第97話 おはようございます、来世! 今世も推しを探して三千里
最初に私の鼓膜を叩いたのは、無機質な電子音だった。
ピピピ、ピピピ、と。
妙に甲高く、しかし規則正しいそのアラーム音が、私の深くあたたかい眠りの底を容赦なくつつく。
「……ん……」
私は、重たいまぶたをゆっくりと開けた。
真っ白い天井。
見知らぬ丸い蛍光灯の照明。
やわらかな化学繊維の掛け布団。
そして、耳元で鳴り続ける、四角くて薄い発光する機械。
「…………」
私は数秒、その白い天井を見つめたまま、完全に思考が停止して固まった。
(……あら?)
ここは。
私が天寿を全うしたはずの、あの広大で豊かなフェルド辺境伯爵邸の寝室ではない。
当然、王都の豪華な別邸でもないし、家族で通った温泉地の離れでもない。
ましてや、物理で更地にした魔王城の跡地などでは断じてない。
そもそも、何ですのこの狭い部屋は。
四角い。
白い。
無駄がなく機能的。
そして、とても――。
「ものすごく、現代日本っぽいですわね……?」
自分の口から寝起きに出た乾いた言葉に、私はピタリと止まった。
現代日本。
そう。
私の前世(フェルド伯爵夫人ルシア)より、さらに前の前世。
私が毎日深夜まで残業し、過労死した社畜OLをしていた、あの記憶の彼方の世界。
満員電車、Excelの関数、終わらない会議、サビ残、コンビニおにぎり、ソシャゲの天井課金、そして深夜の限界推し活。
そういった混沌としたものが渦巻く、あのコンクリートジャングルの文明社会。
私は勢いよく、ガバッ! とベッドから上半身を起こした。
「ッ」
急に起きたせいで、少しだけ頭がクラリとする。
でも、それ以上に、私の脳内に『二つの人生の記憶』が、雪崩みたいに一気に流れ込んできた。
魔法のある異世界。
理不尽な婚約破棄。
最推しであるクライス様。
幸せだった側仕え生活。
奇跡の結婚。
領地改革。
可愛い子どもたち。
神聖教国へのカチコミ。
魔王のワンパン討伐。
白髪になるまで共に過ごした老後。
散歩をした中庭。
そして、最後に最愛の夫と交わした、あの重い約束。
『何度生まれ変わっても、俺がお前を見つける』
『何度生まれ変わっても、私はあなたを推し(愛し)続けますわ』
そこまで完璧に思い出した瞬間、私は両手で顔を覆ってベッドの上でもだえた。
「……ッ、ああもう……!」
だめですわね。
朝一番から、前世の尊い記憶のフラッシュバックで感情の処理が忙しすぎますわね。
私は、生きた。
異世界での前世を、推しと共に最高に幸せに生き切った。
クライス様と手を取り合って歳を重ね、子どもたちの成長を見守り、穏やかな老後まで完璧に過ごして、彼に看取られて、それから――。
なぜか記憶を丸ごと引き継いだまま、この『来世(現代日本)』へ、また赤ん坊から転生してしまったらしい。
「つまり」
私はゆっくりと、現状を把握するために部屋を見回した。
簡素なベッド。
ニトリのカーテン。
カラーボックスの棚。
パソコンの乗った机。
そして、壁にかかったカレンダー。
西暦202X年。
完全に、間違いなく現代日本である。
「……来てしまいましたのね」
私は小さく、オタクの溜め息をついて呟いた。
「来世(三周目)へ」
その瞬間。
私の胸の奥で、別の熱い感情(オタクの業)が、業火のように一気に燃え上がった。
――ということは。
「私の最推し(クライス様)も、絶対にこの世界のどこかに転生していらっしゃるはず……!」
私は、ガバッ! とベッドから降りた。
その拍子に、足元に置かれていた姿見の鏡が目に入る。
そこへ映っていたのは、黒のパジャマを着た、少女だった。
黒髪。
黒目。
少し華奢な体つき。
だが、顔立ちそのものは、前世の『悪役令嬢ルシア』と少し似ている気がする。
いや、正確には。
