第57話 隣国皇太子の絶望。ルシアの広域魔法で軍隊が1分で白旗
グランゼル皇国軍の巨大な将旗が、無惨な音を立てて地へ落ちた。
バサリ、と。
国境の風に煽られた血塗れのような赤い布が、灰岩平原の乾いた土を叩く。
その瞬間、圧倒的優位を信じて疑わなかった隣国軍の空気が、決定的に『絶望』へと変わった。
盾を並べていたはずの最前列は、クライス様の神速の剣によって紙屑のように崩れ去り。
左翼は、私の放った見えない『重圧壁』と『地脈脈動』で馬ごと押し潰されて一人もまともに立てず。
中央の本隊は、たった一人の氷の騎士によってモーゼの海のように縦に真っ二つに裂かれ。
精鋭であるはずの騎兵隊は、完全に隊列を潰されて同士討ちのパニックに陥り。
さらに彼らの上空には、私が浮かべた街一つを消し飛ばせるサイズの巨大な『魔力輪』が、不吉な光を帯びて幾重にも重なって、今にも落ちてきそうな死の圧を放っている。
つまり。
軍事の常識で言えば、普通ならとっくに『全軍撤退(敗走)』の判断を下すべき、完全に詰んだ状況である。
だが、ここで普通に損切りして引ける知能があるなら、そもそもこんな雑で傲慢な侵攻はしてこない。
「何をしている!! 怯むな!!」
本陣の安全な場所にいる敵指揮官が、恐怖で声を裏返らせながら狂ったように怒鳴った。
「立て直せ! たかが二人だぞ!? 包囲しろ! 数の暴力で押し潰せ!!」
「む、無理です!!」
「左翼の部隊が重力魔法で全滅しました! 誰も動けません!」
「騎兵隊の馬が狂って同士討ちを!」
「中央がもう……あの銀髪の騎士一人に、数百人が突破されて……ヒィッ!?」
前線から悲鳴のような報告が飛ぶ。
指揮官の怒号は虚しく風に消える。
兵がそれを聞いても、“命令を実行できるかどうか”の時点で完全に物理的に詰んでいるのだ。
クライス様は、地に落ちた敵将旗の残骸を無造作に踏み越え、そのまま中央突破をさらに深めていく。
一太刀振るうごとに、敵の分厚い前線が弾け飛んで崩れる。
斬る。打つ。払う。崩す。
あえて殺しすぎず、しかし絶対に立て直しの余地も与えない、手足の腱と武器だけを的確に奪う精密な剣撃。
まるで、巨大な軍隊という『一つの巨大な構造物』を、端から綺麗に解体していくみたいな、神業の剣だ。
(ああ、本当に……推しの無双スチル、作画が良すぎますわ……)
格好いい。
とても格好いい。あまりにも格好いい。
この血生臭い修羅場の最中だというのに、胸の奥で限界オタクの私が、盛大に推し色のペンライトを振り回して拝んでいるのが分かる。
だが、今はオタクとして見惚れている場合ではない。
私は空へ浮かぶ巨大な魔力輪を見上げ、冷たく静かに息を吸った。
ここから先は、ただ物理的に“勝つ”では全く足りない。
“二度とこの領地へ来る気を失わせる(トラウマを植え付ける)”必要がある。
大軍の数で押せば、田舎の辺境領くらい簡単に踏み潰せる。
そう思わせたまま、甘い顔をして帰してはいけない。
いや、生きて帰すとしても、“二度とウチの推しへ刃を向けたくない、思い出すだけで夜も眠れない”と魂の髄まで分からせなければ、防衛戦の意味がない。
「でしたら」
私は両手を、指揮者のように高く空へ掲げた。
風が巻く。平原の草が伏せる。
大気が、私の規格外の魔力に耐えきれず、ピンッ、と悲鳴を上げて張り詰める。
