オーレリア外伝『花の都ルミナリア』その2
花の都ルミナリアの港。セシリアは十三年ぶりの帰郷を果たした。
タラップが降ろされ、セシリアがゆっくりと桟橋へ足を下ろす。踏みしめた石畳の感触が、十三年という歳月を一瞬で埋めていくようだった。
「セシリア……! ああ、我が愛しいセシリア……!」
母エレノアがたまらず駆け寄り、セシリアの肩を抱きしめた。愛おしそうに髪に触れ、震える手でその頬を優しく包み込む。
「お母様……ただいま戻りました」
「よくぞ……よくぞご無事で帰ってきてくれました。九歳であなたを送り出してからの十三年、一日たりともあなたのことを思わぬ日はありませんでしたよ……」
母の涙がセシリアの肩を濡らす。いつも穏やかで感情を表に出さない父アルベールも、目元を赤くしながらゆっくりと歩み寄り、セシリアの頭に大きな手を置いた。
「お帰り、セシリア。立派になって……本当に、よく帰ってきたね」
「お父様……」
父の重みのある温かい手が、幼い頃の記憶を呼び覚ます。二重の愛に包まれたセシリアの目からも、こらえきれずに温かな涙が一粒、こぼれ落ちた。
「そして……この子が」
父アルベールが息を呑み、セシリアの腕の中に視線を落とす。セシリアは愛おしそうにおくるみを少し広げ、両親に見せるように我が子を抱き直した。
「私の娘、ルシアです。生後四ヶ月になります。お父様、お母様……あなた方のお孫ですよ」
「まあ……なんて愛らしい子……! セシリア、あなたの幼い頃にそっくりだわ」
母エレノアが感極まった声で呟き、恐る恐る小さな手に指先を添えた。すると、ルシアはふにゃりと可愛らしく微笑み、小さな手でばあばの指をぎゅっと握り返した。
「おお……見なさいエレノア、このしっかりとした握り方を! 頼もしい我が孫だ」
父アルベールが目尻を下げて破顔した。厳格な家長としての顔は消え去り、ただの優しい好々爺となった父の姿に、セシリアと侍女たちも思わず笑みをこぼす。
茜色の夕暮れの光が、ルミナリアの街並みと、桟橋の上で肩を寄せ合う家族を優しく包み込んでいく。
「さあ、お屋敷へ帰りましょう。あなたの好きだった百合の香りをいっぱいに満たして、ごちそうを用意して待っていたのですよ」
母の言葉に、セシリアは深く頷いた。遠く帝都にいる妹ルネッタの幸せを心の中で祈りながら、用意された馬車へと乗り込んだ。
◇
「ルシアがね、この手紙を送ってきたのよ」
馬車の中で、エレノアが一通の手紙を取り出してセシリアに見せた。
「ルシアがこれを?」
セシリアは驚いた素振りをみせたが、内心は思いのほか落ち着いていた。かつてルシアが崔厳をアクアパレスに呼んだ際と同じ紙だと、すぐに察しがついたからだ。
『おじいちゃま、おばあちゃま。はじめまして、孫のルシアです。もうすぐ、お母ちゃまと会いに行きます。よろしくおねがいします。 おじいちゃまとおばあちゃまに、ルシアからお願いがあります。ルミナリアの西、セレスティアル山の麓にあるニルニラ家の城と土地を、すべて購入してください。代金はお屋敷の裏の右端の倉庫に、アクスアルブ銀と原石で用意しています。よろしくお願いします。 ルシア・フォン・アルヴェリア』
紙には蓮の花の透かしが入り、ルシアの小さな手形がポンと押されている。 リヴィエール一族である両親は当然、一族の持つ特殊な「異能」に理解がある。しかし、いくら異能の持ち主とはいえ、生後四ヶ月の赤子がたどたどしい文字で不動産買収を指示し、手形を捺した手紙を送りつけ、あまつさえ本当に倉庫へ莫大な資金を送り届けてきたのだ。両親の心境は、困惑と愛らしさと面白さが入り混じった、実になんとも複雑なものであった。
なお、不動産の買収自体は、アルベールがリヴィエール商会の支店長でもあるためスムーズに進んだ。売り手側も維持や用途に困っていた財産だったため、二つ返事で手放したのだ。先日の帝都を発端とする大規模な投資案件で損失を出し、処分を急いでいたのかもしれない。 「一人の後宮の女性が企てた経済戦争」は、結果的にリヴィエール商会と皇帝アラリックの圧勝に終わり、ルミナリア支店もまた莫大な利益を得ていたのであった。
「お父さんがね、『孫が欲しがっているんだから、俺があの城を買ってやる!』って聞かなくて。大変だったのよ」
エレノアは可笑しそうに笑った。
だが、それを聞くセシリアの心境は少し複雑だった。 セシリアやエミーナ、そしてルシアのような異能を持つ者にとってみれば、欲しいものは何でも手に入ってしまう。しかしそれは同時に、親から子へ「与える喜び」を奪ってしまうことでもあるのだ。自分が母親となった今だからこそ、セシリアはその寂しさを実感していた。 生後四ヶ月で城と広大な敷地を欲しがることも末恐ろしいが、自分で代金まで用意してしまう娘。母親として、この子に何を与えてあげれば喜んでもらえるのだろうか……そう考えると、途方に暮れる思いだった。
「ルシアはあの城を欲しがって、そこに住むつもりなのかい?」
父にそう尋ねられても、セシリアには答えることができなかった。ただ静かに首を横に振り、どこか寂しげな苦笑いを浮かべることしかできなかったのである。




