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『~オーレリア戦記~』  作者: りあと
『~オーレリア戦記~』
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第1章『運河の風と泥の盾と母の祈り』

春の柔らかな日差しが広がる帝国の中央。大河と南部の富裕な領邦を結ぶ大運河を、一隻の帆船が静かに南へ向かって滑らせていた。

かつて建国の父たる皇帝が築いたこの大水路は、百年の時を経て帝国の真の血管となっていた。北の交易都市から積み込まれた最高級の羊毛や織物、珍しいスパイス、そして人々の果てなき欲望を乗せた幾千の船が、南の繁栄の都へとひしめき合っている。運河の両岸に立ち並ぶポプラの並木が春風に揺れ、船首を叩く水の音が心地よく響いていた。

その甲板には、三人の若い旅人がたたずんでいる。

身分を隠すために若手商人の装いを凝らしているのは、十七歳の親王イリアードであった。第5皇子――。皇帝の血を引く若き貴人でありながら、彼は皇宮の息苦しい派閥争いと権力闘争から逃れるように、父である皇帝から「拝領領地の統治」という名目を得て皇宮を出立したのであった。面立ちは凛として気品に満ちているが、その瞳にはまだ見ぬ世界への純粋な好奇心が宿っている。

「イリアード様、少し風が冷たくなってまいりました。上着をもう一枚羽織られた方がよろしいのでは」

声をかけたのは、彼の正妻であり王妃のリゼリアだった。十六歳。アルヴェリア出身の娘で、夫であるイリアードとは従妹にあたる同じ一族の生まれである。十歳の頃から皇宮に呼ばれ、婕妤しょうよである叔母のフレデリカの元で、厳格な宮廷マナーを叩き込まれて生きてきた。それゆえに彼女の立ち姿には寸分の隙もなく、纏っている淡い水色のベルベットのドレスには、一筋のシワすら浮かんでいない。

「リゼリア、心配はいらないよ。帝都の冷たい城壁の風に比べれば、この運河の風はすごく心地いいんだ」

イリアードは微笑み、船の手すりにそっと手をかけた。

「それにしても、北の都市を抜けてから船の数が一段と増えたな。見渡す限り、白い帆が列をなしている」

その時、船室の陰から軽やかな足音と、鈴を転がすような弾んだ笑い声が聞こえてきた。

「イリアード様、リゼリア姉様!」

姿を現したのは、十五歳の側室・セシリアだった。彼女もまたアルヴェリア出身の娘であり、同じく従兄従妹の関係にあった。子供の頃から後宮の庭園で共に駆け回り、兄弟姉妹以上に固い絆と仲の良さで結ばれて育った間柄である。特に一才違いのリゼリアとセシリアは、正妻と側室という立場を超えて、幼少期から何でも打ち明け合う大親友であり、実の姉妹以上に大の仲良しだった。

セシリアは小さな銀の皿から、甘く煮詰めた無花果イチジクの実を二人に差し出した。

「途中の町で買っておいた無花果の蜜煮ですわ。船酔い防止にとても効くのです」

「まあ、セシリア。美味しそうね」

リゼリアはふっと表情を破顔させ、気さくに手を伸ばして無花果を口に運んだ。そして、セシリアの髪に風でついていた小さな葉っぱを、愛おしそうに優しく取り払ってあげる。

「でもセシリア、お召し物が少し乱れていますわよ。せっかく可愛いドレスなのですから、綺麗に着こなさなくては」

「姉様ったら。相変わらず世話焼きなんだから! でも、ありがとう」

セシリアは嬉しそうにリゼリアの手へ自身の頬を寄せ、いたずらっぽく微笑んだ。二人が仲良く寄り添う姿を見て、イリアードは愛おしさに目を細めた。

「相変わらず二人は仲が良いな。昔から二人だけの秘密の話ばかりしていたが、この船の上でもそれは変わらないらしい。……母上と君たちは、今も『念話』を使っているのだろう?」

「ふふ、だってイリアード様も私たちと念話できるでしょう? わたくしたちの、子供の頃からの日課ですものね、リゼリア姉様?」

「ええ、セシリアの言う通りよ」

リゼリアはそっと頷き、イリアードをまっすぐに見つめた。

「イリアード様。あなたを危険に晒さないようにって、わたくしたち二人でいつも知恵を絞っているのよ?」

リゼリアとセシリアは顔を見合わせ、クスクスと可愛らしく声を上げて笑い合った。昔と変わらない二人の無邪気な友情と信頼関係が、張りつめていた旅の緊張を優しく解きほぐしていく。

