第97話 剣聖ローゼス
バンディカ帝国ジョストン領を改め、新生ウキレア公国として船出を切った元領主リフィスが屋敷の中で、毎日のようにエシェラントを含む貴族達と軍議を開いていた。
軍師のグストの助言を受けながらリフィスを中心に、各人の担当する配置や役割り、籠城に必要な食料や資材の調達など、戦いに向けた内容を詰めていた。
商業都市ウキレアの中では、事前にグストとエーシンから食料や武具の備蓄を要請されていた商人達が、各地に馬車を走らせて奔走していた。
その頃、コスモはというと城壁を修復する大工に混じって作業を手伝っていた。
「コスモちゃん、ちょっと石垣が足りねえんだが、持って来てくれるかい?」
「親方、何個必要なんだ?」
「えっと、ここは10個くらいあれば十分だな!」
「分かった、少し待っててくれ!」
コスモがそういうと、長方形に加工して積み上げていた石垣の仮置き場から、10個まとめて重ねると、その場に屈み軽く持ち上げる。ちなみに石垣は小型でも重量は大人一人分はある。
大工達がぎょっとした顔でそれを見ると、コスモが平然として石垣を運び、側へ置いていく。
そこから1個ずつ小分けにして、大工の指示に従って高所や人手が必要な場所へ置くと、大工が修復を始める。
本来、大工が4人がかりで1つの石垣を持ち上げたり、高所は滑車を使いロープで吊り上げたりして交換する場所へ設置するのだが、コスモの異常な【力】のお陰で作業が効率良く進んでいた。
「全く、美人だってのに大した馬鹿力だ。冒険者じゃなかったら、ウチの商会に入ってもらうとこだぜ」
「はははは!あんがとよ親方、俺の力はこんなことにしか、役に立てられねえからな」
力仕事に定評のあるコスモが、開拓民以外に大工達からも頼られていた。
今、商業都市ウキレアでは、バルドニア王国とバンディカ帝国の連合軍に対抗するための、城壁の修復が進められていた。
長い間、ウキレアを主戦場とした賊の襲撃や国同士の戦いは一度も起こったことがなかった。
それもユズリハ商会の先代会長であるユズリスが、ジョストン領の初代領主キリアンの要望を受けて都市を建設したことに始まる。
その要望とはユズリスを含む全ての商人が、安全に安心して商いが行えるように、防衛に特化した造りにすることであった。
要望に応じて造られたウキレアは、賊だけではなく、他国の斥候が見ても諦めるほどに隙が無かった。そんなこともあって長年放置されていた城壁や門、防衛の要となる部分が老朽化していた。
真っ先にその部分を指摘をしたのが、コスモの軍師であるエーシンである。
エーシンとリフィスの軍師グストが中心となって、商業都市ウキレアの籠城計画が練られていた。その1つが城壁の修復である。
コスモが一息付いて、大工達の作業を見つめていると、後ろからエーシンがひょっこりと現れる。順調に進んでいる作業を見て、ご満悦なのかにっこりとする。
「どうやら城壁の修復は順調みたいだなコスモ」
「ああ、腕の良い大工が揃ってるし、何よりラムセイ商会以外のメデウス商会、トールネ商人連合から協力が得られたのが大きいな」
商業都市というだけあって、大手のメデウス商会、トールネ商人連合からも協力を申し出てくれていた。この2つの商会は、商業都市ウキレアを拠点として北方連合国と交易を行っている。
この拠点をバルドニア王国に奪われれば、要塞都市ガーグラと同様に、品物の徴収、税の引き上げ、建物の接収など、商人にとって致命的な命令をされることが目に見えている。
それに対してバンディカ帝国から独立したリフィスは、今まで通りの税を納めてくれれば良いというのが、協力の決め手となっていた。
だがユズリハ商会だけは協力をせず、バルドニア王国との取引きを続けていた。しかし、商業都市という名を冠する以上、商人の商売に口出しをしないのが鉄則である。
