十八、 私が、傍にいるからね
「じゃあ、レオン、何かお話して。途中で寝ちゃうと思うけど……」
ラリサお嬢様のご要望なら、どれだけでも話そう。
俺の声で眠りについてくれるなら、いくらでも。
「そうですね……」
俺は帝都で見たラリサお嬢様の好きそうなカフェや雑貨屋の話をした。
「元気になりましたら、行ってみましょうね」
「そうね……。イザベル様もお誘いして……」
ダニーの妹、イザベル嬢とラリサお嬢様がカフェで談笑する姿を思い浮かべた。これ以上、微笑ましい状況はないな。
しばらくして、お嬢様の静かな寝息が聞こえてきた。
そっと、ラリサお嬢様の顔色をうかがう。少し、熱が下がっただろうか。
規則正しいお嬢様の息遣いに合わせ、俺も呼吸をしてみる。
昼間だけれど締め切ったカーテンのせいで部屋は薄暗い。
俺はお嬢様がしっかりと寝入ったのを確認してから、顔にかかった髪をそっと指先ではらった。
病床でも、お嬢様は変わらず美しい。
「ラリサお嬢様、俺、この国の皇子だったんです」
気が付くと、お嬢様のベッドの脇にうつ伏せになり、声に出していた。
心のどこかで、取り返しのつかないことを口にしているとはわかっていたけれど、止まらなかった。
「いろいろあって命を狙われて、リホンに逃げ延びたんです」
どれだけリホン語が上手になってもずっと言えなかった身の上話。
「でも、ずっと俺は幸せでしたよ」
でも、ラリサお嬢様に打ち明けたかったこと。お嬢様が寝ていることをいいことに、今話すなんて自分でもばかげていると思う。
「ずっと皇子だったら、ラリサお嬢様に出会えたなかったんですから。今まで隠していて、すみません」
お嬢様は、変わらずすやすや眠っている。
「ただ、いつもありがとうございますって伝えたかっただけです」
傍にラリサお嬢様の小さな手があるけれど、俺はそれに触れられない。
この方は、そんな容易く触れていい方じゃない。
「領主は俺が皇子だって気付いてて、何か画策しているようなんです。俺は、どうすればいいんでしょうね」
これじゃ、本当に姉に悩み相談をする弟みたいだな。フッとため息が漏れ、にじむ涙をこらえる。
今はラリサお嬢様の回復だけを祈らなければならないのに、こんなことをしてしまう自分が嫌だ。
最近、自分がどんどん理想の自分とかけ離れていっているような気がする。恋をすると、それを自覚すると、こうもここまでかっこ悪くなれるものなのだろうか。
俺はお嬢様が飲んだ薬湯を片付けようと、盆を持ち上げた。
そして、ベッドから離れようとした時だった。
「自由になって」
背後から、声がし、パッと振り返る。
「お嬢様、起きて……⁉」
俺が皇子だったことを、聞かれただろうか。
けれど、ラリサお嬢様はつぶった目をかたく閉じたままだ。
「私が、傍にいるからね」
傍に。
ラリサお嬢様が、傍に。
これは、きっと寝言だろうけれど、それでも、俺自身に言ってもらったような気がした。夢の中で誰に会っているのかは、今は考えないことにしよう。
「自由、か」
リホン王国からたこの帝国に追放された時、確かに感じた「自由」。
けれど、母国であるこの帝国は、俺にはまた別の縛りができた。
「逃げてばかりもいられないな」
盆をそっと持ち直し、俺はラリサお嬢様の部屋を出た。
ラリサお嬢様が元気になられてから、また慌ただしい日々が始まった。
「ラリサお嬢様、そんなにがんばられたら、また熱が出ますよっ」
シーナさんはそう言いながら、ポットからお嬢様のカップに紅茶を注いだ。
ラリサお嬢様は、ビベール語学学校から帰宅後、ずっと本の虫になっている。
「どうしてもここまで今日中に読んでしまいたいの」
そう言ったお嬢様の指は、分厚い本の中ほどをさしていた。一般人なら一週間くらいかけて読む量と難易度だ。
「ご無理は禁物ですよっ」
シーナさんはそうつぶやき、夕飯の準備を手伝ってくると部屋を出て行った。