“私がルシアだと分かる程度に”絶妙に面影がある、と言うべきか。
「……」
鏡の中の自分へ向かって、私は両手でパァン! と頬を叩き、真顔で力強く告げた。
「今世も、絶対に最愛の推し(夫)を探し出しますわよ!」
◇ ◇ ◇
それから数年。
私は、現代日本で無事にすくすくと成長した。
……いや、「無事に」と言っていいのかは少し怪しい。
なぜなら、中身の精神年齢が完全に二周目どころか『三周目のチート人生』だったからである。
幼少期から、私の言動は周囲の大人たちに少々気味悪がられ、驚かれた。
「この子、妙に落ち着いているわね」
「というか、大人の空気を読みすぎる。接待ゴルフでもできそう」
「料理や掃除のお手伝いの手際が、プロのメイド並みにうますぎる」
「何で小学生なのに、1円単位で完璧な家計簿がつけられるの?」
「何で小学三年生で、パソコンの表計算ソフト(Excel)のマクロを組んでるの!?」
――ええ。
仕方がございませんわね。
前世では数百万の民を抱える広大な辺境領地の経営陣をしておりましたし、その前は現代日本で死ぬほど働かされた社畜OLでしたもの。
家計簿も、事務処理の効率化も、スケジュール管理も、在庫の最適化も、役員会議の資料づくりも、だいたい魂と身体に染みついている。
その上。
「お母さん、このスーパーは火曜より木曜の方が卵とひき肉の特売率が30%高いですわ。統計データが出ておりますの」
「……ルシア、あんたその主婦の知恵、どこで覚えたの?」
「長年の経験ですわ」
「何の!?」
などという会話を幼少期から繰り返していたせいで、私は家族から若干「妙にしっかりしすぎた、人生二周目みたいな子」として扱われるようになった。
まあ、それはよろしい。
有能であることに越したことはない。
問題は、そこではない。
私の三周目の人生における、最大の問題は。
「クライス様、一体この日本のどこにいらっしゃるのですの……」
である。
私は成長しながら、学生時代もずっと、血眼になって推しを探していた。
すれ違う黒髪の男子を見たら「オーラが足りない」から違う。
金髪染めのチャラ男は「作画崩壊」だから論外。
無駄に軽薄なタイプは「解釈違い」で即除外。
優しそうでも、目の奥にあの『氷のような冷たい静けさ(殺意)』がなければ絶対に違う。
ただ顔が良いだけでもだめ。
顔が国宝級に良くて、静かで、近寄りがたくて、でも根が不器用に優しくて家族思いな、あの『唯一無二のスパダリの気配』でなければ。
結果。
中学時代。
「ルシアちゃんって、どうしてそんなに同級生の男子へ全く興味がないの?」
と聞かれ。
高校時代。
「いくらなんでも、男への理想高すぎない? 二次元しか愛せないの?」
と友人に呆れられ。
大学時代。
「いや、ルシアの言ってるその条件の男、もうそれ創作の二次元キャラでしょ」
と笑われた。
「違いますわ」
私はそのたび、一切のブレない真顔で答えた。
「私の理想の男性(推し)は、絶対にこの世界に実在いたします」
「どこに?」
「それを今、私の人生を懸けて全力で探しておりますの」
「……愛が重っ」
ええ。
存じておりますわよ。自分でも引くほど愛が重い自覚はあります。
でも、仕方がない。
だって、私は魂で知っているのだ。
クライス様という、最高に尊い推しが、確かに私の隣にいたことを。
私を抱きしめた、あのあたたかい温度を。
私だけを見つめる、あの蒼い目を。
私の名前を呼ぶ、あの低い甘い声を。
何度生まれ変わっても見つけると、あの人は言った。
だったら、私が探さない理由など、この世のどこにもない。
◇ ◇ ◇
そして、私は無事に社会人(平凡なOL)になった。
ここからが、私の本領発揮だった。
現代日本の企業社会など、前世の領地経営(魔境)と前前世の社畜経験を足せば、だいたい無双してどうにかなるのである。
膨大なメール整理。
