オーレリア外伝『アクアパレスの人々』その22
アクアパレスの親王府には、祝祭のような華やいだ空気が漂っていた。あの日のお見合い
からほどなくして、ベルナデットとレオン・リヴィエールの婚約が正式にまとまったのである。リヴィ
エール商会の若旦那と親王妃の優秀なる筆頭侍女の祝言とあって、街も館も祝福の話題で持ちきりであっ
た。
「ベルナデットさん、本当におめでとうございます! お兄ちゃんから『ベルナデット様と生涯を添い
遂げられることになった』って念話が飛んできた時、私、嬉しくて跳び上がっちゃいましたわ!」
「ふふ、ありがとうロゼッタ。ですが念話をそんな私的な大騒ぎに使ってはいけませんよ」
照れくさそうに微笑みながらも、ベルナデットの手元は相変わらず整然と引継ぎ書類をまとめてい
る。そんな二人を少し離れた場所から見つめていたエミーナは、感極まった様子で両手を胸の前で握り
しめた。
「ベルナデットさん、おめでとうございます……っ! 本当に、本当に素敵なお話しですわ……!」
「エミーナも、ありがとう。いつも温かい心遣いを届けてくれて感謝しています」
異能の力として念動や念力を操るエミーナと念話や予知を得意とするロゼッタ。二人は共に十八歳で、
アルヴェリア親王側室・セシリアの侍女として長年寝食を共にしてきた大親友であり、息の合った名コン
ビであった。二人はベルナデットの良縁を自分のことのように喜び、涙ぐんで祝福したのである。
◇
だが、めでたい吉報には、親王府の侍女たちの人事を大きく揺るがす大きな変化が伴っていた。
結婚に伴い親王府を退くベルナデットの後任として、親王妃リゼリアの筆頭侍女を務めることになった
のは、他ならぬロゼッタであった。念話や予知の異能を持ち、気配りのできるロゼッタの能力は、リゼリ
アの身の回りを世話する上で極めて適任と評価されたのだ。
しかし、それは同時に――長年セシリアの側近くで切磋琢磨してきた「ロゼッタとエミーナの仲良し
コンビ」の解消を意味していた。
「うう……ロゼッタちゃんがいなくなっちゃうなんて……嫌だよぉ……!」
その日の夜、セシリアの部屋での務めを終えた後、二人きりの控えの間でエミーナはロゼッタの肩に
顔をうずめてしくしくと泣き出した。
「ちょっと、エミーナ、泣かないでよ。同じ親王府の中なんだから、会えなくなるわけじゃないんだ
し……」
「だって! 今までは朝起きてから夜寝るまで、セシリア様のお世話も二人で力を合わせてやってきた
じゃない! これからは別々のお部屋でお仕事なんだよ……? 寂しすぎるよぉ……」
ぽろぽろと涙を流すエミーナの姿に、ロゼッタも胸が締め付けられる思いだった。十八歳の二人は、
親王領の湿地が整えられ、美しい水の都へと発展していく歴史を共に歩んできた絆がある。思わずもら
い泣きしそうになるのをこらえ、ロゼッタはエミーナの手を優しく握りしめた。
「エミーナ。離れても、私たちは一番の友達よ。それに、セシリア様を支える大事なお役目があるんだ
から、ちゃんとお仕事もしなくちゃ」
「うう……分かってる……分かってるけどぉ……」
エミーナの涙はなかなか止まらなかった。無邪気で天然なところがあり、皆から愛される妹分のよう
なエミーナにとって、しっかり者のロゼッタの存在は心の大きな支えだったのである。
◇
そして数日後。いよいよベルナデットの旅立ちの日が近づき、同時に新しい侍女が親王府へと着任する
日がやってきた。
ロゼッタがリゼリアの侍女へと昇格したことで空いた、セシリアの侍女の座。そこに新たに就任するこ
とになったのは、ベルナデットの妹――十五歳になるベルトトであった。
「初めまして、エミーナ様。本日よりセシリア様の侍女としてお仕えすることになりました、ベルト
ト・リヴィエールと申します。十五歳です。未熟者ではございますが、姉のベルナデットの名を汚さぬよ
う、完璧な職務を目指して尽力いたします。よろしくご指導のほど、お願い申し上げます」
サロンで対面したベルトトは、深々と一直線に美しいお辞儀をした。その佇まい、隙のない所作、そ
して凛とした佇まいは、まさに「ベルナデット譲り」の完璧主義者そのものであった。十五歳という若さ
でありながら、その瞳にはすでに一人前の侍女としての強い誇りと意志が宿っていた。
「は、初めまして……! エミーナです。よ、よろしくね、ベルトトちゃん……!」
挨拶を返したエミーナは、密かに冷や汗をかいていた。
(す、すごい……! 十五歳なのに、私よりもずっとしっかりしてる……!?)
