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『オーレリア戦記』  作者: りあと
『オーレリア戦記』帝国歴323年
214/287

『生きる苦しみを永遠に』


帝国歴323年1月1日

元会儀礼の華やぎが、オーレリア帝国の帝都オクタヴィアを包み込んでいた。

宮殿には無数の貴族や使節が集い、絢爛豪華な宴と祝辞の応酬に誰もが心を奪われている。だが、その華やかさの影で、帝国の精神的支柱たる「天信教」の中央大聖堂は、不気味なほどの静寂に包まれていた。人々の意識が完全に宮殿へと向いているこの日こそ、千載一遇の好機。天に向かって聳える壮麗な尖塔と、陽光を色鮮やかな光の絵画へと変えるステンドグラス。しかし、地表から遥か深くに隠されたこの地下聖堂には、光を拒絶する重苦しい静寂だけが横たわっている。

「……本当に、行くのですね。ルシア様」

大聖堂の回廊、列柱の影に身を潜めながら、侍女のヴィオが引き締まった声で囁いた。彼女の凛とした眼差しは、周囲の警戒を一切怠っていない。

「ええ。天信教の慈愛の陰で、何かが蠢いている。あの地下に秘められた歪みを、この目で見届けるまでは引き返せないわ」

ルシアは低く決意を込めて応じた。彼女の傍らでは、もう一人の侍女であるココロギが、緊張に肩を震わせながらも必死に鍵束を握り締めている。

「だ、大丈夫ですルシア様……! 見張りは全員、元会の祝宴に出向いているか、手はず通り眠り薬を混ぜた茶で眠らせました。地下への隠し扉も、この鍵で開くはずです……」

ココロギが震える手で重厚なレリーフの施された壁に小さな鍵を差し込むと、低い石の摩擦音とともに、地下へと続く漆黒の階段が現れた。ひやりとした冷気が、三人の肌を撫でる。ルシアを先頭に、ヴィオが後方を警戒し、ココロギが明かりを灯したランプを掲げながら、静かに石段を下りていく。地上のにぎわいが完全に途絶え、自分たちの足音と息遣いだけが響く暗闇の世界。どこまでも続くかと思われた地下通路を進むにつれ、空気は次第に異様な重圧感を増していった。

重厚な鉄の扉をいくつも潜り、湿り気と冷気が満ちる石造りの階段を最深部まで降りきった場所。その最奥へと続く通路の角を曲がった瞬間、三人は思わず息をのんだ。闇の先から漏れ出していたのは、松明の暖かな火光ではない。不吉で邪悪な気配を孕んだ、禍々しい紫色の光だった。

「これは……何ですの……?」

ヴィオが錫杖を構え、ルシアの前にそっと身を乗り出す。ルシアは黙って首を振り、手真似で二人を制しながら、光の源である最奥の部屋へと潜り込んだ。

広い地下聖堂の空間。その中心に鎮座する祭壇の上には、脈動するように怪しい紫の光を放つ未知の物体が置かれていた。

そして、その光を真っ正面から浴びるように立ち尽くす、一人の人物の背中があった。

天信教の頂点に立つ男――総主教アルノルトである。金の刺繍が施された白銀の聖衣が、紫の影に不気味に染まり揺れている。彼は三人の侵入に気づく様子もなく、ただじっと、光を放つ物体を見つめ、何事かを低く呟いていた。

聖なる教えを説くはずの大聖堂の最深部で、総主教が崇めていたのは神の光などではない。狂気と謎を孕んだ紫の残光の中で、ルシアは己の予感が正しかったことを確信し、冷たい汗が背筋を伝うのを感じていた。

「……おお、終わりよ。静寂なる虚無よ」

低い声が、湿った石壁に反響した。

その手元で燃えているのは、蜜蝋ではなく、毒草と硫黄を練り込んだ黒い蝋燭の火だ。ゆらゆらと揺れる緑がかった炎が、老人の刻まれた深い皺と、落ち窪んだ瞳の底に宿る狂気を浮き彫りにする。

アルノルトの前に掲げられているのは、聖典ではなく、黒ずんだ羊皮紙の巻物だった。そこには、神から託されたとされる救済の預言ではなく、世界を崩壊へと導くための呪文が、古い錦語で綴られている。

「神よ、我らの愚かさに終止符を打たせ給え」

老総主教の痩せた指が、古びた羊皮紙の上を撫でる。その手は微かに震えていたが、迷いはなかった。

「人が増えるたび、地には血が流れ、欲望は膨れ上がり、苦痛の絶叫が天に満ちる。救済などという甘美な毒で、この醜悪な世界を長引かせてはならない。真の慈悲とは、すべてを巡る輪廻そのものを叩き潰すことだ……」

アルノルトは息を深く吸い込み、錦語の詠唱を始めた。

「ノクス・アテルナ、ウティナム・フィニス・アディエニエト(永劫の夜よ、終焉を齎せ)」

語調が高まるにつれ、地下聖堂の空気は目に見えて歪み始めた。黒い蝋燭の炎が激しく立ち上り、石の床からは地鳴りのような低い振動が伝わってくる。影たちが壁の上で生き物のようにうごめき、老人の声に同調して不気味な囁きを交わし始めた。

