第32章『勝利者達の入城』
鳳山の港を血で染め上げた一万の海賊船団は、止まることを知らぬ怒濤の勢いで王宮へと押し寄せていた。
「門を閉じろ! 門を閉じろーーっ!」
王宮の外郭を守る重厚な鉄門の向こうで、新国軍の守備隊が悲鳴のような叫び声を交わしていた。しかし、彼らがかんぬきを掛けようとしたその瞬間、セシリアが凄まじい脚力で石畳を蹴り跳び、門の隙間に鋭い突撃を打ち込んだ。
「遅いわよ!」
しなやかな体躯から繰り出された曲刀の一閃が、門兵の喉元を正確に切り裂く。鮮血が吹き飛ぶと同時に、背後に続いていた海賊の巨漢たちが肩を怒らせて鉄門へぶち当たった。
ドォン!
重厚な鉄門があっけなく内側へ跳ね飛ばされ、開かれた破口から、刺青を彫り込んだ荒くれどもが雪崩れ込んだ。
「ひ、ひぃぃっ! 悪魔だ! 海の悪魔どもが化けて出てきたぞ!」
「逃げろ! 王宮はもうおしまいだ!」
新国の兵たちは、正規軍の統制など影もなく、武器を投げ打って蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。彼らの前に立ちふさがるのは、苛烈な海上で命を張ってきた本物の無法者たちである。陸の平和にぬくぬく(とまではいかずとも、政変の混乱に乗じただけの)としていた兵どもに、彼らの牙を受け止める術はなかった。
「ふふ、あっけないものね。これなら案外、日暮れ前には片がつきそうだわ」
セシリアは刃についた血を優雅に払い、腰に手を当てて不敵に笑った。その背後からは、日傘を優雅に挿したアルヴェリア親王妃リゼリアが、優美な足取りで追いついてくる。侍女たちが掲げる長槍が、彼女の周りを完璧に護衛していた。
「セシリア、油断は禁物ですわ。崔厳という男、主君を弑逆して国を奪うほどの野心家です。追い詰められた鼠が何をするか分かりません」
リゼリアの落ち着いた声に、セシリアは「分かっていますわ、姉様」と可愛らしく舌を出した。
「でも大丈夫です! 港を落とした時点で、あいつの逃げ道は完全に潰しましたもの。あとは玉座の間へ上がり込んで、あの逆賊の首を美味しくいただくだけですわ!」
二人の貴婦人に率いられた一万の異形の大軍は、豪華絢爛な燕国の旧王宮を、踏み荒らしながら奥へ奥へと進んでいった。
その頃、王宮の最深部――玉座の間。
重厚な扉を固く閉ざし、豪華な調度品や金銀の装飾品をこれでもかと積み上げて目張りをした部屋の中で、新王を騙る崔厳はガタガタと全身を震わせていた。
「馬鹿な……! なぜだ! なぜ海から軍が来る!?」
床に散らばる酒杯と豪奢な衣服の山。数前までの勝ち誇った笑みは霧散し、その顔には生気のない死人のような蒼白さが張り付いていた。
「崔厳様! もうダメです! 外郭も中庭も破られました! 敵の先頭はすでに玉座の間の前の廊下にまで達しております!」
側近の叫びに、崔厳は目を血走らせて相手の胸倉を掴み上げた。
「黙れ! 予は新国の王だぞ! 燕国を乗っ取り、帝国の皇帝アラリックをも返り討ちにした男だ! このような海賊どもの手によって倒されてたまるか! 兵を集めろ! 刺し違えてでも防ぐのだ!」
「し、しかし……兵たちは皆、武器を捨てて逃げ出しました! もう誰も残って……」
側近の言葉が途切れた。
ドカァァン!!
