第3話 氷の少女[2]
第3話です。
最近、中々話が進まんと、自分でも落胆してます。
もっと頑張りたいなぁ……
廊下の温度は教室と比べると幾らか低く感じる。未だ三月中旬に差し掛かったばかりということもあるのだろうが、そう感じる最も大きな原因は、やはり教室が温暖であったからだろう。
人の生活する場ではどんな時でも人自身から熱が放射されている。体温からの熱もあるだろうし、吐き出した息による熱もあるのだろう。いずれにしろ人の生きる空間には水蒸気と熱が籠る。
きっと人と楽しく過ごせているから「温かい」と感じる奴もいるのだろう。それが本当に人の「温かさ」なのかは判然としないが、何だとしても少し冷たく乾いた空気に触れるのは大切だ。
ボーッとしてしまった脳がクールダウンされて正常な働きを取り戻す。人との関係も一旦冷やして考えてみても良いと思う。
頭が高熱を持っていたら自分が何をしているのか分からなくなるだろう。そのうちオーバーヒートしてぶっ壊れてしまうかも分からない。
それは自分が失われてしまうのと同義だ。そうなる前に、適宜休息は取るべきなのである。
少しばかり傾いてきた日の光が、廊下を飴色に染め上げる。光の満ちたこの廊下はそこかしこが光を反射してしまって妙に眩しい。しかしその割りには暖かくないなと、不思議に思う。もしかすると光と熱は、実は全くの別物なのかも知れない。
階段を一階まで下り、ひんやりとした冷たい風の通る渡り廊下を進む。そこを抜ければ北校舎だ。
所々に黒色だか錆色だかのシミができてしまった校舎は、もう完成してから四、五十年も経つのだそうだ。校舎内も窓は少ないし天井は低い。そして夏場は熱が籠る。あまり快適でない場所というのは確かだ。
地震来る、津波来るとばあちゃんの頃から言われているのに一向にやって来ない地震。
もし地震が起こったらこの校舎もぶっ壊れるんだろうかと、見るたびに不安がよぎる。
ブルブルと身震いして校舎に足を踏み入れる。
と、その時、上階から何やら話し声が聞こえた。
この時間にこの校舎にいるのなんてオカルトめいた科学研究部員と、目的の大川井縹ぐらいのものだ。科学研究部、即ち理科実験室は一階だ。
すると今の声は大川井さん? 確かに女子の声のようだ。
一体何をやっているのか。小さな興味が湧いた。
どうせプリント届けに行く次いでだと、理由付けして薄暗い階段に一歩を踏み出す。
とんとんと静かに階段を上る間にも徐々にその話し声は大きくなってきた。声の高低から察するに女子と男子が一人ずつで、言い争いをしているようだった。ってマジか……。そういう現場か。
何となく嫌ぁな雰囲気がしているが、まぁ仕事なんだよなぁ……。仕方ないかなぁ。いやぁやっぱり仕事は悪だ。
二階まで来ると結構はっきりと声が聞こえるようになってきた。女子の方は大川井さんで間違いなかろう。
「……んど言っても分からないのね。アンタなんかお断りって言ってるのよ」
うわぁもしかしてアレか。告白お断り現場か? 大川井さん、事件です!
大川井さんらしき人物の拒絶に男子の方は無謀にも食い下がる。
「で、でも俺は大川井さんのこと──」
「うるさい。二度とその醜態を晒さないで、小ブタ島くん」
小ブタ島……? 悪口か? 何て酷いんだろこの人。最後の方、完璧笑ってたんだけど……。だが、その語から男子は太っているのかなと、推測する。
しっかりと相手の特徴を悪口にしていく常套手段。さすがと言うべきか。あぁ無情。
「クッ……ウゥ……、ぅああぁぁぁ……」
男子の悲痛な叫びが静まり返った校舎にこだまする。まぁアオハルなんてこんなもんだ。南無南無。
心中で合掌し階段を上っていく。
ダッダッダと音が聞こえる。どうやら男子くんは耐えきれなくなって、走り出したらしい。いやぁ辛いなぁ。まぁこれなら何のトラブルもなく大川井さんにプリントを渡して、帰宅できるだろう。もちろん僕は告りに来た訳ではないので罵倒される謂れもない。
ついに三階の廊下が見えてきた。そこへ辿り着こうと次の一歩を踏み出そうとした時、目の前に大きな影がヌッと飛び出てきた。
明らかに男子。しかもちょっと太っている。涙をこらえるような様子で顔を真っ赤にしている。
彼は前など見えていないようで、一心にこの場を去ろうとしているということが見て取れた。
ぶつかる……?
