『澄み切った鐘の音が』
五月の風は、まだどこか幼い柔らかさを残したまま、一面の緑を揺らして吹き抜けていく。 敷地を埋め尽くすクローバー畑は、陽光をいっぱいに浴びて青々と波打っていた。みずみずしい葉の香りと土の匂いが、眩しい日差しの中で心地よく混ざり合う。うさぎ達が自由気ままに遊ぶ緑の絨毯の真ん中に、小さな礼拝堂がひっそりと佇んでいた。
純白の漆喰壁はどことなく庶民的な趣があり、落ち着いた味わいを醸し出している。 そして、その慎ましい尖塔の頂や重厚な木製扉の真上には、緑の四つ葉のレリーフが刻まれていた。掲げられたその意匠は、人々への祈りを込めたものだという。四つの葉のそれぞれが「希望」「信仰」「愛」「幸福」を意味し、厳しい世の中を生き抜くための支えとなっていた。
皇室からの賜り物によって敷地が倍に広がった四つ葉堂に、若者たちの楽しげな笑い声が飛び交う。 声の主は、皇太子妃の気遣いによって庭の手入れを手伝いに訪れた、若い宮女二人と同年代の宦官だった。 日頃の張り詰めた空気はなく、誰もが弾むような笑顔を浮かべている。
「みなさーん! 休憩にしませんかー?」
この堂の主であるココロギが、お盆を手に皆へ声をかけた。
「はい、どうぞ。四つ葉牛乳です」
四つ葉のマークが付いたコップへ並々と注がれた牛乳が、一人ひとりに配られる。
「四つ葉様! ありがとうございます!」 「わあ、冷たくて美味しい!」 「本当だ、すごく美味しいですね」
三人は大喜びで、渡された飲みものをあっという間に飲み干した。広くなった敷地の一角には、新しく仲間入りした牛とヤギが身を寄せ合っている。毎日、皇帝の執務室に出勤する生後五ヶ月の乳児のお弁当は、ここで作られていたのだった。ココロギが朝に搾乳し、竹筒の哺乳瓶へ注いでおくと、皇孫女シェルランテが取りに来るのだ。
「ココロギ様、さっき四つ葉のクローバーを見つけたんです」 「ダメじゃない! 摘んじゃったの? バチが当たるよ!」
同僚に嗜められて動揺し、怯える宮女に、ココロギは優しく微笑みかけた。
「バチなんて当たりませんよ。見つけられて幸運でしたね。きっといいことが起こりますよ」
ココロギはそっと目を閉じ、両手を合わせた。 そうして出来上がった神秘札を宮女に手渡す。
「わあ、いいなあ。なんて書いてあるの?」
四人で身を寄せ合い、神秘札を覗き込んだ。そこには優美な女性の絵とともに、「貴人より施しあり、感謝すべし」と記されていた。
「クローバー畑、綺麗になったわね」
門をくぐって現れたのは、侍女を二人従えた貴妃セシリアだった。
「貴妃様!」
四人は慌てて頭を下げた。
「ココロギ、人手が必要だったなら、いつでも言ってくださればよかったのに」 「お心遣い、感謝いたします」
ココロギの丁寧な所作に微笑むと、セシリアは控える侍女に目配せをした。
「神聖なる庭に奉仕してくれた皆さんに、私から褒美を差し上げますわ」
一人ひとりに手渡されたのは、絹の巾着だった。中には四つ葉の形をした焼き菓子と組紐、そして一粒の宝石が入っている。
「わあ、すごい! ありがとうございます!」 「貴妃様、感謝いたします!」 「嬉しいです、大切にします!」
三人の喜ぶ姿を満足そうに見届けると、セシリアは言葉を添えた。
「宝石は売って親孝行になさい。焼き菓子はココロギの分も持ってきているから、安心しなさいね」 「ありがとうございます! 実は私だけもらえないのかと、心配で心配で……」
ココロギのおどけた言葉に、その場にいた全員の笑い声が弾け、クローバー畑を優しく揺らした。 やがて時刻を告げる四つ葉堂の澄み切った鐘の音が響き渡り、白亜宮を穏やかに包み込んでいった。
■ 登場人物一覧
* ルシア