そして協力をしてくれる商会は物資だけでは無く、バルドニア王国の詳細な情報をコスモ達にもたらしていた。
以前から、噂程度に聞いていた情報の裏付けができたエーシンは、この戦いに勝てる算段をつけていた。
「……コスモ、これからの戦いは、最後まで耐え忍んだ者が、必ず勝利をする」
「……だが厳しい戦いにもなる、だろ?」
「ああ、その通りだ。ここで負ければ北方連合国は全てバルドニア王国の傘下となり、いずれはバンディカ帝国の番となる」
「そこまでやるのか、カイネル王は」
「うむ、間違いは無いだろうな。今、バルドニア王国の要塞都市ガーグラは凄惨な状況だそうだ」
すでに要塞都市ガーグラから撤退していたメデウス商会から、現地の状況をエーシンは聞いていた。
自国の経済を全て犠牲にしてまで、カイネル王は動き始めていた。もう後には引けない、前に進むしか道が無い状況になっていた。
戦力差で自国が有利であるのはカイネルも承知している。それに短期間でウキレアを攻略しなければ、戦争を継続するために必要な食料や金銭が手に入らず、各地で広げた領土を奪われ劣勢になっていく。
どのような手段を用いても、商業都市ウキレアを制圧する必要があった。
そこがバルドニア王国の最大の弱点であり、攻撃を耐えて時間を稼げば、必ず勝てるとエーシンは見込んでいた。
しかし、商業都市ウキレアのもっとも苦手としているのが、空からの攻撃である。
その空の防衛の要であるコスモの相棒、ペガサスのサジーなのだが、姿を見かけないことにエーシンが気付くと、辺りを探し始める。
「ところで、ペガサスのサジーとやらは、どこに行っておるのだ?」
サジーの名前が出た瞬間、コスモが困った顔をする。気性が荒いのは出会った時から知っていたが、もう1つ違う側面を見せ始めていた。
「え、えっと……それが、ここの草は不味いらしくて、ちょっと遠くに食事に行ってるんだ。でも安心してくれエーシン、すぐに戻って来るからさ……」
「な、なんとも自由奔放なペガサスよのう……」
どうやらサジーは、リンティス魔導公国にあるペガサス牧場で与えられていた、高地で育った鮮度抜群の草の味を覚えてしまい、平地で育った草は食べられないほどに、美食家になっていた。
だが食事が済めば、義理堅い性格をしたサジーが戻ってくることをコスモは知っていたので、エーシンの計画には支障が無いことを必死に伝える。
まさかここで餌の問題が出るとは思いもしなかったが、コスモを乗せて動ける唯一のペガサスなので、多少のことは大目に見ていた。
次に、仕事斡旋所の方だが、こちらはいつもと変わらずに冒険者達が依頼を受けては、出入りをしていた。
最近では山の麓にある村から、護衛依頼が急増していた。今度は白嶺大熊では無く、山賊の襲撃があるという噂を聞いて恐れていたからである。
その噂の出所は、もちろん皇帝ウェイリーの策略で自作自演をしていたベイト村からである。
実際、本物の山賊に襲われた村もある。その山賊はカイネル王の子飼いの賊なのだが、やはり一度覚えた略奪のうまみを忘れられずに、カイネルに黙って密かに襲撃をしていた。
そんなこともあって、冒険者達は引き続きウキレアを拠点として滞在していた。
その冒険者達の中でコスモと親しい踊り子のフィオーレが、慌てたようすで商業都市ウキレアを走り回り、コスモを探していた。その手には手紙が握られている。
城壁の近くで立っているコスモを見かけると、一目散に向かって行く。
「コ、コスモー!」
「どうした?フィオーレ、そんなに慌ててよ」
「やばいって!私の師匠が今回の戦いにグーラグラン王国側として参加するって、手紙で連絡が来たんだって!」
「フィオーレの師匠って確か、グーラグラン王国に居る世捨て人みたいな生活をしてるんだよな?」
「そうなんだけど、私に会いに来るついで、<インペリアルオブハート>のコスモと立ち会ってみたい、って手紙に書いてたんだって!超ヤバいよ!」
