第40話 代官を追放。領民の前で推しが私を溺愛宣言して大パニック
翌朝。
辺境フェルド伯爵領の領都の空気は、前日までとはまるで違っていた。
いや、正確には。
長年澱のように沈んでいた“本当の空気”が、ようやく表へ出てきたというべきだろう。
領都中央の広場には、朝早くから大勢の領民が集められていた。
痩せた農民、苦労の滲む商人、職人、屋敷勤めの使用人たち、そして城壁警備の兵たち。
誰もが戸惑いと警戒の混じった顔をしている。
何が起きるのか分からない。だが、新領主の到着早々、ただ事ではないことだけは察している、そんなざわめき。
その広場の中央には、後ろ手に縄を打たれた代官グレゴール・バルデンと、昨夜一緒に捕えた書記二名、倉庫番長が、無様に土下座の姿勢で跪かされていた。
そして、その正面。
簡易の演台代わりに置かれた木台の前に立つのは、我が夫、クライス様である。
朝の光を受けるその横顔は、今日も致死量レベルでひどく整っていた。
新辺境伯爵としての第一声。領主としての最初の裁き。
それだけでもう、王宮のバカ王太子とは比べ物にならないほど、上に立つ者としての絶対的な覇気が違う。
(ああ……格好いい……スチルに保存したい……)
いけない。今は見惚れている場合ではない。
本日は領地改革初日の、大変重要な公開処断である。
私もクライス様の少し後ろ、けれど以前のような“半歩後ろの側仕え”ではなく、きちんと『正妻』としてその隣に立っていた。
次期伯爵夫人として。そして、この腐った不正を暴いた当事者の一人として。
広場のざわめきが、クライス様の放つ冷気で少しずつ静まっていく。
クライス様が一歩、前へ出た。
「フェルド伯爵家当主代理、クライス・フェルドだ」
低く、よく通る声が広場全体へ響き渡る。
それだけで、領民たちの背筋がピクッと伸びた。
やはりこの人は、こういう場に立つと圧が違う。静かなのに、誰も逆らえない。
「昨日、到着直後に領地の現状確認と監査を行った」
クライス様は、無駄を削ぎ落とした言葉で短く告げる。
「その結果、代官グレゴール・バルデンと配下の者たちによる、複数年に渡る重大な不正(横領)が確認された」
ザワッ、と広場が大きく揺れた。
領民たちは顔を見合わせる。
中には、驚くというより“やっぱりそうだったのか”という、怒りと諦めの入り混じった目をしている者もいた。
それが、どれほどこの領地で代官への不信が積み上がっていたかを如実に物語っている。
クライス様は続ける。
「南区画のインフラ補修費の横流し」
「屋敷使用人名簿の架空雇用と給与着服」
「穀物備蓄の闇市への転売」
「領民への冬の配給の不当な削減」
「それらを隠蔽するための、偽造帳簿の作成」
その一つひとつが淡々と読み上げられるたび、広場の空気は怒りで冷え、そして熱を帯びていった。
最後に、クライス様は代官を氷の目で見下ろした。
「……領民の口を削り、自らの私腹を肥やした。万死に値する大罪だ」
その一言で。
広場のざわめきが、完全な『怒号』へと変わった。
「やっぱりか……!」
「だから冬の配給があんなに少なかったんだ!」
「うちの屋根の補修願いも、やっぱりあいつに握りつぶされてたんだ!」
「ふざけんな! 俺たちの税金泥棒が!」
怒号と罵声があちこちから飛ぶ。
一方、代官グレゴールはというと、朝からずっと顔色が死人のように青白かった。
昨夜の密室での私の尋問(Excel論破)でだいぶメンタルを削られたところへ、公開の場へ引きずり出され、領民の怒りを直接浴びているのだから当然である。
「し、しかし旦那様!」
とうとう代官が、見苦しく喚いた。
「領地経営には苦労も多く、多少の融通は必要だったのです! 私は領地のために、泣く泣く――」
「黙りなさい」
私が、扇をピシャリと閉じて一言そう告げると、広場の怒号がピタリと止まった。
代官だけでなく、領民たちも一斉にこちらを見る。
私は一歩、前へ出た。
手には昨夜整理した【完全版・不正の証拠一覧】。
ええ。こういう公開処刑の時のために、誰が見ても一目で分かるよう、綺麗にグラフ化してまとめてありますとも。
「融通、ですって?」
私はニッコリと、一切の温度のない微笑みを浮かべた。