役員会議の根回しと調整。
完璧なプレゼン資料作成。
1円のズレもない経費精算。
分刻みのスケジュール管理。
部門間のドロドロした軋轢の調整。
クレームやトラブル時の迅速な火消し(物理ではない)。
「……」
「……」
「何ですの、その引きつったお顔は」
配属初日、私の教育担当の先輩社員が、私のパソコン画面を見て完全に固まっていた。
「いや」
「はい」
「何で、今日入ったばかりの新人なのに、この複雑な会議の議事録が、こんなに一言一句完璧なの?」
「全部聞き取れたので」
「聞き取れたので、のレベルじゃないよね!? 役員の意図まで要約されてるんだけど!?」
「そうでしょうか。普通ですわ」
「あと、何で初日から、こんな見たことない高度なExcelの関数とマクロを一瞬で組めるの!?」
「今後の業務に必要そうでしたので」
「必要そうでしたので、の澄ました顔じゃない!!」
「まあ」
気づけば、私は社内で『ちょっとどうかしてるレベルで有能な事務職(スーパーOL)』として認識されていた。
ええ。
前世のスキルが役に立って、大変ありがたいことですわね。
でも。
「違うのですわ……」
昼休み、私はオフィスのデスクで一人、コンビニのサラダとツナマヨおにぎりを前に、小さくオタクの溜め息をついて呟く。
「私が本当に欲しいのは、こんな社内評価ではありませんの」
「……?」
隣席の同僚が、私の呟きにキョトンとする。
「何? 今月のMVP取ったのに不満なの?」
「いえ」
私はニッコリと営業スマイルで笑った。
「こちらの個人的な独り言ですわ」
違うのだ。
有能評価による昇給など、生きていくためのただの通過点。
私が探しているのは、職場でのキャリア的な成功ではない。
『推し』である。
正確には。
今世へ転生しているはずの、私の最愛の夫、クライス様である。
そのため私は、日々の完璧な仕事の傍ら、決して諦めることなく地道な情報収集(推し探索)を続けていた。
日経などの経済誌。
若手カリスマ経営者特集。
急成長の企業ランキング。
IT・ベンチャー業界の動向。
大型買収案件の記事。
スタートアップ界隈の受賞ニュース。
「何でルシアちゃんって、アイドルじゃなくて、そんなに小難しい経営者の顔写真付きの記事ばっか読んでるの?」
同僚に不思議そうに聞かれた私は、真顔で答えた。
「研究と勉強です」
「熱心だねえ。起業でもするの?」
「ええ」
私は静かに、瞳に炎を宿して頷く。
「私の全人生を賭けた、絶対に負けられない大事業ですわ」
……まあ、嘘ではありませんわね。
◇ ◇ ◇
そんなある日の、深夜のことだった。
サビ残なしで自分の仕事を完璧に定時(+少しの残業)で終え、くたくたになりながら自宅の狭いワンルームへ戻った私は、いつものように日課である『転職サイト』を眺めていた。
理由は単純。
今の職場も、人間関係は悪くはない。
でも、“推し探索”の効率と確率を考えると、もう少し上のレイヤー(階層)へ行きたかったのだ。
経営層に近い場所。
企業の意思決定の場。
トップのすぐ傍。
つまり。
「やはり、秘書職が最適ですわよね……」
私はノートパソコンのブルーライトを浴びながら、真剣な顔で呟いた。
前世で私は、最愛の推しの『側仕え』からすべてを始めた。
今世でも、やはり『推しの特等席』を最初から狙うべきだろう。
そう考えると、現代日本における側仕えの最適解は、かなり明白だった。
――社長の専属秘書。
推しのすぐ傍で働ける。
日常の実務を支えられる。
スケジュールを完全に把握(管理)できる。
好みの空調も、飲み物の温度も、執務環境もすべて私好みに最適化できる。
しかも、ストーカーではなく合法。
何ですのこの、オタクにとって都合の良すぎる神ポジションは。
現代日本、職業の多様性という面でだいぶやりますわね?