「イリアード様・・・・・・実は、帝都を出る時は、本当は少し不安でしたの」

リゼリアはふと表情を和らげ、二人を見つめた。

「宮廷の教えや義務に縛られて生きてきた私たちにとって、この旅は不安なことばかり。でも、イリアード様がいて、そしてセシリアが側にいてくれて・・・・・・本当に心強いわ」

「姉様………………!」

セシリアは感動したようにリゼリアの手をギュッと握りしめた。

「わたくしもですわ! 大好きなリゼリア姉様と、大好きなイリアード様と一緒にこんな広い世界を見られるなんて、まるで夢みたいですもの。お二人を支えるためなら、わたくし何でもいたしますわ!」

「頼りにしているよ、二人とも」

イリアードは愛おしそうに二人の肩を引き寄せた。

「帝都の醜い権力闘争や窮屈な格式など、この自由な風、そして僕の大切な幼馴染であり妻であるお前たち二人がいてくれれば、もう何も恐れるものはない」

「まあ、イリアード様ったら。上手なことをおっしゃって」

「ふふ、でも本気のお言葉ですわね。わたくしたち、絶対にこの先の未来を素晴らしいものにいたしましょう!」

三人はいとこ同士ならではの、遠慮のない温かな微笑みを交わし合った。

船はさらに南へ進む。途中の宿場町を通るたび、鐘楼の鐘の音や活気ある市場の呼び込みの声が聞こえ、昼下がりには三人生き生きと食卓を囲んだ。

やがて夕刻が近づき、前方に巨大な石造りの城壁と、港を埋め尽くす幾千の船の帆が見えてきた。

「見えましたわ! 南部の都です!」

セシリアが船首で叫び、リゼリアの手を引いて手すりへと駆け寄る。

「まあ、本当にすごい活気・・・・・・! セシリア、あそこに見えるのは何かしら?」

「あれは異国の商人たちの市場ですわ、姉様! 着いたら三人で探検に行きましょうね!」

「ええ、絶対に行きましょう!」

幼い頃のように目を輝かせてはしゃぐ従姉妹二人の背中を、イリアードは優しく見守りながら、その隣に並んだ。



――遡ること、一カ月ほど前の事。

大帝国の法において、皇子たちの婚姻は単なる祝典ではない。それは「一人の皇族」から「領主」へと脱皮するための、厳格な儀礼であった。未婚のうちはどれほど聡明であろうとも、帝都の宮廷に囲われた「雛」に過ぎない。しかし、ひとたび妃を迎えれば親王の称号が授けられ、同時に自らの手で治めるべき広大な所領が与えられる。それは、中央の庇護を離れて過酷な政争の舞台へと立つ、文字通りの自立を意味していた。

その日、帝都の宮殿は、歓声と祝福の鐘の音に包まれていた。

「本日より、そなたを『黎明親王』へと封じる。これなるが、そなたの治めるべきアルヴェリア領の印章である」

玉座の間。威厳に満ちた皇帝の声が、大理石の床に重々しく響き渡る。

跪く第五皇子――否、今日から親王となったイリアードは、拝領した重厚な金印を両手で受け止めた。その隣には、純白の婚礼衣装に身を包んだ、まだ緊張の色の抜けないうら若い妃、リゼリアが寄り添っている。

これまでは、何をするにも皇帝の許しが必要だった。だが、この婚姻の儀を境に、彼は一国に匹敵する領地を支配する絶対的な権力者となる。同時に、それは治世の成否によって、次の帝位継承者としての器を試される試練の始まりでもあった。


「――臣、謹んで拝命いたします。我が領民を慈しみ、帝国の南の盾として、この命を捧げる所存です」


イリアードは力強く応じ、リゼリアへと視線を向けた。彼女もまた、小さく、しかし覚悟を秘めた目で頷き返す。


――だが、若き新親王に与えられた「アルヴェリア領」の実態を、都の貴族たちは知っていた。

そこは、華やかな帝都の貴族たちが誰もが見向きもしない、見渡す限りの広大な湿原地帯であった。農地としては泥深く、商業の要衝からも外れたその寒村が選ばれたのは、決して偶然ではない。

