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4.その別れを知りながら

4



 カイムはヘルレアの背中を追えなかった。


 ――自分はもう、ヘルレアに取って何の価値も無い。


 価値の無い者がヘルレアを引き止めてどうするのだ。今、カイムが王を止めてしまうのは、甘えた愛着によるものが多いのかもしれず、理に適わない愚かな行動だ。もし、カイムがヘルレアを止めていい理由を述べるのならば、それはヘルレアの心に、生への執着を与えられるような力があると、確信できるときだけ。

 でなければ、カイムはヘルレアの短い時間を、浪費させてしまうだけの存在になってしまう。それならいっそのこと、叶うのならば、見知らぬ誰かにヘルレアを託した方が良い。


 ――自分には無理だった、番の役目を果たせる者へ。


 ヘルレアが愛したであろう、別れを告げた誰か。身を引いてまで、護ることも(いと)わなかった、その強い想い。


 再会が叶うのならば――、


 でも、そうした幸運が起こり得たと想像したとき、カイムの背中合わせにある寂しさは、どこから来るのか。愛着から来る妄執が、正道を見誤らせる。ならば、その()()というものの、実体がそもそも年少者へ対する庇護欲に近く、ヘルレアの存在と矛盾している。

 全てはカイムが作り出した幻のような感情であろう。それを取られたくないと、ヘルレアの腕を掴んでしまえば、もうステルスハウンドの代表失格だ。

「僕はこんなにも愚かだったのかな……、」

「ヘルレアは、まだお傍にいます」

「分かっているよ。けれど、居たとしても、僕には止めていい理由がもう無い」

「傍に居てほしいというお気持ちは、理由にはなり得ないのでしょうか」

「……マツダ、」

「それは、過ちでしょうか。猟犬というものは、それほど脆弱でしょうか……盾にすらなり得ない()()でしょうか。主の望みがあれば、我等は喜んで屍を積み上げて、ヘルレイアの踏み台になりましょう」

「人間はときに、理屈に合わないことをしたいと思うものだね……心というものは自由にならない」

「坊っちゃん……ですから、それが人なのでしょう。猟犬のように主へ全てを捧げるような、愚直なまでの――愛慕という戒めの在り方とは違います。坊っちゃんは愛していても手放せる、憎んでいても手の内に置ける。不自由だからこそある自由なのではありませんか。今、追わずにいるという選択を取ってしまわれたら……後悔なされると思われますよ」

「まだ弱っていて、全ての心が溢れてしまっているのかな」

「……いいえ。そうではありません。ずっとお側におりますから」マツダの柔和な顔に、皺が深く刻まれた。

 カイムは顔を薄っすら笑みへ綻ばせると、力が抜けてしまった。今、この齢になっても、こうしてマツダに諫言を受けてしまう。マツダに勝てない自分は、やはりまだまだ青いのだと笑いたくなる――ヘルレアにも言われてしまったのだから。

 今、ヘルレアの傍に猟犬は居ない。だから、館で王がどうしているのかは、今は分からなかった。だが、まだカイムの内室奥――カイムが本当に寝食する私室の居間から出て、それほど経っていない。

 ジゼルが居る部屋は主人の私室と言えど、中間(ちゅうげん)と呼ばれる場所に位置する。なので、カイムが暮らす部屋から、大分離れている区域であった。人間ではないヘルレアの、足運びを正確に予想するのはかなり難しいが、館内にまだいるのは確実だろう。

 けれど、それでもやはり身体は動かなかった。カイムは心で物事を決めてはいけない。

 ソファから立ち上がると、ヘルレアが去った扉へ背を向けて、書斎へ通じる扉へ歩む。

「よろしいのですか? 今、この時を逃せば……もう、お会いすることは難しいでしょう」

「分かっているよ――これがもう、死別になるだろう、というくらいはね。それでいいんだ――でも、もしかしたら、ヘルレアが誰かと番える未来が、まだあるのかもしれない。けれど……それでは、僕に取って死別に変わりないのかもしれないね」

「好いておられるのですか?」

「そうだね、僕はヘルレアに出会って、変わってしまった。あの冷たい笑顔が愛おしい。でも、異性として愛してはいないよ――ヘルレアが僕を、想うことがないように」

 マツダがカイムへ追いすがるように近付く。

「坊っちゃんが御心を殺して別れることが、ヘルレアのお望みになる最後だと、本当に明言できましょうか。手を離してしまわれるのは簡単なことです――カイム様は、また、そうして大切なものまで、失くしてしまわれるのですか」

「もう、いい。止めるんだ――番犬(イヌ)

 マツダは主人の命に口を噤んだ。ノヴェクの使用人であるマツダは、ジェイド達のような猟犬(イヌ)ではない。家政を司るマツダは番犬(イヌ)である。同じ()()と呼ばれる生き物ではあるが、この二種はまったく質が違う。そして、扱われ方も異なるものであった――。

「これ以上、踏み込むことは許さない」

 マツダは無言で(こうべ)を垂れた。だが、カイムは罰を与えて躾けるつもりはなかったので、もうマツダへ意識を向けることは無く、()()()()顔を逸らした。だがそれは、イヌに対する残酷な行為の一つでもあった。

 カイムは扉をゆっくりと閉めて背を向けた。

 もうこの瞬間、カイムに取って、ヘルレアは過去のものへと薄れていった――それはあまりにも呆気ないものではあるが、彼はこうして生きて行くしかなかったのだ。

 何故なら、そうでなければ生きて行けなかった。


 カイムは幼い頃、それを思い知らされたのだから――、


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