誰も彼を知らない世界へ
目覚めた瞬間、僕は確信とともにガッツポーズを決めた。
「――勝った」
眼前に広がるのは、手つかずの大自然。
コンクリートジャングルとは違う、濃密な森の空気。
直前の記憶……学校からの帰り道、暴走トラック
そして世界を呑み込むように僕の視界を埋め尽くした無限の白い光。
状況証拠は揃っている。これは間違いなく「異世界転生」だ。
「どうせ転生するならファンタジー系よりもSF系の世界の方がよかったんだけどなぁ。そっち系のゲームとかよくやってたし。まぁ、そんな贅沢言ってもしょうがないよね!」
僕は立ち上がり、汚れたジャージを払うと、誰もいない森の中心でビシッとポーズを決めた。
女神的な何かの姿は見えなかったけど、そんな細かいことはどうでもいい。
このシチュエーションで「特典なし」なんてありえない!
「さあ、まずは恒例の儀式といこうか。出てこい、隠しスキル! 『ステータス・オープンッ!!』」
……。 …………。
森を支配する、痛々しいほどの静寂。
鳥すら鳴くのを遠慮している。
「……ん? 音声認識じゃないタイプ? OK、想定内だぜ。」
念じると発動するタイプなのかな?
ステータス……システム……あれ?
……反応なし。
なるほどね。焦らすじゃん。
いきなり数値で見せないで、実戦で覚醒するパターンか。
演出が憎いねえ、神様ってやつは!
ガサガサッ!!
背後の茂みが激しく揺れた。
振り返ると、そこには軽自動車サイズの巨大な猪が、真っ赤な目でこちらを睨んでいた。
「出たな、チュートリアル用モンスター! 僕の伝説の第一歩に相応しい生贄だ!」
普通なら逃げる場面?
ノンノン。
『転生者』だぞ?
ここで隠された力が暴発して、ワンパンで倒すまでがワンセットだ。
「悪いが、痛みを感じる暇も与えない……。焼き尽くせ、――『エクスプロージョン』ッ!!」
右手を突き出し、ありったけの殺気を込めて叫んだ。
さあ、吹き飛べ! 地図から消えろ!
「…………」
そよ風が、ふわりと前髪を揺らした。
指先からは、線香花火のような火花すら出ない。
「ブモッ?」
猪が「何してんのこいつ」みたいな顔で首を傾げた。
「……あれぇ?」
背筋を冷たい汗が伝う。
僕は引きつった笑みを浮かべ、もう一度手を振った。
「えーっと……メラ? ファイア? ……着火? ……種火?」
シーン
「……嘘、でしょ?」
ブモォォォォォォォッ!!
猪が地面を蹴った。殺意の塊のような突進が、スローモーションのように迫る。
現実の質感が、僕の幻想を粉砕しにきた。
「あ、タイム! ちょっとタンマ! 神様! 助けてぇぇぇッ!!」
ドガァァァァッ!!
「あべしっ!?」
衝撃。浮遊感。そして激痛。体は枯れ葉のように宙を舞い、木に叩きつけられて地面に転がった。
肺の中の空気が強制排出され、視界がチカチカと明滅する。
「い、あ、が……っ!? 死ぬ、痛い、死ぬ死ぬ死ぬ!!」
なんでだ!?
僕は勇者じゃないのか!?
特典なしとかありえる!?
猪が鼻息を荒くして、トドメを刺そうと近づいてくる。
僕の冒険、開始五分で打ち切り!?
「すいません調子乗りました! 僕なんてただのニート予備軍です!生まれ変わったばっかりなのにもう死にたくない~!」
僕は無様に這いつくばり、涙と鼻水を垂れ流して絶叫した。
牙が目前に迫る。 誰か、誰か助けてくれぇぇぇ!
