オーレリア外伝『ガラスと大理石の幼姫』その18
南国の暖かな潮風と、瑞々しい常緑樹の香りが心地よく吹き抜けるアルヴェリア親王領の本拠地、アクアパレス。
帝都オクタヴィアへの長い遠征と拝謁を無事に終えたアルヴェリア親王一家を乗せた船が到着し、街は久々の活気を取り戻していた。
だが、艦艇から降り立つやいなや、セシリアやイリアード、そして侍女たちの制止を振り切るようにして、疾風のように宮殿の廊下を駆け出していった小さな影があった。
アルヴェリア親王イリアードと側室セシリアの娘、四歳の姫君ルシアである。
セシリア譲りの可憐な銀髪をなびかせ、宝石のように眩い大きな瞳を輝かせた超美少女。そしてその小さな身体には、世界を揺るがすほどに恐ろしい「異能」の力を秘めていた。
性格は高慢で、我儘で、天真爛漫。まさに小さな女王様といった風情のルシアだったが、その小さな腕には、自らの身体ほどもある色鮮やかな包みが幾つも大切そうに抱えられていた。
「おどきなさいな! わたくしは今、とっても急いでいるのです!」
廊下で行き交う侍女たちに高らかに声を張り上げながら、ルシアが一直線に向かったのは、緑豊かな庭園に囲まれた『常緑宮』であった。
そこは、アルヴェリア親王妃リゼリアが滞在する美しき本宮。リゼリアは生後わずか二ヶ月の娘シンシアを出産したばかりであったため、今回の緊迫した帝都遠征には赴かず、赤ちゃんとともにこのアクアパレスでお留守番をしていたのだった。
「リゼリア義母様ーっ! シンシア! 今、ルシアが戻りましたわよ!」
返事も待たずに、ルシアは小さな足で常緑宮の重厚な扉を勢いよく押し開けた。
陽光が優しく差し込む広々とした居室には、揺りかごの傍らで柔らかな微笑みを浮かべる美しい女性——親王妃リゼリアの姿があった。その傍らでは、リゼリアの側近であり、セシリアの侍女エミーナと同い年の従姉妹でもある侍女ロゼッタが、手際よく赤ん坊の世話をしている。
「あらあら、お帰りなさい、ルシア。帝都での長旅、ご苦労様でしたね」
リゼリアは鈴を転がすような優しい声で迎え入れた。その膝元へ、ルシアは抱えていた包みを「どさっ」と机の上に広げ、誇らしげに胸を張った。
「ふふん! お留守番をしていたリゼリア義母様とシンシアのために、わたくしが素敵なお土産を持ち帰って差し上げましたの! さあ、感謝して受け取り下さい!」
相変わらずの高飛車な口調。だが、その瞳には「早く開けて褒めてほしい」という愛くるしい期待が隠しきれずに溢れている。
リゼリアはくすりと微笑むと、膝を折ってルシアの目線に合わせ、そっとその頭を撫でた。
「まあ、私とシンシアに? ありがとう、ルシア。とっても嬉しいわ」
「さあさあ、遠慮せずに開けてご覧下さい!帝都の一流の職人でも、これほどの品は絶対に作れませんわ!」
ルシアが小さな手で包みを解くと、中から現れたのは、息をのむほどに美しく仕立てられた衣服の数々であった。
一つは、リゼリアのために作られた上質な絹のドレス。光の加減によって真珠色から淡い翡翠色へと妖しく表情を変える生地には、繊細極まる蓮の花の刺繍が隙間なく施されている。そしてもう一つは、生後二ヶ月のシンシアのための、雲のように柔らかで肌触りの良い小さな産着であった。
「……まあ……!」
それらを目にした瞬間、リゼリアの隣にいた侍女ロゼッタが、思わず息を呑んで声を漏らした。
今となっては、親王妃として最高級の絹や宝石を見慣れているリゼリアでさえ、その仕立ての美しさと生地の質感には目を見張るものがあった。縫い目の一つひとつがまるで魔法のように寸分の狂いもなく整い、肌に触れるだけで心が解きほぐされるような不思議な温もりを宿している。
(……ええ、もちろん分かっていますとも)
リゼリアは目の前で誇らしげに鼻を鳴らしている四歳の少女を見つめ、優しく目を細めた。
この衣服は、帝都オクタヴィアの高級仕立屋で買ったものでなどない。
凄まじい異能の力を持つルシアが、その「念創」の能力を用いて、無から創り出したものなのだ。
四歳の幼子にとって、帝都の物珍しい市場や豪華な品々は魅力的だったはずだ。それにもかかわらず、遠くアルヴェリアに残してきた自分と幼い妹のことを想い、旅先でその能力を集中させ、心を込めて「最高のもの」を創り出してくれた——。
(帝都で買ったと言い張るあたり、本当に可愛らしい子……)
能力の凄まじさは時に恐ろしささえ感じさせるものだが、その根底にあるのは、純粋で健気な四歳の愛情なのだ。リゼリアはその優しい心遣いに胸を熱くしながらも、ルシアのプライドを傷つけないよう、事実に気付かないふりをして大袈裟に感嘆してみせた。
「なんて素晴らしいのでしょう……! こんなに綺麗で上質なドレスも、可愛らしい産着も、見たことがありませんわ。帝都の職人さんは、本当に素晴らしい腕を持っているのね」
「ふふん! 当然ですわ! わたくしの選美眼に見合うものは、世界中を探してもこれくらいしかありませんもの! シンシアにも着せてご覧下さい!」
「ええ、さっそく着せてあげましょうね」
リゼリアは手際よく、揺りかごの中で気持よさそうに眠っていた生後二ヶ月のシンシアに、ルシアの作った小さな産着を着せてあげた。