すべては、彼の生母である婕妤しょうよフレデリカが、あらかじめ皇帝へと涙ながらに懇願し、執念で勝ち取った「親子四人の安住の地」であった。

かつて身分が低いながらも、その並外れた美貌と聡明さで皇帝の寵愛を受けた彼女は、後宮という底なしの泥沼を誰よりも知り尽くしていた。一歩間違えれば、最愛の息子は他の有力な妃たちの嫉妬を買い、暗殺の標的になりかねない。

だからこそ、彼女はあえて自らの故郷であり、最も価値が低いとされる不毛の泥地を息子の所領として望んだのだ。そして同時に、自らも後宮の地位を捨て、息子の赴任に同行して宮廷を去る許しを、皇帝から取り付けていた。

「あの泥地に、親子揃って引きこもるか。あやつらは完全に帝位争いから降りたのだな」

宮廷の政敵たちがそう言って冷笑する。だが、それこそが母親の狙い通りであった。

帝都を離れる前夜、荷出しの終わった静かな宮で、婕妤フレデリカは息子と、娘同然に育ててきた妃二人の前に、穏やかな微笑みを浮かべて佇んでいた。


「……母上。本当に、後宮を出て私と共に行かれるのですね。しかし、なぜあの湿地なのですか? 宮廷では、我ら親子が都落ちしたと皆が嘲笑っております」


若き親王の問いに、婕妤は優しく、しかし確固たる意志を宿した瞳で息子と妃たちを見つめ返した。


「我が子よ、親愛なる二人の妃よ。怒ってはなりません。権力の中心に近いということは、常に死と隣り合わせということ。価値のない土地だからこそ、誰もあなたたちから奪おうとはしないのです。あの湿地は、我が身を挺してでもあなたたちを守るための『盾』なのですから」


母は二人の妃の手をそっと重ね、諭すように言葉を続ける。


「あそこは私達の故郷。確かに貧しく、泥にまみれた場所ですが、都の毒に染まらぬ、温かい人々がいます。私もこれからは、一人の母として、あなたたちのそばで余生を過ごします。誰の目も気にすることなく、お前たちの国を創りなさい。生きて、生き延びること……それだけが、私の願いです」


すべてを捨てて自分たちと共に歩む道を選んだ母の深い愛と、激しい後宮を生き抜いた凄まじい覚悟に触れ、イリアードは胸を熱くした。己を縛るための左遷だと思っていたものは、母が命がけで整えてくれた「家族の自由への切符」だったのだ。


翌朝、帝都の門の前に、数々の馬車と兵士からなる大行列が仕立てられた。華やかな宮廷生活との別れ。そして、自らの領土への旅立ち。馬車に乗り込む間際、イリアードは振り返り、朝日に照らされる壮麗な皇宮を見上げた。


「行くぞ。我らのアルヴェリアへ」


若き親王の号令とともに、車輪が重々しく回り始める。親王としての誇りと、領主としての重責を胸に、彼らは新たな天地へと向かって力強く歩み出した。


登場人物


〇イリアード・オーレリアス帝国の第五皇子にしてアルヴェリア王。母フレデリカからリヴィエール一族の血を引いているため、微弱ながらも超常能力を宿している。とはいえ、妻たちのように自在に操れるわけではなく、せいぜい「人一倍、勘が冴える」という程度。しかし、彼の真の才能は別のところにある。皇太后、皇后、そして皇帝といった最高権力者たちを前にしても決して物怖じせず、失言や失敗は皆無。皇宮内では、母譲りの卓越した世渡り術を持つ「侮れない皇子」として一目置かれている。一方で、私生活では超常能力のプロフェッショナルである2人の妻に完全に手の内を読まれており、愛の告白すらする前に看破されてしまう始末。今ではすっかり開き直っているものの、サプライズの一つも仕掛けられないため、「一般的な男女のロマンスを楽しめない」のが密かな悩みである。父である皇帝からは「出来の良い息子」として高く評価されがちだが、それが却って後宮の標的になることを危惧した母から、「決して寵愛を受けすぎてはならない」ときつく釘を刺されている。