パニックに陥っていた二千の敵軍の視線が、一斉に、恐怖に引きつった顔でこちらへ集まった。
「な、何をする気だあの女……」
「魔法だ! またとんでもない大魔法が来るぞ!」
「上を見ろ!! 空が……!!」
ええ、見なさい。
絶望の底から、よくご覧なさいまし。
これが。
愛する推しの領地と、私たちの尊い日常を理不尽に荒らしに来た愚か者どもへ向ける、最初で最後の『最終警告』ですわ。
「《星墜威圧陣》」
空が、ゴォォォォ……ッ! と割れるように鳴った。
何もないはずの蒼穹の遥か高みに、巨大な魔力の光の裂け目が十字に生じる。
そこから現れるのは、物理的な質量を持つ本物の隕石ではない。
だが、見た者が本能で「あれが落ちたら自分たちは消滅する」と理解するには十分すぎる、灼熱の熱を帯びた“落ちれば終わる超質量”の幻影だ。
赤熱した巨大な光の塊が、一つ、二つと。
敵軍の頭上の空一面を覆い尽くすように、ポッカリと浮かび上がる。
「「「ッ!?」」」
敵軍の誰もが、武器を落とし、空を見上げたまま絶望に凍りつく。
巨大。圧倒的。不吉。
そして、どう見ても“今すぐこの軍隊を、地形ごとまとめて塵に消し飛ばせるもの”。
威嚇だ。ただのハッタリの威圧魔法だ。
だが、辺境の田舎領地を舐め腐っていた大軍の心を叩き折る『トラウマの威嚇』としては、過剰なくらい分かりやすく、完璧な絶望の光景だ。
「嘘、だろ……」
「メ、メテオ……神話の魔法じゃないのか……?」
「いや、あんなバカげた数……」
「しかもあんな小娘が、詠唱もなしで、たった一人でどうして……」
敵兵の声が、恐怖でガチガチと震える。
当然だ。
王宮の筆頭宮廷魔術師ですら、一つ生み出すだけで領地一つ分の魔力と数十人の詠唱を吸うような、戦略級の魔法の規模。
それを私は、一人で空いっぱいに涼しい顔で並べてみせたのだから。
もっとも。
本当にこれを落として、二千人を皆殺しにする気はない。
ここで殲滅してしまえば、死体の後処理や呪いの浄化がサビ残レベルで面倒だし、何より、こちらはあくまで『正当防衛側』だ。
必要以上の無駄な殺戮(悪役ムーブ)は、私の推し活の趣味ではない。
だが。
“その気になれば、いつでも一瞬で皆殺しにできる(落とせる)”と、骨の髄まで理解させる必要はある。
私は冷酷な笑みを浮かべ、高く掲げた指先を、ゆっくりと下へ向けた。
その瞬間。
空を覆う巨大な光塊が、一斉に、ほんの少しだけ地表へ向かって高度を下げる。
ジリッ、と肌を焼くような幻の熱波が大軍を襲う。
「――ヒッ」
誰かが、死の恐怖で情けない悲鳴を漏らした。
一人ではない。
十人、百人。
逃げ場のない恐怖は、あっという間に波のように二千の軍勢全体へ広がっていく。
クライス様が、敵陣のど真ん中でピタリと動きを止めた。
いや、止めたのではない。
私の広域魔法が完成して敵の心が折れる『最大の絶望の瞬間』へ、キッチリとタイミングを合わせてくれたのだ。
パニックに陥った敵の真ん中。
返り血一つ浴びず、一人だけ凛と立っている、絶対零度の氷の騎士。
その上空には、今にも軍ごと地形を叩き潰せる“灼熱の星”の群れ。
そして後方には、それを指先一つで操る、底知れぬ魔力を持った伯爵夫人。
――ええ。
どう見ても、あなた方が勝てる絵面(ステータス差)ではございませんわよね?
