灰色の重力
なんだかの記念に、昭和30年代に開園された滝の見公園は広大な敷地に雑木林と芝生が広がる都立公園である。
長い残暑が終わり、すぐさま気温が下がり、秋がやってきた。
紅葉が広がり、金木犀が香る。休日の昼間にもなれば。アスレチック広場や芝生が広がるバーヴェキュー広場は家族連れで賑わっている。
暖かさと寂しさが同居する穏やかな時。
そして今日も太陽が高く上り雲一つない快晴であった。
しかしここしばらく、この公園は別のもので賑わう事となってしまっている。
「了解、ただいま現場到着。」
サイレンの音を響かせ、車から降りた男たちは目的地へと歩き始めた。
「まったく休みの日にバーべキューを楽しみに来た家族連れにとっては、ほんと災難ですね。」
「あぁ、まったくだ、あんなのを見たら、もう一回鉄板にもんじゃができるんじゃねーか。」
「…ったく、よくそんな気持ちの悪い事言えますね。」
公園に似つかわしくないメンインブラックたちは神妙な顔つきでありながら、話す内容はどこか不真面目にも聞こえる。
それもそうだ、こんな光景をいつも目にしながら、いつも気を張り詰めていてはこっちが先にダメになってしまう。
医者がオペをするときにクラシック音楽をかけてやるのと、きっと同じようなものだろうと彼らは言うかもしれない。
「しかしもうこの二カ月で何件ですかね、この公園での首吊りって…。」
男たちは綿の手袋をはめると野次馬をかき分け、鑑識に挨拶すると黒と黄色のエマージェンシーのロープが引かれた中へ入った。
広場の隣にある雑木林はブルーシートで覆われている。
先月から今月10月にかけてこの広大な都立公園の敷地内での死亡事件は8件を数えていた。
明らかに常軌を逸している。
遺体は全て木にぶら下がっている。
いずれも自殺というのが警察の見解である。
しかし、マスコミやオカルトマニアたちからは、過激派新興宗教の呪いの儀式、はたまた怪物の仕業ではないかという噂が流れた…この時代にだ。
そして、巷の噂と言うものは全く恐ろしい物で、それが元で本来出張ることのない捜査一課までがこの度、本件に介入する事となった。
「アー気持ち悪い、あんなの見たの初めてですよ。汚物を垂れ流し、顔面が紫色にうっ血して口から泡ですよ。」
ぶかぶかの背広を着た、新米刑事が、真っ青な顔な割に妙に高いテンションで大げさなジェスチャーを交え騒がしく語っている。
ブルーシートに覆われた雑木林の一本に男の言う死体はぶら下がっていた。
涼しくなったとはいえ、昼間の気温が死体を腐敗させ小虫の羽音が絶え間なく近くでしている。
「よく平気ですね。アー思い出したら、うえっ、」
男は今いち自分の話に乗ってこない傍に居た一人に声をかけた。
彼は吊るされている死体を無表情で眺めていたが、それをやめ男の方へ向きなおした。
「そうですね。まぁ運がいいと言えば良いし、悪いと言えば悪いからですかね。」
と不思議な答えを返した。
「それってどう言うことですか、……ってええと、」名前がわからず男が躊躇していると、
「兵頭蓮也です。」
笑顔でそう言うと兵頭蓮也はすらっとした自ら手を伸ばした。
「戸隠勇二です。」