* ルシア・フォン・ アルヴェリア。「四つ葉の錫杖」を剣の様に振るい圧倒的な強さを持つ騎士・戦士・巫女・義賊・令嬢。生前の身分はアルヴェリア親王国王女。母は貴妃セシリア。戦死後、皇太子妃の幼い皇女「シェルランテ」として転生・復活を果たす。
* ココロギ
ココロギ・サイリュン。『真理の光教団』の巫女。帝都オクタヴィアの白亜宮後宮の礼拝堂『四つ葉堂』の巫女。宮女達からは『四つ葉様』と呼ばれて居る。聖ゲンドラス教国教皇であり教祖ゲンドラス・サイリュン(崔厳)の実子。リヴィエール一族の血を引き、「空間跳躍」や「神秘札の作成」、欲しいものを手に入れる異能を持つ。父崔厳は燕国の錦族であり、ココロギの錦族名は崔心木である。『真理の光教団』の教義において『心木』とは、世界――あるいは宇宙――の中心にそびえ立ち、すべての生命の魂をつなぎ止める世界樹を指す。生きとし生けるものの命の源であり、同時に「心(感情や意志)そのものを巡らせる大樹だ。天と地、現世と冥界を結ぶ軸であり、季節の巡りや人の心の調和はこの心木の脈動によって保たれていると信じられている。ゆえに心木が枯れ、傷つくことがあれば、世界中の人々の心は荒廃し、混沌が訪れると伝承されている。
* セシリア(せしりあ)
* 帝国後宮の「貴妃」であり、水明宮に居住する。ルシアの実母。古琴の名手で、気品と冷徹さを併せ持つ優雅な傑物。リヴィエールの血を持つ。
* シェルランテ(しぇるらんて)
* 皇太子夫婦の間に生まれた皇孫女(生後数ヶ月)。「白鷺姫」の意味を持ち、一瞬で宝物を出現させる能力や千里眼、空間跳躍の異能で皇帝の不義・不正を見破る(中身はルシアの復活体)。父リアムはリゼリアの息子なので、リヴィエールの血を持つ。また、ルシアが亡くなる直前にリアムと秘儀『交血のイニシエート』を実施しており、非常に強い力を取得している。母シルヴィアがリヴィエールと完全無関係な血筋『純白の箱』であった為に奇跡的な遺伝を実現できた。これはルシアの意図していた事で彼女は自ら死を選ぶ代わりに更に強い力を持って生まれ変わろうとして生まれてきたとも言える。実際に3月3日の『紫炎石』による結界を『神託の聖母』に扮したセシリアの錫杖を介して、命を賭ける事なく粉砕してみせた。
* イリアード(いりあーど)
* 第15代皇帝。かつてアルヴェリア親王としてオーレリア軍の総大将であり「軍神」と称された。ルシアの実父。皇孫女シェルランテ(ルシア)を深く溺愛している。皇帝の執務室にて生後数ヶ月のシェルランテを入り浸しているが孫煩悩である一面。文官よりも武官気質である為、親王領の時よりも膨大な皇帝の実務を持て余し気味である事も理由の一つである。親王時は王妃リゼリアとセシリアがほぼ担っていたが、帝国の宮廷ではしきたりがある為、あからさまな政治干渉が出来ない。たがシェルランテは乳児が懐いているから世話している口実が使えるのである。
* リゼリア(りぜりあ)
* 帝国の後宮最高権力者である「皇后」。水鏡宮に座し、圧倒的な威厳と冷静沈着な頭脳を持つ。
* シルヴィア(しるびあ)
* 春宮に住まう若き「皇太子妃」。シェルランテの母。夫の不始末に思い悩んでいたが、ココロギの神秘札により新たな男児(世継ぎ)の妊娠を確信する。本来、皇太子妃は東宮の中に住まうのが当然であったが、隣の敷地の居館を設けて春宮として住まいにしていた。皇后リゼリアの意向でそうしたのだが、それが結果的に最初から別居していて正解だったとなっていく。リゼリアが何故そうしたのかは誰にも話していないが、予知なのか、風水なのか、それとも腹の中にいたシェルランテの仕業なのか謎である。
* ゲンドラス・サイリュン / 崔厳(げんどらす・さいりゅん / さいごん)