赤ん坊のデリケートな肌を優しく包み込む極上の生地。着せられた途端、シンシアは「うにゅ……」と可愛らしい声を上げると、心地よさそうに小さな頬をゆるめ、ルシアの方へ小さな手をぽてぽてと伸ばした。
「あら、見てルシア。シンシアもとっても気に入ったみたい。お姉ちゃん、ありがとうって言っているわ」
「〜〜っ! ふ、ふん! 当然ですわ! わたくしのプレゼントを気に入らないはずがありませんもの!」
シンシアに小さな手を握り返されたルシアは、ぽっと頬を赤らめると、照れ隠しにそっぽを向いて高笑いを上げた。その素直になれない愛くるしい仕草に、リゼリアとロゼッタは顔を見合わせて苦笑する。
そこへ、ドタドタと足音を立てて部屋に飛び込んできた者がいた。
ルシアと同い年で、異母兄にあたる四歳のリアムである。
リアムは、帝都から戻るやいなや姿を消したルシアを追ってきたのだった。
「ハァ……ハァ……やっぱりここか。ルシア、勝手に走っていったらダメじゃないか。お父様と義母様が探していたよ」
「なに言っていますの、リアム! わたくしはリゼリア義母様とシンシアに、最高のお土産を届けるという重大な使命があったのですわ! ぼんやりしているリアムと一緒にしないでくださる!?」
ルシアは腰に手を当ててつんと澄ました顔で言い放つ。
「ボクだって、お留守番のお礼を言おうと思って……あ、お母様、シンシア」
リアムがリゼリアの元へ駆け寄ると、リゼリアは愛おしそうに息子の頭を撫でた。
「お帰りなさい、リアム。帝都では怪我もなく、ルシアちゃんをしっかり守れたかしら?」
「うん。ルシアが急に攻撃してきても、怪我しないようにちゃんと全部かわしたよ」
「……ちょっとリアム! 余計なことを言わないでくださる!?」
リアムの素直すぎる報告に、ルシアがキーキーと怒って八つ当たり気味に小さな衝撃波を「えいっ!」と放った。だが、リアムは慣れた動作で首をわずかに傾け、流れるような体術でそれを完璧にかわしてみせる。
「ほら、またそうやって急に飛ばす……」
「むーっ! 本当にかわい気のない兄ですわね!」
ぷくーっと頬を膨らませて足を踏み鳴らすルシア。同い年の二人によるいつもの漫才のようなやり取りに、部屋の空気は一気に華やいだ。
「ふふ、二人とも、相変わらず仲がよろしいのね」
リゼリアはロゼッタに向かって優しく頷いた。
「ロゼッタ、冷たい果汁水と、焼きたてのクッキーを用意して頂戴。帝都のお話を聞きながら、みんなでお茶にしましょう」
「かしこまりました、親王妃様。すぐに用意いたします」
ロゼッタが手際よく控室へ向かい、やがて銀のトレーに乗せられた冷えた果汁水と、香ばしいバターの香りを漂わせる焼き菓子が運ばれてきた。
陽光が心地よく差し込む常緑宮のテラス席。
ルシアは冷たい果汁水を小さな口で「ごくごく」と飲み干すと、サクサクの焼き菓子を頬張り、満足そうに瞳を細めた。
「美味しゅうございますわ! でも、わたくしが帝都で経験した冒険のお話は、もっと素晴らしいのですからね!」
「まあ、冒険? ぜひ聞かせてちょうだい、ルシアちゃん」
リゼリアが楽しそうに相槌を打つと、ルシアは待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「いいですこと? 帝都の白亜宮では、わたくしのあまりの美しさと気品に、皇帝陛下も皇后様も平伏せんばかりでしたのよ! それに、ルネッタおば様の翡翠宮にも、わたくしが特別にテレポートしてあそびに行って差し上げましたの!」
「えっ……? テレポート……?」
リゼリアが一瞬だけ固まり、ちらりとリアムの方を見た。リアムは「あちゃー」という顔で額を押さえている。後宮への極秘侵入という大スキャンダルを事も無げに語るルシアに、リゼリアは冷や汗を覚えつつも、優しく苦笑いを浮かべた。
「まあ……ルネッタ叔母様もお喜びになったでしょうね。でもルシアちゃん、あまり危険な移動をしてはダメですよ?」
「ふふん! わたくしの異能に不可能はありませんわ! イスファ(第四皇子)とも仲良くなって、かけっこで圧勝して差し上げましたもの!」
誇らしげに胸を張るルシア。実際にはイスファとリアムのかけっこを影から威張って応援していただけなのだが、ルシアの頭の中では自分が主役として大活躍したことになっているらしい。
リアムは隣で呆れ顔をしながらも、口を挟まずにお菓子を口に運んでいた。彼なりに、妹の自慢話を邪魔しないでおく優しさなのだ。
「あらあら、ルシアちゃんは大活躍だったのね。シンシア、お姉ちゃんはとっても強くて頼もしいのよ?」
リゼリアが揺りかごの中の赤ん坊に語りかけると、シンシアはルシアの作った極上の産着の中で、キャッキャと愛らしい声を上げて笑った。
その声を聞いたルシアは、自慢話をピタリと止め、どこか嬉しそうに照れくさそうに笑みを浮かべた。
「……ふん、当然ですわ。わたくしは世界で一番強いお姉様なのですから。シンシアが大きくなったら、もっとすごいお洋服をいくらでも創って差し上げますわ!」
南国の青空の下、常緑宮に響き渡る小さな女王様の高らかな宣言と、それを見守る家族の温かな笑い声。
帝都から遠く離れたアルヴェリアで、幼い異能の姫君と彼女を愛する家族の穏やかな時間は、陽光に包まれながらどこまでも優しく流れていった。