体にドシンと大きな衝撃が加わる。
あ……小ブタ島。
このコンマ数秒の時間がとても長く感じられるほどに、情報が入ってくる。
天井がみるみる遠退く。崖から突き落とされるってこんな感じなのかなと思う。
僕にぶつかった小ブタ島くんも反動でバランスを崩す。階段をゴロゴロと転がっている。
もうすぐ踊り場だ。思わず目を閉じる。
瞬間、背中にバンッというさらに強い衝撃を受ける。
「ッ……!」
超絶痛い。背中が痺れる……。幸いリュックを背負っていたため、害を被ったのは背中の上部だけで済んでいる。それでもやはり強烈な痛みを伴っているのではあるが。しばらくはこのまま仰向けで休憩させて貰いたい……。
ちらと、階段を転げ落ちた小ブタ島くんを一瞥する。彼はどうやら大きな痛みを持たなかったらしく、すぐさま立ち上がり僕を見下ろす。大川井さんらしき女子との一件と、僕への衝突のダブルパンチに、彼の顔は歪む。
あぁ僕のことはそんなに気にしなくて良いよと言いたかったが、いかんせん背中の衝撃で上手く声が出ない。はてさてどうしたものか。
「あ……、あ……」
彼はそれだけ言い残し、脱兎の如く階段を下って行った。
え、ちょ……そんなに気にするなとは思ったけど、ごめんなさいくらいあっても良いのでは……。しかし悲しいかな、相手は既に逃亡してしまっている。無念。
落胆して、寝そべって痛みに耐えていると、さらに三階から誰かの足音が聞こえてくる。もう、タックルは御免なのだが。ラグビーかたけしぐらいで充分。
三階を見る。
「ちょっと、何して──、……ついに頭までおかしくなったの?」
「……それって、頭以外、おかしいって……聞こえるんだけど?」
声を出すのがちょっと辛いがツッコみたい。というか僕の人権的にツッコまなければならないと思う。
「事実じゃない」
「違うんだよなぁ……」
現れたのは黒の髪を美しくなびかせた大川井縹その人であった。
恐らく大きな物音を聞いて駆けつけてきたのだろう。なんだ、悪口言うくせに案外と心配するんだな。まぁ僕には優しくないっぽいけど。
ようやく痛みが取れてきた。ゆっくりと口をあける。
「……大川井さんがフッた相手と、……衝突したんだよ」
「彼は?」
「どっか行っちゃいました……」
もう少し寝てようかと思ったが、この人の前でこんなことをしているのは無様だし、何だか負けた気分になる。少しヒリヒリする痛みを感じつつ、よっこいせと上体を起こす。負傷部を手で探ると、どうやら肩甲骨辺りに多少のダメージがあるっぽい。うわ僕不健康。
大川井さんは僕の回答にそうと、首肯して僕に質問を投げ掛ける。
「何で、アンタがこんなところにいるの?」
そうだった。僕は小澤望先生に、大川井さんにプリントを届けるようにとお使いを頼まれたのだった。
僕はリュックを漁りクリアファイルから一枚のプリントを取り出す。不幸中の幸いと言おうか、プリントは衝撃を受けてもしわくちゃにはならなかった。
「これを、大川井さんに届けてくれって、小澤先生に頼まれて」
「何だ……。余計なことしてくれるのね、あの先生」
「あの先生」とは誰だろう? 話の流れからだと小澤先生一択だが、このプリントは世界史のものだ。作成したのが清水五十六先生だというのは大川井さんならすぐに察するだろう。今日、清水先生が休みなのは彼女も知っているはずなので、清水先生が小澤先生に、小澤先生が僕にこのプリント渡しを委託したのも、もしかしたら彼女には見えているのかも分からない。
というかこの人は、清水先生の休みに関係しているのだろうか。気になるところである。
そろそろ立とうかと思った時、何を思ったか大川井さんがトタトタと階段を下りてきた。その姿、まるで良いとこのお嬢様のようである。思わずおほぅと、心中で歓声が上がる。
「目、キモいわよ」
大川井さんはグサッと僕の心を突き刺し、プリントを引ったくる。良いじゃん、そういう想像したって! 男子なんだぞ!