* 聖ゲンドラス教国の教皇。ココロギの実父で、錦族の末裔である。ルシアに教祖にされ、教皇にされたが、霊的なまたは超常的な力は一歳持ち合わせていない。ただ一国の宰相をとして君臨していた時期もあり、類稀な自尊心と承認欲求を持っている為に雛壇の人形は天職である。政治統治能力は一流である。本名は燕国の名で「崔厳」。
* ヴィオ(ゔぃお)
* ルシアに付き従う側近・従者。聖都クリスタルヘイムに突如現れた孤児。ルシアが引き取って侍女としていた。ルシアに仕込み錫杖による二刀流の使い手として鍛え上げられ、右手として活動していたが、紫の儀式により、憑依を受けて、情がありヴィオに反撃出来ないルシアを刺し、ココロギの召喚したリアムに斬られ絶命した。
* ビー・スー(びー・すー)
* ルシアに付き従う側近・従者。南部の孤島の小さな王国の末裔でディヌイヤ王国に従属していた所を王の好意で預かっていた。ディヌイヤ領となったアルストラーナ南部のディヌイヤ・ラーナ公国にて『真理の光教団』の司教をしている。愛用の丸盾を武器の様に使う。右手にはルシアの物より短い錫杖を用いる。
*ヴォルフラム
『真実の光教団』枢機卿。アルストラーナ共和国。首都ラーナ。ラーナ大司教座聖堂に赴任している。若かりし頃、流しの吟遊詩人であり、達人の剣士であった。中尺の錫杖を与えられて「使いにくい」と不満を漏らす。両手剣の要領で使う事をビー・スーに指摘される。ルシアが彼を枢機卿としている事から見てもわかる通り、切れ者である。
* アルル(あるる)
* 水鏡宮(水明宮)の女官。セシリアや皇后の伝言をココロギに伝える役割を果たす。
* ベルトト(べるとと)
* セシリアの伝言先として名前が登場する人物。リヴィエール財団のベルナデットの妹。アルヴェリア親王家に長く仕える。リゼリアの『リヴィエールの女性は子を残すべし』の方針から唯一漏れてしまった女性である。実際はあまりに優秀であった為に、イリアード、リゼリア、セシリアが彼女を必要としたからであった。「さすがベルトト」と称賛される事が多い。現在は後宮にて皇后付き女官長を務めている。
* リアム(りあむ)
* かつてココロギに想いを寄せていたが、女官エレノアに手を出し、ココロギに合わせる顔を失った皇太子。妻、皇太子妃シルヴィアにも嫌われている。皇帝イリアードと皇后リゼリアの息子。幼少期からルシアに数万回襲撃を受けた為、武芸に関しては右に出る物はほぼいない。何かとさえず、浮かばれないのはルシアに狂言回しにされているからであるが誰も気づいていない。ルシアにとって大好きで大嫌いな兄である為に『生かさず殺さず』にされているのである。娘シェルランテにも冷たい対応をされている。
* エレノア(えれのあ)
* リアムと関係を持った女官。
■ 用語集一覧
* 真理の光教団
* ゲンドラス・サイリュンが教祖を務める宗教組織。ルシアが作ったエセ宗教である。教義では内なる神を信仰しつつ、結局の所、他力本願と自力本願が同居している。紋章は「四つ葉のクローバー」。聖ゲンドラス教国の聖都クリスタルヘイムをはじめ大陸各地に拠点の大聖堂を持つ。
* 心木(しんぎ / こころぎ)
* 真理の光教団の教義において、世界・宇宙の中心にそびえ立ち、すべての生命の魂をつなぎ止める世界樹。感情や意志そのものを巡らせる大樹とされる。
* 四つ葉のクローバー(よつばのくろーばー)
* 教団および聖ゲンドラス教国、ルシアたちのシンボルマーク。「希望」「信仰」「愛」「幸福」を象徴する。
* 四つ葉の錫杖
* ルシアが愛用していた片腕ほどの長さの錫杖。素早く回転させると先端の四つの金環が揃って開く構造を持つ。片手で剣の様に扱う。
* 神秘札
* ココロギが手を合わせ集中することで創り出す特別な札。未来の出来事や隠された真実が絵と文面で浮かび上がる。
