第一話:大宮駅西口の変質者
大宮には二つの街がある。
東口と西口。
電車で来た人間には同じ駅に見える。でも、毎日歩いてるやつからすれば、空気がまるで違う。
東口は眠らない。
飲み屋、ゲームセンター、古着屋、立ち飲み、客引き。
笑い声と怒鳴り声が同じくらい聞こえる。
西口は高いビルが並び、会社帰りのスーツが流れていく。
たった数百メートル。
なのに別の街みたいだった。
その真ん中に、大宮駅がある。
朝も夜も人を飲み込み続ける巨大な心臓。
六月の終わり。
夕方の大宮駅西口は、人であふれていた。
会社帰り。
学生。
買い物帰りの家族。
その中を、一人の青年が缶コーヒーを片手に歩いていた。
トシ。
二十五歳。
仕事は運送会社。
地元・大宮で育ち、この街の路地も、人の流れも、誰よりよく知っている。
朝は荷物を運び、夜は駅前を歩く。
別にパトロールしてるわけじゃない。
ただ、この街には知り合いが多すぎた。
だが、一度「何かがおかしい」と感じたら、その違和感が消えるまで歩き続ける。
街の変化を見ることが、トシの癖だった。
「トッシ!」
駅東口の喫煙所の近く。
缶コーヒーを飲んでいたトシは顔を上げた。
「ケンか。」
ケンは高校からの付き合いだった。
昔は喧嘩ばかりしていた。
今は内装屋で働いている。
腕は傷だらけ。
でも人を殴るためじゃない。
毎日工具を握ってできた傷だった。
「今日も見回りしてんの?」
「まぁな。」
トシとは高校時代からの腐れ縁。
口は悪いが面倒見がよく、行動力は誰よりある。
困っている人を見ると放っておけない性格だ。
「事件でも起きねえかな。」
トシは笑わない。
「起きないほうがいい。」
その時だった。
女子高校生が駅前交番へ駆け込んでいく。
「また出ました!」
警察官が飛び出す。
「どこです!」
「アルシェの裏です!」
トシは足を止めた。
翌日。
駅前の喫茶店。
窓際の四人席は、いつもの場所だった。
先に座っていた青年がスマホから顔を上げる。
リク
「昨日の件、SNSでも話題です。」
ショウが覗き込む。
「小学生に下半身を見せる男がいるって……」
ケンが顔をしかめる。
「最低だな。」
リク。
二十二歳。
情報系の専門学校を卒業し、今はIT企業で働いている。
ネットやSNSを調べるのが得意で、街で起きた出来事を誰より早く見つける。
冷静な性格だが、困っている人を見ると放っておけない。
ショウ。
二十四歳。
建築設計事務所で働いている。
方向感覚が鋭く、一度歩いた道はほとんど忘れない。
現場では派手に動くタイプではないが、周囲をよく観察し、小さな違和感にも気付く。
「場所を書き出してみました。」
ショウはノートを差し出す。
トシはノートとスマホを受け取る。
投稿は十件以上。
場所は少しずつ違う。
西口。
桜木町。
鐘塚公園。
ソニックシティ裏。
「同一人物かな。」
リクが言う。
トシは首を振る。
「分からない。」
「でも時間は似てる。」
夕方四時から六時。
学校帰りの時間だけだった。
事件が起きた場所を赤いペンでノートに印を付ける。
一件。
二件。
四件。
六件。
リクが驚く。
「円になってる。」
トシは頷く。
「移動してるんじゃない。」
「帰ってる。」
ケンが覗き込む。
「帰る?」
トシは地図の中央を指差した。
そこには古い立体駐車場があった。
「全部、この近くを通って終わってる。」
ショウが小さく言う。
「じゃあ、この辺にいる?」
トシは答える。
「いる可能性が高い。」
その日から四人は毎日、西口を歩いた。
制服姿の学生が多い道。
公園。
歩道橋。
人通りの少ない裏道。
だが男は現れない。
三日後の夕方。
ショウがイヤホンに向かって小さく言う。
「トシさん。」
「公園の北側です。」
「黒い帽子。」
「西側。」
ケンが静かに答える。
「見えた。」
四人はそれぞれ距離を保ちながら近づく。
男は黒い帽子にマスク姿。
