第三章・本気と書いてマジ卍 / 8
悔しそうにうつむくアリエスに対し、市原はさらに現実を叩きつけた。
「あとね、優勝できていたとしても、君はマカオには行けないよ。大会規約に書いてあるはずだけど」
それを聞いて、光恵は昨日、彼女が優勝賞品について口にしたときの引っかかりを思い出した。一一歳では、そもそもカジノ入店の年齢制限に抵触するから、そこで行われる国際大会には出場できない。未成年の場合は、大会参加権と同等額の商品券で賞品に替えると規約にも記されていたが、光恵は法務担当に任せきりで斜め読みしかしていなかった。
まして一一歳のアリエスが、規約を精査するわけもなく。
「それに確か、マカオは未成年だけの入国は不可だ。親御さんが無理として、連れてってくれる大人のあてはあったのかな?」市原の言葉は続く。
アリエスは、まだ家庭が円満だった頃に、海外旅行の経験があった。パスポートがどういうものかも教わった。それがあれば、後は電車に乗るように飛行機に乗って、海外へ行けるものだと理解していた。渡航費だけあれば何とかなる、と思い込んでいた。
自分はまだ幼い、まだ何も知らない、〝独りじゃなんにもできない女の子〟だと、思い知らされた。それが、それがいちばん嫌なのに。
泣きそうだったけど、歯を食いしばって、感情は表に出さなかった。
「それでもあたしは、───バクチを打って生きるって決めたんだ。他にどうすればいいのさ」
勝負を見守ったギャラリーの中で、ジョーが腕を組んでうなった。
「涙ひとつ見せねぇってか。たいした子だよアレは」隣にいるはずのテツに呼びかけた。「おいテツ、おまえあの子が気に入ったんなら、マカオくらい連れてってやったらどうだ。……テツ?」
隣には誰もおらず、誰も聞いていなかった。テツはいつの間にか席を立って、姿を消していた。
優勝賞品ほどではないが、二位以降にも幾ばくか賞品は用意されていて、表彰式が行われるはずだったが、アリエスはそれを断った。
リュックを背負って、逃げるように市民会館の正面玄関から駆け出した。
───入口の急階段に、テツが腰を下ろしていた。
「待ちな!」
呼び止める声に、アリエスは階段の途中ではっと足を止めた。
「またぞろ、バタバタ逃げ帰ってちゃ、世話ねぇなぁ」
「……うっせぇよ」
テツは、えっちらおっちら、急な階段を一段ずつ、片足ずつ下りて、アリエスのいる段に至ると、また腰を下ろした。
「……そんなに、おまえんとこの親は、アテになんねぇか」
「まぁね」
「だからバクチ打って稼ぐてか」
「そうだよ! あんたも説教?!」
強く声を出すと、嗚咽が混じりそうになる。ぐっとこらえるには、アリエスはしばらく黙るしかなかった。
「〝も〟ってなんだ。おまえさんにゃ、あの市原ってアンちゃんの言葉が説教に聞こえたのか。図星だろうよ?」
「……」
「バクチは結果がすべてだ。勝ちにしか意味がねぇ、負けたら何にも残らねぇ。『よくがんばりました』なんて花丸ハンコじゃ誰も納得しねぇ、因果な世界よ。だが、だからこそ広い。そして面白い。有象無象を惹きつける。セレブを気取るエリートや成金が一夜ですかんぴんに転落し、コモかぶってた文無しがシャンパンで祝杯を挙げる。それを許す世界だ。まだ何にも知らない小学生が、知った風な大人をブチ負かすなんてな、最高じゃねぇか。おまえさん、いいとこに目をつけた。
だがな、有象無象の世界は、面白さ以上に厄介事も呼び込む。腹ぁくくらねぇと───いや、腹をくくってても、おのれを強く持ってなきゃ、たちまち流される。
まともな大人なら、そんな世界で生きるなって言うんだろうが、俺ぁまともな大人じゃねぇから、言わねぇ。だが、ちょっとヘタ打ったくらいで逃げ帰るような心持ちなら、悪いことは言わん、やめときな。この世界の住人は、逃げ腰のヤツに狙いをつける。ココロの傷を優しく撫でてくれる奴ぁいねぇ、えぐり取りに来る。本当に命奪うまで貪り食らうぞ。
それが怖けりゃ───てめぇの機嫌をてめぇでどうにかして、そういう奴らをハネのける度量がねぇんなら、まだ親のスネをかじっとくんだな。ごくつぶしでも、命までは取るまいよ」
さんざん脅かしてから、声を和らげつつ、立ち上がる。
「それでもこの世界でやってくしかねぇって、思い澄ましてんなら───昨日の話、もう一度きちんと考えちゃくんねぇか。頼む」
自分よりずっと背の低い、やせっぽちの少女の前で、テツは深々と頭を下げた。
「逃げ腰にならずに、勝っても負けても堂々と前を向くバクチ打ちでいられるように、その弱点、しっかり直してみせる。俺にゃあその手助けができると信じてる。その代わり、俺にも力を貸して欲しいんだ」
アリエスには、よくわからなくなっていた。
体面も保身も何もない真摯な言葉が、ひとりの大人から、自分だけに向けられる。そんなことが、これまでにどれほどあったろう。今日はそれが次々起こる。
〝スイッチ〟は切らなかった。ただただわからなくて、ひっくり返ってぐじゃぐじゃになっている頭の中を、整理しようと努めた。
決意して飛び込んだ新しい世界に、望まぬかたちで迎え入れられたことだけは、わかっていた。長い人生にはままある話だが、一一歳の少女には、まだまだ苦い現実だった。
うつむいて、泣きそうな顔になって、それでもこらえるアリエスの様子を察して、「ウチに来な、いつでも待ってる」と言い残し、テツはいったん引き下がった。「ウチは宮下地区だ。宮下で藤倉って言や、すぐにわかる───使えるモノがあれば遠慮なくしがみつく図太さってのも、この世界で生きてくにゃあ、必要だぞ!」