* 六棘の霜華
* 寒さに際してガラス等に浮かび上がる氷の結晶を模した紋章。「霜華の女王」を象徴し、悲哀を喜びや幸せに変える意味を持つ。
* 白紅蓮花
* アルヴェリア親王家の威厳を象徴する蓮の花の刺繍・紋様。白紅はルシア。黄色はセシリア。
* リヴィエール一族 / リヴィエールの血(りゔぃえーるいちぞく / りゔぃえーるのち)
* セシリア、ルシア、ココロギらに共通して流れる血脈。空間跳躍など特有の異能を発現させる力を持つ。アルヴェリア周辺に根を張る土豪の一族。遥か昔、この地に流れ着いた「異国の漂流民」の血を引くという伝説があり、一族には独特の雰囲気を纏った美貌の持ち主が数多く生まれる。しかし、彼らが秘めている真の謎はそれだけではない。一族の根幹に関わる「もう一つの秘密」が存在するが、それについて語ることは、一族の者たちの間では暗黙のタブー(公然の秘密)となっている。
* アンチアルマ(あんちあるま)
* 七十万もの軍勢が激突した、混沌の坩堝と化した広大な戦場平原。古都アンチアルマ周辺の平原。
* オーレリア帝国
* 大陸の東側三分の一を領する大帝国。
* アルストラーナ帝国
* オーレリアと敵対する巨大帝国。五十万の大軍を率いてアンチアルマに侵攻してきた。
* グラッデェ(ぐらっでぇ)
* アルストラーナ帝国の最前線を任される、強靭な肉体と高い騎乗能力を持つ騎馬民族。
* 聖ゲンドラス教国
* ゲンドラス・サイリュンを国家元首とした『真理の光教団』の国、四つ葉のクローバーを紋章とする国家。西の砦を拠点とする。
* ルミナリア(るみなりあ)
* 「花の都」と呼ばれる都市。セシリアの故郷でありルミナリア・リヴィエール家の本拠地。
* クリスタルヘイム(くりすたるへいむ)
* 聖ゲンドラス教国の聖都。
* 翡翠宮
* 後宮の最奥に位置する、イリアードが生まれた居館。フレデリカ・リヴィエールやルネッタ・リヴィエールの居館であった。
* 水鏡宮
* 後宮最高権力者である皇后リゼリアの居館。
* 水明宮
貴妃セシリアの居館
* 四つ葉堂
後宮の片隅にある『真理の光教団』の礼拝堂。クローバー畑や菜園があり、兎や牛、ヤギが飼育されている。ココロギの家でもある。
* 東宮 / 春宮(とうぐう / しゅんきゅう)
皇太子および皇太子妃シルヴィアの居館。
*政教商の一致
ルシアの目指した理想的な世界の在り方。人の信仰心と経済の健全化で平和な世の中が保たれる思想である。財の偏りを少なくし、流動性を高める。人の多くには信仰心があるが、真実の宗教はない、ならば信仰心から財を生み出して、偏って滞留したところから還流させるとこにより、世の中の不具合を減らしていく。そこで生み出したのが宗教『真理の光教団』や聖ゲンドラス教国。義賊『六棘の霜華』。国のモデルとして富国強兵なアルヴェリア親王国であった。『真理の光教団』が世の中に放出し続ける宝石の数々は富者が買い取り、貧しい人に金がいきわたる。宝石は次第に価値が下がっていき、逆にアルヴェリアのフルビアルトのガラス製品は価値を上げて行く。『真理の光教団』からリヴィエール商会を通して国にお金が流れる事によって、兵士を養える。安定した支配体制がとれている国は圧政をせず、官吏や役人の腐敗は義賊『六棘の霜華』で処断していた。ただこれらすべては強い異能の力と強い意志があるものが存命している場合のみに有効であった。そしてインフレを起こさない手法として金銀をばら撒かず宝石をばら撒く手法にしたために、ルシアが命を落とす切っ掛けになった『紫炎石』の原料の一部もばら撒いている宝石に含まれていたことが安易に『紫炎石』を作れるようになった事に繋がってしまっていた。リヴィエールの者達はそれに気が付いていない。




