誕生日ケーキの謎のメッセージ
17歳の若木テルの出会う日常の中の謎。
今回は友人の誕生日ケーキに描かれたメッセージの謎に迫ります。
一話完結の短編です。
俺、若木テルには悩みがある。
今の俺の悩みは、目の前の誕生日ケーキだ。このケーキは、これで本当に良いんだろうか。
年末の寒い土曜日の夕暮れ。
外はもうすっかり暗くなっていたが、暖かな光で照らされたケーキ屋のレジ前に俺はいた。注文していたケーキを受け取りに来たのだ。
店員から「こちらでよろしかったでしょうか」と確認を求められたのは、よくあるイチゴのショートケーキだ。
ミルクとバニラの甘い香り漂う白いクリームの上にはテラテラと光沢を放つ真っ赤なイチゴが八個並んでいる、おいしそうなケーキだ。
直径は二十センチほどあるだろうか。大きなホールケーキのインパクトは誕生日を盛り上げるには十分な存在だと思う。もちろん、注文していたのはこのケーキで間違いない。
間違いないのだが……、ケーキに載っているチョコのプレートに描かれているメッセージの内容がよく分からなかった。
『おたんじょうびおめでとう』
これは問題ない。チョコプレートに最初から書かれているのだろう。黒いチョコプレートに白くきれいな装飾文字で書かれている。問題は次の行だ。
『ヤスくん❤︎』と、おどけた感じのハートマークを添えた名前のうしろに二つ、動物のイラストが描かれていた。
ヤスくんとは、今日が誕生日の太田康弘のことだ。
俺の同級生で、俺が所属しているロボコンチームのメンバーでもある。明るい性格で人から好かれるムードメーカーというやつで、メンバーからはヤスと呼ばれている。
ヤスの誕生日が今月のチームの定例会議と同じ日だったので、サプライズ的に仲間内で用意していたものだった。
動物のイラストのうち一つはおそらく犬だ。尻尾を振った漫画的な犬のイラストが黄色の線で描かれていた。
二つ目の動物はなんなのだろうか。四本足で、体形はずんぐりと丸みを帯びている。一瞬カバかと思ったが鼻の上にはとがった角のようなものがあるので、おそらく、サイだろう。
しかし、なぜ唐突に動物のイラストが描いてあるんだ?
ヤスが特に動物好きという話は聞いたことがなかったし、犬を飼っているという話も聞かない。俺と同じ十七歳なので干支が戌年というわけでもない。ましてや、サイは何の関係があるというのだろう?
ケーキに問題はなかったので、動物イラストの謎はとりあえず置いておいて、ケーキを受け取って学校に向かった。十九時から学校の実験準備室で、チームの定例会議という名の誕生日会が始まるのだ。もちろん、まじめな議題として先月行われたロボコン大会の反省点についても話し合うのだが、たいていの場合はただの雑談になる。このケーキはそこで出すことになっていた。
手に持ったケーキの紙袋を揺らさないように、学校に向かう坂道を歩く。寒い冬の夜道で手が氷のように冷たくなる。こんなの車を持っている先輩がやればいいのに……と思いながら、チョコプレートに描かれた動物のイラストについて考えた。
ヤスとは一年生の頃からの付き合いなので、趣味や好きなものはだいたい知っている。
ヤスは機械いじりが好きなのに、機械科ではなく電気科に来た変な奴だ。実家が町工場をやっているので、今のロボコンチームのメンバーの中でもロボットの加工に使う工作機械が扱える貴重な人材だった。
機械全般が好きな奴なので、うちの学校で自動車やバイクなどの研究を扱っている斉藤研究室と犬塚研究室にも一年生の頃から入り浸っているほどだった。
部活もせずにロボコンや車やバイクなど、機械に関わる好きなことしかしていない目立つ存在だったので、学校ではよく知られていた。
ともかくヤスはそんな奴なので、イラストを描くのであれば車やバイク、ロボットなどのほうが合っている。
誰がそんなイラストの注文をしたのか。先週、ケーキを注文する係になっていたのは……、確か、エマさんだ。
