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婚約破棄の瞬間に「前世の記憶」が戻りまして。〜ヒロインの座は譲りますので、私は推しキャラの側仕えを目指します!〜  作者: 綾瀬蒼


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第50話 傲慢な隣国皇太子の登場。「その有能な女、私の愛妾にしてやろう」

 豪華な馬車の奥から聞こえた声は、妙に乾いていた。


 高くも低くもない。

 だが、生まれながらに人へ物を命じ、他人の持ち物を奪うことに慣れきった者の、傲慢な声音だった。


「レオン、前置きが長いぞ」


 扉の内側から、ようやくその『視察団の真のトップ』が姿を現す。


 最初に目に入ったのは、不自然なほど濃い金の髪だった。

 陽光を受けてギラつくようなそれは、手入れ自体は完璧だ。

 顔立ちも、整っていると言えば整っている。

 鋭い鼻梁、彫りの深い目元、唇には自信過剰な笑み。


 だが。


(あら、完全に駄目テンプレのクズですわね)


 私は一目で、彼をオタクの審美眼で『最低ランク』だと理解した。

 この男は、致命的に駄目な種類の美形だ。


 顔の作りは整ってはいる。けれど、内面から滲み出る『品』が一切ない。

 洗練された貴族の余裕ではなく、強欲と傲慢さを塗り固めたような顔つき。

 目は常に自分が一番上だと信じて疑わず、周囲の人間を“自分のために使える手駒かどうか”でしか見ていない。


 私の愛する、不器用で誠実なクライス様とは、根本から違う。


 男は馬車から降り立つと、埃一つ払うような優雅な(芝居がかった)仕草で外套を整えた。

 後ろでは、先ほどまで偉そうにしていた視察官のレオンが慌てて半歩下がり、周囲の重装備の護衛もさらに姿勢を正して傅く。


 ……つまり。

 彼らの『絶対的な序列』は明らかだった。


「失礼」

 男はようやく、口元だけで冷たく笑った。

「名乗りが遅れたな」


 そして、まるでこちらがその名を聞いて地面に平伏すのを当然と思っている顔で、鷹揚に告げる。


「グランゼル皇国・第一皇太子、ヴィルヘルム・グランゼルだ」


 領門前の空気が、一気に、ピンと張り詰めた。


 我が領の護衛騎士たちの気配が強張る。

 領兵も微かに息を呑み、槍を握る手に力が入る。

 背後のハインツさんなど、ただでさえ伸びた背筋がさらに一段、警戒で固くなった。


 そう。やはり、最悪の予想通りだったのだ。


 ただの高官ではない。

 それどころか、巨大な軍事国家である隣国の『次代の王』そのもの。

 他国の皇太子が、たかが辺境の一伯爵領へわざわざ“視察”と称してお忍びで乗り込んできたのである。


(厄介どころの騒ぎではございませんわね……特大の地雷ですわ)


