オーレリア外伝『アクアパレスの人々』その15
アルヴェリア親王領の十月。秋澄む空の下、中心都市アクアパレスはかつてない活気に包まれていた。縦横無尽に走る水路には提灯や色とりどりの装飾が施され、水面はその彩りを映して煌めいている。今年のアクアパレスは、数年ぶりとなる「大収穫祭」の開催を控えていた。
例年であれば、親王妃リゼリアと側室セシリアが陣頭指揮を執り、華やかに祭りの差配を行う。しかし今年、二人は揃って新たな命を身に宿す懐妊の身であった。主たる親王イリアードは、愛する二人を心身ともに労わりつつ、自らが大収穫祭の準備を徹底的に指揮することを決意した。
「リゼリア、セシリア。二人とも無理をしてはいけないよ。今年の収穫祭は、私と優秀な侍女たちが完璧に仕切ってみせるからね」
そう言って朗らかに笑うイリアードの傍らには、完璧主義者として知られる二十歳のベルナデット、予知や念視の力を秘めた十八歳のロゼッタ、そして念動や念創の異能を持つ十八歳のエミーナの姿があった。リゼリアの侍女であるベルナデットと、セシリアの侍女であるロゼッタとエミーナ。三人にとっても、主たちの身体を守りつつ素晴らしい祭りを成功させることは、何よりも優先すべき大務めであった。
準備期間中、アクアパレスの親王府はさながら戦場のような慌ただしさとなった。
「領内各地からの搬入スケジュールを再確認します」
ベルナデットは手帳を開き、一切の無駄がない完璧な工程表をイリアードに提示した。
「南部のフルヴィアルトからは特産のガラス工芸品と高品質な綿花が届きます。北東部のソルトラグーンからはセシリア様の人工塩湖で精製された極上の塩が到着します。北西部からは大運河経由で小麦と米が、そしてここアクアパレス周辺からは完熟したアブラナの菜種油、獲れたての蓮根、そして仕込まれたばかりの里芋酒が運ばれてきます。これらをいつ、どの埠頭で陸揚げし、会場へ配置するか……一分の遅れも許されません」
「頼もしいね、ベルナデット。君の指揮があれば何一つ滞ることはなさそうだ」
イリアードが頷くと、今度はロゼッタが静かに前へ出た。彼女は予知の異能を集中させ、閉じた瞳の奥で未来の風景を垣間見ていた。
「イリアード様。祭りの二日前、北西部からの小麦を載せた船が運河の旋回場で一時的に滞留する気配が見えます。念のため、前日のうちに水路の船頭たちへ通知を出し、水路の通行規制を一段階早めるよう手配しておくことをお勧めします」
「素晴らしいよ、ロゼッタ。混雑による事故を未然に防げるなら、これ以上の対策はない」
イリアードは即座に書状をしたため、水路の警備隊へと指令を出した。ロゼッタの見通す未来のおかげで、大きなトラブルの芽は次々と摘み取られていった。
一方、現場での肉体労働や会場設営で目覚ましい活躍を見せたのがエミーナだった。
「エミーナ、あちらの巨大な歓迎アーチの設置だが、大工たちだけでは少し人手が足りないようだ」
イリアードが声をかけると、エミーナは「お任せください!」と元気よく頷いた。彼女は自らの「念動」と「念力」の異能を巧みに操り、重厚な木材や巨大なガラス装飾の箱を、まるで羽毛のように軽々と持ち上げて指定の位置へと据え付けていく。本来なら丸一日かかる会場の設営作業は、彼女の力によって見る見るうちに完了していった。
離宮の穏やかな部屋から、その忙しくも活気あふれる様子を眺めていたリゼリアとセシリアは、お互いの手を重ね合いながら胸を撫で下ろしていた。
「イリアード様も、侍女のみんなも、本当に良くやってくれているわね」