「では伺いますわ。大規模補修したはずの石畳がなぜ割れたままなのか。雇ったはずの七名の使用人がなぜ一人も現れないのか。帳簿上は増えているはずの備蓄が、なぜ倉庫にないのか」
「そ、それは……」
「答えられます?」
「……」
「答えられませんわよね。あなたの腹の肉に消えたのですから」
私は紙を一枚、領民たちに見えるように高く掲げた。
「こちら、南区画補修費の支出記録」
次の紙を重ねる。
「こちら、工事人足の雇用記録」
さらに次。
「こちら、実際の勤務表」
そして、最後に。
私は最も分かりやすく整理した『差額の完全一致一覧表』を、バサリと掲げた。
「全部、数字が1ミクロンも合っておりませんの」
広場が、シンと静まる。
私はハッキリと言い放った。
「この男は、“辺境の無学な民や、王都帰りの若い領主にはどうせ分からないだろう”と舐め腐って、小賢しく誤魔化しました」
「……ッ」
「でも、ちゃんと見れば一目で分かりますのよ」
私は穏やかに、だが冷酷に笑う。
「帳簿というものは、悪党が嘘をつく時ほど『矛盾』という形で饒舌に語り出しますもの」
領民たちの目が、だんだんと変わっていく。
最初はただの『王都から来た美しいお飾りの伯爵夫人』を見る目だった。
けれど今は違う。
“この奥方は、完全に実態を把握しているガチのキレ者だ”という、畏怖と期待の混じった目だ。
それでいい。
私は最後の一押しをした。
「冬の配給が減ったのも、石畳が直らなかったのも、屋根の補修が遅れたのも、皆様の努力が足りなかったせいではありませんわ」
広場のあちこちで、ハッとして息を呑む気配がする。
「あなた方が無能でも、不運でも、辺境だから貧しくて仕方ないのでもない」
私はゴミを見るような目で代官を見下ろした。
「すべて、この豚があなた方の正当な権利を盗んだからですわ」
「…………」
一拍遅れて。
「そうだ!!」
「その通りだ!」
「返せよ、俺たちの麦を!」
「うちの息子、冬を越せずに死にかけたんだぞ!」
怒りと憎悪が、一気に爆発して噴き上がった。
石が飛ぶ。泥が投げられる。
代官が恐怖で青ざめ、悲鳴を上げる。
書記たちは泣きそうな顔で縮こまり、倉庫番長はもう失禁して顔を上げられない。
クライス様がスッと片手を上げると、広場の怒号が魔法のように少しずつ静まっていった。
その圧倒的なカリスマ(統率力)も、やはり見事だ。
「判決を言い渡す」
クライス様の声が、断頭台の刃のように鋭く落ちる。
「グレゴール・バルデン。代官職を即時剥奪」
「……ッ」
「全財産、および隠し資産を没収の上、領の国庫へ返納」
「なッ……! お慈悲を!」
「配下の書記二名、倉庫番長も共犯として同罪」
「旦那様! 我々は無理やり従わされただけで……!」
「慈悲はない」
クライス様は一切の温度なく切り捨てた。
「全員、領都より永久追放。今後、フェルド伯爵領への立ち入りを一切禁ずる。引いていけ」
その一言で、代官は完全に白目を剥いて崩れ落ちた。
「そ、そんな……! 私は、私はこの領地を……!」
「食い荒らしただけですわね」
私はトドメを刺すように静かに言った。
「見苦しいですわ。これ以上、言葉を飾らないでくださいまし」
「奥方様ぁ……ッ!」
「その馴れ馴れしい呼び方も不愉快ですわ。豚の鳴き声は牢獄でどうぞ」
広場のあちこちから、低い、だが熱のこもった拍手が起きる。
最初は一人、二人。
やがてそれは、地鳴りのような大きな歓声の波になった。
領民たちは、まだ長年の貧困から完全には信じきれていないのだろう。
けれど少なくとも。
“この新しい領主夫妻は、確実に前の代官とは違う。期待できる”と、それだけはハッキリと伝わったはずだ。
◇ ◇ ◇
処断そのものは、見事なほど滞りなく終わった。
代官たちは領軍の兵に引き立てられていき、広場にはようやく、長年領地を覆っていた重苦しい澱のようなものが薄れていく。
代わりに残ったのは、様子見半分、期待半分の静かな空気だった。
ここから先が、本当の始まりだ。
領民はまだ傷んでいる。畑も、帳簿も、倉庫も、全部根本から立て直さなければならない。
だが少なくとも、最大の腐った膿は一晩で出せた。
私が「まずは及第点ですわね」と小さく息を吐いた。
その時。
「最後にもう一つ」
クライス様が、再び広場へ向かって口を開いた。
私は目を瞬いた。
えッ。まだ何かございますの? 処断は終わりましたわよ?