その時。僕と猪の間に、”稲妻”が躍り出た。
◇
「…………うわぁ」
魔獣討伐に来たら、頭のおかしい変人に遭遇してしまった。
それが、茂みからその一部始終を見ていた俺の、偽らざる感想だった。
見慣れない格好をした変な奴がブツブツと独り言を話してる。
その上奇妙な恰好をしたと思ったら、ワイルドボア相手に『エクスプロージョン!』などと叫び、無風を起こした。
「……なんだあいつ」
本来ならあんな変人とは関わるべきではないと分かってるんだがな。
変な服を着てたり、どうやってここまでこれたのかだったりと気になるところは多いし
……でも、一番は
目の前で死なれるのは気分が悪いよな
「【ウィング・サンダール】!」
俺は地面を蹴った。
魔術で加速し、瞬時に距離を詰め、猪と男の間に割って入る。
「ブモッ!?」
猪が反応するより速く、俺の剣が走る。
あくびが出るほど遅い動きだ。すれ違いざま、斬りつけると同時に魔術で雷を放つ。
ドサッ。
麻痺して動けなくなった猪にとどめを刺すと後ろから素っ頓狂な声が聞こえた。
「へ……? た、助かっ……た……?」
男が腰を抜かしたまま、ポカンと俺を見上げている。
鼻水で顔はぐちゃぐちゃ、服はボロボロ。威厳のかけらもない。
俺は剣を納め、しゃがみ込んでその顔を覗き込んだ。
「よう。『エクスプロージョン』だっけか?何を焼き尽くすのか気になるが、火打ち石の方がまだマシな火力だったな」
「うぐっ……! そ、それは……その……」
男は顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。
「俺はタクト。お前、名前は?」
「……ショウ。ショウです……」
「そうか、ショウ。お前、ワイルドボアに苦戦してたのにどうやってこの森を進んできたんだ?」
「そ、そうだ! あんた、この世界の住人だろ!? 僕、日本から来たんだ! 異世界転生したんだよ! 女神とか見なかったか!?」
「……は?」
何だ、コイツ……急に何言ってんだ???
「だから異世界! 地球! ほら、このジャージとか見たことないだろ!?」
そんな必死な顔で変な服を引っ張ってアピールされてもなぁ。
まぁ、男なら誰だって自分が特別だって勘違いする時期はあるから気持ちはわかる。
俺だって自分は御伽話に出てくる『竜殺しの勇者』だと思ってたしな……今はもう卒業したけど
「ニホン? ……あー、あれか。どっか別の村か? そういや、西の集落だと魔物が出ないから戦う習慣がないって言ってたっけ?」
「違う! 村じゃなくて国! 別の世界!」
何だ、この必死の訴えは
まさか!コイツ本当に別の世界から来たと思い込んでるのか!?
「はいはい。さっきぶっ飛ばされて頭打ったんだな。可哀想に、まずは医者に見せた方がいい」
「信じてよ! 僕は選ばれし勇者なんだってば! さっきの不発はバグだから! 本気出せばすごいから!」
「わかったわかった。すごいすごい」
こいつ、妄想癖がかなり重症だな。
この頭の残念さ。
無防備でこの森を進めたのが不思議なくらいだ。
もしかして、本当に凄い実力を持って……んな訳ないか
「まぁいいや。一旦俺たちの村に来いよ。仲間にヒーラーがいるからちょっと頭見てもらえ。本当に頭を打ってたらそれはそれで危ないしな」
「いや、本当なんだよ!信じてくれよ!」
自分が異世界から来たなんて妄言を信じるヤツは俺たちの世界にも、お前がいたって言い張る世界にもいるわけねぇだろ!
