瓦礫に積まれた正義
この国が不況と呼ばれるようになって、数十年が過ぎた。
人の心にも薄闇がかかり、この国の自殺者は年三万人以上出ている。
真夜中のビル街を一つ裏に入れば月の光も届かぬ、夜よりも暗い闇が待ち構えている。
耳をつんざくような叫び声をあげ、細い路地に逃げこんだ男は何かに怯えているようだった。
「一体どうなってんだ。やめろ、やめてくれ。」
男は吐き捨てるように誰もいない暗闇に叫んだ、幻覚を見ている異常者のように。
返事が返ってくるはずもない、沈黙が辺りを支配しようとしていた。
しかし、瞬間強い力が働き、男の片足はまるで、飴細工のように軽々とねじ切られ宙に舞った。
「ぐおーーー、いてーーー。」
血しぶきが舞い、足を失いバランスを崩した男は倒れ、絶叫しながら打ち上げられた魚のように辺りを転げ回った。
痛みにもがく男は何かにぶつかった。
「オマエハ、シニタカッタノデハナイノカ」
見上げる先には夜空しかなく、しかし音はそこから確かに無気味に聞こえてくる。
「どうして!かみさまーーー!」
実態のない声の主を男は神と形容し懇願した。
極度の痛みが脳内モルヒネにより痛みを相殺し、感情とは裏腹に男の表情は恍惚であった。
「…ククク、この先何が待っているか知らないということは残酷だな。」
男を見下ろす影が二つ、その片方が告げる。
死の先にある場所、まるでそんな場所があるように…
「……。」
もう片方はただそれを眺めていた。
見つめる先には闇に蠢く二メートルを優に超える不可視で凄惨な化け物を。
やがて、男の願いはむなしく、最後に再び絶叫しその生を終えた。
魂が壊されたそれは、力を無くし糸の切れた人形のように倒れた。
「おわったな、秀司。」
暗闇を背にさっきの声が聞こえる。ネオンが 地上に降り立つと彼らを舞台に乗せる。
秀司と呼ばれた少年は長身で手足がすらっとながく伸びている。深くかぶったフードからのぞかせる顔立ちは幼く見え年齢不詳のようにも見える、切れ長眼から感情を読みとることはできない。
そして、彼の傍らに役目を果たした透明の怪物がつき従った。
「どうした。」
男は浮かない顔をしている秀司に問いかけた。
「この行為になんの意味があるのか考えていました。」
秀司は口を開き、冷たい視線を無機質になった人であったものにむける。
「秀司、こいつらは下手したら俺たちの敵になる、それを阻止したんだ。」
そう、社会に悪意、憎悪を抱き、しかしそれで何が変わるわけでもなく、最終的に絶望して自死する。
そうなってしまうと、都合が悪い…。
「このような人たちを選別して、事前に手を打つという効率の話ですよね。」
人の命について、経理の事務作業のように淡々二人は語る。
「そうだ、ここまでふるい落とされてきた社会不適合者だ、こいつらはもはや人では無い、落ちこぼれなのさ。」罪悪感、良心への呵責への言いわけに同意が欲しいのか早口になる。
「南さん…。」
秀司は少しいらだったていた、それは南という男の口からこぼれる承認欲にではなく、会話がずれて成り立っていない事にだ.
別に適合不適合などうでも良いのだ、敵だの味方だの、ましてこいつらを憐れみ救いたかったと思われている、勘違いも甚だしい。
敵、味方、それは誰が決めるのか、僕はなぜ救われなかったのか、味方…
そんなものはいなかった。
それならもっと合理的で良い、自分とそれ以外。
人は弱い、それでいてずる賢く嘘をつき、徒党を組む、それに対峙すれば奴らは敵以外何物でもない。
目を閉じると自分に向けられるたくさんの乱暴な手が迫ってくる。
克服したはずの痛みに秀司は苦笑した。
心に温度があるとしたら、少しのマイナスに傾いたのだろうか、そんな人のような感情の起伏に思いをはせて…。
「羅刹。」
しかし、声にはいっさいの抑揚もなく、冷静に敵と味方、いや自分以外の排除を判断するAIのように。
そしてこれが何を意味するのか透明の神は理解していた。
次の瞬間風が通り抜け、南に胸には風穴があいた。
「ば…か…な。」
真っ赤な鮮血が噴出し、透明の何かを赤が形作る
まさしく言葉の通り異形の悪鬼羅刹、南の前にそびえたつのは異形のモンスターであった。
羅刹は腕を引き抜くと付着した南の血液を振り払い嗤った
「秀司…お前まさか。」
羅刹は力に任せに南の体を引き裂き、魂を喰らった。
肉体は衝撃で歪み有機体から無機物へと変わり果てた。
そして鮮血が飛び散り秀司の頬に紅蓮の花が咲かせた。
「あなたたちが求めたものはこんなものだよ。」
崩れ行く南を横目に通り過ぎる、血だまりに自分の姿が反射する
ふと秀司は頭蓋の裏に粘着物が張り付いたような、不快な感覚に軽く手を伸ばす、しかし何ら自分に変化はない。
しいて言うなら少し興奮している。自分の意思で人を殺めるとはこういうことなのかもしれない、秀司はわき上がるそれを抑えながら微かに笑った。
自分がやらなければならない使命感、そんな物を手に入れたような気分だった。
これで後には戻れなくなった、そして一人になった…。
すでに一人だったか?
いや、鬼が一体いたか、いやもう既に二体なのかもしれない。
「行こう、共に。」
隣の巨漢の怪物の相棒を見上げ、ぼんやりと秀司は思考し、足を進めた。
自分が国の平和を守っている、その志は消え、いつしか傲慢になり自分の名誉を守る為の道具として、正義の味方を演じている者ばかりだ。
守られない人間がいて、しかし一方、守られている人間の中には法を守らない人間もいる、どいつもこいつもとても人間とは思えない、秀司は空を見上げた。
ネオンのライトの向こう、真夜中厚い雲が空を覆い始め、低気圧が湿った空気を連れてきた。
だが秀司の中を覆う雲はこれより一層暗く厚い物なのかもしれない――――
降り始めた雨はさらに強さを増し二日間続いた。
破滅はもう終わりを求めているのかもしれない…