〇フレデリカ・リヴィエール

婕妤しょうよフレデリカ。イリアードの母。リゼリアの叔母で義母。セシリアの叔母で義母。

アルヴェリアの一族・リヴィエール家の出身である。宮女として帝都の皇宮に入り、古琴の奏者となった彼女は、やがて皇帝の目に留まって側室となった。身分の低い宮女上がりでありながら、その類まれな美貌と音楽的才能によって皇帝の寵愛を独占した。しかし、政治的な後ろ盾を持たなかった彼女は、後宮の羨望と激しい嫉妬を一身に集めることとなる。やがて妊娠し、第五皇子イリアードを出産したフレデリカは、自身の位(身分)が上がるのを辞退しつつ、後宮内で生き残るために尽力した。イリアードが11歳になった頃、彼女は故郷アルヴェリアから姪を2人帝都に呼び寄せ、自身の侍女として教育を施した。その頃すでに、フレデリカの頭の中には、その姪たちをイリアードの妃(嫁)にするという青写真が描かれていたと思われる。帝国のしきたりでは皇子が15歳になると結婚する事ができる。そして親王の称号をえて後宮を出て帝都に居を構える事が出来る。または領地に赴き自らその地で統治する事が可能であった。そしてその母親が側室であった場合。夫である皇帝の許可をえて後宮を出る事が可能となる決まりがあったのだ。


〇リゼリア・リヴィエール

第五皇子イリアードの正妃(王妃)にして、フレデリカの姪。一族の女性が宿す「超常の力」を色濃く受け継ぎ、予知・念話・透視・念聴といった精神干渉の能力を幅広く操る。その天才ぶりは凄まじく、誕生直後にはすでに伯母・フレデリカとの念話に成功していた。10歳という若さで帝都へ上がる際も、フレデリカの真意や後宮の情勢をすべて見抜いた上で皇宮へと足を踏み入れている。能力を通じて心を分かち合う従妹のセシリアとは、互いを「最上の親友であり、唯一無二の姉妹」と認め合う極めて強い絆で結ばれている。


〇セシリア・リヴィエール

イリアードの側室であり、リゼリアと同じくフレデリカの姪。彼女が有する超常能力は、念動、瞬間移動、さらにはパイロキネシス(発火・温度操作)といった「物理的破壊力」に特化している。日頃は明るく天真爛漫で、まるで天使や妖精のように愛らしい女性だが、ひとたび怒らせれば一転して最凶の存在と化す。遥か遠方から標的の命を奪うことすら容易いが、その強大な力は彼女自身の高い理性によって辛うじて抑え込まれている。とはいえ、日常的なちょっとした悪戯や仕返し程度であれば、お茶目に連発している。


〇リヴィエール家

アルヴェリア周辺に根を張る土豪の一族。遥か昔、この地に流れ着いた「異国の漂流民」の血を引くという伝説があり、一族には独特の雰囲気を纏った美貌の持ち主が数多く生まれる。しかし、彼らが秘めている真の謎はそれだけではない。一族の根幹に関わる「もう一つの秘密」が存在するが、それについて語ることは、一族の者たちの間では暗黙のタブー(公然の秘密)となっている。


〇アルヴェリア

主に大運河の重要都市ベラグランデの対岸にある小さい町の名前であった。

東部に広がり、東海までの広大な湿地帯は不毛の地として放置されており、

これらすべて含んだ地域を総括してアルヴェリアと呼ばれるようになっていた。

現在は親王領となっている。


〇アクアパレス

アルヴェリア湿地帯の中央付近に突如出現した。流麗華美な水の都。

アルヴェリア親王府が置かれ、アルヴェリア全体の行政の中心地となっている。


〇ソルトラグーン

アルヴェリア北東部にて細々と干潟で製塩が行われていた名もなき集落の集まりであったが、

親王の統治が開始されて以来、水門と堤防で囲んだ塩水湖が作られた。

その一帯をソルトラグーンなつけられて製塩の一大拠点として変貌した。


〇皇帝ヴィンセント

帝国現皇帝。イリアードの父。イリアードの母フレデリカは彼の側室である。



〇帝都オクタヴィア

帝国の首都。


〇大河アシェロン

帝国南部と中央を東西に走る雄大な河川。


〇フルヴィアルト

アルヴェリア南部の町。大河アシェロンの河口近くにあり、南の対岸には帝国直轄領の都市、フローラブルグがある。


〇フローラブルグ

大河アシェロンと東海を交差する位置にある。帝国直轄領の都市。

交易の重要拠点であり、古代の国の首都となる事が多い重要地域として帝国直轄領となっている


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