勇二は蓮也の整った顔を眺めながら、刑事よりも俳優かモデルのほうが似合っているんではないか、いやすでにこれがドラマのワンシーンなのではないのか…、少し困惑しながらもバツが悪そうに苦笑いで蓮也の手を握りかえした。
「きっと仕事上、担当する案件がこういうものばかりで慣れてしまったんですよ、しかし人の死に慣れてしまうのも悲しいことです。」と蓮也は続けた。
兵頭蓮也は五年前、国立大学法学部を卒業し、準キャリアとして滝の見警察へと就職した。
そして三年前異例の人事で刑事課捜査第一課への配属により、殺人、行方不明、変死などの案件を主に取り扱うことになった。
辞令を渡され配属されたこの場所は、当初は蓮也に対する風当たりが強かった。
理由は親の七光りで配属された前任者があまりにも無能だったせいもあり(興味本位で1課)に配属を望み1ヶ月で耐えられず交通整備課に異動)、同僚たちが後任である蓮也に対しても警戒していた為である。
最初は無駄に事務仕事を押しつけられ他人の報告書や、始末書の制作、雑務が蓮也の仕事になっていた。
しかし、その生活は1ヶ月も経たない内に激変した。
元々人の目を気にしない蓮也にとっては人の悪意など大事ではなかった。
さらに言えば仕事に関しても何ら問題もなかった、今までやってきた雑用の事務処理はいくらやっても苦にならなかった、ただ始めからこの部署でこの扱いだったら、心が折れていたかもしれないと思うと、三年間で自分も成長している事に蓮也は気付いた。
また、身近に捜査資料があることに興味を持ち、合間に捜査資料を朝まで没頭して読みふけった。
その甲斐もあってか犯人を割り出し、上司の机にそっと報告書を置いた。
すると上司が訝しげな顔で話しかけてくる。
これは君が書いた報告書かと、そしたら笑顔で
「皆さん大変そうなので少しでもお役にたてればと思いまして。」
これでおしまいだ。
出来る人間は打たれてもすぐに、出てしまうらしい。
蓮也が同僚たちに認められるまでそう時間はかからなかった。
全くこの人事をあみだくじで決めた上の連中は胸をなでおろしたことだろう。
そして凶悪犯罪と言われる現場にひっきりなしに招集され、その結果多くの死体を目の当たりにし、人の死に鈍感になった。
…だがこれは蓮也のでっちあげた嘘の理由だ。
蓮也にとって死とはもっと幼い頃から、身近な物であった。
しかし、それを同僚たちに語ることはないだろう。
ここで生きていくには普通でいなければならない。
それが蓮也の中で決めたルールであり決意でもあった。
同僚たちに気を使いながら仲良くやっていくのも、それはそれで楽しいと思い始めていた。
そして何より、自分の中途半端な力でもここでは役に立つことが分かった。
握手する手を放すと蓮也は遠い眼をして小さく息を吐いた。
するとその場にいた誰しも彼の悲しみに同情した。
しかし、それは見当違いであることに誰も気づかない。
故に蓮也の溜息の理由は別の事に憂いを感じてだった。
死体にはいくつかの傷があり、魂が壊され死後間もないはずの遺体が明らかに劣化していること、そしてその傷は普通の人間には特定できないということに。
普通?
