十七、 ここにいさせてください
「あれは、求愛……、なのか?」
「ヤマタタズミの男は、寡黙なやつが多いなぁ。女は黙って従え、的な。好きとか愛してるとか、ほとんど言わない。でも俺はそれが嫌でさ。俺の代では廃止にするつもり」
ヨシナリ殿下が遠いブリンス帝国に留学に来た理由が、この一言で全てわかったような気がした。そんな文化の中、ヨシナリ殿下のような性格だと自国とはいえなじめなかっただろう。
「ララ、か……」
ポツリとラリサお嬢様がつぶやいたのを、俺は聞き漏らさなかった。口角は上がっているものの、明らかにお嬢様の顔色は芳しくなかった。
「ラリサさん、気を悪くさせてしまいましたね。すみません」
そう言ったヨシナリ殿下も、見るからに反省の色を押し出していた。そこがまた、胡散臭い。
「どうぞ、そのままラリサとお呼びください」
うちのラリサお嬢様はやさしいのが長所ではあるけれど、ここは無視して離席してもいいくらいじゃないのか。でも、俺は何も言えない。
「それじゃあ、ラリサ。これからよろしく」
「ラリサ『さん』、だ。ヨシナリ」
「えー」
二人の殿下のやりとりに目を細めるラリサお嬢様。
きっと、俺がいつかお嬢様を「ララ」と呼ぶ日が来たらいいなと想像したことがあるように、お嬢様も婚約者であったリホンの王太子に愛称で呼ばれることを考えたこともあっただろう。俺がこんなことを易々と想像できるほど、ラリサお嬢様はあのリホンの王太子を好きだったことを、俺は知っている。しかたないとはいえ、胸が、ギュっとつかまれたような気分だ。
「ヨシナリ、ちょっと来い。それではラリサさん、またご連絡します」
二人の殿下の後を、護衛のサフマドさんがこちらに一礼し、サッとつづく。教室の一番後ろにいた生徒らしき一人もあとを追っていったところを見ると、ヨシナリ殿下の護衛なのだろう。
「ラリサお嬢様?」
俺の声に、お嬢様はハッと顔を上げた。
「次の授業に行かなきゃね」
その日はもう殿下達とお会いすることなく、滞りなく終わった。
ラリサお嬢様は中級ブリンス語の後、中級イリア語の授業を受けられた。イリア語の授業ではようやく俺はお嬢様の横に座ることができたが、中級レベルのイリア語は俺には難しすぎて、ついていくのがやっとだった。それもあるが、何ともつまらなかった。授業の教授法が、ブリンス語と同じでただ文法や語彙の説明だけだったこともある。全く発話することなく終わりの時間になってしまったのも理由の一つだろうか。とてつもなく情報量は多いのに全く上達した気がしない。
「ものすごく、ためになったわ」
帰りの馬車で、お嬢様は興奮冷めやらぬ様子だ。目をキラキラさせているお嬢様は、とても愛らしい。
「僕は、ラリサお嬢様に教えていただくほうが何倍もイリア語が上手になれる気がします」
「それは買いかぶりすぎよ。私ね、ちょっと反省したの。これまで、何とかできるだけ早く言語が使えるようにって、きちんとカリキュラムを組めてなかったなって。エイブリヒ殿下やダニー様の優秀さにあぐらをかいていたのかもしれない。お二人は語学のセンスがすばらしいからそれに甘えていたわ。もっと発話に自信が持てるように文法事項や文化背景もちゃんと体系立てて教えるようにしなきゃって、今日は思ったの」
帰り道だというのに、お嬢様はとても元気そうで、安心した。
とは言っても、きっとお疲れだろう。帰ったら、シーナさんに温かいお茶をすぐにいれてもらおう。
「明日から授業の後は、学校の図書館にこもるつもりよ。レオンは学校内で毎日のように開催されてるっていうお茶会に参加して、情報を集めてくれないかしら。ブリンス帝国に留学にきた動機や今後の展望なんかがわかればいいんだけど」
お茶会なら、俺よりお嬢様の方が適任かと思ったが、そんな場に頻繁に出入りしていれば、またヨシナリ殿下のような方に囲まれるにちがいない。情報の取得は名無しに依頼するにしても、俺で人脈を作っておくのは悪くない。
「わかりました。お茶会が終わりましたら図書館にお迎えに上がりますね」
護衛騎士が主の傍を離れるのはどうなのかとも考えたが、名無しの誰かがラリサお嬢様を見守っていることだろう。それに、この語学学校の要と言われる図書館は、警備がしっかりとしていることでも有名だとロジーナが言っていた。
「ラリサお嬢様?」
じっとこっちを見つめるお嬢様。
「帝都のお嬢様方って、みんなおしゃれできれいよね。お茶会は楽しんでほしいけど、ふらふらついて行かないでね」
思わず吹き出しそうになった。
「小さな子どもじゃないんですから、飴をもらっても行きませんよ」
「そう?」
もしかすると、ラリサお嬢様は俺のことを意識して……?
