第一章 黄昏の骨董屋 ①
俺は、ただぽつんと立ち止まっていた。行き交う人々は誰も俺に関心など向けることなく、通り過ぎてゆく。
辺りを見回すが、異国の地では土地勘などあるはずもない。
スマートフォンを弄ってみても、画面は真っ暗なまま。充電切れだ。
さて困った、どうしよう。
歩ける距離ならば歩いてしまえと、後先考えず動き出してしまったのが運の尽きだ。右も左も似たような建物ばかりで、どちらへ行けば大通りに出るのかも分からなかった。
「君、迷子かい?」
救世主がいるとしたら、きっとこんな声だろう。上品で落ち着きのある、柔らかな優しい声だった。
聞こえて来た異国の言葉が自分に向けられたものだと確信して、振り返る。
そこには、素人目にも仕立てが良いと分かるブルーのスーツに身を包んだ青年が立っていた。身長は俺よりも頭一つ分は高い。金色の癖のある髪がふわりと風に揺れ、透き通った緑色の瞳はじっとこちらを見つめてくる。形の良い眉が、少しだけハの字に下がっていた。
「……言葉は分かる?」
俺がすぐに反応しなかったので、鼻筋の通った青年は困ったように首を傾げた。
「あ、は、はい、分かります。俺、迷子になっちゃって」
「やっぱり。ずっと立ち止まったままキョロキョロしていたから、そうだろうなと思った」
くすりと笑うと、やや吊り気味の眦が、優しく垂れる。
その様子に、俺は思わず見惚れてしまった。
外国人はイケメンばかりだと言うが、彼は別格だ。華奢なわけでも、優しい面立ちをしているわけでもないけれど、雰囲気がとても柔らかい。甘く、色気がある。西洋人の魅力を詰め込んだような人だ。
「それで、どこへ行きたいの? 案内するよ」
「え? いや、でも……」
「いいから、いいから。ああ、初対面だし、信用できないかな」
男は思いついたように胸元を探り、四角い革製の入れ物から紙を一枚取り出した。
俺はそれを受け取り、確認する。
「僕はエドワード・グレンアーモンド。ピカデリーに小さなアンティークの店を持っているんだ」
名刺には店名と思われるアルファベットの文字と、彼の名前が記載されていた。俺は店の名前をなぞる。
「ルーメン・クレペルム?」
「驚いた、君はラテン語が分かるのかい?」
「いえ、その、そのまま読んだだけです。ラテン語なんですか?」
「うん。明け方や夕暮れの光を表す言葉だよ。綺麗な名前だろ?」
様になっているウインクに、俺は紫の空に差すオレンジ色の光を思い浮かべる。たしかに、綺麗な名前だ。
「それで、君は? 日本人、だよね?」
「はい。俺はユウタ……斎藤悠大って言います。どうして日本人だって分かったんですか?」
背がそれほど高くなく黒髪で黒い瞳、どこからどう見てもアジア人の俺は、いつも中国人に間違われていたのである。
俺が不思議に思っていると、彼はにこりと微笑んだ。そして、慣れ親しんだ響きが耳に届く。
「日本人は分かりやすいよ。それに、君はローマ字読みをしたんだろう? なら、ラテン語が読めるのも納得さ」
流暢な日本語には、外国人に特徴的な癖が無かった。目を瞑れば、日本人が話していると思ってしまうだろう。
「日本語、話せるんですね」
「うん。日本人の友人がいるし、三年ほど住んでいたこともあるんだ」
日本人の友人がいて三年住んでいただけでは、ここまで流暢にはならないだろう。
そう思ったが、俺は突っ込まないことにした。会ったばかりの俺が踏み込むような話でもない。
「で、どこに行きたかったんだい?」
「ウェストミンスターに。セントポール大聖堂から歩いてきたんですけど、寄り道をしていたら迷っちゃって……。携帯もこの通りだし」
俺が肩を落としながらスマートフォンを見せると、エドワードは納得したように笑った。
「はは、川沿いを歩けば困らないだろうに。何が君をそんなに夢中にさせたんだか」
「ははは、何でしょうね……」
特にこれというものがあったわけではない。ただ川沿いを歩くだけでは少し寂しいから、せっかくなら町中を見て回ろうと思ったのだ。それで、店のショーウィンドウに気を取られていたら、すっかり迷ったというわけである。
エドワードが車で送ってくれるというので、俺は厚意に甘えることにした。もし他の人に同じ提案をされていても、断っていただろう。
完全に信用してはいないけれど、どうにも悪い人には見えない。俺は、こういう勘は外さないのだ。