いつものふてぶてしい態度のフィオーレが、かなり焦っていた。
いつもなら高慢ちきな性格なのだが、剣の師匠の恐ろしさを一番に知っているだけあって、その事を必死にコスモに伝えようとしている。
フィオーレから差し出された手紙をコスモが受け取ると、エーシンと一緒になって読み始める。
『元気にしてるかいフィオーレ、今住んでいるグーラグラン王国からの要請で、商業都市ウキレアの奪還戦争に参加することになった。本当はこんな下らない戦争なんぞに付き合う気は無かったんだけどね。そこにあんたが、いつも自慢していた<インペリアルオブハート>のコスモが居るんだろ。一度手合わせに行くから、邪魔するんじゃないよ。ローゼスより』
なんとも豪胆な文章であった。それを読んでいたコスモも、ローゼスと名乗る者の人となりがすぐに理解できていた。
フィオーレの剣の師匠というだけあって、自分の力に絶対的な自信を持ち、グーラグラン王国からの束縛を受けていないようである。
「し、しかし、すげえ文章だな……よっぽど自分の腕に自信がなけりゃ書けないぞ」
バンディカ帝国内に限らず、コスモの活躍と実力はアセノヴグ大陸中に広まっている。そのコスモを名指しで挑戦をしてくるローゼスに、コスモは畏敬の念を持ち始めていた。
だが一緒に読んでいたエーシンの反応は違っていた。眉間に皺を寄せて困った表情になる。
「よもや剣聖ローゼスが、敵方として参戦してくるとは、予想外だのう……」
「えっと、あんた私の師匠のこと知ってるの?」
フィオーレが驚いたようにエーシンに話しかけるが、小生意気な話し方に、エーシンが顔をぷいっとさせて冷たく返す。
「拙僧の名はあんたではない、エーシンだ小娘」
「こ、小娘ってあんたの方が私よか、ちっさいじゃん!」
「拙僧の方が年上だ、この馬鹿者」
エーシンの年齢は不詳だが確実にフィオーレよりは上である。馬鹿者呼ばわりされたフィオーレが、顔を真っ赤にさせると不満をコスモにぶつけていく。
「むきーーー!何なのコスモ、このエーシンって生意気で偉そうにしてる奴!」
「ま、まあ落ち着けフィオーレ、それよりエーシン、剣聖ローゼスって知っているのか?」
「うむ、剣の道を極めんとする者ならば、アセノヴグ大陸では知らぬ者はいない、有名な剣術家だ」
アセノヴグ大陸の各地を修行僧として放浪していた時に、エーシンは剣聖ローゼスの名を聞いていた。
世間で知られていないのは、卓越した剣の技術を持ちながらも、ローゼスがどこの国も仕えないことにあった。フィオーレの言っていた通り、若い頃から山奥に引き籠り、ひたすらに剣の道を邁進してきた。
冒険者の中にはローゼスと同様に、剣の道を極めようとする者がいる。そう言った者だけに、風の便りでローゼスの名が耳に入る。まさに知る人ぞ知ると言った人物である。
名を聞いて、何人もの剣の使い手がローゼスに挑んで行ったが、戻って来ると借りた猫のように大人しくなり、何があったのか話そうともしない。
しばらくして挑んだ者が冒険者を止め、剣の道を諦め、開拓民や商人となって地に足をつけた仕事を始めて行く。
そして現在、行方不明の伝説の剣士シャイラを除くと、アセノヴグ大陸で唯一存在する不敗の剣士という噂だけが先行して、いつしか剣聖と称えられるようになっていた。
その話をエーシンから聞いたコスモが唾を飲み込む。
「フィオーレも強い剣士だが、その師匠もそこまでの実力者だったのか」
「で、でしょうー!私の師匠ってば凄いんだから!」
敵方でローゼスが参戦するというのに、なぜか褒められたと思ったフィオーレが得意気にする。
「でもフィオーレ、いつも手紙で俺のことを自慢していたのか?」
「い、いや、それは、その、コスモが強過ぎるからちょっと、師匠にも面白く伝えようかなーって!」
ローゼスと雰囲気が似ていたコスモを、師匠であるローゼスに教えたかったのだろう。恥ずかしそうな顔でフィオーレが必死に誤魔化す。