豪快な爆発音とともに、玉座の間の重厚な装飾扉が、内側に積み上げられていた金銀の調度品ごと吹き飛んだのだ。
激しい木くずと煙が充満する中、崩れ落ちた瓦礫を踏みつけて歩み寄ってくる人影があった。
「あらあら、少々手荒な真似をしてしまいまたね。お掃除が大変そうですわ」
煙の向こうから現れたのは、優雅に日傘を畳む美しき女性――リゼリアであった。
そしてその傍らには、血に濡れた曲刀を肩に担ぎ、妖しく微笑む女海賊姿のセシリア。その背後には、ギラギラとした欲望の目を光らせた海賊の荒くれどもが、びっしりと立ち並んでいた。
「な……女……!?」
崔厳は開いた口が塞がらなかった。己の王国を滅ぼしにきた悪魔の軍勢の頭領が、うら若き極上の貴婦人と、妖艶な女海賊だったとは、夢にも思わなかったのだ。
「無礼者め……! 予を誰だと思っている! 新国の王、崔厳であるぞ! どこから湧いた泥棒猫どもか知らんが、予の前にひれ伏せ!」
狂乱した崔厳が、腰の宝剣を抜いて叫んだ。だが、セシリアは退屈そうに欠伸を噛み殺すと、一瞬で踏み込んだ。
「声がうるさいよ、逆賊」
「ひぐっ……!?」
閃光が一筋。 崔厳が掲げた宝剣は、指ごと高々と宙を舞った。鮮血が天井を染め、崔厳は切断面を押さえて床に転がり回り、獣のような悲鳴を上げた。
「ぎゃあああああっ! 手が、予の指がぁぁぁっ!」
「静かになさい」
リゼリアが冷ややかな視線で下ろした。彼女の侍女が、床に転がる崔厳の首筋に冷たい長槍の穂先を突きつける。
リゼリアは優美にドレスの裾を持ち上げると、床に崩れ落ちる崔厳の前に歩み寄った。
「貴方は大きな勘違いをなさっていましたわね、崔厳殿」
「な……なにを……」
「帝国の皇帝アラリック陛下を足止めし、陸の山道を塞げば安全だと思い込んでいらした。けれど……我が夫、アルヴェリア親王イリアード殿下の視界は、そのような小さな山国に留まってなどいません」
リゼリアの瞳に、深い誇りと愛しさが宿る。
「殿下は、この東海の海すべてを、アルヴェリアの庭としておさめていらっしゃいます。陸が塞がれているのなら、海から撃つ。至極当然の道理ではございませんこと?」
「あ……アルヴェリア……! あの湿地帯の……小僧が……!」
「敗者に見苦しい言い訳は不要ですわ」 リゼリアは冷たく言い放ち、セシリアに向かって頷いた。
「セシリア。この者の首に首輪をつけて、犬として晒しなさい。新国という偽りの国の終わりを、全土に示します」
「はい、姉様!」
セシリアが曲刀を高く掲げる。崔厳の絶叫が玉座の間に響き渡り――そして、一瞬の静寂が訪れた。
燕国の主を殺し、国を乗っ取った不義の宰相・崔厳は、下着一枚で首輪をつけられて四つん這いで歩かされたのであった。
「あなたの名前は今日からポチね。わかったの?忠犬ポチ」
セシリアに足蹴にされ、崔厳は四つん這いのまま涙を流したのであった。
王宮が陥落し、崔厳が首輪をつけられ、鳳山の城門付近を四つん這いで歩かされているという報は、怒濤の波紋となって旧燕国全土へと広がった。
王都を奪われ、首魁を失った新国軍は完全に瓦解した。各所で足止めされていた守備隊や、山岳地帯に潜んでいた張魁の残党も、前後を断ち切られた絶望から次々と武器を捨てて降伏した。
そして――王宮陥落から五日後の朝。
鳳山の平原を、黄金の光が照らし出していた。
南の街道から、地鳴りのような行進音が響いてくる。 先頭に立つのは、黒鉄の甲冑を纏った皇帝アラリック。そしてその傍らには、白馬に跨がるアルヴェリア親王イリアード。
