2.やさしいおうさま
塔の出入口で出迎えられたハイドラの表情は暗かった。
それを護衛を独りだけ連れて待っていたマリーが頭を下げながら迎えていた。
「おかえりなさいませ。……弟君とお話は出来ましたか?」
「あ? ああ。……もっとも、話したい聞きたいと事前に考えていた内容からは、相当にかけ離れた代物になってしまったが……」
そう改めて口にしてハァと小さく溜息をついて。
「どうされたのです? 溜息などついて」
「いや……。私はやっぱり駄目な男らしいと改めて思ってな……。あいつに散々に叱られた。罵られて、馬鹿にされて……。散々に言い負かされて。そこまで言われて、ようやく自分の駄目さ加減やら色々と足りてなかった部分やらが自覚出来るとは……。我ながら情けない」
努力も足りてなければ覚悟も不足している有様らしい。
やはり私は王に足る器ではないのかもしれないな……。
そう口にしかけたハイドラの言葉を遮るようにしてマリーの言葉が被せられていた。
「そんなことは、とうの昔に皆が承知しておりますわ」
「……そう、なのか?」
「ええ。随分と前から私だけでなく、皆も同じように感じておりましたから」
そう口にすると、ニッコリと笑ってとどめをさしにくる。
「だいたい、ハイドラ様は無駄に優しすぎるのです。自分を破滅に追い込もうと画策していたような毒婦にすら未だ情けをかけてみたり……。それでは貴族としても失格でしょうし、常に配下の者への寛容さが求めれる立場の王族と言っても、非情さがあまりにも欠けていると言わざる得ないのでしょう。おそらくは余りにも……。それこそ、誰に聞いても『甘い』だの『ぬるい』だのと断じられることは間違いないのではないかと……」
そう平然と伴侶と選んだ相手をこき下ろしながらも。
それでも、その表情からは苦笑が消えていなかった。
「やれやれ。言いたい放題に言ってくれる」
「事実ですから。……でも、それでも良いのではありませんか?」
「……そうなのか?」
「はい。冷たすぎる、非情すぎる、などと断じられるよりは遥かに好ましいのではないかと思います。それに多くの場合において、人とは他人の心や弱さといったものが理解出来ない人物を嫌うそうですから。……そういった冷たい御仁よりかは、余程好ましい人物像なのではないかと思うのですが……」
「甘くてもか?」
「甘くても、です。……無論、余りにも甘すぎたり、無駄に優しすぎたりと、それを欠点と捉える方が多いというのは紛れも無い事実ではあります。ですが、それもまた貴方の大事な個性の一つであり、得難い長所でもあるのだと考えてみれば、それほど悪い評価とも一概には言えないのではないのかと思うのです」
少なくとも、冷血と評されがちで些か覇気が強すぎる『かの御仁』よりかは民に恐れられないでしょうし、皆からも愛されやすく、受け入れられやすい人物像ではないかと思います、と。そう微笑み混じりに答えていた。
「……だが、怖くないということは、軽く見られがちという事にはならないのか?」
「そうですわね。もしかすると、国民や臣下に馬鹿にされたりするのかもしれません。うちの王様はホントに駄目だな~といった具合に……」
「……本当に、良いのか? そんな体たらくで」
「どうでしょう。……でも、変に怖がられたり恐れられたりするよりかは余程好ましいのではないでしょうか」
「そっちの方が民から愛されやすいから、と?」
「私は、そう思いますし、そう願ってもいます。……そちらの方が好ましいとも」
願っている、とは?
そう疑問をたたえた視線で問われたマリーは僅かに頬を赤く染めて答えていた。
「ただ、自分たちの上に支配者として君臨して、高みから一方的に命令してくるだけでない。自分たちといつも同じ目線で居てくれて、一緒に横を歩いて行ってくれる。それを感じさせてくれるような、愛すべき王に。……民に愛され、民を愛す。そんな心優しき王になって欲しいと。……そう、願っているのですわ」
その言葉に、思わずハイドラの頬も赤く染まっていた。
「貴方の秘める優しさは紛れも無い美点です。それについて邪魔になる汚点、弱点などと他人がとやかく言ってくるやもしれません。……ですが、そんなものは、すべて無視してください。貴方は決して、その優しさを失ってはならない……。それは、貴方が王になったときに、必ず求められる事になる資質の中でも、もっとも尊く、そして得難い物のはずなのだから」
そんな祈るようにして口にしてくるマリーに少しだけ戸惑いを浮かべた表情を返しながら。
「……その言葉、信じて良いのか?」
「ええ。是非、信じてやって下さい。……もし、信じて頂けたなら、貴方のその優しさと大らかさに。そして、純粋さと気高さに触れて、心の闇という名の迷宮から、ようやく脱する事が出来たような……。こんな不出来で愚かで卑屈で小心者な女ですが……。きっと、私が、万難を排して、貴方様を至高の座へと押し上げてみせます!」
そう宣言するようにして、何処か眩しいものを見上げているような視線を向けてきているような、そんな相手に苦笑混じりの微笑みを返しながら。
「そうか。……それなら、信じなければならないな」
──今度こそ。最後まで。決して裏切る事なく。
そう自戒の笑みの裏で言外に口にされていたのが分かったのだろう。
それまでどこか青白かったマリーの頬にようやく赤みが差したかと思うと、その顔にじわじわと笑みが広がってきていた。
「はい!」
かくして、寄り添う影達は一つとなり、共に同じ未来を目指して歩き始めるのだった。