本当に喜怒哀楽が激しい少女である。
その横でエーシンが、剣聖ローゼスの対策を早速練っていたのだが、手紙の内容からして戦局に影響は無いと判断する。
狙いはコスモ、もしローゼスが現れたらコスモに対応させることで籠城計画に支障は無い。
だがローゼスの実力は計り知れない。もしコスモが倒れてしまった場合、味方の士気が大きく損なわれることになる。そこだけが唯一の気掛かりであった。
「コスモ、この剣聖ローゼスの狙いはお主だ。もし、戦場に現れたら相手をすることになるが……」
そこまで言いかけると、コスモが胸を叩き笑顔で答える。
「そんときゃ、俺が出るしかないだろエーシン!任せておけ!」
「お主の実力は分かっているが、剣聖ローゼスの強さは拙僧にも分からぬ。ゆめゆめ油断するでないぞ」
「師匠はすっごい強いけど優しい人だからさ!命までは取らないと思うから、負けそうになったら素直に降伏してね!」
心配そうな顔でエーシンとフィオーレがコスモを気遣う。フィオーレは性格は悪いが、性根は悪くはない優しい少女である。
そんなフィオーレを見て、コスモが頭を撫でながら変わらない笑顔で答える。
「心配すんなフィオーレ、俺は神の一撃だって受ける自信はある。絶対に負けねえよ」
「う、うん……」
フィオーレは大好きなコスモと、命の恩人で師匠のローゼスと戦って欲しくは無かった。フィオーレにとって2人は特別な存在なのだ。
しょんぼりとした顔を見て、コスモもそれを察していた。エーシンも小生意気な少女と思っていたが、案外殊勝なところがあると見直していた。
~
バルドニア王国、城塞都市ガーグラのカイネルの居城には、グーラグラン王国から地上軍を率いたオジール王が訪れていた。
以前から雪解けが終わった時に、進軍を開始するようにカイネルから要請を受けていた。その要請に応えて精鋭の戦車隊を率いてやって来ていた。
オジールは見た目が50代後半で、白髪で前髪がかなり後退している。険しい顔付きで、紺色に染められた貴族服の上から、紫色に染めた重装鎧を着用していた。
王の間に入って、カイネルが座る玉座の前で跪くと、到着の報告を行う。
「カイネル様、我がグーラグラン王国の精鋭部隊、到着致しました」
「うむ、遠いところからご苦労だったオジール」
グーラグラン王国はバルドニア王国の実質的な属国、カイネルの方が立場が上である。そして、バルドニア王国と同様にグーラグラン王国も戦費を捻出するため、過酷な税を取り立て経済は崩壊寸前であった。
そんな自国の状況にも関わらずオジールは、顔をにやつかせていた。
「しかし、【無能のリフィス】がまさか独立とは、何を血迷ったのでしょうか」
「全くだな、まさか自らの手で自分の首を絞めるとは思わなんだ」
「お陰で、労せずこちらに領土奪還という大義名分が立ちました。これはもう、神の思召しと言っても良いかと」
「うむ、この勢いに乗って一気に北方連合国を併呑する。頼りにしているぞオジール」
「ははっ、お任せ下さい、かの有名な剣聖ローゼスも協力を申し出てくれました。我が軍は盤石です!」
「剣聖ローゼスか、どこの国にも仕えない変わり者と聞いていたが、まさか協力をしてくれるとはな……」
剣聖ローゼスをカイネルは知っていたが、どの国にも仕えないことを知っていた。邪魔さえしなければ、放っておくつもりであった。
しかし、逆に今回の戦いに参戦を申し出てきたことは意外で、珍しくカイネルが驚く表情を見せていた。
すると王の間の柱の陰から女の声が聞こえてくる。
「協力するって言っても、私の目的はコスモって女だけだよ」
その声に気付いた近衛兵が、慌てて銀の槍を構え、声のする柱に集まり囲い始める。近衛兵がじりじりと距離を縮め、柱の陰を覗き込むが誰も居ない。
