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46.帰りましょう

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 カイムはこうした、憎しみに激昂するヘルレアの姿を初めて見た。ジゼルという子供と出会った時とも、まったく違う。

 カイムや猟犬、女王蜂でさえ動けず、喋ることもできなかった。

 ヘルレアはヴィシスの襟首を掴んでいた手を、首そのものへ掴み直し、喉を潰すと彼の首がゆっくりとひしゃげていく。

「何故だろうな、お前の存在が……人間がただ穢らわしい。触れるのさえ吐気を催す――終わりも始まりもない私の命は、今でも太古の記憶を刷り込まれているようだ」声は冷静だが低いまま。

 カイムはあまりに寒さに、振るえが止まらなくなった。察したジェイドが、カイムを庇って厚い身体で覆う。

 カイムがジェイドの意識に触れる。



 ――このままでは駄目だ。



【――だが、どうする。あの様子で声が届くのか】



 ――放っておいたら、取り返しがつかなくなる気がするんだ。



 カイムはジェイドを押し退けるが、猟犬はカイムを手放してはくれなかった。

「ヘルレア! どうか冷静に。今の状況は人間には耐えられない」カイムはできるだけヘルレアへ声を張り上げた。しかし、彼の声はヘルレアへ届いていないようだった。

 ヘルレアはヴィシスの首を軽い動作で引っ張ると、頭を脊柱ごと抜いてしまった。ヘルレアが佇む周り一面血溜まりとなり、王自身も真っ赤に染まっている。ヘルレアの手に捕らえられたままの、ヴィシスの肉体は、致命的な損壊を被っていても、手足を動かしていた。

 ヘルレアがぶら下げている、ヴィシスの体と、脊柱を引きずるままの頭。燃える目を細めたヘルレアの顔は、見るだけで死の強迫観念を繰り返し上書きしていく。


 ――どうすれば。


「……これは、いったい? カイム様、ご無事ですか」チェスカルがふらつく身体で立ち上がる。寒さのショックで目覚めたのだろう、無理に動いているのが伝わって来た。

「よかった、チェスカル。まだ、あまり動くな。いい仔だ……」

 幼いチェスカルが、森に独り(うずくま)る姿が蘇る。そして、何の前触れも無しに、ヘルレアの幼い笑顔までもが思い出された。

 カイムの振るえが静まった。

「帰りましょう……、棲家へ帰りましょう! ヘルレア。美味しいカップケーキがあります。マツダのお茶はアメリア一ですから。もう一度、もう一度だけ――」涙は出ないのに、カイムの声だけは涙に潤んで振るえているよう。先頃のチェスカルとのやり取りが思い出されて、何の打算も理由もなく、その言葉が(あふ)れた。

「カイム……、お前」ジェイドが悲しげに呟く。

 ヘルレアは動きを止める。何も見ていなかったヘルレアが、目を大きく見張って、カイムを確かに見留め、微かな笑みに緩んだ――ように見えた。

 ヴィシスの頭は、未だ水っぽい咳を繰り返し動いている。やはり、もう人間ではない。

「これ、で……終わると思うな」既に動ける姿では無いのに、その声は強気だった。

 ヘルレアが掴んでいるヴィシスの体と頭が、小刻みに振るえだした。すると、損傷箇所に肉が盛り上がり始めた。ヘルレアに掴まれたまま芋虫のように、ヴィシスの全てが蠕動する。再生していくヴィシスの肉体は、途中で頭の方がどす黒くなり、泥のように崩れ溶けた。

 ヘルレアの手を黒く汚して、肢体側でははっきりと頭蓋らしきものが、肉の奥から盛り上がって来る。一つの丸い頭蓋がそのまま形成される、そう見えた。だが途中で真ん中から割れ、四つに割れて、と、赤ん坊ほどの頭が幾つも生える。ヴィシスは絶叫した。頭の、顔の、全てが苦痛に打ち震えていた。

「お前にはその姿が似合いだよ。どうだ、私の下僕でなくなった幸福を、存分に味わうといい」

 同時に綺士と戦っていた異形も、苦痛を叫び始めた。すると悪魔が、円を縮めて異形の闇に取り付いた。沢山の悪魔はもそもそと動いて、異形に触れているだけに見えるが、異形は悪魔が取り付くと断末魔のような叫びを絶え間なく吐き続けた。

 蟻に集られた虫のようだ。

 ヘルレアはヴィシスを放り出して、異形の元へ戻ると、綺士に組み敷かれた異形の手元へ付近へ立ち止まる。ヘルレアが近付くと悪魔達が割れて、王へ道を作った。異形の振り回される腕は、ヘルレアにぎりぎり届かない位置である。

 綺士はしばらく異形の上にまたがって、抑え込んでいたが、ヘルレアから睨まれた。

「どけ、綺士!」ヘルレアの気迫が綺士を押して、素早く遠くへ追い払った。

「腐ったものは、土へ帰す。闇へ沈め」

 ヘルレアは大きく振り被ると、拳を深くめり込ませた。今までのような、ひびが入っていくような、浅い拳ではない。奥深くまでめり込んで、ヘルレアは肩口まで呑み込まれた。異形は爆発的な力を失って、ヴィシス本人のようにもぞもぞと動くだけしかできなくなったようだった。

 ヘルレアは片手で異形を引きずって、ヴィシスの元へ行く。徐々にその大きさが小さくなっていることに、カイムは気が付いた。ヴィシスの傍へ辿り着く頃には、異形はまるで焼死体――人形の消し炭のようになってしまう。だが奇妙なことに、闇の片腕だけ異様に伸びて、ヴィシスの足首に不自然な角度で捕まっていた。ヘルレアは異形を、ヴィシスの肉体へ重ねるように寄せていく。

「ヘルレア、もう、触れてはいけません」綺士が、ヘルレアの元へ歩いて来る。鱗に覆われた綺士は、人身に解けていった。そこにはヘルレアより少しだけ上背がある、エネラド――オウリーンが現れた。

「ごめんなさい、ヘルレイア。そして、ありがとう。これ以上あなたを穢すわけにはいかない。私が兄を地獄……その先へ連れて行くから。もう、這い上がってこられない、底の底まで」

「そうか――クシエルの綺士だろう。どうして」

「私には目的がある。クシエルはその行いを許してくれた。だから、今ここにいる」エネラドがヘルレアからカイム達の方へ向き直る。

「カイム・ノヴェク様、失礼をお許しください……チェスカル・マルクル殿、優秀な軍人よ――私が心を痛めているように見えたのね? この齢になっても、まだまだ青いみたいだわ」

「閣下……、」チェスカルの立ち姿から、相手への敬意が見えた。

 気高い女性だ。何故彼女が綺士にならねばならなかったのか――他に道はなかったのか。


 いずれ、戦わねばならないのか――。


 オウリーンは、ヘルレアからヴィシスと闇、双方を強い力で引き受ける。彼女の足元が黒い泥水のように解けて、未だ叫び蠢く兄ヴィシスと共に沈んでいった。綺士であるオウリーンの力に、今のヴィシスは抵抗できないようだ。闇はもう動かない。

 そうして、二人と異物の全身が呑み込まれていき――、


「ヘルレア……いつか私を殺して」


 言葉だけが残された。



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