第4話 氷の少女[3]
最近、疲れがたまって眠いです。
小説に出てくる人物は、何か疲れてない人が多いので羨ましいです。
恐々しながら文芸部室に入室する。
昨日はどこか冷たい場所のように感じたが床が無機質なリノリウムから木に変わったことで、存外廊下よりも暖かいのかも知れないと思い直す。
部屋の主、大川井縹は悠然と歩み進め、室内の中心にきっちり四角に、向い合わせに並べられた机のうちの一つに手を掛ける。ちょうど班の形、といわれるやつの一つ飛び出た長の机である。
そしてくるっとターンして言った。
「そこに掛けて」
「あ……うん」
どぎまぎしつつも、彼女が指で示した、つまり彼女から見て左手の席に向かう。リュックを下ろし椅子を引く。
ガガッガッと椅子の脚が震えて音を立てる。音は嫌に反響し、静かなこの部屋にとっては大いなる雑音であった。
やっちまった……。大川井さんの顔色を窺うと、意外にもそのままの表情であった。
あれ……良かった、のかな? よーし、八街最高。
っていうか普通の表情の大川井さんなんて、何か変な感じだ。別にキモいとかではないし、普通に可愛いと思う。ずっと見つめられたら死ぬまである。しかし、いつも恐そうな感じなのでギャップが激しいのである。
そのまま固まっているのも何かアレだったので椅子に腰かける。
大川井さんは微笑を称えたまま、椅子をキーと引いてそれに座る。
慣れない座り心地に、体が何だかムズムズする。
一体何故僕はこんなところに来てしまったのだろうか……。大川井さんは昨日、辛気くさいだの何だのと言って、僕が文芸部に入るのをあれほどにも拒んでいたではないか。それが今日になったら、話があるから来なさいとは、朝令暮改も良いところだ。
胡乱な目を、スマホをいじる大川井さんに向ける。どうやら、「ラーインッ」の音が少し鬱陶しい例のメッセージアプリを用いて、誰ぞやにメッセージを打っているっぽい。そして送信し終わったらしく、ふぅと息をつき僕を見る。睨んではこなかった。
「何?」
「いや、あのぉ話って……?」
「あぁ、それは後でね」
「はぁ」
間抜けな返事であった。
えぇ、後なのかよ……。さっさと切り上げて帰りたいなぁ……。彼女が誰を、何をを待っているのかは僕の知るところではないが、その通告は非常に残念なものだった。
僕もため息をつき、窓の外をぼんやりと見つめる。遠くに白雪を戴いた富士山が見える。
少し説明すると、富士山の右側面にはボコッと盛り上がった箇所がある。宝永山だ。江戸時代、宝永の時の宝永地震に伴う宝永大噴火により出来た宝永火口のことである。
全部に「宝永」が付いてややこしいが、とにかくそういう名前の山だ。
富士山の、直近の噴火でもある。以降は噴火していないのだ。
この出っ張り、これが静岡の富士の象徴とも言える。
このアシンメトリーが良い感じに美しさを増大させている。他の山々に下部分が隠れているというのもまた、それらを寄せ付けない雄大さを顕示している。さらに、美しい駿河湾とのマッチングも、静と動という趣を感じさせる。
で、結局何が言いたいのかと言うと、富士山は静岡のものってこと。やっぱり山梨には譲れない。
彼の著名な歌人、山部赤人だって
田子の浦に うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
と詠んでいるのである。
うん完璧静岡の山。僕が思ってるだけだけど。
さて、どのくらい時間が経ったかな?