そう自分は普通ではない、しかしあちら側においても不完全であり、その輪からはみ出てしまった、そして普通の人間として生きていくことも自分にはままならない。
幼いころから身近に存在する異質の者たち…『鬼』のせいで。
「現世…そして人に干渉している、早く対処しないとまた犠牲者が…。」
誰にわかるでもない言葉を呟く。
「兵頭さんは今回の山についてどう思われますか。」
戸隠は蓮也に一方的な親しみを感じ、さっきよりも気さくに話しかけてきた。
「どうとは?」
「明らかにおかしくないですか、立て続けに。」
言葉を躊躇しながらも蓮也に尋ねた。夏の暑さなのか額から汗がにじんでいる。
「そうですね、もしかしたら本当に呪いや悪魔の類かもしれませんよ。」
戸隠の心を見透かしたように答える。
「そんなー今の世の中に、そんなことあるわけないじゃないですか。」
取りつくろうように言葉をはさんだ。しかし明らかにこの答えを待っていたのは図星のようだ。
「…では、あなたは歴史上の偉人がこの世に存在していた事を知っていますよね、」
戸隠の動揺をよそに蓮也はなぜか話を進めた。
「はー。」
は、なぜ目の前にいる頭の良さそうな人間が非現実的な答えを放ち、ことさらに真剣に話をさらに進めるのか意味がわからず、ただそう答えた。
「あったこともない徳川家康や源頼朝という歴史上の偉人たちを、私たちはなぜ知っているのですか。」
「それは歴史の授業で習ったからです。」
「それも可笑しな話ですよね、だって自分の目で見ていないのに、ただ伝え聞いただけです?」
「だって、当時書かれた書物にかかれていたんでしょ。」
「では、聖書において天国と地獄についての記述があります。イタリアの詩人ダンテアリギェーリは神曲の中で九圏からなる地獄を書いている。」
「……。」
男は困ったまま沈黙した。
「日本でも古事記には黄泉國について書かれているが、あなたは信用できないと言う。」
蓮也は今を生きている人間ならだれでもポカンとさせる様な、通常愚かな考えを平然と口にした。
「しかし今の時代科学が進歩した時代です、血液、指紋やDNA、声紋、網膜、あらゆる物で犯人を特定できます、そんな時代にお化けや呪いで人が死ぬだなんて…。」
戸隠は蓮也が自分をからかっているのだと思い、少しの不快感と共に言い返した。
「……そうですね、では何もおかしい事なんてないじゃないですか。」
蓮也は笑顔で答えた。
勇二はハッとし、とっくに答えを出していたのに、つまらない噂や情報に囚われていたのは、自分自身であったことに気付いた。
「そっ、そうですね、兵頭さんありがとうございます。」
「いえっ、どういたしまして。」
蓮也は見本のような笑顔で返した。
そう、彼らは知らない方がいい。
たとえ闇が跳梁しようとしているのだとしても、彼らは人から人を守るのが仕事なのだから。
「おい新しいヤマだ、この現場はこれでとりあえず撤収だ、急げホシは待ってくれないぞ。」
一通りの調査が終わり、辺りが騒がしく移動していく中、現場の警部が昔見たテレビドラマのようなセリフを吐いた。
蓮也にはそれが少しおかしくて苦笑した。
そして今は、自分も出演者として、このドラマに彩りを添えるのも良いのかもしれないと思った。
もうすぐ日が沈み始めようとしている。
「兵頭何ぼさっとしてる、行くぞ、ここにはあいつらが来るんだとよ。」
「あいつら。」
蓮也には心当たりがあったが、演者のように聞き返した。
「グリーンドラゴン。」
いかつい顔をした上司が、日常にふさわしくない空想世界の生き物の名を口にした、だがそのセリフは間違ってはいない事は、蓮也にもわかった。
「緑竜会…ですか。」
蓮也の表情が険しくなった。
「あぁ、確かにあの胡散臭い奴等にとったら、この件は最もふさわしいかもしれない。」
オカルトめいた案件において、決まって出しゃばってくる連中。
戦時中の秘密結社と同名の組織。
かつて人間に内在する神秘の力を開花させ、超人を作ろうとしていた組織、そんな組織が今や犯罪研究所のように、警察の捜査に介入している。
公的機関に組み込まれず独立法人としての形態をとっているが、噂ではどーいうわけか国から莫大な援助費用が出ているとも言われている。
しかし、その一切が非公表で真実にたどり着くことはない。
捜査一課ですら真実を知らされず不満が出ている。
しかし、蓮也は彼らのことを、他の人間よりもずっとよく知っている。
彼らがいまだ実現されていない計画に固執していることも、それは蓮也自身が歯車の一部として、かつて機能していたからだ。
長かった残暑が終わりを告げる秋の風が吹き始めていた。
蓮也にはなぜかそれがひどく血生臭く不快に感じていた。
そしてぶら下がっている死体が不気味にいつまでも笑っていた。
兵頭さんはスーツが似合うしゅっとしたイケメン




