終章
「雪花、ここにいたのか」
月が綺麗な夜。
冬らしいひんやりとした空気だが、どこか暖かい。風に吹かれて水仙の蕾が揺れていた。
雪花が六花殿の庭で月を眺めていると春陽が静かに姿を現す。
「春陽さま」
春陽を捉えた雪花の口元は優しく弧を描く。月明かりに照らされ、雪花はとても美しかった。
「何を見ていたんだ?」
「月と水仙の蕾を見ておりました」
「蕾?」
「はい、こちらです」
雪花が視線を下に向けると、春陽もつられて下を見る。
濃い緑の茎の先に小さな膨らみができていた。
「もうすぐ咲きそうだなと思いまして」
冬の澄んだ空気は心地良く、月が綺麗に見える。
「寒くないか?」
「はい。とても気持ちが良い夜です」
「そうだな」
ぽつぽつと交わされる会話。無言の時間も居心地が良いから不思議だ。
「最近は後宮をお前に任せてばかりですまないな」
春陽の声がやや低くなる。最近の春陽は執務に追われていた。
北雪山をはじめ妖が住んでいるであろう場所を自ら回り現場の把握、改善に努めている。人も妖も分け隔てなく暮らしやすい国を作るという約束を忠実に守ってくれようとしていた。
その間雪花は、後宮の整備に微力ながら手を貸していた。
妖の存在が公になり、雪花に恐怖を抱いているような素振りを見せる人ももちろんいた。しかし、雪花はそれらの感情も受け入れた上で、春陽のために自分ができることを積極的に行う。
帝の悪事を知った妃たちの衝撃は大きかったようで、しばらくは重い雰囲気が漂っていた。特に夕凪は、慕っていた帝自らが自分に手を下していたことを知った時は顔面蒼白になっていた。
そんな夕凪に雪花は寄り添い、励ます。時間をかけて二人のわだかまりは溶けていくのだった。
雪花の氷の力が消滅したわけではない。夕凪の痛みに寄り添い悲しめば氷の粒が生まれるし、日乃子と笑えば冷たい風が吹く。しかし、それらは暴走することなく害のないくらいの力だった。
「わたくし、とても嬉しいのです」
「ほう。嬉しいと?」
「はい。今までのわたくしは一人で過ごしてきましたが、今はたくさんの方と関わり合うことができとても嬉しいのです」
「ふっ。そうか」
「妖の力を持っていましても、きちんとお話をすれば分かり合えるのですね。知りませんでした」
雪花は柔らかく微笑んでいた。
氷の力が暴走しないのはおそらく、雪花が春陽を始め妃や侍女たちに心を開き出したからなのかもしれないと感じていた。
感情を出しても大丈夫だと相手を信じることで、変な緊張が生まれず心穏やかに過ごせる。雪花が天華宮の人々と関わるようになって気付いたことだった。
「話をすれば分かり合える、か」
きらりと雪花の髪に飾られた硝子細工のかんざしが揺れている。春陽は目を細めた。
「雪花」
「はい?」
静寂の中、春陽の声が響く。二人は向き合い見つめ合った。
「お前はとても良く笑うようになったな」
「……そうですか?」
「あぁ。雪花の笑みは花のように美しい」
「そんなこと……」
「謙遜するな。本当のことだ」
優しくあたたかな声に雪花の涙腺が緩んでいく。
褒めてもらえること、自分の全てを受け入れてもらえることはこんなにも安心できるものなのか。
その安堵が涙となり瞳を濡らしていく。
「わたくし、春陽さまといると泣いてばかりですわ。人は嬉しいとこんなにも涙がでてしまうんですね」
「思う存分感情を出せば良い。雪花が泣いていたら何度でも涙を拭うから心配するな」
「春陽さま……」
雪花は満面の笑みで春陽を見て、そして二人は笑い合った。
ふわりと風が吹く。
風は少し冷たい。だけれども雪花はもう身をすくめなかった。
ぽろん。
雪花の嬉し涙が頬を滑り、柔らかな風に乗って水仙の蕾に落ちた。
その瞬間、ゆっくりと水仙の花が開き出す。
「春陽さま、見てください。水仙のお花が……」
「雪花の美しい涙が、花に命を吹き込んだのだな」
「花に命を……?」
雪花は涙を拭いながら春陽を見る。
「氷はいつか溶けて水になる。水は恵みを与えるものとして花々や草木、人を潤わせていく、無くてはならないものだ。雪花、そなたの存在も皆にとって、そして私にとっても無くてはならない大切なもの。それを忘れるでないぞ」
「はい……!」
開き始めた白い水仙は月に照らされて、まるで氷のように煌めく。
雪花と春陽は穏やかな夜のひと時を寄り添って過ごすのだった。




