3.廃霊園の黒い天使〈誤字脱字修正〉
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マツダがティーカップに紅茶を注ぐと、甘い薫りが立ち上る。そうして、マツダが二客のカップを低卓に給仕を始めるが、彼は大分歩いてソファを回らなければならなかった。広すぎるコの字型ソファセットで、王はカイムと対面にして、向かい合うような座り方を選んだからだ。
こうした微妙な距離間というものは、いらぬ思案を掻き立てられる。
――やはり、〈蜂の巣〉はまずかったのかもしれない。
傍に座るのさえ拒絶されているようで、何ともいたたまれない気持ちになる。
ここはカイムの私室。その最も私的な区画である居間に、彼はヘルレアを招いていた。〈蜂の巣〉の騒動からまだ全快仕切れずに、目眩を起こしたのをヘルレアに介抱されるという、かなりみっともない理由で、王をお茶に誘ったのだった。
「ヘルレア、砂糖は……、」
「余計なものを増やす気は無い」
「そうですか。でも、やはりヘルレアは紅茶が飲めるのですね」
「この程度なら、味覚と嗅覚をほぼ閉じれば不快には感じづらい。どうせ、ただの草みたいなものだろ」
「草……ですか」カイムが口にするくらいだから、値段が張るものなのは何となく判る。だから、ヘルレアの言いようは、結構な暴言なのだろうと想像がついた。
「んー? 草、ですかね?」
「カイム様、あまり悩まれませんように」マツダが好々爺然として微笑む。
カイムは紅茶を含むと、美味しく感じるものだが――かと言って、彼は味覚に自信があるというわけでもないので――結局は、味音痴同士が飲んでいるのと、変わらなくなってしまうかもしれない。
ヘルレアは入れたての熱い紅茶を、まったく気にせず呷ってしまう。空のティーカップをソーサーへ置くと、興味なさげに脚を組む。
「紅茶をおかわりなさいます?」カイムはカップを置いた。
「不味いから、もういいや。ごちそーさん――なあ、お前は何を弔うんだ。猟犬か? 介護してやったんだ、面白そうだから教えろ」
「介護……違います。猟犬ではありません。歴代の退役した猟犬の主人達の、墓守となるのです。本来なら名前は無いのですが、〈廃霊園〉と僕等は呼びます。そこにある住居も含めての名で、現役の主人が退役して館から去る――退館すると、もう二度と〈廃霊園〉からは出られなくなります」
「なんか趣味が悪いな。陰気、甚だしい」
「言うなれば、単純なお払い箱ですよね」
「出られないって、一歩も?」
「〈廃霊園〉の周りには鉄柵がありますし、門扉の管理も厳重です」
「お前どうやって暮らすんだよ、坊っちゃん」マツダを見やって目を鋭く細める。
「退役した主人には、猟犬を連れて行く権利がありますから、歴代退役主人は特に可愛がっている猟犬を連れて、下がっていくようですよ」
「ならカイムは、ジェイドとかチェスカルを連れて行くのか?」
「……どうでしょう。実を申しますと、考えたこともありませんでした」それは、事実だ。自分が死んだ後、どうなるか考えても無駄なように、カイムに取って〈廃霊園〉へ行くことは、死んだ後も同然の場所だった。むしろ、死んだ自分が、優秀な猟犬を墓場へ連れて行くこと自体に、拒否感を覚える。ジェイドやチェスカルを伴にして殺すなど、後世に経験を残せなくなってしまう。
「なんだそれ、お前の墓場まで連れて行く、介護要員だろ。一度も考えないなんて、無理じゃないか」
カイムは口元へ手を添えて、咳をするように小さく吹き出した。「介護要員って……確かにそうなんですが――もし、連れて行ったとしても、ジェイドの方が年上ですし、チェスカルとも多分十くらいしか変わらないので、老々介護に近くなってしまいますよ」
「多分だと?」
「え……どうかしましたか」
「チェスカルの正確な年齢を知らないのか?」
「あ、失敗しましたね。余計なことを言ってしまいました。猟犬の詳しい出生年齢は判らないのですよ……理由は訊かないでくださいね」
「へいへい……なら、適当に決めているのか」
「仔犬の精神や肉体の発達具合などで、乱雑にノヴェクやら成犬が決めていますが、まあ、僕の傍に居る猟犬ほど正確だと思います。直に精神と肉体で目算しますから」
「だとすると、チェスカルみたいのだと、精神年齢の高さで、年齢も高くなり勝ちじゃないのか」
「どんどんと、ボロが出てしまいますね。それで殆ど間違いありません。ですから、肉体と精神、二つの要素でバランスを取っています……ヘルレアのおっしゃる通り、チェスカルは少し、年齢を高く設定してしまっている可能性があります。そして、反対にルークは、」
「ルーク……比べる対象が分かり易すぎる。うーん、でも、なんか妙だな」
「言うなれば、ヘルレアの年齢と同じような考え方です」
「あー、私も勝手に年を決められてたからな……カイムは私が幾つに見える?」
「え、十三から十五と大雑把に目算されてはいますが……僕は十三才です」
「そんなにチビじゃない! ……はず、」ヘルレアは憤慨している様子だ。
「あえて、正直に言います。僕は仔犬をよく見ていますから……外見的にヘルレアはその年代の仔に近い」
「もう少し――しっかり十五と言った奴もいるぞ」腕を組んで、カイムへそっぽを向いている。
「……更に言いますと、当たり前ですが性的特徴の表れが、年齢試算と切っても切り離せないのです。今のヘルレアを見ていると――て、いうか触れた後だと。それは、ねえ……、」
「ねえ……、じゃない変態野郎。だったら十三才のガキのケツを、揉みしだいたってことになるぞ、お前」
「仕事ですからねー、仕方がないですねー、それは」
「仕事、仕事って、体の良い言い訳に使い出したな。どこぞの亭主か」
「冗談です、すみません――やはり幼蛇というのは、そういうことなんだと思います……何者でもない」
「だったら、私は大人にならない。それでいい。そのまま死んでやる」
「残念です。大人の……女性のヘルレアが見たかった」
「カイム、それ、あっちこっちでやっているんじゃないだろうな」ヘルレアがじろりとカイムを睨め付ける。
「やっているとは、何をですか?」
「おま、えは……やっぱ駄目だ。アホ。エマが憐れだな、マジで」
「うう、思い当たることが多過ぎて、どれがどれやら」
「自覚しているなら、お前にしてはまあまあマシか」
「この場合は、恐れ入ります……で、いいのでしょうか」
「好きに解釈すればいいさ。じゃあ、もう行くわ」何の気も無い声音で溢す。
「え? はい、ジゼルも正常でいられるようなので、改めて寝所を整え……、」
「いや、ジゼルも目覚めた、猟犬共にも用も無し。ランシズ連れて、元の生活に戻る」
「待ってください!」カイムは勢い込んで低卓に手を突いて、身を乗り出した。
「……それで待つと思うか?」
カイムは目線を落とした。分かっている。クシエルの実状が知れた今、ヘルレアに取ってカイムは――猟犬は――殆ど価値が無い。逆にランシズという綺士を獲たことで、ヘルレアは猟犬が居なくとも不自由無く動けるようになっただろう。
「僕に、あなたを止められる力が……あるとは思えません」
「だろう?」
「けれど……まだ、先の返事をいただけていません」
「この状況で、それを言うか」ヘルレアは力の抜けた笑いを溢す。「不粋な奴は嫌いだ。なあ、廃霊園の黒い天使。お前にお似合いの愛称だよ……死の天使が。墓はいらない。慰めの花もいらない――焼け烟る荒野で朽ちよう」




