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番外編3:清寂とただいま

~一人に慣れていたはずの部屋で~


 巧が二泊三日の出張に出かけてから、二日が過ぎた。

 行き先は地方のデータセンターのサーバー入れ替え作業らしく、

出張中の連絡は最低限の業務報告のようなLINEが数通届いただけだ。

『無事に現地到着。これより作業に入ります』

『本日の作業終了。明日も早期稼働を目指します』

相変わらず無機質で簡潔な文章に、くすりと笑いながら

「了解」とスタンプを返したのが昨日の夜のこと。


 大学進学で上京してから、私の生活は常に「一人」だった。

自分のペースで起き、好きなタイミングで食事をし、部屋の灯りを消して寝る。

誰にも気を使わない一人暮らしの快適さは、私にとって何物にも代えがたい

ものだったはずだ。

 巧と同居を始めてから、まだ二年。

お互いの個室には立ち入らず、寝室も別。互いのパーソナルスペースを徹底的に

尊重する『安藤家誓約書』のおかげで、共同生活になっても「一人の自由」は

十分に保たれていると思っていた。

 だからこそ、巧のいないこの数日間は、元通りの気楽な独身生活に戻るだけの

はずだった。

しかし――。

 仕事から帰り、静まり返ったリビングの明かりを点ける。 静かだ。

一人暮らしをしていた頃は、この静寂こそが癒やしだったのに、今の私には

どうにも落ち着かない。

ふと視線をやると、いつもならリビングのデスクでノートPCを開いているはずの

巧の姿がない。

台所に行けば、二つ並んでいたマグカップが一つしか洗われていない。

夜、自室で文庫本を読んでいる時も、廊下の向こうから聞こえてくるはずの、

巧がキーボードを叩くかすかなタイピング音が聞こえない。

(不思議なものだな……)

 彼は私の部屋に入ってくることもなければ、

ベタベタと干渉してくることもない。

ただ、同じ屋根の下のどこかに「彼という存在」が静かに漂っているだけ。

それだけのことが、私にとっていつの間にか「安心感」という名の日常に

なっていたのだと気づかされる。

 一人で食べるコンビニの夕食は味気なく、

テレビの音量を少し大きめに設定しても、

胸の奥にぽっかりと開いた小さな隙間は埋まらなかった。



 三日目の夕方。

予定では、巧がそろそろ帰ってくる時間帯だ。

 私はリビングで書類に目を通しながらも、どこか意識を廊下に

集中させていた。

もし巧が見たら「茜らしくないね」と冷やかされるかもしれないが、

ソワソワとした落ち着かなさを隠せない。

カチャリ。

玄関の鍵が回る小さな金属音が聞こえた瞬間だった。

私は無意識のうちに立ち上がり、パタパタと足音を立てて廊下へ

走っていた。


「おかえり、巧!」


玄関のドアを開け、大きめのキャリーケースを引いて入ってきた巧は、

走ってきた私を見て少しだけ驚いたように目を見開き、それから破顔した。


「ただいま、茜。わざわざ出迎えてくれるなんて珍しいね」


「ううん。ちょうど仕事が一区切りついたところだったから」


取り繕うようにそう答えたものの、巧の顔を見た瞬間に、

胸の奥の重たい静寂がすーっと消えていくのが分かった。

巧は少し疲れた様子だったが、いつもの落ち着いた声で言った。


「出張先は外食ばかりで、少し胃が疲れたよ。

茜、もしよかったら、これからスーパーへ夕食の買い出しに行かない?

地元の新鮮な野菜を買って、軽いものを食べたいんだけど」



「いいね。私もちょうど、買い物に行こうと思ってたところ」


「じゃあ、荷物を置いて着替えてくるね。

今日の食材費も、いつも通り半分ずつで」


「もちろん」


巧が自分の部屋へ荷物を置きに行き、軽装に着替えて再びリビングに現れる。

二人で並んで玄関を出て、夕暮れ時の街へ歩き出す。


 横を歩く巧の存在感を確かめながら、私は密かに満足感を噛み締めていた。

ベタベタした恋愛感情や依存ではない。

けれど、この人と過ごす静かで合理的な日常が、私にとってなくてはならない

大切な居場所になっている。


「茜、今日は何か食べたいものはある?」


「うーん、お豆腐と、お野菜たっぷりの温かいお鍋かな」


「賛成。じゃあ、スーパーの豆腐コーナーから攻めよう」


淡々と会話を交わしながら歩く私たちの影が、

夕日の中にゆったりと伸びていく。


 やっぱり我が家は、二人でいるほうがずっと心地いい。



(番外編3・終わり)

一人暮らしに慣れていたはずの茜が、巧のいない部屋で

ふと感じる静けさと寂しさ。

お互いに干渉しないクールな二人だからこそ描ける、

静かな絆の形を、番外編「巧の出張と、一人残された茜の心境」

として追加しました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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