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プロローグ4



 ――雨音がするの。


「……ねえ、教師様。雨音が止まないの」目を擦って欠伸をする。ようやく少女と言ってもいい年頃の子供が、ベッドへ横たわり、熱に浮かされたように溢した。

 純金の髪と、翠の瞳。澄んで鮮やかな色味が美しい。幼さの中に、もう美貌の片鱗が表れている。

「雨音はしないよ」青年が優しく毛布を肩までかける。俯く動作で濃茶の髪がさらりと彼の顔にかかった。

 少女に取って見たこともないお兄さんだった。

「だあれ? 教師様じゃないの」

「私は教師様という人ではないよ。事情があって、君を預かっているんだ」

「預かってる?」

 その部屋は眠る子供の為に、僅かな間接照明を灯しているだけで、薄暗い。今が夜だということもあって、意図的に昼夜の差を設けていた。


 ……目が覚めたな。


 どこからか、ぼそりと声が漏れた。少女と同じような子供の声であるようだが、これといって、人物像が掴める声では無くて、男の子でも女の子でもないようだった。なら、誰かしら、と考えても少女にとって男の人と女の人以外に、どのような人がいるのか思い付かなかった。

 薄青い二つの光が寄り添って部屋に舞う。あまりにも綺麗で少女は、いつの間にか光を目で追っていた。

 いつかの、ドキュメンタリー作品で観た蛍のようで、まるで恋人同士が歩みを揃えて飛び回っているようだった。

 光が少女へ近付いて来て、それでようやく、その光が、ほんのりと灯る青い瞳だと分かった。艷やかな黒髪を結い上げた、()()()()()が少女を覗き込む。濃紺の外套を羽織って、ポケットに手を入れる姿は、どこか少年のような粗雑さがある。

「お前、気分は悪くないか。少し首に触るぞ」その子はポケットから片手を出すと、少女の首に触れて、何かを確かめているようだった。触れた手はとても冷たくて、驚いたが、何故だかとても心地良い冷たさだと感じた。

 どこかお医者さんのようだと少女は思う。そうして、幾らもしないで不思議な子は手を離してしまった。

「……異常は無いな。ジゼルだったか、身体は動くか?」その子が言うままに少女は全身に違和感が無いか確かめる。

「変な感じはしません」

「いいだろう、なら……()()()()()()()()()?」

「憶えてい、る……?」

「ここで目が覚める前に、何をしていたか分かるか」

「ええと、お昼ごはんを食べて、教師様が特別な方に会うから、とおっしゃっていて……それで、」少女はそこで口を噤むと、首を傾げた。

「そうか、別にそれならいい――ランシズ、直ぐに()()()()()()()元ご主人様へ報告してこい。あいつも準備がいるだろう……て、いうかあいつ動けるのかよ、まったく」呆れ顔で眉根を寄せる。

 そうして、茶髪の青年は早々に部屋から出て行ってしまった。

「あの、私どうしたんでしょう?」

「私からは、まだ、何も言えない。これから()()()()連中が来るから、その時に説明をしてもらえ」

「おっさん?」

「多分、ぞろぞろ連れ立って来るぞ……特に、中心に居る薄ボケた金髪のおっさんには気を付けろよ。たまにとんでもないこと言い出すし、わけわからん行動するからな。こちらは調子を狂わせられてばかりだ」

「……、」少女は無言で瞬いてしまう。

「それに、あいつは肝心なときにズレたことを平気で抜かすから……ん、どうした?」

「あなたはその人のこと……好きなんですね」

「は? なんでそうなる!」

「だって、その人のことよく見ているみたいだから……それに、うれしそう」少女は自分が照れて微笑んでしまう。

「そんなバカなことがあるわけがない」不思議な子は苦々しい顔で、首を()()()()振っている。それがまた意地を張っているようで可笑しかった。

「バカなことなんですか?」

「まあな、嬉々として受け入れられるほど、軽い話題じゃない……私に取っては」

「難しくて分かりません」何と言っていいのか分からず、思った通りを口にした。好きであることは、悪いことではないはずなのに、不思議な子に取っては悪い言葉、悪い気持ちのようだった。

「知る必要はない」

「あの、お名前は?」

「ん? 名前か。そうだな……ヘルレアでいい。そう呼べ」

「ヘルレアさん」

「いや、()()は必要ない。この名前自体が敬称だから――そうか、この言い方では分からない、か。様とかが、もう付いているのと同じ状態の名前なんだ。()()()()()()()になったら可怪しいだろ」

「不思議……な、名前ですね。でも、似てる。違うわ、知っているかもしれない」

「何かに似てるか?」

「レグザ……レグザイア、まさかそんな」

「ああ、〈レグザの光〉なら、知っているとは思ってはいた――濁そうとしたが、本当はヘルレイアが正式な名前だ。でもこちらは殆ど使わない。本物の方で呼ぶと、〈神〉と呼んでいるのと変わらなくなってしまう。これも同じか?」

「それなら……あなたはヨルムンガンド?」

「まあな、ヨルムンガンド・ヘルレイア、だ。結局、名乗ることになったな」

「本物のヨルムンガンドに、お会いできるなんて、嬉しい」

 ヨルムンガンドは溜息を吐いてしまった。「喜べる出会いではないぞ。碌な出会いじゃない。もう、普通には生きられないと、言われてるも同然だ」

「何故ですか」

「〈向こう側の女達〉はな、例えると、糸に一触れでもした()()を包囲して、じわじわとその糸を引き絞っていくんだ。最後は雁字搦(がんじがら)めにして逃げられなくする。人生を狂わせ、正しい道には戻れなくなる」

「正しい道……正しい人生というものがあるんですか?」

 世界蛇は微かに優しく笑んだ気がした。

「ある。全ての物事は、潮流のようなものに乗っている。殆どは流れに逆らわず、穏やかに存在を終える。人間だろうが、そこらの石ころだろうが、皆同じ……それを無理やり引くんだ。流れに逆らえば、それは苦しいだろう」

「苦しい……私も苦しくなるんですか」

 ヨルムンガンドが少女の頬に手を添える。やはりとても冷たいけれど、思い遣りを感じられた。

「手を引いてくれる奴がいれば、糸も多少なりと緩むだろう。恐れるなとは言えないが……歩むことを諦めるな。駄目になりそうなとき、手を取ってくれる奴が必ず居るから」

「その人が、ヘルレアの心に居る人?」

 ヨルムンガンドは何も言わず、首を小さく振るだけだった。否定のような動作なのに、少しだけ自嘲の色を含んで見えた。


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