「今ですわ、クライス様!」
私が澄んだ声を張ると、クライス様は振り返らず、ただ低く絶対者の声で言った。
「ああ」
その短い声と同時に、彼から放たれる『死の剣気』が一気に膨れ上がって広がった。
ギシッ……、と。
空気そのものが重圧で軋むような、凄まじい威圧感。
剣をスッと下段に構えただけなのに、周囲を取り囲んでいた数百の兵たちが、本能の恐怖に耐えきれず、一斉に数歩後ずさる。
いや、死の恐怖で強制的に下がらせられたのだ。
「聞け」
クライス様の声は、平原全体へ、魔王のように凍るように響いた。
「ここが、愚かなお前たちの『死地(墓場)』になる」
「……ッ」
「だが」
彼は白銀の剣を、わずかに持ち上げる。
「今、武器を捨てて地面に這いつくばり、降伏するなら」
「……」
「命までは取らん。俺の妻の慈悲に感謝しろ」
その死の宣告は、ひどく静かだった。
だが、その静けさが、逆に圧倒的な現実味を持って兵たちの心臓へ深く刺さる。
空には、伯爵夫人が今にも落とそうとしている広域殲滅魔法。
地上には、たった一人で二千の戦列を無傷で切り裂いたバケモノのような氷の騎士。
そして、その絶望の両方が今、1ミクロンの容赦もなく“降伏しろ。さもなくば死ね”と迫っている。
敵の指揮官が、絶望の淵でなおも、強がって声を張り上げようとした。
「き、脅されるな!! たかが二人だぞ!! 囲んで殺せェ――」
その瞬間。
クライス様の姿が、陽炎のようにブレて消えた。
次の瞬間には、分厚い盾兵の壁をすり抜け、敵指揮官の馬の横に立ち、その喉元へ冷たい切っ先がピタリと突きつけられていた。
「ヒッ」
「次に“たかが”と言ってみろ」
クライス様の声は、死神のように恐ろしいほど冷たかった。
「その首ごと、致命的な認識の甘さを改めさせてやる」
敵指揮官の顔から、完全に血の気が失せ、カチンと武器を取り落とした。
ああ。
完全に、終わりましたわね。
もう、誰が見てもゲームセット(終わり)だ。
大将格は、抵抗すらできずに喉元に剣。
空には、今にも落ちてきそうな“死の星”。
兵は隊列を失い、精鋭の騎兵も潰れ、左翼は重力で身動きすら取れない。
ここからまだ戦おうとするのは、勇敢ではなく、現実の見えていない愚か者だけである。
そして、愚か者も、数が多いと厄介なのだけれど。
「わ、私は……嫌だ……」
最初に武器を落としたのは、最前列の左翼の槍兵だった。
カラン、と重い槍が乾いた地へ落ちる。
「あんなの、人間じゃねえ……勝てるわけない……無理だ……」
「おい、何を……!」
「死にたくねえよ! 俺には故郷に家族が!」
次に、別の兵が剣を落として膝をつく。
「俺もだ! こんな無謀な侵略なんて聞いてねえ!」
「ふざけるな、立て! 皇国軍の誇りを――」
「立ってどうするんだ!? あの空を見ろよ!! 塵になるぞ!!」
そこからは、雪崩を打つように早かった。
槍が落ちる。
剣が投げ捨てられる。
重い大盾が地面に叩きつけられる。
後方の弓兵はとっくに腰が引けて、弓の弦を切っている。
「こうさん! 降伏する!」
「やめろ、やめてくれ! 殺さないでくれ!」
「撃つな! 魔法を落とさないでくれ!」
「白旗だ! 早く白旗を持ってこい!!」
「持ってこい」も何も、敵の領地を蹂躙する気満々で来た彼らが、都合よく降伏の白旗など持っているはずがない。
その絶望的な事実に気づいた兵士たちが、慌てて自分たちの軍服の外套を振り、白い下衣を裂き、包帯を引きちぎって、槍の先へ必死に括りつけ始めた。
みすぼらしい白い布切れの数々が、即席の『命乞いの白旗』として、大軍のあちこちで情けなく乱立する。
実に滑稽だ。
だが、その滑稽なプライドの完全な崩壊すら、今の彼らには命を繋ぐために必要だった。
「見事な手のひら返しですわね」
私は空のメテオを見上げたまま、冷たく呟く。
「一分、と少しでしょうか」
そう。
本当に、カップラーメンも作れない時間だった。
私が《星墜威圧陣》の幻影を空に完成させてから。
威勢の良かった二千の敵軍の戦意が完全にヘシ折れ、無数の白旗が立つまで。
わずか、一分と少し。
たったそれだけの時間で、隣国の誇る二千を超える大軍勢が、たった二人の夫婦の前に、完全に怯えて膝をついたのである。
◇ ◇ ◇
「《解除》」
私がパチンと指を鳴らすと、空を覆っていた灼熱の光塊は、一つずつ淡くほどけてシャボン玉のように消えていった。
敵兵たちは、呆然と、腰を抜かしたままそれを見上げる。