買い物袋を持ち、ごく普通の会社員のように歩いている。
慌てる様子はない。
周囲を気にする様子もない。
六月の蒸し暑さの中、男だけが黒いコートを着ていた。
それが最初の違和感だった。
追跡の途中、男は近くの女子小学生の集団に向かって進んでいく。
植え込みの近くで遊んでいた子どもたちが突然悲鳴を上げた。
「いやっ!」
子どもたちは慌ててその場を離れ、近くにいた保護者のもとへ走っていく。
トシは離れた場所から、不審な男が子どもたちに対して明らかに不適切な行動を取っているのを目撃する。
周囲を見回すと、そのまま立ち去ろうとした。
「ケン。」
トシが低く言う。
「警察。」
ケンはすぐに110番通報した。
「大宮駅西口近くです。以前から目撃情報がある不審者と思われます。今、子どもたちに対する迷惑行為を目撃しました。すぐに来てください。」
「分かりました。警察官を向かわせます。」
男は通話が終わる前に歩き出した。
何事もなかったように。
人混みに紛れれば逃げ切れる。
そう思ったのかもしれない。
トシはゆっくり後を追った。
「ケン。」
「右に回れ。」
「ショウは後ろ。」
「リク、警察に今の位置を伝えろ。」
三人は短く返事をする。
「了解。」
男は横断歩道を渡ろうとする。
その瞬間だった。
トシが一歩前へ出る。
「ちょっと待ってください。」
男は驚いたように立ち止まる。
「……何だ?」
「今、公園で何をしていました。」
男の表情が変わる。
「知らねえよ。」
そう言うと、男はトシの肩を押して走り出した。
「逃げた!」
ケンが叫ぶ。
内装屋で鍛えた足で一気に距離を詰める。
男は駅前広場を抜けようとするが、人混みで思うように走れない。
トシも追いつく。
「止まれ!」
男は振り返りざまにトシを突き飛ばそうとする。
しかしトシは体をかわし、男の腕をつかむ。
ケンも反対側から腕を押さえた。
「暴れるな!」
男は激しく抵抗する。
「離せ!」
「何もしてねえ!」
ショウは周囲の人に声を掛ける。
「警察を呼んでいます! 近づかないでください!」
リクは110番通報を続ける。
「犯人を確保しています。場所は大宮駅西口、〇〇公園前です。警察官をお願いします。」
男はなおも逃げようともがく。
トシは低い声で言った。
「警察が来る。」
「逃げても無駄だ。」
数分後。
サイレンが近づく。
パトカーが止まり、制服警察官が駆け寄ってきた。
「警察です!」
トシとケンは男から少し距離を取り、警察官の指示に従って身を引いた。
警察官が男を取り押さえ、手錠を掛ける。
「現行犯として事情を伺います。」
男は何か言い返そうとしたが、警察官に促されてパトカーへ乗せられた。
泣いていた子どもたちは保護者に付き添われ、安全な場所へ移動していた。
警察官がトシたちのもとへ戻ってくる。
「通報と現場での対応、ありがとうございました。」
「詳しい事情を聞かせてください。」
トシたちは目撃した内容を一つずつ説明した。
後日。
警察から連絡が入る。
現場での目撃証言、防犯カメラ映像、そしてトシたちの証言などが捜査の重要な資料となり、事件は送致されたという。
ケンは缶コーヒーを開けた。
「今回は運が良かったな。」
トシは首を振る。
「運じゃない。」
「街を歩いていたから見つけられた。」
夕暮れの大宮駅西口。
人の流れは何事もなかったように続いている。
トシは駅を見上げ、小さくつぶやいた。
「街は何も教えてくれない。」
「だから、見ようとする人間が必要なんだ。」
ショウ。
「街を歩いた意味はありましたね。」」
ケン
「少なくとも、あの日あの場所で、不安な思いをする人は減った。」
トシ「街は誰か一人じゃ守れない。でも、見ている人間が増えれば、この街は少しだけ安全になる。」
トシは夕暮れの西口を見渡す。
夕日が駅ビルを赤く染める。
大宮の街は、今日もいつも通り人であふれていた。
そして彼らの物語も、まだ始まったばかりだった。




