追いかけて
「り、り、リリー、……ラング、レー」
リューンはその場で固まった。その言葉に、耳を疑った。全身が固まってしまい、そして時間までもがその場で止まった。
「命じ、る……わた、くしを、す、く、いたま、え、」
今度はサリーの声が、辿々しくはあるが、はっきりと聞こえた。ひと文字ひと文字が頭の中まで入り込んできて、そしてクリアにしていく。
「さ、サリー……そ、その名は……」
歌うたいが、再度近づいてくる。リューンはそれを、サリーを真っ直ぐに捉えていた視界のふちで見ていた。サリーの耳に、歌うたいが再度その唇を寄せる。そしてその時、リューンは間近で歌うたいを見、仮面越しにその瞳を見た。
憂いを含む、薄緑の瞳。
あれほどまでに愛した、それはそれは愛しい瞳だった。
「ムイ、」
リューンが、椅子を倒しながら、立ち上がった。よろ、と身体が揺れる。
「ムイ、ムイなのか」
手を伸ばす。すると、その手を逃れるように歌うたいは身を翻すと、歌を止め裸足のまま、部屋を走って出ていく。
「待ってくれっ」
未だに信じられない気持ちで追いかけようとすると、ガタンとサリーがその場で倒れた。
「サリー様っっ」
「どうしたんですかっ」
倒れて椅子から転げ落ちようとしているサリーを抱きとめると、リューンはサリーを抱き上げた。そして、廊下へと出てサリーの部屋へと運ぶと、ベッドにそっと寝かせる。
その場を離れようとすると、袖を引っ張られた。
「……リューン様、どうかここにいてください」
はっきりと。サリーは言葉を発して、そう言った。
「リューン様。お願いです。どうか、私の側にいてください」
サリーの懇願する瞳を覗き込む。その瞳は潤んでいて、美しい宝石のようだ。
けれど、リューンはくしゃりと顔を歪ませると、手をそっと離して言った。
「すまない、サリー。あの子を、ムイを追いかけないといけない」
部屋を出た。
廊下を駆ける。
廊下の突き当たりのドアを開けて、マニ湖を見渡せるバルコニーへと走る。
「ムイっ」
ドアを開けると、そこにムイはいなかった。
「……ど、どこだ」
バルコニーの手すりからマニ湖を見渡す。
「ムイっ、ムイっ‼︎」
後ろを振り返った。そして、ドアを力いっぱいに開け放った。
「嫌だ、もう離れたくないんだ……」
再度、廊下を駆ける。
「お願いだ、行かないでくれ、もうどこにも行かないでくれ」
(きっと、あそこだ)
リューンは息を切らしながら、バラ園を走った。
(お願いだ、もう俺を独りにしないでくれ……ムイ、お前しかいないんだ。俺にはお前しか)
そして、バラの匂いに包まれながらバラ園を抜けると、芝を踏む音と自分の息遣いを感じながら、ゆっくりと白いガゼボに歩いていった。