「ほら、レオンってずっと公爵家の騎士団にいたから、女性に慣れていないでしょう? お姉さんとしてちょっと心配というか……」
……そんなことはなかった。
「俺は……」
言いかけて、口をつぐんだ。
「俺は?」
「いえ、何でもございません」
ラリサお嬢様しか女性として見ていないと、言うところだった。
「レオン、最近そうやって言葉を飲み込んじゃうこと、多いね」
「そうでしょうか?」
口ではこう言ったものの、その通りだった。
お嬢様は、やっぱりまだまだ俺を弟としか見ていない。
その事実が、悲しくはあるが、同時に今も変わらず大事に弟としては思ってくださっているんだと、安心をしもした。
ラリサお嬢様の体験授業は、順調にはいかなくなった。
何か妨害されたとかいうわけではなく、お嬢様が風邪をひかれたのだ。
体調が悪くなる兆しを真っ先に気付かなければならないのは俺でなければならなかったはずなのに、情けない話だ。
熱は数日に及び、ダニーのタウンハウス中が大騒ぎとなったが、俺の護衛するラリサお嬢様の部屋だけは物音一つなくとても静かだった。
「私、寝てるだけだから、傍にいてくれなくても平気よ」
ラリサお嬢様は時々薬を飲むために体を起こし、俺に向かって同じことをつぶやいた。
「ここにいさせてください」
さっきまで侍女のシーナさんがいたので、脇に控えていた俺は、さっと枕元に膝を着いた。
「レオンはほんとに、心配性ね」
それはこちらのセリフですよ。
「僕だけでなく、エイブリヒ殿下もヨシナリ殿下もお見舞いをくださっていましたよ」
こんな時に他の男の名前を出したくはなかったが、お嬢様を心配しているのは俺一人じゃないことを伝えたかった。
「元気になったらお礼を申し上げないとね……」
お嬢様はそう言って、ベッドサイドの花瓶に目をやり、ふうとやわらかなため息をつかれた。
「レオン、私は大丈夫だってば」
家族は遠く離れたリホン王国。どれだけ心細いことか。
「いえ……」
俺が返答しようとすると、お嬢様がつづける。
「大丈夫って言葉って、便利よね。大丈夫じゃない時に使うことが多い気がするわ。あ、でも私が今言ったのは、ほんとに大丈夫って意味よ。大丈夫じゃない時はそう言うし、助けてほしい時はそう叫ぶから。そういえば私、どうして熱なんて出てるのかな。雨に打たれたわけでも風にふかれたわけでもないのに。あ、もしかしてこれが知恵熱ってやつなのかな。でもそれって、小さい子どもが出す熱のことよね。なんだか恥ずかしくなってきちゃった」
体調が悪い時ほど口数が多くなるのが、ラリサお嬢様だ。と言っても、こんな様子を見たのはこれまで数度だけだけれど。
まだ熱は高いし、お顔も真っ赤だ。
そして、小さい嘘をつく。
さっきもダニーが見舞いに来て、
「季節の変わり目にやられてしまいました。よくあることですよ」
なんておっしゃっていた。
よくあることなんて、ない。
王太子の婚約者に選ばれる際の条件には、健康も入っている。あれだけ忙しい妃教育と学園生活をこなしてきたのも、ラリサお嬢様のお体あってこそだろう。
「僕がお傍にいたら、ご迷惑ですか?」
今のお嬢様は、水さえも飲みこみにくそうだ。
「そんなわけないでしょ。でも、退屈じゃないかなって。私、寝てるだけだし」
「そんなことありません」
むしろ、お嬢様と二人でいられることは、俺にとってはご褒美のようなものだ。




