『狂気と異能に侵されたなにか』
帝都オクタヴィアの冬。 空気を氷結させるかのような冷気が肌を刺す。しかし、帝国の威信たる白亜宮は、異様な熱気に充ち満ちていた。宮殿を取り巻く巨門の前には幾重にも松明が焚かれ、暗闇の只中に揺らめく赤々とした光の城壁を築いている。「元会儀礼」――。大殿へ続く大階段を、新年の祝賀とそれぞれの野心を胸に秘めた文武百官の重臣たちが上っていく。
諸国からの朝貢と君臣の絆を刻む儀式。帝国全土から集った地方官のみならず、異国の使節団が絢爛たる衣装を翻して玉座へ進み出た。至高の宝物が捧げられ、皇帝アラリックの長寿と新帝国の不滅なる栄光を称える声が殿内にこだまする。やがて荘厳な拝賀が終わりを告げると、大極殿は一転して華やかな「上寿酒礼」の宴へと移った。
惜しみなく振る舞われる絢爛たる酒食。宮廷楽団が奏でる壮大な雅楽の旋律が響き渡り、人々の頬は酒精に熱を帯びていく。 ――ゆえに、オクタヴィアの夜空を蝕み始めた異変に気づく者は誰一人としていなかった。
天を覆ったのは、歪で禍々しい紫の極光。 直後、天空より飛来した二つの紫の光球が、第4皇子イスファと皇后ロザリアの眉間に突き刺さった。 崩れ落ちる二人。悲鳴と混乱が渦巻く中、皇帝アラリックはすぐさま宦官や女官へ介抱を命じた。だがその瞬間、狂気が爆発する。駆け寄った実母・徳妃ルネッタの喉元へ、イスファが獣のごとく喰らいつき、その生の血を貪り始めたのだ。
「伏せよ! 警護隊!」 雲麾将軍リアムが衛兵を率いて疾走し、大元帥イリアードが剣柄に手をかけたまさにその時、背後の玉座からさらなる絶叫が轟いた。 皇后ロザリアが、食卓のナイフで皇帝アラリックの左胸を深々と突き刺したのだ。イスファとロザリア――変貌した二人の瞳は、妖しい紫の光を濁らせていた。
「姉様……! 力が、力が使えませんの!」 セシリアが叫び、妹の危機に異能を発動させようとするが、不発に終わる。リゼリアは硬い表情で頷いた。その身に宿る超常の力もまた、綺麗に霧散していた。
「なにいッ……!」 リアムが聖剣『アウレリウス』を鋭く抜き放ち、イスファへ斬りかかる。しかし、相手は血を分けた従兄弟。刃の閃光にわずかな迷いが過った。 イスファは息絶えたルネッタを投げ捨てると、背後で腰を抜かしていた侍女シンシアを片手で軽々と抱え上げ、リアムへ向けて投げつけた。 「くっ、退け!」 リアムが侍女を抱きとめる隙に、リゼリアとセシリアが間合いを詰める。
一方、大元帥イリアードの動きは迅雷のごときであった。 『黄金の獅子剣』を一閃し、ロザリアへ斬りつける。ロザリアは側にいた衛兵から長槍を奪い取ると、超人的な膂力でその一撃を弾き返した。
「……大元帥。物騒な鉄片を、この私に向けるのですか?」 妖光を宿した紫の瞳で嘲笑うロザリア。 イリアードの獅子剣は、いまやその名の通り眩いばかりの黄金の闘気を噴出させていた。かつてない現象に一瞬驚きながらも、イリアードは咆哮する。 「皇后! なぜ陛下を手にかけたッ!」 重厚な踏み込みとともに放たれる大元帥の剣撃。だが、対するロザリアの槍もまた、禍々しい紫のオーラを纏っていた。 金と紫――ふたつの異能の閃光が交錯するたび、火花が火の粉となって豪奢な石畳を焦がす。
しかし、オーレリアの『軍神』とまで謳われたイリアードの表情が歪んだ。 (……押されている、この私が……!?) 目の前にいるのは、か弱き貴婦人などではない。未知の悪意なる力を得た化け物だ。 ロザリアが紫炎を纏わせた槍を大きく薙ぎ払った。巻き起こった衝撃波は大元帥の身体を易々と吹き飛ばし、硬質な石畳へと激しく叩きつけた。
「ぐはっ……!」 「閣下!」「殿下!」 絶体絶命の危機。とどめを刺すべくロザリアが足を踏み出したその瞬間、殿内に新たな狂乱が弾けた。
「イスファーーーッ!!」 皇后ロザリアの、肉親を裂くような絶叫。 イスファが衛兵から奪った大剣で、実の兄である皇太子イスマの胸を背後から貫き殺したのだ。
返り血を浴びたイスファは、紫の瞳を細め、玉座を見上げて冷ややかに言い放った。 「皇后様。そこを退いてもらえますかね。……その椅子は、俺が座る場所だ」 「イスファ! よくも私の息子を……許さぬぞ!!」
皇帝の血が流れる大極殿で、狂気と異能に侵された二人の「化け物」による、血で血を洗う殺戮の宴が始まった。




