るのは嫌いだから、自分をどう装えばいいのか判らないものだが。
カイムは普段、シドが坊主にするのを拒否しているので、猟犬として――兵士として、自然な短髪となるように整髪している程度だった。特に髪型に拘りはないし、鏡など見たくなかった。
……シド様はお父様に似て、本当に良かった。
自分の眉間に皺が寄っていることに気が付いて、力を抜いて息を調える。少し風貌を変えただけで自分の姿が気になって仕方がなかった。自意識過剰なのだと思考で繰り返して、己を落ち着けるしかない。
根深いコンプレックスを抱えていれば、尚更に。
全ては主人が望むから――。
――だから、このままの自分で良い。
深夜に荷物を渡され、直ぐに布教用ペーパーバッグを読み込んだ。そして翌朝、矢継ぎ早にチェスカルから本格的な指南を受けた。時間が許す最後まで、振る舞いについて教えられたのだ。だが、数日の指導では限界もある。片手間に近い教えでの任務遂行は、どこか焦りを感じた。
早急な解決を求められている。いつ戦闘行為を行うのか明確には知らされなかったが、戦いで現場が荒らされる――あるいは機密情報が抹消される――その前に、潜入を求められたのは明白だった。
シドは今回の任務で、これから自分が、対人においての能力が伸びることを、期待されているのではないかと感じていた。直接チェスカルの下へ着いたわけでは無いが、編成は幾らでも変わるものだ。
シドは約束の時間ぴったりに、門扉の前で立ち止まる。長身のシドより更に高い鉄製の門で、高さは彼の二倍くらいあるかもしれない。少し錆が浮いていて、古さが目に付く。門の先には広場があって、その最奥に平屋の学舎に似た建物がある。屋根は澄んだ青色をしていて、そこだけ妙に鮮やかで美しかった。
老齢の男が門扉の影になっていた部分から現れた。脇にクリップボードを挟み、脚を少し引き摺っていて、歩みは遅い。警備員にしては、身体にガタがきていて、齢を取りすぎているように見える。シドが館の門兵を、知っているからかもしれない。館の門兵として配置されている猟犬は、かなり地位が高く、尚且つ攻撃的だ。必然的に若い猟犬が多く、門扉を守る老犬など見たことが無い。
老人は門を挟んでシドと向き合うと、彼を不躾に観察した。そして、脇に挟んでいたクリップボードを手にして、書類を何度か捲ると、紙束の半ばほどで手を止める。
「申しわけないが、身分証を確認させてほしい」
シドは用意されていた身分証――セルシス・エルヴェールという名が記された、顔写真入りの在籍保証番号を提示した。名前はさすがに人種的民族的姓名と近いものが選ばれている。だが、完全に特定出来るような正確性は無く、敢えて暈して、認知した相手の判断を狂わせるようにしてあった。
偽造発行をした猟犬の専門性に、優れた手腕が見て取れる。ノヴェクは元々アメリア人では無いから、父親似のシドもまた、アメリア系では無い。アメリアより更に西の民族――ケルヌス人がルーツであるらしく、ノヴェクに似通った容姿の民族もおり、血も絶えてはいないようだった。
老人の目が、身分証とシドの顔を行き来する。シドは力を抜いて、自然な姿勢で老人の行動を受け入れた。
老人は直ぐに顎を引くようにして頭を下げ、簡易的な礼を取る。
「お会い出来て光栄です、教師様……レグザの奇跡をお恵みください」嗄れた声で老人が呟くと、鍵を開けて、更に閂を外す。そして、踏ん張りを効かせて門を開いた。いつ手入れをしたのか、金属の耳障りな音が、人、一人通れるよう開くまで軋みを上げていた。
シドは帽子を取り胸元で支える。
「レグザの愛子に祝福あれ」シドは身体に叩き込んだ、〈光の輪〉の御印――額へ手を置いた後に、胸を巡って円を画く――その仕草を完璧にこなした。
シドは〈レグザの光〉に教師として来たのだ。
彼は既に、〈レグザの光〉において重要な役割を持つ、教師という役職の知識、在り方や姿勢を習得していた。急拵えでかなり無理をして、詰め込んだ。だが、やるべきことを言い渡されたとき、彼自身は〈レグザの光〉、その教師を演じ切るのは不可能ではないと判断した。
主人はそれを知っていた――。
シドが敷地内へ入ると、老人が門扉を再び閉め始めた。鍵を掛けるまでの動作から来る音が思いの外大きく、シドは背後で監禁へと向かって、戒めが軋み落ちる様子を、頭に描けるほどだった。
心臓が一つ高鳴る。
「教師様? どうなさいました」
「いえ、何も……良いところですね」
「それは、勿論。〈光の子〉となるべき子供達が住む家なのですから」
シドが老人へ付いて行くと、真っ直ぐ学舎のような場所へ向かっているのだと分かった。微かに賑やかな、ざわめきが聞こえてくる。近付くほどに、声は大きく高くなって、子供達の声だとはっきり分かるようになった。
学舎の廊下まで来ると、声はもう胸元近くを通り過ぎて行くような錯覚に陥るくらい大きなものになった。廊下に引き戸が面していて、上半分に硝子が嵌め込まれている。シドは無意識に硝子の向こう側、部屋の中へ視線を流した。
子供達がお喋りをしたり、じゃれついている。シドは自然、仔犬を思い出したが、直ぐに目線が子供達の首元へ縛り付けられた。
子供達は皆、革の首輪をしていた。




