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『オーレリア戦記』  作者: りあと
『オーレリア戦記』帝国歴322年
210/287

『厳格な仮面の裏から』

大殿での絢爛豪華な儀式が終わり、文武百官が引き上げた後の白亜宮。その一角にある皇帝の執務室は、先ほどまでの重苦しい緊張感が嘘のように静まり返っていた。

「座れ、イリアード。リアムもだ」

重厚な執務机の奥から、皇帝アラリックが声をかけた。長年身に纏っていた皇帝としての威厳の鎧を脱ぎ捨て、その表情にはひとりの兄としての温かみが浮かんでいる。

アラリックとアルヴェリア親王イリアードは、腹違いの兄弟である。大勢の群臣の前では厳格な絶対君主として振る舞わねばならぬアラリックにとって、こうして気置けない弟と水入らずで言葉を交わす時間は、数少ない密かな楽しみでもあった。

「公式の場では堅苦しい褒賞を下したが……改めて見事だったぞ、イリアード。そしてリアム。五十万の敵を討ち破り、ベグ・バールを生け捕りにするなど、わしも胸がすく思いだ」

「兄上……いえ、皇帝陛下。身に余るお言葉にございます」

イリアードが苦笑交じりに礼を言えば、アラリックは「ここでは『兄上』でよいと言っておろうが」と肩をすくめた。

「さて、弟よ。公の賜与とは別に、お前には新たな封地を授けると約束していたな。どこか望む土地はあるか? 帝国の版図内であれば、どこなりと遣わすが」

イリアードは少しの間を置き、深く頷いた。

「ならば……『花の都ルミナリア』を賜りたく存じます」

「ルミナリア?」

アラリックは一瞬意外そうに眉をひそめたが、すぐに合点がいったように笑みを零した。

「なるほど、セシリアの故郷か。相変わらず愛妻家だな、お前は。……よかろう、ルミナリアとその周辺の肥沃な領地をお前に与えよう。セシリアも、それにルネッタもきっと喜ぶはずだ」

花の都ルミナリアは、イリアードの側室セシリアと、後宮にいる徳妃ルネッタの生まれ故郷でもあった。

「感謝いたします、兄上」

イリアードが礼を述べると、アラリックの視線は静かに控える若き英雄、リアムへと移った。その目は、何か企みを含んだかのように細められている。

「ときに、リアムよ。十六にしてベグ・バールを捕縛したお前の武功、もはや一幕僚の域に留まるものではない。……どうだ、我が娘との婚姻は?」

「……えっ」

突然の打診に、リアムは思わず息をのんだ。

皇女との婚姻。それはすなわち、リアムが皇帝の女婿となり、帝国の権力の中枢へと完全に組み込まれることを意味していた。アルヴェリア親王家と皇室の結びつきを極限まで深める、極めて重い政治的提案である。

(皇女様とのご婚姻……断ることなど、できるはずもない)

リアムは隣の父・イリアードへ視線を送った。イリアードもまた、静かな、しかし抗えぬ宿命を受け入れるような眼差しで我が子を見つめ返していた。親王家として帝国に忠誠を誓う以上、皇帝直々の縁談を蹴るという選択肢ははじめから存在しない。

「……臣リアム、溢れんばかりの光栄にございます。謹んで、陛下のありがたきお言葉をお受けいたします」

リアムが深く頭を下げると、アラリックは満足そうに大きく頷いた。

「うむ! よい返事だ。これでアルヴェリアの血は我が皇室と真にひとつとなる。祝宴の準備を進めさせよう」

笑みを深めるアラリックだったが、次の一言でイリアードの表情が引き締まった。

「それからな、イリアード。先ほど大広間で申し渡した『大元帥』の職についてだ」

「は……」

「五十万の軍を打ち破ったお前の軍略と威望は、今や帝国全軍の頂点に立つに相応しい。……ゆえに、お前にはこれから大元帥として、常に帝都オクタヴィアに詰めてもらわねばならん。アルヴェリアの領地を離れ、帝都に新たに用意する邸宅へ移り住んでもらうことになる」

イリアードは一瞬、目を見張った。

大元帥への就任と帝都への居住。それは絶大な栄誉であると同時に、親王家が独自の軍事拠点であるアルヴェリア本領から切り離され、中央の監視下に置かれることを暗に意味していた。恩賞と引き換えの高度な政治的牽制――表向きは、そう受け取れる措置である。

……しかし、その本質はまったく違っていた。

ただ単に、友達のいない皇帝が、大好きな弟とずっと一緒にいたいだけなのである。

イリアードは過去に二度も元帥就任を辞退していた。そもそも元帥の段階で帝国軍全軍の指揮権は与えられるため、わざわざ「大元帥」という職を新設したところで権限自体は何も変わらない。つまりこの「大元帥」という肩書は、イリアードの拒否権を封じるためのアラリックの苦肉の策であり、彼の切実な企みそのものだったのだ。

(お願いだから近くにいてね! ずっと一緒にいてね! 約束だからね!)

まるで幼い子供が駄目を押すかのような叫びが、皇帝の厳格な仮面の裏から透けて見えるようであった。

イリアードは胸中で大きな溜め息をつき、静かに頭を下げた。

「……承知いたしました。我が身とアルヴェリアの全て、皇帝陛下とこの帝国に捧げましょう」

「頼むぞ、イリアード。お前が近くにいてくれれば、わしも心強い」

アラリックは「作戦成功」と言わんばかりに満足げに酒杯を取った。

ルミナリアの賜与、皇女との婚姻、そして帝都への移住。アンチアルマ会戦の大勝利は、オーレリア帝国に束の間のお祝いムードをもたらすと同時に、親王家の運命を新たな流れに変えていった。

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