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『オーレリア戦記』  作者: りあと
『オーレリア戦記』帝国歴322年
211/287

『籠の中の鳥であっても』


皇帝執務室での対談から数日後。白亜宮の回廊は、来る祝宴の準備に追われる給仕や官吏たちで行き交い、かつてない華やかさに包まれていた。

しかし、帝都オクタヴィアの賑わいとは裏腹に、親王家の仮住まいとなっている離宮の一室には、重々しい静寂が漂っていた。

「……急すぎる転変ですね、父上」

部屋の窓辺に立ち、白亜宮の壮麗な庭園を見下ろしながら、リアムがぽつりと呟いた。その手に握られているのは、先ほど皇帝より下賜されたばかりの、重厚な装飾が施された聖剣アウレリウスであった。

「皇帝陛下――兄上の狙いは明確だ」

ソファに腰を下ろしたイリアードは、静かに茶を口に含みながら言った。

「アルストラーナの五十万を破り、ベグ・バールを捕らえた我がアルヴェリア家の威望は、今や絶頂にある。武功はあまりに大きすぎれば、時に皇床を脅かす刃ともなるのだ。私を大元帥として帝都に留め置き、お前を皇女殿下の夫として縛り付ける……すべては、我が家を皇室の完全な傘下に収めるための手立てだな。だが逆に言えば、それこそが我が家をさらなる策謀から守る手段でもある」

離れた本領に留まっていれば、必ずや「アルヴェリア家が謀反を企てている」と皇帝の耳に吹き込む者が現れるのだ。

「……わかっていらっしゃったのですか。ルミナリアを望まれたのは、ルシアへの恩賞ですね?」

リアムが振り返ると、イリアードは薄く微笑んだ。

「それもある。ルシアの母・セシリアを、せめて故郷の温暖なルミナリアで穏やかに暮らさせたいというのは本心だ。だが、我らが帝都に移れば、本領アルヴェリアの治世は信頼できる家臣に委ねざるを得んからな」

「アルヴェリア……」

リアムは聖剣の柄を握る手の手応えを確かめた。

その時、重厚な扉がノックされ、親王家の老侍従が入室してきた。

「失礼いたします、イリアード様、リアム様。……皇女シルヴィア殿下より、リアム様にお会いしたいとのご要望が届いております。白亜宮の後庭にて、お待ちとのことにございます」

父子は密事の終わりを告げるように、静かに視線を交わした。

「行きなさい、リアム」

イリアードは頷いた。

「お前の婚姻は、もはや一人の男の好き嫌いで決められるものではない。だが、これから生涯を共にするお方だ。しっかりと見定めてくるといい」

「……はい、父上」

リアムは深々と一礼し、部屋を後にした。

白亜宮の後庭は、色とりどりのかぐわしい花々が咲き誇る美しい温室となっていた。ガラス張りの天井から降り注ぐ陽光の中に、ひとりの少女が佇んでいる。

繊細な刺繍が施されたドレスを身に纏い、輝く金髪をなびかせた少女――皇帝アラリックの第6皇女、シルヴィア・フォン・オーレリアであった。

「初めまして、アルヴェリアの若き英雄殿」

リアムが近づき、膝をつこうとすると、シルヴィアは可憐な声でそれを制した。

「お立ちなさい、リアム卿。ここでは固苦しい礼儀は無用です。……わたくしたちは、近いうちに夫婦になるのですから」

リアムが顔を上げると、そこには想像していたような気高き皇女の表情ではなく、どこか冷徹とも言える澄んだ瞳で見つめる少女の姿があった。

「父上より伺いましたわ。アンチアルマでのあなたの武功……そして、わたくしたちの結納の儀のことを」

「……は。身に余る光栄にございます、シルヴィア殿下」

「光栄、ですか?」

シルヴィアは小さく首を傾げ、可笑しそうにクスリと笑った。

「本心からそうお思いかしら? あなたは、この婚姻によって帝都という籠の中に飼われることになるのですよ? 英雄と持て囃されながら、その実、自由を奪われた鳥となることを、あなたは本当に喜んでいるのですか?」

その言葉はあまりにも鋭く、リアムの核心を突いていた。十六歳の少年に向けるには、あまりに政治的で容赦のない一撃であった。

しかし、リアムの瞳から光が消えることはなかった。彼はゆっくりと立ち上がると、シルヴィアの正面に立ち、真っ直ぐにその目を見つめ返した。

「――籠の中の鳥であっても、羽を研ぐことはできます」

「……なっ」

予想外の返答に、シルヴィアは一瞬息をのんだ。

「私は皇帝陛下の女婿として、この中央で力を尽くします。たとえそれが監視の目の下であっても、我がアルヴェリア家が帝国の柱石であることに変わりはありません。殿下……私はこの運命を嘆くつもりも、皇帝陛下を恨むつもりもございません」

リアムの力強い言葉と、一切の揺らぎがない眼差しに、シルヴィアの頬が微かに赤らんだ。高慢で、政治の道具として己の婚姻を受け入れていたはずの皇女の胸に、小さな波紋が広がる。

「……ふん、口だけは達者なようですね」

シルヴィアはそっぽを向いたが、その声から先ほどまでの冷たさは消えていた。

「いいでしょう。わたくしの夫となる男が、ただの猪武者ではないと分かっただけでも収穫でしたわ。……祝宴の日を楽しみにしています、リアム卿」

そう言い残すと、皇女はスカートの裾を翻して去っていった。

その背中を見送りながら、リアムは静かに吐息をついた。

父の大元帥就任と帝都移住、そして皇女との婚姻――。 華やかな大勝利の裏で蠢く政争と野心の渦の中、若者はゆっくりと歩みを進め空を見上げた。

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