オーレリア外伝『ガラスと大理石の幼姫』その4
帝国歴310年3月。
かつて戦火によって傷つき、荒廃したアンチアルマの街には、今も復興の槌音が力強く響き渡っていた。
その復興作業の現場で、汗に濡れたシャツの胸元を大きく寛げ、木材を台車で軽々と運ぶ一人の男がいた。 ヴォルフラム・フェイ。
背には使い込まれた剣を背負い、腰には旅の連れ合いであるリュート(弦楽器)を下げている。流浪の吟遊詩人であり、同時に一騎当千の剣士でもある男だ。かつてアクスアルブの地で、英雄ブランガ・オデュヌと共にアクスアルブ義勇軍を立ち上げ、その「片翼」として壮絶な戦乱を駆け抜けた過去を持つ。
ブランガとは裏切ったわけでも、喧嘩別れをしたわけでもない。志のベクトルが僅かにズレ、別々の道を歩むことになっただけだ。その後、ブランガが凄惨な戦渦の果てに戦死したと聞いた時も、ヴォルフラムはただ杯を傾け、静かに詩を歌った。出会ったのも運命なら、別れたのも、彼が倒れたのもまた運命。
男にも女にも等しく愛される、その捉えどころのない色気と自由奔放な性格は、いまも何ひとつ変わっていない。
「ヴォルフラムさん! こっちの補強作業、手伝ってくれ!」
「あいよ、今行くぜ!」
陽気に応えるヴォルフラムの表情は晴れやかだった。 アクスアルブを去った後、アンチアルマの避難民地に紛れ込んでいた彼は、この地の総督となったアウルヴェリア親王イリアードの保護を受け、市民たちと共に街の再建に汗を流していた。定職に就かず、気ままに誰かの援助を受けながら生きてきた彼にとって、この復興作業は思いのほか有意義で、やり甲斐に満ちた日々だったのだ。
しかし——彼の「気ままな日常」は、一瞬にして打ち砕かれることになる。
作業の合間、アンチアルマ郊外の広大な空き地で汗を拭っていた時のことだ。
大気が、突如として揺らめいた。
「……ん?」
ヴォルフラムは長年の戦場での勘で、即座に背中の剣の柄に手をかけた。 風もないのに空間が歪み、密度の高まった大気が澄んだ鈴の音のような共鳴音を奏でる。そして、溢れ出た眩いばかりの純白の光の中から、「それ」は現れた。
「——ふぅ。ここは……アンチアルマの郊外ですわね!」
光の旋風が収まったあとに立っていたのは、一人の幼い少女だった。
透き通るような銀髪に、レースをあしらった高級感あふれるドレス。セシリア似の息を呑むほど美しい面立ちと、宝石のように眩い大きな瞳。今年で四歳になる、アウルヴェリア親王領の姫——ルシアであった。
「……子供、か?」
ヴォルフラムは目を丸くした。術法の予兆すらなく、1050㌔という空間を跳んで現れた目の前の少女。だが、彼が驚愕する間もなく、ルシアは小さな腰に手を当てて、ヴォルフラムをじろりと見上げた。
「あなた! ヴォルフラム・フェイという男ですわね!」
高慢で、天真爛漫で、どこまでも堂々とした可憐な声。
「……いかにも俺がヴォルフラムだが。こんなところで可愛いお嬢ちゃんに名前を呼ばれる筋合いはねえな。どこから湧いて出たんだ?」
ヴォルフラムが面白そうに眉を下げて笑うと、ルシアはふんっと鼻を鳴らし、小さな指をビシッと彼突きつけた。
「無礼者ですわ! ルシアは世界で一番偉くて可憐な姫君、ルシアですの! あなたの新しい主ですわ!」
「主、ねえ……」
「今日からあなたには、『真理の光教団』の司教になってもらいますの!」
「……は?」
ヴォルフラムは思わず耳を疑った。定職を持たず、誰にも縛られずに生きてきた自分が、新興宗教の「司教」だと?