 私は内心で、静かにため息を吐く。


 表向きは視察。

 だが、皇太子本人が自ら来る時点で、目的はどう考えてもそれ以上(侵略の足がかり)だ。

 領地発展の秘密の技術(特産品の利権)を奪いたいのか。

 国境周辺の軍事的な弱点を探りたいのか。

 あるいは、もっと別の個人的な意図か。


 何にせよ。

 絶対に歓迎したくない来客(疫病神)であることだけは、ハッキリしていた。


 クライス様が、微塵も動じない氷の騎士の顔で一歩前へ出る。


「ご身分は確かに承った」

 声音は低く、臣下の礼など取らない必要十分な威厳。

「フェルド辺境伯爵領へようこそ、ヴィルヘルム殿下」

「ふん」

 ヴィルヘルム皇太子は、わざとらしいほどゆっくりと、小馬鹿にするように辺りを見回した。

「思ったよりは小綺麗に整っているな」

「……」

「もっと薄汚く荒れた辺境かと思っていたが」

 その口元が、イヤらしく薄く歪む。

「女(お前)の手が入ると、多少は見栄えも良くなるらしい」


 私は扇を広げ、ニッコリと完璧な淑女の笑顔を作った。


「お褒めいただき、光栄の至りですわ」

「褒めているつもりはない」

「そうでしたの?」

 私はコテンと首を傾げる。

「てっきり、“何もない辺境にしては、我が国より見られる”という程度の、最大級の賛辞かと受け取っておりましたわ」

「……」

「でなければ、わざわざ大国の皇太子殿下がご自身で、こんなド田舎へ視察にいらっしゃる理由も分かりませんもの。暇つぶしにしてはご苦労なことですわね」


 ヴィルヘルムの目が、スッと爬虫類のように細くなった。


 よろしい。

 少しはプライドに刺さったようですわね。


 レオンが不敬に怒り、慌てて口を挟もうとするが、皇太子が片手で制した。

 そのまま、今度はハッキリと私へ、ねっとりとした視線を据える。


「ルシア・フェルド、だったか」

「はい」

「噂以上だな」

「何のことでしょう」

「その美貌も」

 男の視線が、露骨に私のドレスの上から下へ、値踏みするように滑る。

「不敵な度胸も」

「……」

「そして、どうやら頭もかなり切れて回るらしい」


 私は笑顔の仮面を1ミリも崩さなかった。

 崩さなかったが、内心の温度はすでに絶対零度近くまで冷え切っていた。


 不愉快ですわね。

 この視線。

 女をモノとして値踏みし、強欲な所有欲がドロドロと混ざった、人として最底辺の種類の目だ。前世のセクハラ上司よりタチが悪い。


 クライス様の気配が、横で一段、危険なほど冷たくなるのが分かる。

 ああ、駄目ですわよクライス様。

 まだ剣を抜いてはいけません。

 今ここでこの男の首を物理的に斬り飛ばしたら、国際問題が一足飛びに全面戦争案件ですもの。私たちが圧倒的に勝つでしょうけれど、事後処理(サビ残)が面倒ですわ。


「身に余るありがたいご評価ですわ」

 私はわざと、温度のない声で穏やかに答えた。

「ですが、他国の皇太子殿下にそのように欲情した目で見ていただくほどの者ではございません」

「謙遜するな」

 ヴィルヘルムが下品に笑う。

「この短期間で、貧困の底にあった辺境領をここまで魔法のように立て直した女が、凡庸なはずもない」

「……」

「死んだ農地の復活、水路の再建、莫大な利益を生む商会取引、おまけに山に湧いた温泉まで」

 その目が、私の生み出した利権を狙うように、愉快そうに細められる。

「実に興味深い。お前のその『頭』と『手腕』には、金には換えられない絶大な価値がある」


 来ましたわね。


 やはりこの男、かなり入念に調べてきている。

 視察団到着前から、こちらの領地の劇的な変化を相当な精度で把握している。

 つまり、ただの好奇心ではない。

 明確な『奪取』の目的がある。


 私は静かに、冷ややかに返した。


「それはありがたいことですわね」

「他人事のようだな」

「ええ。実際、私たち夫婦の領地のことですもの。他国の方には関係のないことですわ」

「すべて、お前が裏で動かしたのだろう?」

「夫婦で協力しておりますわ」

 私は隣のクライス様を見上げ、心からの愛情を込めてニッコリと微笑む。

「ねえ、愛するクライス様」

「ああ。俺の妻の力だ」


 たったそれだけ。

 それだけの短いノロケのやり取りだったが、クライス様の存在を明確に会話の主導権へ入れた意図は当然ある。


 ――この領地は、私一人の手柄ではない。

 ――そして私は、他でもない『辺境伯爵の妻』だ。お前の入る隙はない。


 それを、言外にハッキリと含めた。


 だが。

 ヴィルヘルム皇太子は、その程度の牽制で引くようなマトモな男ではなかった。


 むしろ、その一言で確信したらしい。

 私の『能力という価値』を。

 そして、“辺境の田舎伯爵の妻”という立場の(彼から見れば)奪いやすさを。


 男は、鼻先で嘲笑う。


「協力、か」

「ええ」

「くだらんな」

「……」

「その程度の面白みのない男の横で、田舎に埋もれているには、惜しい女だと言っている」


 空気が、凍った。


 今度こそ、領門前の空気は物理的にハッキリと凍りついた。


 レオンがギョッとして皇太子を見る。

 護衛騎士たちの顔から、最悪の事態を悟ってサッと血の気が引く。

 背後の領兵たちなど、尋常ではない殺気にあてられてほとんど石化寸前だ。


 そして。

 隣のクライス様から、黒い靄のような、ものすごく静かで凶悪な殺気が立ち上った。


 見なくても分かる。

 今、この人の機嫌は一瞬で『俺の妻を愚弄した奴は絶対に殺す』という最低値を更新した。


 だが、ヴィルヘルムは気づかない。

 いや、気づいていても、大国の皇太子である自分の権力があれば意に介する必要はないと信じ切っているのだろう。

 どちらにせよ、傲慢というのは救いがたいバカの証拠だ。


「辺境の田舎騎士の妻など、泥臭くて窮屈だろう」

 男は、狂ったように強欲な目で続けた。

「どうだ、ルシア」

「……」

「お前のその有能さも、美しさも。もっと相応しい華やかな王宮で使う気はないか」


 私は、ゆっくりと氷のように冷たく瞬いた。


 今。

 この男。

 何とおっしゃいました?