「エ・モルタリス・ソスピタトル、カダト・イン・プヴェレム(救世主たる者よ、塵へと倒れよ)」

アルノルトは両腕を天へと差し伸げた。その瞳から涙が溢れ落ち、枯れ木のような頬を伝う。

「来たれ、闇の底より出でし虚無の光よ。人々が『救世主』と呼び称えるあの幼き命を、その胸を貫け。彼が奇跡を起こす前に、世界を救うその手を血で染める前に、その息の根を止め給え」

救世主が存在する限り、人々は希望を持ち続ける。希望を持つからこそ、絶望に身をよじり、生きる苦しみを永遠に貪り続けるのだ。救世主の死こそが、この世界に与えられる唯一無二の完全なる安らぎ――それが、神の最深部に触れたと自負する総主教の辿り着いた狂信だった。

「サルヴァトール・モリエトゥル……ムンドゥス・ペリエト……(救世主は死せよ……世界は滅びよ……)」

最後の言葉が紡ぎ出された瞬間、地下聖堂の蝋燭が一斉に吹き消され、祭壇に祀られた物体が眩い紫の光を解き放った。


登場人物一覧

主要人物

ルシア・フォン・アルヴェリア(ルシア)

アルヴェリア親王イリアードと側室セシリアの娘(18歳)。圧倒的な異能(空間跳躍・攻撃・癒やしなど)と神の域に達した武芸の持ち主。義賊『六棘の霜華』や『真理の光教団』の巫女『ルナ』として暗躍し、物語終盤で帝都の結界を破るために命を落とすも、のちに皇女「シェルランテ」として転生・復活を果たす。

ヴィオ

ルシアに付き従う同い年の忠実な侍女(18歳)。紫の瞳と黒髪を持ち、長柄の仕込み錫杖(細身の長剣+金属鞘)を操る両手生殺の凄腕の使い手。

ココロギ・サイリュン(ココロギ / 崔心木 / 四つ葉様)16歳

教皇ゲンドラスとリヴィエール遠戚の女性の間に生まれた娘で、後宮の『四つ葉堂』の巫女。リヴィエール一族の異能(空間跳躍や護符・神秘札の生成)を持つが、当初は暴走・失敗ばかりしていた。後に成長し、異能を完全に掌握して大水没の危機を救う。

シェルランテ・フォン・オーレリア(白鷺姫)

皇太子リアムと皇太子妃シルヴィアの間に生まれた皇女。生まれた直後から強力な念動・念力を発散させ、ルシアの生まれ変わり(転生)としての記憶と意図を秘めている。

アルヴェリア親王家・リヴィエール一族

イリアード・フォン・アルヴェリア

アルヴェリア親王であり、オーレリア帝国の「軍神」と称される総大将(のちに第15代皇帝に即位)。親バカな一面があり、娘のルシアや孫のシェルランテを狂愛している。

セシリア・リヴィエール

イリアードの側室でルシアの母(貴妃)。リヴィエールの血を引き、念話や念動、無から植物・花々を生み出す能力を持つ。

リゼリア・リヴィエール

イリアードの正妃(皇后)。念話、念視、予知の異能を司る。

フレデリカ・リヴィエール

大一族リヴィエールの長老で、イリアードの母(皇太后)。

リアム・フォン・アルヴェリア

イリアードと正妃リゼリアの息子でルシアの異母兄(のちに皇太子)。アルストラーナ皇帝ベグ・バールを捕縛する功績を挙げ、聖剣アウレリウスを授かる。

シンシア・フォン・アルヴェリア

イリアードと正妃リゼリアの次女。異能を持たない「普通の女の子」として育ち、後宮でココロギの元へ通う。

ベルトト

セシリアの側近であり、熟練の女官長(侍女)。

オーレリア帝国皇室

アラリック

オーレリア帝国第14代皇帝でイリアードの異母兄。

シルヴィア・フォン・オーレリア

アラリックの第6皇女で、リアムの正妻(皇太子妃)。シェルランテの母。

ロザリア

アラリックの皇后。紫の異能(黒山羊結社・天信教の暗黒の力)に侵され狂気に陥る。

イスファ

アラリックと徳妃ルネッタの間に生まれた第4皇子。紫の異能に支配され惨劇を引き起こす。

ルネッタ

帝都の翡翠宮にいる徳妃で、セシリアの実妹。

イスマ

アラリックの皇太子で、異能に狂ったイスファに殺害される。

ヴァレリオ・フォン・ボルゲーゼ

72歳の老将で帝国太尉・征西将軍。ヴェロニカ砦にて敵将を討ち取る。

聖ゲンドラス教国・真理の光教団

ゲンドラス・サイリュン(崔厳)

