第3話「球体関節の記憶」
前世の記憶が、夜になると鮮明に蘇る。
枕に頭を沈めて目を閉じると、瞼の裏に工房の風景が広がった。六畳の作業台。蛍光灯の白い光。エポキシパテの甘い化学臭が充満した空間で、私は球体関節人形の膝を削っている。
球体関節人形は、球体の関節を内部のゴム紐で繋いで構成される。頭、胸、腹、上腕、前腕、手首、太腿、脛、足首。それぞれのパーツが球体で接続され、ゴム紐の張力によって姿勢を保つ。
重要なのは球体の「受け」。関節球が収まる凹みの深さと角度が可動域を決める。そして球体には必ず「穴」がある。ゴム紐を通すための穴。
——糸を通す穴。
目が覚めた。暗い天蓋。寝台の絹のシーツが冷たく肌に張り付き、額に汗が滲んでいる。
夢ではない。記憶だ。そしてその記憶が、ひとつの恐ろしい類推を突きつけている。
球体関節人形の構造と——私の身体に繋がれた糸の構造が、似ている。
燭台に火を灯し、手首を見つめる。回すと骨が動く感触の奥に、もうひとつ別の何かが軋む。球体が受けの中で回転する感覚。人間の手首は球体関節ではない。前世の解剖学の知識がそう告げている。けれどこの「球が回る」感覚は、人間の関節のものではありえない。
試しに肘を曲げる。支点に硬い球体が嵌まっている感触がある。肩を回せば関節窩の中で球が滑る。
私の身体は、人間の構造の上に人形の構造が重ねられている。骨と筋肉と腱で動く身体の上に、球体と受けと糸で動く機構が影のように被さっている。人間の動きを人形の動きで上書きする——それが「操る」の正体。
右手首をゆっくりと回す。球体の回転を追いながら「穴」の位置を探る。
微かに指先が温かくなった。体温とは違う、蝋燭の蝋が溶ける直前のような乾いた熱。
穴は——ある。手首の内側、脈を測る場所のすぐ下。人間の身体には存在しない空洞が球体関節の受けの中に開いていて、そこを糸が一本、真っ直ぐに貫いて肘へ繋がっていた。
球体関節人形を解体するとき、いきなりゴム紐を切ってはいけない。張力で全身のパーツが一気にバラバラになる。正しい手順がある。末端から中枢へ、順番に糸を外していく。
私はその手順を知っている。何百体もの人形を組み上げ、解体してきた手が覚えている。
けれど問題がひとつ。人形を解体するとき——人形は抵抗しない。
この糸の向こう側には、人形師がいる。