ベルトトの着任初日から、その完璧ぶりは遺憾なく発揮された。セシリアの衣裳の準備から茶の給
仕、スケジュールの管理に至るまで、ベルトトの手際に一切の無駄がない。それどころか、先輩であるエ
ミーナに対しても、礼義正しく完璧な提案をしてくるのであった。
「エミーナ先輩。セシリア様の午後のティータイムのお茶ですが、本日は少々湿気が高いため、茶葉の
香りをより引き立てるために抽出時間を十秒ほど短縮してはいかがでしょうか。それから、クッキーの
配置ですが、中央のバラの刺繍皿に合わせ、対称になるよう配置した方が視覚的にも美しく映えます」
「あ……は、はいっ! そうだね、ベルトトちゃんの言う通りにするね……!」
慌てて指示に従うエミーナ。かつてはロゼッタと「今日のセシリア様、どのドレスがいいかな〜?」
「こっちのピンクが可愛いんじゃない?」などと和気藹々と話し合いながら楽しく仕事をしていたが、ベ
ルトトの参入によって空気は一変した。
ベルトトは決して意地悪や生意気で言っているのではない。ただ純粋に、完璧な仕事を追求している
のだ。リヴィエールの血を引く異能の素質を持ち、姉の背中を見て育った彼女にとって、妥協のない仕事
こそが誠意であった。
◇
その日の夕方、庭園のベンチで一人溜め息をついていたエミーナのもとへ、リゼリアの付き添いを終え
たロゼッタが通りかかった。
「エミーナ? どうしたの、そんなに肩を落として」
「あ……ロゼッタちゃん……」
エミーナはぽつりと零した。
「ベルトトちゃん、すごく優秀なんだよ……。私、先輩なのに、指示されてばっかりで……。これじゃどっちが先輩か分からないよ」
ロゼッタはくすりと笑うと、エミーナの隣に腰掛けた。
「ベルトトはね、ベルナデットさんの妹だもの。小さい頃からお姉ちゃんに憧れて、完璧な侍女になる
ために猛勉強してきたのよ。でもね、エミーナ。セシリア様が求めているのは、完璧な処理能力だけじゃ
ないわ」
「え……?」
「エミーナの温かさや、お茶を淹れる時の優しい笑顔、セシリア様の気持ちにそっと寄り添う柔らか
さ。それはエミーナにしかできない素晴らしいことよ。でもね……いつまでも『頼りない天然なエミーナ
ちゃん』のままでいたら、ベルトトに示しがつかないでしょ?」
ロゼッタの言葉に、エミーナはハッと目を見開いた。
そうだ。自分はこれまで、しっかり者のロゼッタに頼り切りで、どこか甘えていたのだ。ロゼッタがリ
ゼリア様のもとへ行き、新しく年下のベルトトがやってきた今、自分がいつまでも「愛らしい天然な侍
女」のまま停滞していて良いはずがない。
自分はセシリア様の侍女なのだ。念動や念力といった異能を持ち、セシリア様をお守りし、支えるた
めにここにいるのだから。
「……ロゼッタちゃん、ありがとう。私、目が覚めたよ」
エミーナは立ち上がり、ぎゅっと拳を握りしめた。
「私、いつまでも守られるだけの天然侍女じゃいられない! ベルトトちゃんに『さすがエミーナ先
輩!』って尊敬してもらえるような、頼もしくて素敵な先輩になってみせる!」
「ふふ、その意気よ、エミーナ! 応援してるわ!」
◇
執務室に戻ったエミーナは、書類の整理をしていたベルトトに向かってまっすぐ歩み寄った。
「ベルトトちゃん!」
「はい、エミーナ先輩。何かご指示でしょうか」
振り向いた十五歳の完璧な後輩に対し、エミーナはしっかりと胸を張り、眩しいほどの笑顔を向け
た。
「セシリア様の明日のスケジュールだけど、午後からの蓮根畑の視察に合わせて、動きやすいお衣装と
日よけのパラソルを準備しておいたわ。あと、セシリア様が移動中にお疲れにならないよう、お気に入り
の里芋の焼き菓子の用意も完了しているの。ベルトトちゃん、視察の同行用の小物の点検を任せてもい
いかしら?」
ベルトトは一瞬、驚いたように目を見開いた。これまでは少し慌てがちだった先輩が、見事な先回り
をしてセシリア様の好みと体調に配慮した準備を完璧に整えていたからだ。
「……! はい、完璧な配慮でございます、エミーナ先輩。すぐに向かわさせていただきます」
ベルトトの表情が和らぎ、そこには先輩に対する確かな尊敬の色が浮かんでいた。
遠くの回廊からその様子を優しく見守っていたセシリアとリゼリア、そしてベルナデットは、顔を見合
わせて温かな微笑みを交わした。
「あらあら、エミーナもすっかり頼もしいお姉さん顔になりましたわね」とセシリアが嬉しそうに語り
かける。
「ええ。ロゼッタと離れたことで、彼女の中の責任感が芽生えたようです。ベルトトという良い刺激も
加わりましたからね」とリゼリアが応じる。
ベルナデットは静かに胸に手を当て、旅立つ自分が残していく親王府の未来に想いを馳せた。妹のベル
トト、大きく成長しようとするエミーナ、そして主君を支えるロゼッタ。輝く水都アクアパレスの風を受
けながら、新しい絆の物語が確かに紡がれ始めていた。