「レオン、私は本を読んでるだけだから、外してくれて大丈夫よ」
お嬢様は、何やら本の一節を紙に書き起こしている。
「ラリサお嬢様、お願いがございます」
羽ペンを持つ手を、ピタリと止める。
「なぁに?」
窓から差し込む夕日が、お嬢様を包んでとてもきれいだった。
「今夜、少しタウンハウスを出てもいいでしょうか」
「もしかして、ロジーナさんに会うの?」
「い、いえ。昔の知人に先日再会したので、もう少し話してこようかと」
「そうだったの。よかったわね。少しと言わず、ゆっくりしてきてね」
お嬢様の笑顔がまぶしい。
やわらかな微笑みが、胸をキュっとさせる。
「ありがとうございます」
「久しぶりに会うんだったら、手土産とかいるんじゃないかしら。その方が甘い物をお好きなら、シーナが私にって買って来てくれたクッキーの包みがあるはずだから、持っていってね」
「……ありがとうございます」
自分の父親の嗜好なんて知らない。
けれど、サイモンの好きなものならよく覚えていた。
酒だ。一位から五位まで、そのはずだ。
甘い物はどうだろうか。
何にしろ、サイモンに会うわけではなく、皇帝である父に会いに行くわけだから、そんなもの必要ない。
と思うものの、心の中でフッと笑ってしまった。
「レオン様、楽しそうですね」
その夜、ラリサお嬢様が寝支度をされた後、俺はタウンハウスを出た。
その瞬間、シハブがさっと傍に来る。
「久しぶりだな、シハブ」
この嫌味が通じるだろうか。
「お久しぶりでございます、レオン様」
通じていても、それをシハブは顔に出さないのはわかっていたが。
「こちら、レオン様のローブです」
ロジーナもどこからか現れ、シハブ、ロジーナとそろいの黒いローブを手渡される。
「ラリサお嬢様には誰がついてる?」
「今夜はハオがついております」
シハブの返答に、俺はローブを羽織り、フードをまぶかにかぶった。二人もそれにつづく。
俺達は人目につかないように、皇宮まで家屋の屋根をつたっていった。
「シハブ、手筈は?」
「皇宮の地下通路を発見いたしました」
皇帝に会うために取り計らってくれとは言っていたが、まさかこんな短時間で国家機密のようなことまで暴いてくるなんて思わなかった。
「よくやった」
さすが名無し、と言いたいところだが、そんなに簡単に発見できるものなのか?
「ありがとうございます」
「でも、その道はやめておこう」
罠の可能性が高い予感がする。
「さすが、レオン様」
その作り笑顔はやめろ。
「そうやって俺を試すな」
「失礼いたしました」
心にもないことを。
「正面突破するのもな」
「それ、いいですね。皇宮の正門で『ただいま』って言うのはどうでしょうか?」
ロジーナまでこんなことを言いだす。だが、自らの足で豪商の家を出て、もう二度と戻ることのない彼女に声をあげる気には慣れず、鼻を鳴らすだけにしておいた。
「馬小屋側の城壁に、少々穴を空けておきましたので、ご心配なく」
最初からそれを言えよ。
俺達は、皇宮のすぐ近くで身を潜めた。
城壁の周りは森林公園になっているので、俺達は木の上で辺りをうかがう。
「レオン様、皇帝陛下の寝室までは、位置がつかめませんでした」
「それは、大丈夫だ」
変わってなければ、覚えている。
ただ、一度もドアの前にさえも行ったことはなかったけれど。
「この廊下の突き当りが、あなたのお父様のお部屋なのですよ」
と、ふいに亡き母の高い声がよみがえる。
月のきれいな夜だった。
もう逃げないと決め、父親に会おうとしたはいいけれど、会ってどうしようとは考えていなかった。ただ、何かの形でこのモヤモヤした気持ちと状況をはっきりさせたかったのだ。
「そろそろ、行くか」
俺の声に、二人がうなずく。
登っていた木から音を立てないように降り立ち、城壁に向かう。
シハブの案内で、城壁周りの兵が入れ替わるタイミングを見計らい、難なく穴から中に入り込むことができた。