広場もまた、静かに彼へ注目する。
クライス様は私の方を見た。
いや、正確には。
私をひどく熱のこもった愛おしげな目で見てから、領民たちの方をドヤ顔で向き直った。
嫌な予感がする。
すごく、オタクの危機察知センサーが警報を鳴らしている。
この方の“もう一つ”は、時々私の心臓に対する『とんでもない爆弾』を含むのだ。
「この複雑な不正を暴き、昨夜のたった一晩で完璧な証拠を揃えたのは」
クライス様が、誇らしげに静かに告げる。
「私の妻、ルシア・フェルドだ」
「…………」
広場が、また静まった。
あっ。
来ましたわね。
何かが来ましたわね。
「彼女がいなければ、私はここまで早く、この腐敗の全体像を掴めなかった」
「……」
「数字に異常なほど強く、仕事が圧倒的に早く、判断が正確で」
クライス様は一切照れずに、大真面目な顔で続ける。
「誰よりも領民を思い、俺の領地を守ろうと本気で怒ってくれた」
やめてくださいまし。
心臓が。オタクの心臓がもちません。
「ク、クライス様」
私は扇の陰から小声で制止を試みた。
「もう十分ですわ。まだ、ノロケが続きますの……?」
「続く」
即答だった。逃げ場がない。
領民たちはポカンとしたまま、私とクライス様を交互に見ている。
ローデン隊長が王都にいれば、きっと今ごろ遠くで「また副団長が重いこと言ってるよ……」と額を押さえているだろう。残念ながらここにはいないが、その幻が見える気がした。
そして、クライス様は。
この上なく真面目な顔で、大勢の領民に向かって最後の一撃を放った。
「俺の愛する、世界一優秀な自慢の妻だ。皆も、俺と同じように彼女を敬い、頼りにしてほしい」
「…………(ドカンッ)」
思考が、完全に停止した。
広場の時間も、完全に止まった。
風も、音も、何もかも一瞬消えた気がした。
今。
この人。
何とおっしゃいました?
俺の愛する。
世界一優秀な、自慢の妻。
この、公開処刑の場で?
大勢の領民の前で?
一切のためらいなく?
そんな大真面目な顔で?
「ッ、」
私は声にならない息を呑んだ。
熱い。顔が熱い。
耳も首も、多分全部茹でダコのように真っ赤だ。
いや、そんな生やさしいものではないかもしれない。
今の私はきっと、羞恥と供給過多で発火寸前の爆弾か何かである。
「ク、クライス様……!!」
やっとのことで絞り出した声は、見事に裏返っていた。
「それは」
「事実だ」
「事実でも! 言う場所とタイミングというものが!」
「領主として必要だと思った」
「どういう必要ですの!? ただの公開ノロケではありませんか!」
だが、クライス様は一切ひるまない。
ひるまないどころか、当然のように私の肩へ手を置き、グッと抱き寄せた。
広場のざわめきが、今度は全く違う意味で爆発した。
「えっ」
「奥方様、そんなにすごい方だったのか……」
「いや、でも今の」
「“俺の愛する妻”って言ったぞ!?」
「あの氷の伯爵様、顔ひとつ変えずに堂々とノロケたぞ!」
「うわあ……」
「めちゃくちゃ仲良し……!」
「奥方様、顔真っ赤だぞ!」
やめてくださいまし。
その感想も実況中継も、全部やめてくださいまし。
私は今、羞恥心で限界なのですから。
けれど、そのざわめきの中で。
最初に口を開いたのは、杖をついた年配の女だった。
「……奥方様」
私はハッとして、その人を見る。
痩せた頬、日に焼けた手、けれど目だけは強い。彼女は少しだけ深く頭を下げた。
「昨夜たった一晩で、あの分厚い帳簿をそこまで見てくださったのですか」
「……ええ」
私はどうにか呼吸を整えて、赤面を隠しながら答える。
「見過ごせませんでしたもの。あまりにも雑で、不愉快でしたから」
「そうですか」
彼女はゆっくり、安心したように頷いた。
「なら、私たちの新しい領主様を、信じてみてもよいかもしれませんね」
その一言が、広場の空気を劇的に変えた。
次に、別の若い男が口を開く。
「本当に、俺たちの生活はこれから良くなるのか?」
「良くしますわ」
私は即答した。
今度は、羞恥より先に、前世からの社畜魂とオタクの強い意志が立った。
「食糧も、補修も、税の流れも、農地の開拓も、私が全部根本から見直します」
「本当に?」
「ええ」
私は真っ赤な顔のまま、胸を張った。