リゼリアが温かな眼差しで庭を見下ろすと、セシリアも笑みを浮かべた。
「ええ、リゼリア姉様。私たちが手を出せない分、みんなが親王領の威信をかけて動いてくれています。当日はきっと、素晴らしいお祭りになりますわ」
◇
そして迎えた大収穫祭の当日。
秋空は見事なまでに澄み渡り、アクアパレス全体が黄金色の光に包まれていた。街中の水路には、特産の綿花で飾られた華やかな小舟が行き交い、船上からはフルヴィアルトの職人が作り上げた美しいガラス花器に活けられた秋の花々が咲き誇っている。
「これより、アルヴェリア親王領・大収穫祭を執り行う!」
親王府のバルコニーに立ったイリアードが力強く開会を宣言すると、集まった大勢の民衆から地鳴りのような歓声が上がった。
会場となったアクアパレスの大広場には、領内の特産品が一堂に会する豪華絢爛な市が立ち並んだ。
ソルトラグーンの人工塩湖で焼き上げられた真っ白な特産塩は、北西部の小麦と米を使った焼きたてのパンや料理の味を劇的に引き立て、香ばしい匂いが漂う。屋台では、アクアパレス特産の獲れたて蓮根をサクサクの天ぷらにしたものや、搾りたての芳醇な菜種油で揚げた香ばしい料理が飛ぶように売れていく。
「さあ、お試しください! 今年仕込まれたばかりの至高の里芋酒です!」
職人たちが振る舞う里芋酒は、とろりとしたまろやかな口当たりと濃厚な旨味で民衆を魅了し、「これぞアクアパレスの味だ!」と絶賛の嵐が巻き起こっていた。
バルコニーの特設席には、身体を優しく包む上質な衣を纏ったリゼリアとセシリアが腰掛けていた。二人の前には、フルヴィアルト製の美しいガラス杯に注がれた清らかな水と、身体に優しい蓮根のスープが運ばれている。
「ふふ、見ているだけで心が躍りますね」
セシリアが微笑むと、リゼリアも優しくお腹を撫でながら頷いた。
「ええ。この子たちも、お祭りの賑やかさを喜んでいるみたい」
その傍らには、無事に準備をやり遂げたベルナデット、ロゼッタ、エミーナが誇らしげに立っていた。
「ベルナデット、ロゼッタ、エミーナ。本当にありがとう。あなたたちのおかげで、こんなに素晴らしい収穫祭を迎えることができたわ」
リゼリアが心からの感謝を伝えると、普段は完璧主義者として表情を崩さないベルナデットも、今日ばかりは感極まったように目元を緩めた。
「もったいなきお言葉です、リゼリア様。私どもはただ、イリアード様とお二方のお役に立ちたい一心で勤め上げたまでにございます」
ロゼッタも優しく微笑み、エミーナは「お二人が無事で、お祭りが大成功して本当に良かったです!」と元気よく声を弾ませた。
やがて夜が訪れると、アクアパレスの水路群には無数の灯籠が浮かべられた。水面に反射する灯火と、フルヴィアルトのガラス飾りが光を複雑に乱反射させ、水の都はまるで宝石箱をひっくり返したかのような幻想的な美しさに包まれる。
イリアードはリゼリアとセシリアの肩をそっと抱き寄せ、煌めく街並みを見下ろした。
「数年ぶりの大収穫祭だが、今までで一番温かく、誇らしい祭りになったよ。来年は……この新しい家族も一緒に、みんなでこの景色を見ようね」
「はい、イリアード様」
「楽しみにしていますわ」
水路を渡る秋風が、民衆の笑い声と芳醇な酒の香りをのせて、夜空へと優しく吹き抜けていく。アルヴェリアの豊かな大地と水がもたらした大収穫の恵みと、未来へつながる新しい命の祝福。アクアパレスの夜は、人々の幸せな歓声とともに、どこまでも深く、美しくけていくのだった。