すると、声に驚いて立ち上がっていたオジールの背後に、女が立っていた。女の気配に気付いたオジールがゆっくり振り返ると、緊張していた顔を緩ませ安心する。
「な、なんだローゼス殿ではないか、驚かせるとは人が悪い」
女の声の正体は剣聖と呼ばれるローゼスであった。
薄紫色の長い髪を腰まで伸ばし、近衛兵より頭1つ小さい身長、小さな顔に締まった体付きに大きな胸、その胸元が大きく開いた軽装鎧の胸当てに、両側に大きく開いたスリットから美しい長い足を出している。
顔付きはカイネルと同年代とは思えない美しい顔で、目付きが鋭い。腰の左右には柄に薔薇の紋章が刻まれた2つの剣を下げていた。
「オジール、あんたにゃ住む所を世話にはなってるけどね、誰も頼んじゃいないよ。それに私の狙いは<インペリアルオブハート>って呼ばれるコスモだけだ。そこを勘違いしないでおくれ」
「ロ、ローゼス殿、カイネル様の御前ですぞ、もう少し言葉を選んで下さい」
「この男がカイネルねえ……まあ、そこそこやるってところかい」
ローゼスがカイネルの佇まいを見て、その戦闘力を一瞬で推し量っていた。バルドニア王国でも、一番に強い竜騎士と言われるカイネルに向かって、そこそこやるという評価を下す。
さすがのカイネルもその一言が気に食わないのか、玉座から立ち上がると魔槍【グリンブル】を手に取る。そして目を赤くすると黒い瘴気を放ち始める。
「これでも、そこそこやるという評価かな?ローゼス!」
只事ではないカイネルの変わり様に、オジールが怖気づく。周りの近衛兵もカイネルの体から放たれる黒い瘴気と覇気に、身体を震わせて見守ることしかできない。
それでもローゼスは態度も表情も変えずに、詰まらなそうな顔をする。
「……【ブラックオーブ】込みで、その評価なんだよカイネル」
その言葉を聞いたカイネルが、驚きの顔を見せる。オジールには【ブラックオーブ】のことを伝えてはいたが、主要な将軍以外には誰にも教えていなかった。
そのことをなぜローゼスが知っているのか、理由が分からなかった。
「なぜ【ブラックオーブ】のことを知っている……」
「長く生きてりゃ、人の弱みに付け込む【ブラックオーブ】くらい耳に入るさ」
「弱みに付け込む……だと?」
「おや?知らないのかい?心の弱い奴が【ブラックオーブ】に頼るってことにさ」
ローゼスは以前に【ブラックオーブ】で引き起こされた事件に、巻き込まれたことがあった。立場は被害者であるが、その事件が剣の道を極めるきっかけとなっていた。
心の弱い奴という言葉に、カイネルが我慢できなくなると、魔槍【グリンブル】を大きく振り上げ、常人では追えない速度でローゼスに迫ると斬りかかっていく。
ローゼスが眼前に迫る魔槍【グリンブル】を静かな目で見つめ、避けようとしない。
すると眼前で魔槍【グリンブル】の刃先が止まる。その寸止めした時に発生した風圧が、ローゼスの美しい紫色の髪を後方になびかせていた。
微動だにしないローゼスに、攻撃を仕掛けたカイネルがとまどう。
「なぜ、避けない……」
「カイネル、あんた私を女だからって舐めてるね?脅しをかければ泣きつく、そこらへんの女ならそうかもしれないけどね。私は剣聖ローゼス、殺気の無い攻撃は分かるんだよ」
「む、むう……そこまで解っているとは……」
「寸止めは正解だね、もし、そのまま斬りかかってたら、あんたの首は今頃、床に転がって自分の胴体を見つめてたよ」
平然とした顔で、攻撃を本気で仕掛けてきたら、カイネルの首が飛んでいたことを忠告する。実際、柱の陰から誰にも気付かれることなく、オジールの背後に移動してみせたのだ。
はったりでは無いことは、カイネルにも分かっていた。
カイネルが魔槍【グリンブル】を引くと、目の色を戻し黒い瘴気を抑えていく。そしてローゼスの前で跪くと敬意を示す。
「剣聖ローゼス殿、此度の私の非礼を詫びたい」
「……へえ、あんた自我を保ててるんだね。もしかしたら、あの皇帝アインザーよりも精神的には上なのかもね」