「推し――いえ、愛する夫の神聖な領地ですもの! 私が絶対に最強の領地に変えてみせますわ!」
「今、一瞬“推し”って聞こえなかったか?」
「気のせいですわ!」
最後だけ少々余計なオタク用語が出た。
だが、広場のあちこちで小さな笑いが起きる。
その笑いは、さっきまでの冷え切ったものとは違っていた。
少しだけ、あたたかくて、やわらかい。
よし。
それでいい。
クライス様が私を見る。
私はコクリと頷き、一歩前へ出た。
「皆様」
私は広場全体を見渡した。
「悪徳代官は去りました。ですが、去って終わりではございません」
誰もがこちらを見る。
「これから、私がすべての帳簿を開き直します」
「……」
「痩せた畑を見ます」
「……」
「空っぽの倉庫も、崩れた水路も、壁も、全部私がこの目で見ます」
私は、最高の笑顔で微笑んだ。
「そして、魔法と知識を使って、一瞬で立て直しますわ」
少しだけ間を置く。
「ですから」
私はハッキリと、領民へ約束するように言った。
「もう少しだけ。明日からの私たちへ、大いに期待してくださってもよろしいですわよ」
静寂。
それから。
「……へへッ」
どこかで、誰かが笑った。
「何か、マジでとんでもないことやってくれそうだな」
「奥方様、すげえな」
「伯爵様も本気で奥方様にベタ惚れみたいだしな」
「もしかして、本当に俺たちの村、変わるかもしれんぞ!」
その囁きが、少しずつ熱を帯びて広がる。
やがてそれは、新領主夫妻への盛大な拍手と歓声へと変わった。
ああ。
ようやく、領地の風向きが変わった。
完全な信頼ではない。まだ入口だ。
けれど、初日のツカミ(マウント)としては、これで十分すぎるほどだった。
◇ ◇ ◇
広場での裁きを終え、屋敷へ戻る道中。
私はまだ、羞恥心から完全には立ち直れていなかった。
「クライス様」
「何だ」
「どうしてあのような大勢の場で!」
「何がだ」
「“俺の愛する、世界一優秀な妻”などと……!」
「事実だからだ。何か駄目だったか」
「駄目ではございませんけれど!」
「なら問題ない」
「そういう話ではありませんわ! 私の心臓の問題です!」
私はついに両手で顔を覆った。
まだ熱い。全然引かない。
領民の前で。あんなに堂々と。あんな真顔で公開ノロケを。
「恥ずかしさで死ぬかと思いましたわ……」
「大袈裟だな」
「大袈裟ではございません」
「本当のことを言ったまでだ」
「そういうところですわ!」
すると、クライス様は歩きながら、ほんの少しだけ目を細めた。
「必要だった」
「何がですの」
「お前が、この領地でどういう絶対的な立場かを見せるのに」
「……」
「辺境伯爵夫人で」
「……」
「俺の愛する妻で」
「……」
「この領地を、俺と共に治める最強のパートナーだと」
私は、言葉に詰まった。
そうか。
ただの惚気では、なかったのだ。
いや、惚気は十分すぎるほど含まれていたけれど。それだけではなくて。
領民へハッキリと示したのだ。
私は王都から来たお飾りの女ではないと。
そして、辺境伯が完全に私を愛し、信頼し、同格として隣に立てているのだと。
「……ズルいですわ」
私は小さく、顔を覆ったまま呟いた。
「またそれか」
「だって、そんなの」
顔を覆っていた手を少しだけ下ろし、チラリと彼を上目遣いで見る。
「嬉しいに決まっておりますでしょう……」
クライス様は一瞬だけ黙った。
それから、当然のように私の手を取る。
「ならいい」
「よくありません」
「何がだ」
「嬉しいのと恥ずかしいのは、オタクにとって全くの別問題ですわ」
「両方慣れろ」
「そんな無茶を」
「俺の妻だろう」
「またそれですのね……」
「そうだ」
ああもう。
本当に、この人は。タガが外れてから甘すぎる。
けれど。
その大きな手のぬくもりはやっぱりあたたかくて。
羞恥で溶けそうになりながらも、どうしようもなく嬉しくて。
私はそっと、その手を力強く握り返した。
そうして、フェルド辺境伯爵領の最初の裁きは終わる。
悪徳代官は追放され、
領民の前で新しい領主夫妻の立ち位置は完璧に示され、
そして私は、推しの口からとんでもない公開溺愛宣言を食らって無事に瀕死となった。
だが、それでも。
これがきっと、チート領地改革の本当の始まりなのだ。
――次はもう、魔法と社畜スキルで、容赦なく立て直しますわよ!