多分、今になってやっと、背筋を凍らせて理解し始めたのだろう。
あれが幻影ではなく、もし本当に落ちていたら、自分たちは今頃、悲鳴を上げる間もなく跡形もなく消し飛んでいたのだと。
よろしい。
その命の危機の理解、骨の髄までしっかり胸へ刻みなさいまし。二度とウチの推しに逆らおうと思わないように。
私はホッと息を吐き、少しだけ肩の張っていた力を抜いた。
威嚇用の幻影とはいえ、広域へあれだけのリアリティのある幻圧を数分間維持するのは、魔力と集中力の消費が激しく、さすがに楽ではない。
けれど、絶対に顔には出さない。
ここで疲れた顔を出したら、最強の妻としての格好がつきませんもの。
クライス様が敵指揮官の喉元から静かに剣を離し、鞘に納めて、そのままこちらへ戻ってくる。
歩みは静かだ。
だが、彼が一歩進むたびに、地に這いつくばった敵兵が恐怖で道を開けていく。
まるで、モーゼの海が割れるみたいだった。
(ああ……)
やっぱり最高に格好いい。尊い。
さっきまで戦場のど真ん中で二千の軍勢を圧倒的な力で裂いていた推しが、今は当然のように、愛する妻である私のところへ真っ直ぐに戻ってくる。
そんな乙女ゲームのトゥルーエンドのような光景、前世の私が見たら、本当に尊さで過呼吸を起こして息が止まっていただろう。
「ルシア」
「はい」
「立てるか。魔力を使いすぎたのではないか」
「まあ」
私は少しだけ、心配そうな夫に笑いかけた。
「クライス様のようなバケモノ体力の基準でなければ、十分に立てますわ」
「つまり、やはり少しは無理(無茶)をしたな」
「ほんの少しだけですわ」
「全く信用できん」
「でも、倒れてはおりません。ピンピンしております」
「今はな」
「……相変わらず、妻の体調には厳しいですわね」
「世界で一番お前を愛する、夫だからな」
また、呼吸をするようにそれですわね。
でも、その絶対零度の男の声音が、私にだけはほんの少しだけ、甘く柔らかいのがハッキリと分かってしまって、胸の奥がたまらなくくすぐったくなる。
クライス様は私の顔を一瞬だけ愛おしそうに見てから、周囲の白旗だらけの無様な敵軍へ、再び氷の視線を向けた。
「これより、全軍の投降(完全降伏)を受理する」
底冷えする低い声が平原に広がる。
「武器を捨てた者へは、これ以上手を出さない」
「……ッ」
「ただし」
その蒼い目が、怯える敵兵たちを冷酷に舐める。
「少しでも妙な真似をした瞬間、お前たちに次(明日)はない」
「「「は、はいィィ……!!」」」
二千人超が、見事なまでに涙目で縮み上がって土下座した。
あら。
軍隊としての統率の取れた、大変良いお返事ですこと。
私はその滑稽な様子を眺めながら、小さく息を吐く。
これでとりあえず、平原での物理的な脅威は完全に消えた。
もちろん、国境のさらに奥に本隊が控えている可能性もあるし、王都からの第一騎士団の援軍が来るまでは油断できない。
だが少なくとも、“大切な辺境領地が蹂躙されて踏み潰される”という最悪の絵は、たった二人できれいに未然に潰せた。
その時だった。
最前列近くで膝をついて震えていた敵の小隊長の一人が、絶望に震える声で言った。
「ば、化け物だ……」
私はキョトンとした。
「誰のことかしら。そこの岩石のこと?」
「そ、それは」
小隊長は顔を真っ青に引きつらせながら、私とクライス様を交互に見た。
「たった二人で軍を落とす、お、お二人とも……です」
「失礼ですわね」
私は扇を広げて、ニッコリと微笑んだ。
「私たちはバケモノなどではありません。ただの、領地と平和を愛する『仲良し夫婦』ですわよ」
「そのデタラメな強さのどこが、ただの夫婦だ!!」
思わず涙声でツッコんで叫んだのは、その小隊長だけではない。
あちこちから「理不尽だ!」「悪夢だ!」と小さな悲鳴が上がる。
クライス様がボソリと横で言った。
「否定しづらいな」
「何をですの」
「俺たちが『世界一の仲良し夫婦』だという方だ」
「そちらは紛れもない事実ですわ」
「そうだな」
「私たちは、化け物ではございません」
「……そこは客観的に見て、俺たち二人の規格外さを考えると微妙だ」
「クライス様!?」
だが、その緊張感のないイチャつく夫婦のやり取りを聞いて、敵兵たちの顔色はさらに「こんなバカップルに俺たちは負けたのか……」と絶望で土色に悪くなった。
あら。
何ですのその理不尽なモノを見る反応は。
少々、傷つきますわよ?