「私の、愛妾おもちゃにしてやろう」


「…………(ブチッ)」


 私の頭の中で、何かが切れる音がした。

 時間が、完全に止まった。


 ええと。


 愛妾。


 つまり。

 側室未満、正妃未満。

 皇太子が夜の性欲と、昼の私の実務能力(社畜スキル)を都合よく搾取して囲うための、ただの『道具(奴隷)』。

 しかも、正妻がいるかどうかも関係なく、“俺が使いたいから、夫から離れて俺に寄越せ”と、そういう意味で。


「…………」

 私は、ものすごく静かに、深く呼吸を整えた。


 限界オタクは、怒りすぎると逆に声は平坦になる。

 前世でも、クソ上司に理不尽なサビ残を押し付けられた時、その傾向はあった。

 そして今の私は、完全にその『静かなブチギレ状態』だった。


 ああ。

 なるほど。

 そう来ますのね。


 隣国皇太子。視察団のトップ。

 傲慢で、自分の欲しいものはすべて、金か権力で当然のように手に入ると思っている男。


 そしてこの男は今。

 私を。

 愛するクライス様の妻を。

 フェルド辺境伯爵領の誇り高き当主夫人を。

 最愛の夫本人の目の前で、“自分の愛妾(道具)にしてやろう”と、ヌケヌケと言った。


(万死に値しますわね。消し炭にして差し上げますわ)


