心、切り替え
翌日。私は昼から仕事の面接を予定していた。
なのに、目を覚ますと昨夜の事を思い出して、自分でも理解出来ない感情が渦巻いていた。
昨夜はコウイチのギャンブル依存症を自分でも納得して、これからは気持ち新たに頑張ろうと意気込んでいた。だが一夜明けて冷静になると将来への不安が襲ってきたのだ。コウイチがまた同じ事を繰り返すようにしか思えない。嘘を付かれ、裏切られる虚無感をまた味わうのが怖いのだ。
雨だったため、私が朝からゆうとベビーカーで送った。暗鬱とした気持ちで帰っているとコウイチからのメールを受信した。
『ユナに迷惑ばかりかけて本当にごめんなさい。これからはもっと家事とか育児とかがんばります。今日は面接頑張ってください』
そんな内容だった。問題が起こる度に同じような事を言うコウイチにうんざりしていた。がんばると言われても、何度も破られて来た約束と同じに思えた。
『何だか今情緒不安定で何もやる気が起きない。面接もどうでも良い。頑張る意味がわからない。悪いけどしばらくほっといて』
コウイチもきっと落ち込んでいるだろうに、追い撃ちをかけるかもしれないと思いながらそう送った。
『全部俺のせいだね。本当にごめんなさい。しばらく俺のご飯の用意はしなくていいです』
このメールに、何かがプツンと切れた。
『しばらくっていつまで?そうしたら私が許すとでも?言っとくけど許せないから。いつも私が怒るとうじうじしやがってうざい!そうだよ、あんたのせいだよ。やってしまった事なんだから反省してるなら言葉じゃなくて行動で示せよ!気持ちを切り替えてよ!それも出来ない?』
怒りにまかせて返事をおくった。そのメールにまた落ち込むかと思いきや、
『出来る。これからはユナの信頼出来る夫になりたい。良い父親にも。最後のチャンスください』
コウイチは見事に切り替えて見せたのだった。
私も切り替えなくちゃいけないな。
そう自分に言い聞かせた。いつも私は自分の価値観で物事を図って、それをコウイチに押し付けていた。コウイチからすれば、義母と二人きりの生活で貧乏暮しが当たり前だった。だから高校生からアルバイトをして、自分のためだけに金を使う生活を送って来たのに、自分の稼ぎなのに嫁と子供に吸い取られ、我慢続きの日々が苦痛だったのだろう。私は欲しい物があれば言ってくれと言いながら、実際にそういう場面になると渋った事もある。色々と出費がかさむとはいえ、金の問題はコウイチだけのせいにしてきた私が、一番コウイチを追い詰めて来たのだとも思った。これからはコウイチの事を理解しよう。もし要望に応えられなくとも、パチンコなんかに依存しなくて良いように精神的にもっと支えてあげたい。自然とそんな気持ちになった。すると少し気持ちが落ち着いて、面接と将来にたいする不安が和らいだのだった。
インターネットでギャンブル依存症の家族を持つ人が集まる投稿掲示板を見つけた。それを読んで、コウイチと症状が同じだった事から、私がやってきたことがコウイチをダメ男にしていた事を知った。
世話焼き女房タイプだと自分で明かした女性の話によると、息抜きくらいと思い、旦那をパチンコ行かせていたら気付いたら百万以上の借金を作っていた。旦那にストレスを溜めて欲しく無かったから行かせていたのだそうだ。だが逆に、たまにパチンコを打つことで旦那のギャンブル依存を強めてしまっていたとの事だ。
まるで私の話じゃないか
ギャンブル依存症の人は平気で嘘を付き、また、自分に自信が無い事が多いと言う。
コウイチは高校を中退している。部活動もしていなかったため、きっと何かを一生懸命にやった事がない。達成感を感じた事がないのだ。車の免許も、自動車学校に通いはしたが仮免許までしか取らずに放置したらしい。部活動に限らず、努力をしてその成果を得たときの達成感は、自信に繋がる。自分はこんなに頑張った、やれば出来るんだ、と。何もかも中途半端で終わってきたコウイチの人生に、そんな達成感を得られる機会があったとは思えなかった。また、コウイチは「俺はできるのにあいつは出来ない」と、いちいち他人と比べたがる。他人をおとしめる発言をして安心している節がある。それも自信のない現れなのかもしれないと思い始めた。
