第二話:ひったくり犯
六月の夜は、まだ完全には終わっていなかった。
大宮駅西口の空気は、昼とは別物になる。
スーツ姿は減り、代わりに帰宅を急ぐ足音と、自転車のライトが増える時間帯。
トシはいつものように、缶コーヒーを片手に歩いていた。
ケンが隣で言う。
「最近さ、ちょっと平和すぎねぇ?」
トシは答えない。
平和すぎる時ほど、何かは起きる。
それがこの街の癖だった。
少し離れた場所で、リクがスマホを見ている。
「西口の線路沿い、軽いトラブルの投稿出てます」
ショウが顔を上げる。
「……移動してる」
リクが続ける。
「今度は桜木町側」
ショウは地図を開いた。
「時間もズレてる。線が伸びてる」
トシは短く言う。
「逃げ方が変わった」
その夜、事件は“点”ではなく“線”で起きていた。
桜木町の住宅街。
鐘塚公園の裏通り。
ソニックシティ方面の細道。
場所はバラバラ。だが、違和感はひとつだった。
「同じ黒い原付」
リクがスマホを見ながら言う。
目撃証言はすべて一致していた。
黒いフード。
細身の男。
黒い原付。
ケンが舌打ちする。
「逃げながらやってるってことかよ」
トシは地図を見ていた。
点が、線になっていく。
そしてその線は、ある一点へ収束していた。
「戻ってる」
トシが言う。
ショウが顔を上げる。
「戻る?」
トシは地図の端を指す。
駅から離れた住宅街と線路の間。
「この辺、夜になると人が減る」
リクが頷く。
「監視カメラも少ない」
ケンが笑う。
「逃げやすい場所選んでるってわけか」
トシは首を振る。
「違う」
一拍置いて続ける。
「逃げてない。移動しながらやってる」
空気が変わる。
ただのひったくりじゃない。
“動き続ける何か”に変わっていた。
その夜、四人は分かれて動いた。
トシとケンは駅西側。
リクはルートと監視カメラの確認。
ショウは地図で移動経路を追う。
そして——
「来た」
ショウの声がイヤホンに入る。
「今、桜木町から線路沿いに入ってる」
リクが即座に返す。
「次、鐘塚公園裏に入る」
トシは歩き出す。
「囲う」
数分後。
黒い原付が現れた。
フードの男。
迷いのない動き。
だが、その瞬間。
「きゃぁっ!」
女性の叫び声。
バッグが一気に引き抜かれる。
原付が車道へ逸れた。
トシの目が変わる。
「ケン」
それだけで十分だった。
ケンは走り出す。
「任せろ!」
男は裏道へ逃げ込む。
スピードは速い。だが、動きは荒い。
トシは走りながら言う。
「リク、先回りできる道は」
「線路沿い抜けて鐘塚公園裏。一回止まるポイントある」
ショウが短く言う。
「そこ、見通し悪い」
トシは即答する。
「そこだ」
男は予測通り、鐘塚公園裏へ入った。
一瞬、スピードが落ちる。
その瞬間だった。
前にケン。
横にトシ。
後ろにショウ。
逃げ道が消える。
ケンが低く言う。
「それ、返せ」
男は固まる。
次の瞬間、突っ込もうとするが——動けない。
トシが一歩踏み出しただけで、空気が変わった。
「もう無理だ」
男は舌打ちし、バッグを投げ捨てようとする。
その瞬間。
ショウが言う。
「投げても意味ない。全部見えてる」
リクの声がイヤホンに入る。
「警察が今向かってる」
男の目が揺れる。
逃げ場はもうなかった。
数分後、サイレンが近づく。
パトカーが止まり、警察官が駆け込む。
「動くな!」
男は崩れるようにその場に座り込んだ。
抵抗はなかった。
ケンが拾ったバッグの中には、財布とスマホ。
被害者の女性が駆け寄る。
「それ……私のです!」
涙混じりの声。
トシは短く言う。
「間に合ったな」
夜。
西口の歩道橋。
風が少し冷たい。
ケンが缶コーヒーを開ける。
「こういうの、続くんだろうな」
リクはスマホをしまう。
「この街、まだ見えてないだけのやつ多いと思う」
ショウは遠くを見て言う。
「全部は見えない。でも、見える場所は増やせる」
トシは缶コーヒーを一口飲む。
そして言う。
「街は変わらない」
少し間を置く。
「でも、通る人間は変えられる」
夜の大宮駅西口。
人の流れは戻っていく。
何もなかったように。
ただ一つだけ違うのは——
この街を“見ている目”が増えたことだった。