◇ ◇ ◇
しばらくして、後方から完全武装したハインツさん率いる我が領の守備兵たちが、死を覚悟した顔で慎重に到着した。
彼らは、平原の血みどろの惨状――いえ、正確には“平原のあちこちへ布切れの白旗が乱立し、二千の敵軍が武器を捨てて、ほぼ全員泣きながら土下座で膝をついている異様な光景”を見て、見事にアゴを外して固まった。
「…………」
領兵隊長が、口を半開きにしたままこちらを見る。
「お、奥方様」
「何かしら」
「……もう、終わったのですか。我々が到着する前に」
「ええ」
私は優雅に頷いた。
「ひとまず、お掃除は終わりましたわ」
「旦那様」
「何だ」
「本当に、お二人だけで、この大軍を……?」
クライス様は、朝の散歩から帰ってきたような顔で平然としていた。
「ああ。他愛もなかった」
「……」
「……」
「……はあ」
領兵隊長が、信じられないものを見る目で天を仰いだ。
お気持ちは痛いほど分かりますわ。
でも、仕方がないではありませんか。
向こうが先に、私たちの尊い日常の領域へ理不尽に踏み込んできたのですもの。自業自得ですわ。
「ただちに捕縛と武装解除を」
クライス様が当主として命じる。
「少しでも抵抗の意思を見せた者だけ、厳重に痛めつけて縛れ」
「は、はッ!」
領兵たちが我に返って動き始める。
まだ少し「俺たちは何をしに来たんだ?」と呆然としている者も多いが、そこは厳しい訓練の賜物だろう。
武装解除の仕事はキッチリと無駄なくこなす。
私はその様子を見ながら、ふと、未だ不穏な風の吹く国境の方角へ目を向けた。
灰色の地平線の向こう。
まだ本隊(首謀者)がいるなら、この圧倒的敗北の光景はじきに伝わる。
二千を超える誇り高き皇国軍の兵が、たった二人を前にして、一分少々で戦意を喪失して膝をついた。
しかも、そのうち一人は、彼らがただの飾りだと見下していた辺境伯爵の妻。
もう一人は、怒らせてはいけない“氷の騎士”。
――ええ。
ご自分の無知と愚かさを呪って、震えて絶望なさるとよろしいですわ。
「ルシア」
「はい」
クライス様が呼ぶ。
「戻るぞ。まずは休め」
「ええ」
私は最後にもう一度、情けない白旗だらけの平原を見た。
これで、敵兵たちの心には、一生消えない十分な恐怖が刻まれただろう。
だが、本当に心をへし折って断罪すべき『諸悪の根源(相手)』は、まだ別にいる。
あの傲慢なヴィルヘルム皇太子。
そして、その裏で糸を引く元ヒロイン、ミレーヌ。
そして、この愚かな侵攻を大義名分で容認した、グランゼル皇国そのもの。
「次は」
私は小さく、魔王のように冷たく呟いた。
「本当に、二度とこの領地に歯向かう気が完全に失せるくらい、言い逃れできない証拠でキッチリと社会的に詰めて(論破して)差し上げませんと」
クライス様の目が、わずかに頼もしそうに細まる。
「相変わらず、敵に対しては少しの容赦もないな」
「当然ですわ」
私はニッコリと、最高に美しい笑顔で笑った。
「だって、私たちを本気で怒らせたことへの『ざまぁ』が、これだけではまだ全く足りませんもの」
その限界オタクの恐ろしい返しに、クライス様は呆れたように小さく息を吐いた。
でも、止めはしない。
止める気も全くないのだろう。
ええ。
そうでしょうとも。
ここから先は、ただの武力による『防衛戦』ではない。
向こうが踏みにじろうとした私たちの平和と尊厳を、そっくりそのまま倍返しにして突き返す『完全論破の断罪戦』の始まりなのだから。