「冗談だろ、お嬢ちゃん。俺は歌を歌い、剣を振るうただの風来坊だ。神様にお祈りを捧げるようなタマじゃねえよ。だいいち、教団だの司教だの、意味が分からん」
ヴォルフラムが肩をすくめて断ろうとした、その時だった。
「ルシアの言いつけが聞けないというのですか!?」
ルシアがぷんぷんと頬を膨らませ、可憐な足で大地を「とん」と踏み鳴らした。
その瞬間——天地が覆るような衝撃が、アンチアルマの郊外を襲った。
「なっ……!?」
ヴォルフラムの目の前で、広大な荒野が隆起した。 大地から突如として、透明なガラスと無傷の純白の大理石が生え出し、凄まじい勢いで組み合わさっていく。ルシアの小さな指先から溢れ出る光の粒子が、巨大な建造物を包み込み、天を突く尖塔と、息を呑むほど美しいステンドグラスを瞬く間に形作っていった。
ほんの数秒。 何もない空き地に、数千人を収容できるであろう壮麗極まりない『大聖堂』が忽然と出現したのだ。
「……おいおい……嘘だろ……」
ヴォルフラムは、剣の手を完全に緩め、呆然と目の前の大建造物を見上げた。 かつてアクスアルブ義勇軍を立ち上げた英傑ブランガ・オデュヌと出会った時、彼はその圧倒的なカリスマと志に魂を揺さぶられた。だが——今、目の前で起きた現象は、人間の領域を遥かに超絶していた。
異能。神の業。そして、それを行使しているのが、たった四歳の、我儘で可憐な美少女であるという現実。
「ふふん! 出来上がりましたわ! サンブリアの大聖堂にも負けない、最高のお建物ですの!」
ルシアはご満悦の様子で胸を張り、呆然と立ち尽くすヴォルフラムを見下ろした。
「さあ、ヴォルフラム! 大聖堂も用意してあげましたから、今日からここで司教として働きなさい! ルシアの言いつけを守らない悪い大人は、おしおきですわよ!」
「…………」
ヴォルフラムの胸の奥で、カチリと何かが鳴った。
かつて世界を揺るがそうとしたブランガと出会った時以上の、強烈で、刺激的で、圧倒的な興奮が、彼の全身の血を駆け巡る。
自由気ままに生きてきた男の直感が告げていた。 この幼い怪物——いや、この天真爛漫な「小さな女王」に従うことこそが、自分の人生で最も面白く、予測不能な運命なのだと。
ヴォルフラムは口元に不敵で、どこか艶やかな笑みを浮かべると、背中の大剣を地面に突き立て、優雅に片膝をついた。
「——いいでしょう、ルシア様」
「あら?」
ルシアがきょとんとして首をかしげる。
ヴォルフラムはルシアの小さな手を取り、恭しくその甲に己の唇を寄せた。吟遊詩人らしい、洗練された騎士の礼だ。
「このヴォルフラム・フェイ、今日より貴女様の下僕となりましょう。教団の司教でも、何でもお言いつけのままに。……いやはや、ブランガという男と出会った時も心が躍りましたが、貴女様はそれ以上だ。これほど面白いお方に命を預けられるなら、詩人冥利に尽きるというもの」
ルシアは一瞬だけ驚いたように大きな瞳を瞬かせたが、すぐに「ふふん!」と満足そうに笑みを弾けさせた。
「大変よろしい返事ですわ! ルシアの家来になったことを、誇りに思いなさい!」
「ははっ、身に余る光栄で」
「では、ルシアはお家に帰っておやつを食べますから、ここをしっかり守りなさいね! さようなら!」
ルシアが可憐に手を振ると、再び空間が歪み、光の粒子と共にその姿はかき消えるように消え去った。
あとに残されたのは、新築されたばかりの大理石の匂いと、佇む巨大な大聖堂。 そして、四歳の幼女に「服従」を誓った、流浪の剣士ヴォルフラム・フェイであった。
ヴォルフラムは立ち上がり、突き立てた大剣をゆっくりと引き抜いて背中に戻した。そして、胸元のリュートを軽くかき鳴らす。涼やかな弦の音が、アンチアルマの空に響き渡った。
「やれやれ……気ままな復興作業員から、一転して怪しげな教団の司教様か」
彼は大聖堂の巨大なガラスの扉を見上げ、心底楽しそうに呟いた。
「……面白くなってきたじゃねえか。なあ、ブランガ。俺はまた、とんでもない『運命』と出会っちまったみたいだぜ」
男にも女にも愛された流浪の吟遊詩人は、晴れやかな笑みを浮かべながら、我が主となった小さな姫君が与えてくれた大聖堂の階段を、堂々たる足取りで登り始めるのだった。