えーっと……、一分か。短い。
なーんか気まずい。大川井さんは読書しちゃってるし。僕、何すりゃ良いんだか……。
外を眺めたり、時計を確認したり、大川井さんの動向を観察したりしても、一向に時は進まない。マジでヘブンズタイムなのだが。
はぁとため息をつくと不意に声が掛かる。
「さっきから何ソワソワしてるの? イモムシ?」
見ると、大川井さんが眉をひそめて引き気味の姿勢である。あぁいつもの大川井さんだわ。
でもなぁ……、来いって言われたから来て、後でって言われたから待ってるだけなんだけどなぁ、僕。まぁそれが彼女の目にイモムシのようだと写ってしまったのならば、僕が今後何をしようと、彼女の中では今までの僕の行為は全て「イモムシ」の四文字に集約されるわけだ。そしてその行為を行っている僕自身も「イモムシ」の枠に収まってしまうのだ。いやぁ理不尽。
まぁ話し掛ける勇気がなかったのは事実だ。でもまぁ向こうから話し掛けてきてくれた。とっかかりがあればお喋りで、この残念な時間を潰すことができるだろう。
「あのさぁ、さっきの男子、誰?」
とりあえず数秒前の「イモムシ」発言は無視。心が痛むだけ。
大川井さんは呆れたように口を開く。
「あぁ、小ブタ島?」
「で、その蔑称の由来は?」
「簡単なことよ。彼、小島って言うの。で、太ってるじゃない? だから小ブタ島。小学生でも考えることよ」
「そいつはまた……」
けったいだなと、言うのは止めておいた。
大川井さんはなおも笑って続ける。
「でも、おかしいわよね。小島なのにデブなんて。大島の方がしっくり来るわ。フフっ」
大川井さんは口を手で押さえて楽しそうに微笑む。
それでも、小島だよっ! と反論しても良かったが、相当ウケているようだったのでそれは憚られた。
おかしそうにクスクス笑う様は、おしとやかなお嬢様のそれだ。マジで普通に可愛いと思う。でもなぁ……、笑いの内容がなぁ……ひどいんだよな……。
何となく見兼ねて別の質問を投げる。
「いっつも、あんなこと言ってんの……?」
大川井さんは少し笑いを抑えて「そうよ」と答える。
「何で?」
尋ねると、不機嫌そうな顔付きになって冷たく突き放すように言う。
「鬱陶しいのよ、ああいうの」
「でも……」
言い掛けると、大川井さんは僕から顔を背けた。
それ以上の発言は、見えない何かによって禁止された。
空間に静謐が充満する。外界から遮断されたかのように時はその流動を止め、同時に力を持つ物質も運動を停止する。
大川井さんが発した「ああいうの」。何を指しているのか。僕の言葉をそのまま返したのだとしたら、それは男子よりの告白のことを言っているのだろうか。
男子からすると、大川井縹とのお付き合いなんて天変地異みたいなものだ。大川井さんは僕のようなモブ生徒からしても高嶺の花だというのに、一部の上位カースト男子さえも彼女には到底届かないのである。
だからこそ、彼女に告白して話をするだけでも男子にとっては相当な愉悦なのであって、夢想なのである。
その結果が不本意に終わろうとも、もしかすると不本意に終わると知っていたとしても、ただ一時の自己満足のため、それをするのやも知れない。
では対して、彼女はどうだろう。日々男子にくだらない恋の話をされて、彼女はどう感じるだろう。
「鬱陶しい」
それが答えか。それだから、男子を罵倒し、悪言を吐くのか。
僕は、違う気がする。
彼女は何故わざわざこんなことをするのか。彼女の、逃げるようなあの顔は何だ。あれは、大川井縹か。
僕のイメージしていた彼女は、絶対にあのように顔を背けることなどしない。僕たちが思っている大川井縹はアレではない。大川井縹は美しく、可愛く、強く、男子を制す高嶺の花である。それが大川井縹だ。
いや、それが彼女の本当、なのか? 僕たちが見ているのが大川井縹の全てか? 大川井縹は自身の全てを皆にひけらかしているのか?
否、断じて否だ。
そうだ。勝手にイメージしているだけではないのか。彼女だって、いくら他より優れていようと、一介の少女である。いや、人間である。
彼女が皆の大川井縹としてその姿を見せているのは、皆の期待に答えるためであろうか。もしくはそもそも男子がイケ好かないのか。
どちらにしろ、彼女は彼女なりの隠しごとがあるらしい。恐らく僕が聞いたところで答えてはくれないだろうし、突っ張ねるだろう。
その中身をぶちまけるべき相手は僕ではない。
他に誰かが、彼女を受け止めるべき人間がいる。絶対に。それに、それがどこの誰だろうと一向に構わないのだ。
このストーリーも結局は僕の妄想。虚無で、汚ならしい、唾棄されても仕方のない自己満足。
だとしても、一つ、真実はあった。大川井縹は、一人の少女だった。
今まででも知っていたはずなのに、今さら気付くなど笑止千万。己の阿呆さがよりくっきりと、形を伴って現れるようだ。
そして何故だか、嫌に悔やまれた。
思考の海から抜け出し、呼吸をする。空気がスーッと体を巡るのが、感じられた。
視線の先には、怪訝な目で僕を見る大川井さんの姿があった。
「どうかしたの?」
「いや、何でも」
「そう……。まぁ良いわ」
大川井さんは素っ気なく言って、再び文庫本に目を落とす。いつもの、大川井さんだ。
彼女の考えていることなど、僕に分かるはずもないし、僕がとやかく言うことではないのだろう。
しかし僕の、今までの大川井縹の見方に、大きな誤謬があったのは紛れもない事実だ。
そのことについては謝罪をすべきであろう。自分勝手な烏滸がましい行為だとは思う。
それでも、飲み下して言葉を作る。
「あ……その、ありがと」
「……は?」
大川井さんはキョトンと首を傾げた。いや怪訝な目をしていたと言っても良い。
自分で決めたことなのだが、いざ口にしてみると気恥ずかしい。それに何のことだか全く分からないというのが、余計に羞恥心を増大させる。
つい顔を逸らして、言い訳じみたことを言う。
「あぁ……っと、あれ、さっきの、怪我の心配してくれたやつ、うんそれ」
「は? だからそれはさっき言ったじゃない。何、覚えてないの? 痴呆?」
大川井さんは僕の意味不明な説明をしっかりと理解すると、なんとも明快な「痴呆」という文句を添えて返答した。いや痴呆はないだろ……。
しかしこの世なんて、意味不明だらけだろう。彼女の気持ちも意味不明だし、自らだって意味不明。この世は意味の分からない魑魅魍魎で溢れているのである。
しかし、今ので恥ずかしさも吹き飛んだ気がする。ここからはいつもの僕だ。
「いや、まぁ良いけど……。男子の言葉、もうちょっと咀嚼しても良いと思うよ」
「は? 何言ってんの? やっぱ精薄?」
「今、咀嚼って言ったばっかなんだよなぁ……」
「……やっぱアンタ、ウザいわね。はぁ、失敗だったかも」
「ソイツはどうも」
大川井さんはムカついた様子で、読書を止めて腕組みする。
僕はため息をつく。何を言ってもこの人は、普段通りの大川井さんである。
今の僕の言葉で、彼女の気が揺れはしなかっただろう。
でも言いたいことだけ言って、それで終わりというのも良いかなと思った。
その時、いきなり教室のドアが開け放たれ、トタトタと一人の少女が登場した。
「イェーイ! 遅れてすまん!」
……誰?