自信が無いと、人生は途端に暗くなる。私自信そんな時期があった。自分の存在の意味を考えて、『私はこの世に必要の無い人間だ』と思った。うつ病の一歩手前だったのではないかと思う程に酷く落ち込んだものだ。コウイチも私に打ち明けられないだけで同じように暗い闇を抱えているのかもしれない。もしそうなら取り除いてやりたい。
私に出来る事は……考えた末、仕事から帰って来たコウイチに話を切り出した。
「お願いがあるんだけど」
「待って。先に話がある」
なんだ?もしやまた金の問題か、と身構えた。
「もっと家事と育児をする。休みの日にはゆうとの送り迎えするし、ご飯も作る。洗濯もする」
私は少し驚いて、
「でも…」
やはり申し訳ないと断ろうとしたら
「しなくて良いって言わないで。俺がやりたくてやるんだから」
と、私に真剣な眼差しを向けて言い切った。
「わかった、ありがとう」
コウイチの言った事が本当に実現するのかあやしいものだが、コウイチなりにこれから生まれ変わるつもりなのだと思い、私はその申し出を受ける事にした。
そして私も、自分の願いを聴き入れてもらおうと口を開いた。
「ねぇ、私の親の金、七万以上も使ったんだから、私の言う事なんでも聞いてくれるよね?」
「……うん」
夕飯を食べていたコウイチだが、罰が悪そうな顔をして頷いた。
「じゃ勉強して資格取って!」
「分かった。でも何の?」
「調理師。役に立つとは限らないけど、今年の試験で取って。取れなかったら離婚ね!」
「が、頑張る!」
よしよし、しばらくはこのネタで私の言いなりだぞ。と心の中でガッツポーズを取った。
一日30分、勉強をしてもらうことにした。短いようだが、コウイチは集中力がないのでこのくらいで十分。早速買ってきた問題集とテキストをあてがって勉強をはじめたのだった。
あと、壁に家事分担表を書いた紙を貼った。その下の空欄に
『ギャンブルは勝てないように出来ている』
『行ったら家庭崩壊』
『それで良いのかお前の人生』
『目指せ、真人間!』
など思い付く限り、コウイチが二度とパチンコに行こうと思わないようにキャッチフレーズのような文句をでかでかと書き足した。コウイチは笑ったが私は本気だ。更にカレンダーに、パチンコに行かなかった日は丸を書く事にした。
効果があるかは解らないが私に出来る事は全部試そうと思った。
私はというと、面接を受けた病院は不採用となったので、また職安に通い始めていた。やはり社員で働くには、それなりに経験が必要だと痛感した。資格を取ったばかりで実務経験皆無の私を受け入れる病院は見付からないだろう。そこで次は自宅の最寄のバス停から10分程で通える医院の面接を受ける事にした。
三月の上旬に、コウイチが準社員の研修を受けるため本社近くの研修施設へ向かった。コウイチは二つの宿題――競合店レポートと、自分が店長になった時やりたいことをまとめたレポート――に真剣に取り組んでいた。文章の手直しは私が指導したが、コウイチは倉庫に埋もれている店の過去記録を掘り起こしてきたようだ。かなり詳細まで調べて、それに自分が考えたアイデアを加えたレポートを完成させた。
また、コウイチも面接を予定していた。正社員になるための面接で、店に重役が来る事になっている。事前に提出を求められていた履歴書も用意し、研修に向かったのだった。
店長が
「社長がお前の事をよく見とくって言ってたぞ」
とコウイチに話したらしく、コウイチ自身やる気が増したのだろう、
「懇親会があったら帰りが遅くなるから」
懇親会なんて場は一番嫌うのに、頑張って来る!と意気込んで出発していった。
地元に移住出来ないのは残念だったが、コウイチにとって一番良いと思える環境で仕事を続けられるならそれに越した事はない。
あとは私の仕事だけだ。次の面接で決めるぞ!!張り切って、就職活動を始めてから何度目かの履歴書にペンを走らせたのだった。