私はグッと、パソコンの前で拳を握った。
「今世も、絶対に実力で『側仕え(秘書)』の座を勝ち取りますわよ……!」
その時だった。
画面をスクロールしていたマウスの指が、ピタリと止まる。
一つの、異様に目を引く求人票が、目に飛び込んできた。
『クライス・ホールディングス株式会社』
『社長専属秘書 急募』
『急成長中の、気鋭のグローバルIT企業』
『若きカリスマCEOを支える、完璧な右腕候補を求む』
「…………」
私は、完全にフリーズして固まった。
今、何と。
クライス・ホールディングス?
「…………は?」
いや、待ってくださいまし。
偶然?
ただの文字の偶然ですの?
現代日本で、“クライス”?
私は、震える指でマウスをクリックし、その企業のコーポレートサイトを開いた。
洗練された、無駄のない美しいWEBデザイン。
黒と銀を基調とした、どこか見覚えのある冷たいカラーリング。
直感的に分かりやすい完璧なUI。
そして、代表者メッセージの欄。
『代表取締役CEO 九条 柊介』
名前は違う。
前世の名前とは違うのだけれど。
そこに掲載されていた、腕を組んでこちらを見据える『CEOの横顔写真』を見た瞬間。
私は、ガタッ! と音を立てて椅子から立ち上がっていた。
「ッ……!!」
銀髪ではない。
黒髪だ。
現代日本人らしい、綺麗に整えられた艶やかな黒髪。
けれど、その鋭い目が。
完璧な輪郭が。
氷のように冷たい表情が。
何より、“冷たく整いすぎていて近寄りがたい威圧感があるのに、どうしようもなくオタクの目を奪うあの絶対的なオーラ”が、前世の私の夫と、寸分違わなかった。
「クライス、様……?」
私は、震える声で、画面の中のその横顔に向かって、愛しい名を呼んだ。
もちろん、液晶画面の向こうから返事があるわけもない。
でも、魂が理解して分かった。
ええ。
分かってしまいましたわ。
いらっしゃった。
本当に。
今世にも、絶対にこの日本のどこかに、いらっしゃったのだ。
「……ふ、ふふっ」
気づけば、私の口から歓喜の笑いが漏れていた。
だって、無理でしょう。
こんなの。
探して、探して、探し続けて、何年もかけて、やっとついに辿り着いたのだ。
しかも、ご丁寧に『社長秘書の求人』まで出している。
何ですのそれは。
今世の運命、私に都合よく仕事ができすぎではありませんこと?
私は1秒の迷いもなく、すぐに『応募する』のボタンへカーソルを合わせた。
心臓がうるさいほど鳴っている。
マウスを握る指先が、会えた嬉しさで震える。
でも、不思議と迷いや不安は1ミリもなかった。
だって、これは偶然ではない。
きっと、何度生まれ変わっても、また見つけると誓い合った、あの縁側での約束の続きなのだから。
「待っていてくださいまし」
私は、画面の中の端正で冷酷な横顔へ向かって、極上の笑みで小さく呟いた。
「今世も」
「……」
「あなたの隣の特等席は、誰にも譲りません。私が実力でいただきますわ」
カチッ、とクリック音が響き、送信完了の表示が出る。
その瞬間、私は深く熱い息を吐き、それから、静かに限界オタクの笑みを浮かべた。
おはようございます、来世。
平凡なOLの顔をして社会に溶け込んでいても、私の中身は相変わらず、推しへの愛が重すぎる『限界オタク妻』である。
そして今世もまた。
私の人生を懸けた、最高に尊い推し活が、ここから本格的に始まるのだ。