敬意を示したカイネルに、ローゼスが元皇帝のアインザーの名を出し、心の強さでは勝っていると評価する。ローゼスは上皇アインザーとも面識があった。
その言葉に一瞬カイネルが驚くが、剣聖ローゼスに自身が尊敬してやまない、アインザーより上と言われ、心が救われたような気がしていた。
しかしローゼスが現れたのは、自分の武威を示すことでは無く、カイネルやオジールが勘違いをしないように、説明をするためであった。
「頭を上げておくれカイネル、ただ私は、冒険者のコスモって女と立ち会いたいだけ、戦争に関しては一切関与しないってことだけを言いに来たのさ」
「わ、我が軍には参戦してもらえないのですかローゼス殿?」
「オジール、何度も言うけど、あんたにゃ家を世話になった、だが、私に参戦する義理は無い、だけどそれじゃあ私としても後味が悪い、だから参加したって建前だけは通させてもらうよ」
「そ、そんなご無体な……」
あくまでローゼスの狙いはコスモ、今回の行軍に参加したのも、オジールの顔を立てただけであった。それともう1つ、参戦しない理由があった。
「それに私の大嫌いなバンディカ帝国と同盟を組んでるんだろ?それだけでもありがたいと思いな!」
ローゼスはバンディカ帝国を嫌い、離れた土地であるグーラグラン王国に移住をしていた。
やり取りを聞いていたカイネルが立ち上がると、ローゼスの要望を受け入れる。
「ローゼス殿の話は理解した。こちらとしてもコスモという冒険者は、最大の障壁になると考えている。それを止めてくれるだけでも、我が軍は助かる」
「カ、カイネル様、よろしいのですか……」
「良いのだオジール、それにこの方は、その我がままを押し通すことを許されるだけの実力がある」
ローゼスの実力を把握したカイネルが、ローゼスの申し出を認める。それに冒険者の中でも、突出した力を持つコスモを相手にしてもらうだけで、戦局は自分達に有利に働くことも分っていたからだ。
カイネルの実直的な対応に、ローゼスが感心すると老婆心ながらカイネルに忠告をする。
「カイネル、私の話を受けてくれたことで、礼に1つだけ忠告をしておくよ」
「何だ、ローゼス殿」
「【ブラックオーブ】は仮初めの力、それを妄信すると必ず自分の身を亡ぼす。必ずね。人の心の強さと気高さは竜よりも、いや神よりも強く創られている。それを忘れるんじゃないよ」
そう言うと王の間の扉を開けて、ローゼスが去って行く。
ローゼスの言葉を聞いたカイネルが、しばらくローゼスの出て行った扉を見つめ、物思いに耽る。一体どれほどの研鑽を積めば、ローゼスのような境地に達するのか、そんなことを考えていた。
そして横に立っていたオジールに向かって、スーノプ聖国に侵攻する北方軍、リンティス魔導公国に侵攻する西方軍、最後に新生ウキレア公国を奪還するための中央軍の行動を開始するように命令を下す。
「……それではオジール、予定通り進軍せよ」
「ははっ!」
「それと、後から来るバンディカ帝国の後方軍は、あてにするでないぞ。奴らは脅しの道具、あくまでも我が軍、単独で勝利を目指すのだ」
「もちろんでございます。我らがバルドニア王国、グーラグラン王国の威光を知らしめ、北方連合国を手に入れてみせます」
同盟のバンディカ帝国の戦力は、相手の心を挫くための戦力とカイネルは見なしていた。それも、皇帝ウェイリーが北方連合国の統一に難色を示しているのが、明らかに分っていたからだ。
下手をすれば、自軍の邪魔になるとも考えていた。
オジールが命令を受けると、王の間から出て行く。それを見送るとカイネルが玉座に戻り、近衛兵に向かって、グレメンス将軍を呼び出す様に指示を出す。
「……近衛兵、待機しているグレメンス将軍を呼んでくれ」
「ははっ、今すぐお連れ致します」
