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「また見ているわ……」
そう呟いたアリア・デイズ伯爵令嬢は、左手に持っていた扇をぎゅと握りしめた。
「え? 何か言った?」
慌てたような声で、アリアの方へ視線を戻したスタイリー・ワイズは、若くして伯爵位を継いだアリアの婚約者だ。
「いいえ、何も言っていないわ。それより、挨拶に行きましょうよ。今なら空いているみたい」
「ああ、本当だ。珍しいな」
スタイリーが一歩踏み出す。
アリアはそっと歩調を合わせた。
「やあ、久しぶりだね」
揃って頭を下げたスタイリーとアリアに声を掛けたのは、この国の王太子であり、二人の幼馴染でもあるセオドア・ハインツだ。
「お久しぶりでございます。王太子殿下。今宵は……」
「スタイリー? 何を畏まってるんだ。いつも通り話してくれよ」
明るい声がスタイリーの言葉を止めた。
「そうは参りませんわ。王家主催の夜会の席ですもの」
「やあ、アリア。今夜も美しいね。朝露を纏ったバラのようだ」
「まあ、相変わらずお口がお上手ですこと」
セオドアが肩を竦める。
フロアの奥で、楽器の音を確かめるような短い旋律が聞こえた。
どうやら楽団が準備を始めたのだろう。
「如何せん実力が伴っていないからね。口だけでも達者になれるように頑張っているのさ」
「おいおい、セオドア。そういうことなら、我が愛しの婚約者を練習台にしないでくれよ」
三人が同時に笑った。
気を利かせた給仕が、三人にシャンパングラスを運んでくる。
「こういう席ではなく、たまには一緒に飲みたいものだ」
黄金色の淡い刺激が喉を滑り落ちる。
今夜のお酒はいつもより少し苦いとアリアは思った。
談笑する二人の横で、アリアはあの令嬢を目で探す。
「あ……」
その人は、いつものように儚げで、愁いを帯びた微笑みを張り付けていた。
「仮面のようだわ」
アリアの独り言は、貴婦人たちの笑い声に紛れて消えた。
「そろそろファーストダンスの時間だな」
「今夜はどの令嬢を選ぶんだ?」
スタイリーの言葉に、セオドアが片眉を上げて見せる。
「誰を選んでも、何か言われることには違いがないんだ。どうせなら踊ったことのない令嬢にしようかな。それとも……」
「相変わらずな奴だな」
「だって仕方がないだろう? 僕の婚約者はオーツ国の王女だもの」
スタイリーがシャンパングラスを一気に傾けた。
「そうだな。彼女との繋がりは絶対に必要だ」
セオドアが一瞬だけ真顔を見せる。
「ああ、カーナル国からの侵略を阻止するためには不可避だよ」
「そうだな。残念ながら、今のわが国ではカーナル国を止めきれない」
アリアがスタイリーの袖を小さく引いた。
「後がつかえておりましてよ。スタイリー」
「ああ、それは失礼した。では、また後でな」
セオドアが頷いた。
「アリア、後でいいから僕とも踊ってくれよ」
「ええ、お待ちしていますわ」
二人が離れると、待ちかねたように人々が押し寄せる。
そつのない笑顔で受け流しながら、セオドアの表情が王太子のそれに変わっていった。
「あいつも大変だな」
「ええ、本当にね。私だったら絶対に耐えられないわ」
「ああ。僕も無理だな」
二人はゆっくりとデザートコーナーに移動した。
「さあどうぞ。愛しのアリア」
「ありがとう。スタイリー」
スタイリーがアリアのために取ったのは、彼女の好物であるオレンジジュレだ。
「王宮のものは一味違うのだろう? うちの料理長がこぼしていたよ」
「そうね。確かに格別だけれど、ワイズ家のお料理も美味しいわよ」
「それはありがたい。帰ったら、さっそく料理長に伝えてやらねばな」
「ええ、そうしてちょうだい。彼の腕は本物よ。私が保証する」
スタイリーがにっこりと笑いながら、空になった皿をアリアの手から取り上げた。
「踊っていただけますか?」
「ええ、喜んで」
二人は手を取りあってホールへと進んだ。