しかしそのあと、意外な言葉が彼女の口から発せられる。
「アンタ、どこか怪我してたりしないでしょうね」
「へ……?」
日本語でおk……なんだが……? 何言ってんだ……この人。
一瞬理解が追いつかなくなる。呆然としたまま彼女の顔を見つめる。
それが不満だったのか、大川井さんはプイッと顔を逸らして言う。
「怪我してるかって聞いてるんだけど。してるの? してないの? 頭?」
「いや、頭は大丈夫だから。……その、背中がちょっと、痛い程度だけど……」
実はちょっとじゃなくて結構痛いのだが、謎の見栄を張ってしまった。
「あっそ」
大川井さんは素っ気なく答える。
「……何で?」
気になって思わず尋ねると、大川井さんはキレたように顔を赤くする。
「勘違いするんじゃないわよ。私のせいで愚民に負傷者が出た、なんてことになったら面目が丸潰れじゃない」
「はぁ……愚民なのね、僕」
変なプライドを持ち合わせてるなぁ……。人の心は傷つけるだけ傷つけて、身体はというと別なのか。中々謎である。
しかし、負傷者をいたわる余裕はあるということでもある。意外と優しいのかしら……? いやそれが勘違いなのか。本人も言ってるし。
心のダメージと身体のダメージ。彼女の重んじているものが何なのかは分かり兼ねるが、身体の方には何か特別な思いでもあるのだろうか。
しばらく考えていると、大川井さんから声が掛かり我に返る。
「いつまで見てるの、よっ」
太ももを強打された。鈍い音が身体の中に響く。
「イッタぁ……」
慌てて強打部を手で押さえる。押さえてどうにかなるものでもないのにこうしてしまうのは人間の何故、だ。
どうやら思考している最中も彼女の方をずっと見ていたらしい。確かにそりゃキモい。蹴られて当然だぁ……。
「……って、負傷者出したら面目潰れるんじゃないの?」
少しばかりの皮肉を言う。しかし当の本人は僕の言葉などには耳もくれず、驚いたような顔をする。えぇ、ちょっとは反応してよぅ。
「……ねぇ、中学の時ってアンタ、運動部入ってた?」
え、何その明後日の方向過ぎる質問。どゆこと……?
けれども黙っているとまた何か言われそうである。聞かれたことには答えよう。
「まぁ、入ってたけど……」
「何部?」
「……一応、陸部」
すると大川井さんは目を見開く。
「アンタが? ……意外ね。もっとカルト系かと思った」
まぁ意外、なら分かる。自分自身でも何で入ったのかと思う時もある。
っていうか何だカルト系って。どういうイメージ持ってんだ僕に。そもそも中学にそんな部活ない。
大川井さんはなおも続ける。
「アンタ、友達……いないか」
「あのぉ、勝手に決めつけないでね?」
大川井さんは心底不思議そうに首を傾げる。
「いるの?」
「一人」
「何だ、いないんじゃない」
あれ、今「一人」って言ったんですけど。聞こえなかったのかなぁ? ドンマイ僕。ドンマイ僕の友達。まぁ深沢のことだけど。
「そうよね。いるわけないわよね」と大川井さんは一人でうんうん頷く。ひでぇなぁ……。
そして、額に手をやりうーんと唸る。どうやら何かで悩んでいるようだ。
しばらくすると、大川井さんは何かの覚悟を決めたようで「よしっ」と小声で言う。
「アンタ、今からちょっと付き合いなさい」
「つつ、付き合う……!?」
え、それってさ、告白ぅ!? ……んな訳ないけど。
大川井さんはムスッとした表情で吐き捨てる。
「勘違いしないで。アンタみたいなアホと交際する訳ないでしょ」
苛立ったか、大川井さんはグイッと僕のワイシャツの襟を掴み上げて引っ張って行こうとする。
慌てて尋ねた。
「い、今からどこへ?」
「部室よ。着いてきなさい」
「わ、分かったけど、……その、手、放してくれない?」
今の僕は女の子に襟を掴まれた無様な男子である。というかそれよりも女子にこんなに接近していることの方がヤバい。思わず目を閉じてしまう。
大川井さんも、僕のその恥ずかしさに気づいたのか、次の瞬間、前からの力は消失し、バランスを崩して僕は再び倒れる。今度はあんまり痛くなくて良かった。
目を開くとほんのりと頬を赤くしている彼女が視界に写る。あぁまぁ恥ずかしいよね。僕もあのままだったら失神していた恐れがあった。
大川井さんは僕を睨んで命令する。
「とっとと来なさい」
彼女は踵を返し、ドンドンと音を立てて階段を上っていく。露骨なんだよなぁ。
はぁ、また仕事が増えた。もう今日はどこにも寄らずに帰ろう。
よっこいせと、膝に手をついて立ち上がる。
廊下は再び静寂に包まれた。
こんな寂しいところにいるのか。僕が彼女に抱いていたイメージと彼女は大分違うみたいである。
どういうことかと気になったが今は彼女を追うべきかと思い、階段を小走りで駆けあがった。
最後までお読み下さりありがとうございます。
自分としてはこの手の掛け合いが好きですが、書くのがヘタクソだなぁと、常々感じています。修行が足りませんね。
良ければ今後もお付き合い下さい。