1-7 幸せそうにケーキを食べる公爵令嬢
公爵家第2位の立場にある彼にとって、社交界という場所は、あまりにも予定調和で退屈だった。
家には頻繁に客が訪れ、その中にはどこかの令嬢も必ず混じっている。
彼女たちは決まって彼の見た目や立場だけで評価を下し、『賢そう』『格好いい』『好みだ』と好き勝手に言葉を並べる。
そのどれもが表面的で、内側を見ようとする気配はない。そんなやり取りを何度も繰り返すうちに、カイゼルハルト・アイゼンベルクはこの状況にすっかりうんざりしていた。
一応、この茶会が初めての社交界という名のデビューだが、そうとは思えないほど落ち着いている。その立ち居振る舞いは同年代の子どもとは思えないほどだ。
同じ年頃の令息や令嬢たちが王子との交流を求めて楽しそうにはしゃぐ中、一人だけ静かに椅子へ腰掛け、足を軽く組みながら会場を眺めている。
父からうるさく言われている言葉がある。
その教えは、「常に周りの状況を見て、何が自分にとって最善かを判断しなさい」というものだった。 興奮すれば判断を誤り、言ってはいけないことまで口にしてしまう。
だからこそ、常に冷静であれ、と。
王子の近くには、令嬢や令息たちの輪ができている。
自分の家は公爵家の中でも第2位に位置し、父は宰相を務めている。この場で顔を売る必要はないし、無理に動くつもりもない。ただ、誰が来ているのか、どの家がどのように振る舞っているのか?そうした情報を得るために、静かに観察しているだけだった。
笑顔。
視線。
声色。
皆、それぞれに王子の気を引こうとしているのが分かったが、それだけではない。背後に控える母親たちもまた、忙しなく挨拶回りをしながら、いかに自分の子が優秀であるかをさりげなく示そうとしたり、王妃へ近づく機会をうかがったりと、それぞれに思惑を巡らせているのが見て取れた。
別に珍しい光景ではない。むしろ、屋敷に訪れる客たちもいつもこんな調子で、似たような光景を何度も見てきた。
だから、自然と視線は別の場所へ向いた。
「デザートを全部一つずつお願いします」
思わず耳を疑った。 給仕も、一瞬だけ目を丸くしている。
(全部‥‥‥?)
視線の先には、ある一人の公爵令嬢がいた。
どこの家の令嬢かまではよく分からないが、同じ公爵家の席にいることから、同格の家の令嬢であることは察せられた。
所作や衣装からして、ただの貴族ではない。育ちの良さと、厳しく躾けられてきたことが一目で伝わってくる。
給仕が一瞬だけ戸惑いながらも、注文に応じて皿を運び始めた。
一皿目には色とりどりの小さなケーキが並び、もう一皿には焼き菓子やタルトが美しく盛り付けられている。
二皿だけとはいえ、子ども一人が楽しむには十分すぎる量だった。
それでも令嬢は嬉しそうに目を輝かせていた。
「わぁ……!」思わず漏れたような声。
演技ではないように見える。
笑顔が本当に嬉しいそうだ。
最初の一口を運ぶ。ふわりと表情がほどけた。
そのまま夢中になって二口、三口‥‥‥
誰かに見せるためではなく、美味しいから食べる。
そんな当たり前のことを、あの令嬢だけは当たり前にしていた。
(‥‥‥ちょっと、変わっているな)
王子へ視線を向けることもない。
周囲の目を気にする様子もない。
あるのは、目の前のケーキを心から楽しむ姿だけだった。 社交界では見たことのない種類の令嬢だった。
気づけば、カイゼルハルトは給仕を呼び止めていた。
「あの子と同じケーキを持ってきてくれるかな?」
運ばれてきた皿を前に、カイゼルハルトはしばしそれを眺めた。
(そんなに美味しいなら……俺も食べてみるか!)
ふと、そんな気持ちが湧いた。
だが、並べられたケーキの量を見て、……これ、全部食べられるか?とわずかに眉をひそめた。
カイザーは三つ目のケーキを前に、小さく息をついた。
(……甘い)
美味しいが、甘いものは嫌いではないものの、さすがに全部は無理だな、腹が満たされてきた。
向かいでは、あの公爵令嬢が変わらぬ笑顔でケーキを味わっている。
一口ごとに目を細め、頬を緩ませ、もの凄く本当に幸せそうだ。
見ているだけで、その美味しさが伝わってくるようだった。だが、目の前のケーキを見て、カイザーはやはり無理だなと静かに判断した。
やがて、令嬢は最後の一口を食べ終えた。
「ごちそうさまでした」
小さく手を合わせる姿に、カイザーは思わず目を留めた。
(終わったのか?)
そう思った、その時だった。
「あの、すみません」
給仕が静かに近づく。
「あの‥‥‥もしよろしければ、残りの半分も注文してもいいでしょうか?」
公爵令嬢は少しだけ照れくさそうに笑った。
「あと‥‥‥もし食べきれなかったお菓子があったら、持って帰ることはできますか?」
給仕は一瞬だけ目を丸くした。
「持ち帰り、で、ございますか?」
「はい。とても美味しいので、捨ててしまうのはもったいなくて」
その言葉に、給仕はふっと表情を和らげた。
「もちろんでございます。箱をご用意いたします。」
「本当ですか!」
ぱっと花が咲くような笑顔だった。
ほどなくして、小ぶりな箱が運ばれてきた。
給仕が丁寧に焼き菓子を詰めていくたび、公爵令嬢は嬉しそうにその様子を見つめていた。
「ありがとうございます!」
箱を大事そうに胸へ抱える姿は、まるで宝物を手に入れた子どものようだった。
社交界では、誰もが格式を異常に気にする。見栄を張り、良く見られようと振る舞う。
だが、あの令嬢だけは違うようだ。
美味しいものを美味しいと喜び、食べ物を無駄にしたくないと素直に口にする。その姿には、少しも飾り気がない。
気づけば、カイザーは手を口元に持っていき、『‥‥‥フフフ』と声を出して笑っていた。
(‥‥‥面白い)
社交界で初めて、そう思える相手に出会ったのだった。