『真理の光教団』の教祖であり『聖ゲンドラス教国』の教皇(ココロギの父)。ルシアの下僕として表面上の統治を行う。

ヴォルフラム

アンチアルマ大聖堂の枢機卿。元・吟遊詩人かつ凄腕の剣士。

ジル・オテ(ジルグード)

元オテゲン皇国第4王子。ルシアに敗れた後、改心させられて聖ゲンドラス教国の司教となる。

カシアン・ヴァロア

かつての大遠征に失敗した元宦官で、幼いルシアの手配によりシューコルン司教・オクタヴィア大聖堂司教を歴任。

アルストラーナ帝国(バール朝・グラッデェ)

エスゲイ・バール

中央高原を支配する隻眼の覇王。ルシアによって暗殺される。

ベグ・バール

エスゲイの次男で、バール朝アルストラーナ帝国の皇帝。大軍を率いてオーレリアへ侵攻するが、ルシアとリアムに捕縛される。

カサル

エスゲイの弟で大将軍。北方の脅威に対抗するため領地を焦土化する暴挙を行うが、ヴィオに首を討たれる。

カルヴァル

古都ラーナの天信教総主教。ルシアによって権威を失墜させられ降伏する。

ディヌイヤ王国

ボロ・ディヌイヤ

南南海の覇者・ディヌイヤ王国国王。ルシアと旧知の仲であり密約を結ぶ。

ビー・スー

ディヌイヤから随行した丸盾使いの青年で、ディヌイヤ・ラーナ公国の司教。ココロギの協力者。

敵対組織(天信教・黒山羊結社)

アルノルト

天信教の老総主教。虚無の終焉と「救世主の死」を望み、禍々しい禁忌の術式を行う。

アルカディアス

帝国の影で暗躍する『黒山羊結社』の頂点であり、天信教の真の黒幕である初老の男。

用語集一覧

組織・勢力

六棘の霜華(ろっきょくのそうか)

背中、左胸、右肩に「六つの尖角を持つ雪と霜の結晶」を刺繍したフード付きローブを纏う、神出鬼没の義賊。ルシアとヴィオの仮の姿。

四つ葉のクローバー(真理の光教団 / 聖ゲンドラス教国)

聖ゲンドラス教国および真理の光教団のシンボル。ルシアが真の支配者として率いる組織の象徴。

バール朝アルストラーナ帝国

騎馬民族グラッデェの征服者ベグ・バールが古都ラーナと同化して打ち立てた帝国。

黒山羊結社(くろやまぎけっしゃ)

三つの目を持つ黒山羊の銀紋章を掲げ、帝国の影で古代の「原始の力」や呪詛を用いて暗躍する狂信的な秘密組織。

地名・都市

ラーナ(古都ラーナ)

古代文明の発祥地でありアルストラーナ帝国の首都。後にルシアによって帝政が廃止され、「ラーナ共和評議会」による共和制へと変革される。

アクア・パレス(ルシア宮 / 蓮花宮 / 水鏡宮 / 水明宮)

水の都にあるアルヴェリア親王家の美しき宮殿群。

オクタヴィア(白亜宮)

オーレリア帝国の帝都。中央に皇帝の居城である壮麗な「白亜宮」が聳え立つ。

聖都クリスタルヘイム

聖ゲンドラス教国の首都。ディヴァイン湖と霊峰セイクリッド山の麓に碁盤の目状に築かれた超巨大都市。

ガザルカガンド

中央高原におけるグラッデェ遊牧民族の本拠地・交易都市。ガザルカガンド会戦により陥落・焼亡する。

アシュウェスト

大運河とアシュロン川が交差する物流・交易の要衝。裏社会の「五大商人」が牛耳っており、水底にはかつて大洪水で沈められた旧大聖堂が眠る。

アルヴェリア

かつて未曽有の水害・大洪水によって沈み、長年不毛の湿地帯となっていた禁忌の地。

武器・アイテム・特殊設定

短錫杖 / 長柄の錫杖(仕込み剣)

ルシアとヴィオが携える武器。短錫杖は金環がついた打撃用法具。長柄の錫杖は柄を捻ると長剣が抜け、柄と石突き部分が強固な鞘となる両手生殺の仕込み杖。

聖剣アウレリウス

オーレリア皇帝直属の伝説的な名剣。真の英雄としてリアムに授与される。

黄金の獅子剣

大元帥イリアードが携える大刀。真の力を解放すると眩い黄金の闘気を噴出させる。

神秘札・護符

ココロギやルシアが異能の力でその場で作る紙片。受け取った者の悩みを解決する注意書きや治癒・保護の奇跡をもたらす。

リヴィエールの血(異能)

リヴィエール一族に発現する超常の力。瞬間移動(空間跳躍)、念動、念視、予知、治癒、無からの生成(念創)など多岐にわたる。

紫炎石(しえんせき)

黒山羊結社が人工的に生み出した物質。強力な結界の展開や他者への精神憑依を可能にする。

心木(こころぎ)

『真理の光教団』の教義において、世界や生命の魂をつなぎ止め、心(感情・意思)を巡らせる大樹・世界樹を指す言葉。

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