ヘクスハイムの砦で不死鳥のごとく復活を遂げた帝国軍六千は、途中の敵の残党を蹴散らしながら、電撃的に鳳山へと到達したのだ。
「……あれが、燕国の王都か」
アラリックは馬上で目を細め、目の前に聳え立つ鳳山の巨大な城壁を見上げた。城門の頂には、すでに新国の旗はなく、代わりに――アルヴェリアの「蓮の花」の軍旗と、帝国の「双頭の鷲」の旗が、仲良く風になびいていた。
「見事だな、イリアード」
アラリックは隣の弟を見て、苦笑混じりに呟いた。
「お前の妻たちが、海から一万の海賊を率いて王都を直接攻め落とすと聞いた時は、我が耳を疑ったぞ。余が陸で苦戦している間に、背後から国を一つ丸ごと飲み込んでしまうとは……」
イリアードは照れくさそうに微笑み、首を振った。
「僕も驚きました。リゼリアもセシリアも、僕の想像以上に大胆で……頼もしい妻たちです。ですが、これで無駄な流血を最小限に抑え、速やかに討伐を完遂することができました」
「ふん、お前という男はどこまでも計算高い」 アラリックの言葉には、先日の敗北の棘はもうなかった。あるのは、困難を共に乗り越えた実の弟に対する、絶対的な信頼であった。
城門が開かれ、中から軍勢が出迎えてきた。
先頭に立つのは、革の胸当てに曲刀を挿したセシリアと、華麗なドレス姿のリゼリアである。二人は皇帝と親王の前に進み出ると、優雅に頭を下げた。
「皇帝陛下、そしてイリアード殿下。お召し物のお手入れはお済みですか? 王宮の庭園は、すでに私どもの手で綺麗に清掃させておきましたわ」
リゼリアの優雅な挨拶に、アラリックは思わず破顔した。
「ハハハ! これは頼もしい義妹を持ったものだ! 親王妃リゼリア、そしてセシリアよ。其方たちの奇策と勇猛、帝国を救う大功であった! 朕からも深く感謝する!」
アラリックは馬から下りると、二人に対して惜しみない賛辞を送った。
そして、イリアードのもとへ歩み寄ると、その肩を強く抱きしめた。
「イリアード。余の不覚から始まったこの親征だったが……お前と、お前の率いるアルヴェリアの力のおかげで、帝国の威信は保たれた。心から感謝する」
「勿体ないお言葉です、兄上」 イリアードもまた、兄の背中をしっかりと叩いた。
「僕はただ、兄上が戴くこのオーレリア帝国が、不義の徒によって踏みにじられるのが許せなかっただけです。……さあ、参りましょう。新しい燕王を擁立し、東方の秩序を立て直すときです」
そして、下着一枚で首輪をされて四つん這いの崔厳がつれて来られた。
「陛下。これを陛下に上納させていただきます。名前はポチです。これポチ!陛下にあいさつしなさい」
セシリアに足蹴にされた崔厳は泣きながら「わん!」と挨拶したのであった。
「おい!ポチ!ずいぶん余の手を煩わせてくれたものだな!お前をオクタヴィアに連れて帰るゆえ、
楽しみにしておれ」
崔厳の顔を覗き込んだアラリックをイリアードはさりげなく王宮へ案内した。
二人の若い英雄が手を携えて王宮へと足を踏み入れる姿を、後方で見守っていた帝国兵もアルヴェリア兵も、さらには海賊たちまでもが、割れんばかりの大歓声で祝福した。
「「「皇帝陛下万歳! アルヴェリア親王殿下万歳!!」」」
「「「オーレリア帝国万歳ーーーッ!!」」」
敗北のどん底から立ち上がり、海と陸からの鮮やかな挟撃によって成就された完全なる勝利。その歓喜の声は、鳳山の空を突き抜け、東海の水平線へとどこまでも響き渡っていった。