「わかった。もしほんとに勇者様なら俺のパーティに入ってくれ。ちょうど、人手が足りてなくてな」
「えっ!? マ、マジですか!? 神様!?」
ショウの顔がパァッと輝く。
俺はさらに笑顔を深めて続けた。
「ああ、大マジよ。ちょうど『囮』が欲しかったところなんだよ!」
「えっ」
ショウの笑顔が凍りつく。
「い、今……デコイって言いました……? 囮って……」
「嫌ならいいぞ。そこに猪の死体があるから、血の匂いを嗅ぎつけた魔獣がすぐに来るだろうけどな。じゃあな」
俺が立ち去るフリをすると、ショウは慌てて俺の足にしがみついてきた。
「行きます! お供させてください! 荷物持ちでも靴磨きでも何でもしますからぁぁぁ!」
「よし、契約成立だ。あと、囮だからな。荷物持ちなんて雇ってる余裕はうちにはないぞ?」
なんか後ろでギャーギャー騒いでいるが、気にしないようにしよう
俺は楽しげに口角を上げ、新たな仲間の首根っこを掴んで引きずり出した。
「おっしゃ、善は急げだ。村へ帰るぞ」
「あ、はい! 一生ついていきます兄貴! ……あ、ちなみに兄貴」
地面に引きずられてたショウが、申し訳なさそうに俺の後ろを指さしながら
「さっきの猪の血の匂いなんですけど……なんか、もう来てません?」
「え?」
グルルルルッ……。
茂みから、低い唸り声。
フォレストウルフの群れだ。死骸の匂いに釣られて、予想より早く到着なされたらしい。
数匹やそこらじゃない。五匹……いや、後ろからぞろぞろ出てくる。
多分十匹以上いるな。
流石にこの数は俺の実力じゃ捌ききれないな
ん~、しょうがないか
「わるいね!」
「ちょっ、なんでいきなり蹴って、ギャー!」
この数を一人で相手するのはさすがに面倒だし、こういう時こそ囮役の出番だよな!
「そのまま囮としての役割を全うしてくれよ!……ってなんだてめぇ俺にしがみつくんじゃねぇ!」
この野郎!
せっかく最初の任務を与えてやったのに、放棄してんじゃねぇ!
「いやぁぁぁっ!だってそしたら死んじゃう!」
「おい離れろ! お前がくっついたら俺が動けねえだろ!」
「嫌だぁぁぁ! 兄貴が守ってくれるんでしょ!? 僕は荷物持ちだって言ったじゃん! 僕自身が荷物だぁぁぁ!」
「ふざけんなこの寄生虫! 離せ! 重い! 爪立てんな!」
ガゥッ!!
狼たちが一斉に飛びかかってくる。
クソッ!この勇者様、全然役に立たねぇ!
てか、地味に力強いなコイツ!?
しがみつかれたまま全然振りほどけねぇ!
「うおっ!?」
回避行動を取ろうとした瞬間、ショウの腕が俺の首を締め上げた。
重心がブレるし、足がもつれる。
「ぎゃあああ来たぁぁぁ! 噛まれる! 尻を噛まれるぅぅぅ!」
「耳元で叫ぶな鼓膜破れるわ! ……くそっ、走るぞバカ!」
「はい喜んでぇぇぇ!」
俺は剣を抜くことすら諦め、背中に異物を背負ったまま全力疾走を開始した。
「ハッ、ハッ……! おい、降りろ! 自分で走れ!」
「無理です足が震えて生まれたての子鹿みたいになってます!」
「チッ、とんだ貧乏くじ引いたぞこれ!」
背後からは狼の群れ。背中には絶叫する自称勇者。
コイツさえいなければ魔術使って逃げ切れるのに!
……なんて考えてたらショウの真後ろを狼の爪が掠めていた
「ヒィィィッッ!!今、爪が掠った!本当に食べられちゃうッッ!!」
「噛むなら背中のヤツだけにしろ! 俺は不味いぞ!」
「兄貴ぃぃぃぃ!? 裏切り早すぎないぃぃ!?」
森に俺達の絶叫が木霊する。
勇者?
前言撤回だ。
俺が拾ったのは、とびきりの「疫病神」だったらしい