「殿下」

 私は扇を閉じ、微笑んだ。

 微笑んだつもりだった。

 多分、見ている人間からすれば、死神のようにかなり冷たい形になっていたと思う。


「何だ。喜びに声も出ないか?」

 ヴィルヘルムは、自分の提案が受け入れられたと勘違いし、余裕たっぷりに顎を上げる。


「大変、申し上げにくいのですけれど」

「遠慮は要らん。今日から俺のモノになれ」

「ええ、ですので1ミクロンの遠慮もなく申し上げますわね」

 私は一歩、前へ出た。

「そのふざけた寝言は、永遠の眠り(死)についてからになさってくださいまし」


「…………は?」


 今度はヴィルヘルムの方が、理解できずにポカンと固まった。


 私はそのまま、冷酷に続ける。


「まず大前提として、私は『クライス・フェルドのただ一人の妻』ですわ」

「だから何だ」

「何だ、と?」

 私は小さく、心底軽蔑したように鼻で笑った。

「あなた、他国の正式な既婚女性へ向かって、それも愛する夫の目の前で『愛妾(泥棒猫)になれ』とおっしゃったのですのよ?」

「それがどうした。名誉なことだろう」

「どうした、ですって」

 私は本気で、哀れなモノを見るように驚いたふりをしてみせた。

「まあ。グランゼル皇国の次期皇帝の教育とは、随分と底辺で自由奔放(おつむが空っぽ)でいらっしゃるのですね」

「貴様……ッ」

「ご自分の皇族としての品位を自ら泥水へ落としておいて、私があなたの権力に感心して尻尾を振るとでも?」

 私はニッコリと、最高にバカにして微笑んだ。

「あり得ませんでしょう。身の程を知りなさいな」


 背後のレオンが、信じられない暴言を聞いて真っ青になっている。

 護衛たちの間にもビリッと極限の緊張が走る。

 だが、止める者はいない。

 止められないのだろう。皇太子本人がバカな発言を言い出した以上。


 ヴィルヘルムの顔から、余裕の笑みが完全に消え失せた。


「ルシア」

「はい」

「その減らず口」

「ええ」

 私は堂々と頷いた。

「あなたのちっぽけなプライドには、大変お気に召さないでしょうね」

「……」

「でも、仕方がございませんわ」

 私はクライス様の方へ、見せつけるようにピッタリと身体を寄せた。

「私は、自分の愛する世界で一番最高の夫(推し)以外へは、1ミクロンも興味がございませんもの。あなたのような男は、視界に入るだけでも不愉快ですわ」

「ッ」

 その瞬間、皇太子の整った顔が、屈辱で醜く歪む。


 ああ。

 図星ですわね。


 そういう男だ。

 自分へ向けられない冷ややかな視線に慣れていない。

 欲しいと思ったものは、相手がどうであろうと当然這いつくばって手に入ると信じている。


 だからこそ。

 今みたいに、最初から一顧だにされず、虫ケラのように扱われる反応が、一番プライドに堪えるのだ。


「……たかが辺境の田舎伯爵だぞ」

 ヴィルヘルムが、声をドス黒く低くした。

「お前ほどの有能な女が、そんな泥臭い場所で終わる気か」

「“終わる”?」

 私はコテンと首を傾げる。

「何をもって、そのように?」

「決まっているだろう」

 男は苛立ちを隠さず、吐き捨てるように言う。

「辺境など、我が国の皇都に比べれば、何もない掃き溜めの田舎も同然だ」

「……」

「そこに埋もれ、面白みもない男一人の妻として終わるなど、お前の才能の無駄だと言っている」

「……あら」

 私は、フフッと笑った。

 今度こそ、本当に心からのおかしさを含んで。


「殿下は、本当に何もご存知ないのですね。可哀想に」

「何だと」

「私は」

 私は隣のクライス様を見上げ、それからもう一度ヴィルヘルムを哀れむように見た。

「“この愛する男一人の妻として一生を終える”ことを、1ミリも不幸だと思っておりませんの」

「……」

「むしろ、私の人生にとってこれ以上ない、最高の幸福ですわ」


 沈黙。


 その真っ直ぐな一言は、ヴィルヘルムだけでなく。

 隣のクライス様にも、真っ直ぐに深く届いたらしい。


 殺気とは別の、グラグラと煮え滾るような『重い熱』が、ほんの一瞬だけ隣で激しく揺れたのが分かった。

 やめてくださいましクライス様、そういうの。

 こういう敵のいる緊迫した場面で言わせたのは向こうですけれど、それでも少々、オタクとしては恥ずかしいのですから。


 だが、ヴィルヘルムはそこへ全く違う反応を返した。

 怒り。

 いや、正確には。

 自分の絶対的な提案を『たかが女』に拒絶されたことへの、子どもじみた癇癪と苛立ちだ。


「……つまらんな」

 男は、苛立たしげに腰の剣に手をかけて吐き捨てるように言った。

「少しは俺の役に立つ聡明な女かと思ったが、結局は愛だの何だのと、狭い世界へ満足しているだけの愚かな雌か」

「世界が狭いかどうかを決めるのは、殿下ではございませんわ」

「俺だ。俺がすべてを決める」

「――いいや」


 それを、絶対零度の静かな声が、冷酷に断ち切った。


 クライス様だった。


「…………」


 その瞬間。

 大気中の水分が凍るかのように、空気の温度が明らかに、物理的に急低下した。


 クライス様が、静かな足音で一歩前へ出る。

 私を、完全に背後へ庇う位置。

 その動きに一切の無駄はない。

 むしろ、あまりにも自然すぎて、周囲の護衛たちは一拍遅れて彼が射程に入ったことに気づいたほどだった。


「クライス・フェルド」

 ヴィルヘルムが、不快そうに薄く目を細める。

「ようやく怯えて口を開いたか」

「開く必要がなかっただけだ。俺の妻の言う通りだからな」

 クライス様の声は、地を這うようにひどく低い。

「だが」

「……」

「今のは、聞き捨てならん」


 ヴィルヘルムがフッと鼻で笑う。

「何がだ」

「貴様が吐いた暴言の、全部だ」

 その短い言葉に、ゾクリとするほどの、純粋で濃密な『怒気と殺気』が滲んでいた。


 領門前の空気が、さらに限界まで冷える。

 本当に。文字通り、気温がガクッと落ちた気がした。


 レオンが恐怖で一歩下がる。

 隣国側の重装備の護衛たちも、ようやく目の前の男の『本能的な危険(死)』を感じたらしい。

 全員の指先が、震えながら武器の柄へ寄る。


 私はそっと息を詰めた。


 ああ。

 来ますわね。

 次で、確実にブチギレますわね。


 愛する妻を侮辱された『氷の騎士』の殺気が、今まさに、完全な氷点下へ達しようとしていた。


 ――普段は静かな彼が、本気で怒る時。

 周囲の温度と敵の命がどうなるのか。


 それを、この傲慢で無知な隣国皇太子は。

 まだ、何も知らない。



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恋愛モノの王太子と皇太子はボンクラ。テンプレ過ぎて草通り越して芝生える。 ヤッチマイナー!
皇帝はどんな人なんですかね。 こんなを育てた実績と、そして諌める機能を果たすお目付け役も付けていない辺りで、本来は、知れたものなんですが。 主人公達の国の例で考えると、意外とマシな人である事も有り得そ…
廃嫡街道まっしぐらですね、この男は。業腹モノですわ、テンプレかと思うくらいに。
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