指示を受けた近衛兵が小走りに王の間を出て行くと、要塞都市ガーグラに呼びつけていた、グレメンスを迎えに行く。
リンティス魔導公国であったガリオンの領地奪還の失敗で、グレメンスは西方戦線の指揮官を降ろされていた。
本来であれば、ガリオンの領地は今回の戦いで手に入る予定だったので、カイネルは罰を与えるつもりは無かった。だが、勝手に行動した上で負けたとあれば、他の将軍達に示しがつかないので、敢えて目に見える形で罰を与えていた。
そしてカイネルは密かにグレメンスに、別の任務を与えようと考えていた。
5分程でグレメンスが王の間に現れると、近衛兵の後に続き、カイネルの玉座の前で跪く。
「このグレメンスに御用でしょうか、カイネル陛下」
「良く来てくれたグレメンス、まずは指揮官の座を降ろしたことについては、すまぬと思っている」
「いえ、陛下の御判断は間違いではございません!領地の奪還を失敗した私に、極刑では無く、寛大な処置で応えてくれたことに感謝しております!」
グレメンスらしい愚直な応答に、カイネルが微笑する。このような愚直で忠誠心の高い男は、将軍にも中々居ない。
今回の戦いで、そのグレメンスにしかできない任務をカイネルが与える。
「グレメンス、お前には輜重部隊の隊長を務めてもらいたい」
「……はっ!その任、喜んでお受けいたします」
輜重部隊と聞いて、前線に出られない悔しさからグレメンスが一瞬だけ躊躇するが、カイネルからの任命に素直に従う。
そこでさらにカイネルがもう1つ仕事を与える。
「今回の進軍は略奪行為が横行することが目に見えている。元は我がバルドニア王国の国民、そのようなことが無いように処罰の権限をグレメンス、お前に与える」
「は、はい、我が軍にそのような不届き者がいれば、我が身命を賭して処罰したいと思います!」
為政者として、グレメンスは本当に嬉しい反応を示してくれる。そのグレメンスだが、【ブラックオーブ】や王子のオリオーン、アルティナやゴンベエを監禁していることは一切、伝えられていない。
カイネルが玉座から立ち上がると、跪いているグレメンスの肩に手を置いて、言葉を伝える。
「万が一、私が倒れるようなことがあれば、これからはグレメンス、お前のような軍人がバルドニア王国を支えるのだ。よいな!」
「へ、陛下、一体それはどのような意味なので……」
グレメンスが顔を上げ、カイネルを見上げると、幼少の頃に見たことのある、若き頃の優しいカイネルの顔が見える。
それを懐かしくも思い、嫌な予感を感じていた。
「ではグレメンス、中央軍の輜重部隊の任を頼むぞ」
「は、はい!お任せ下さいカイネル陛下!」
そう言うと、グレメンスが王の間から出て行く。そして王の間に残った近衛兵達に顔を向ける。
「近衛兵、これで今日の面会は全て終わった、少し1人になりたい、全員出て行ってくれ」
「ははっ!」
近衛兵が全員、王の間から出て行くとカイネルが1人寂しく、玉座に戻り目線を下に向ける。
その顔は年齢相応に戻り、先ほどの国王としての逞しい顔ではない。疲労困憊で今にも倒れそうな顔をしていた。
「長年夢見た大陸の統一、ここまで来たらもう止められぬ……悪名は全て我が身が背負う……」
人類を導くべき指導者と思っていた尊敬するアインザーが消え、その代わりに自分が導くことを決めたカイネルの野望だが、その代償は大きかった。
まともな人間ならばその罪悪感で正気を失うほどの、非道な行為を陰で何度も繰り返してきた。
それも全ては邪神竜が再び世に戻った時、自分が指導者として人類を率いて討ち果たし、人々が安心して暮らせる世を作り出すためであった。
そのためならば小さな犠牲は厭わない、カイネルの野望に拍車がかかっていく。
すると目の色が赤くなって、体から黒い瘴気が漏れ始める。懐から赤みのかかった黒い水晶【レッドブラックオーブ】を取り出すと、いつも以上に険しく逞しいカイネルの顔に戻っていく。