何でイェーイって喜んでるのに謝ってんの? それともその逆?
黒髪のショートヘア。元気な瞳はブラウンで、目尻はツンッと吊り上がっている。
スポーティーな白のTシャツに、黒色のパンツ。
衣類に隠れていない小麦色の肌には汗の滴が光っている。
しかも背が高い。身長は170弱ありそうだ。
明らかに、運動部っぽかった。
何だかまた直視できないような奴が登場したなと、恥ずかしく思いつつげんなりした。
ニュー少女の方も僕に驚いたらしく、目を丸くする。
「え……!? 縹、誰だソイツ!?」
くっ……、その質問は、僕もしたいんだけどなぁっ!?
少女は半身になってアチョー的な構えを取っている。腰が低い位地に据えられていて、中々様になっている。
足腰の筋肉もやはりあるようで、瞬発力がありそうだと窺う。……いや、そんなことはどうでも良くて。
尋ねられた大川井さんは、ほっとしたように言う。
「あ、綾。やっと来た」
「アヤ」と呼ばれた女子は、僕のことを怪訝な目でジロジロ見てくる。え……、何この人……?
「それがとりあえずの候補。たまたま見つけたわ」
え、何? 候補? 見つけた? 何言ってんの? ってか「アヤ」誰? あと、僕、物じゃないんだよなぁ。
「アヤ」(仮名)さんは大きく目を見開き、僕と大川井さんを交互に見る。
大川井さんは、それが嫌だったのか少し怒ったように言う。
「何よ……」
「アヤ」さんは意地悪そうに答える。
「いやぁ、……別にぃ」
「別に」と言う時ほど「別」なものがあることが多い。「別に」は打消しの「ない」という語とくっつく事が多い。「別に~ない」という言葉になるのだ。
しかしながら往々にして否定は、暗に肯定を示すこともある。
今がその時。つまりはさっきの「アヤ」さんの「別にぃ」は「何か(隠し事が)あるよー」と言ってるに等しいのである。
うわ、何があるんだ? ホントに何もない時もあるけど。
大川井さんは多少不服そうだったが、諦めて口を開く。
「……ま、良いわ。そこ、座って」
「りょーかいっ」
「アヤ」さんは元気良く返事して、テトテトとこちらに駆け寄ってくる。
で、座るのかと思ったら、あれ……? 何だか回り込んで僕の方に来ちゃったぞー。何だ? 何の用だ?
「アヤ」さんは面食らう僕に向き、前屈みになって横から腹をツンと人差し指で触る。
「ひぅ……!?」
え……!? 何、やってるの!? セクハラ!? 僕、そんなプレイ認めない! というか止めて!?
おぉぉ、心拍数、血圧、体温共に上昇! 止めて、マジで!
僕は腹を両手で抱え、ガードする。
息切れしながら、汗をダラダラかきながら、尋ねる。
「な、何……?」
「アヤ」さんはんーっ? と唸って顔を上げる。そしてニヤリと笑った。
「身体測定。なよっちぃのかと思ったけど、そうでもないな」
言うと彼女はクルッとターンして、大川井さんのすぐ右隣に陣取る。
一体何なんだ……今のは……?
鼻腔には未だ、制汗剤と汗の混合した危険な香りが漂う。
僕はしばらく家に帰れない残念さと、大川井さんの真実は何かという疑問と、非常に倫理的にヤバい一線を越えていないかという興奮冷めやらぬ思いと、格闘せねばならなくなった。
最後までお読み下さりありがとうございます。
これから彼と彼女の進展はあるんでしょうか? 無きゃ詐欺ですよね笑
どうすれば進展するのかなぁ。