エマさんは四年次に編入してきた電気科の先輩である。
今年の四月に親の仕事の都合でアメリカから日本へ家族で引っ越してきた。すらりとした長い手足に高身長、きれいな金髪に青い目と、とても分かりやすい『アメリカ人女性』だった。
うちの学校は五年制なので、四年次への編入は年齢で言えば十九歳。大学一年生と同じだ。そんな年齢なら母国に残って大学進学した方が楽だったろうと思ったが、母親が日本人ハーフだったので日本語はひらがなカタカナしか書けないものの日常会話であれば通じるので、思い切って家族そろって日本へ来たのだそうだ。
エマさんの思い切りの良さは学校でも発揮され、面白そうだからという理由だけで編入早々、ロボコンチームに加入した。表裏のないハッキリした性格と、相手を尊重する姿勢、その明るいキャラクターも相まって、すぐにチームに馴染んだ。
そのエマさんがケーキを注文しに行ったのだ。
「ミシガンのケーキは、あますぎる。こっちのケーキは、おいしい。わたしがえらびたい」というのが彼女の主張だった。
エマさんはロボコンチームのメンバーとは四月から八カ月の付き合いではあるものの、ヤスの名前もキャラクターも理解しているはずである。ケーキのチョコプレートにヤスのイメージにない動物を描く注文をするとは考えにくい。
エマさんが動物好きでイラストを注文した可能性もあるが、他人を祝う誕生日ケーキのメッセージプレートに、自分の好きなイラストを追加するとも考えにくい。
結局、なぜなんだ。
考えている間に学校まであと四百メートルのところまで来ていた。
交差点の角にあるコンビニの駐車場をショートカットしながら、買い出しの疲れとモヤモヤした気分を吐き出すようにつぶやいた。
「だめだ、まるで分らん」
「なになに、何が分かんないの?」
後ろから急に話かけられて振り返ると両手にコンビニの袋を持った橋田と町野さんがいた。同級生の二人もチームのメンバーで、彼らは飲み物の買い出しの担当だ。
橋田は大きなペットボトルの入った袋を両手に持ってニヤニヤと俺の顔を覗き込んでくる。両手の袋はそこそこ重いだろうが、運動部のスポーツマンには軽い部類の負荷らしい。
その後ろで町野さんは氷の入った袋を一つ持って、ハァーとため息をつくジェスチャーをした。橋田との二人きりの買い出しデートを俺に邪魔されたということで、彼女としてはガッカリだという意思表示なのだろう。
いや、むしろ声をかけられたのは俺の方なのだが、余計なことを言うのはやめておいた。
俺は歩きながら二人にケーキのチョコプレートの謎について話をした。
橋田と町野さんは、黙って俺の話を聞いていた。
「犬とサイ? なんでその動物なんだろう。ヤスくんで連想するもの、ないよね。なにかのシャレとか?」
町野さんはコンビニの袋を指にひっかけてユラユラと揺らしている。
「シャレなんてもの、エマさん誕生日のプレートに入れるかな」俺は手に持ったケーキの箱の入った袋に目を落とす。
「犬とサイか。うーん、そもそも、エマさん、日本語のシャレとか、知っているのな」
橋田はずっとニヤニヤした顔のまま、つぶやいた。
「シャレじゃなかったら、何か別の意味をひっかけているとか?」俺はうーんと唸りながら天を仰ぐ。冬の夜空は空気が澄んでいて星がよく見える。
「あ! わかった!」
「わ、急に大声出さないでよ。……じゃあ、はい、町野さん、お答えをどうぞ」
「犬とサイでしょ? ほら、ヤスくんがよく行く研究室は、何研?」珍しく勝気で得意げな顔で町野さんが質問を質問で返してきた。
「えっと……、あ、そうか!」俺もやっと気が付く。
「そう、ヤスくん、よく犬塚研と斉藤研に行くじゃない。イヌとサイよ!」
フンスッと鼻息が聞こえそうなぐらいに自信満々の顔で町野さんが笑顔で断言した。確かにヤスはよくその研究室に行っている。それを表しているというのであれば、納得できる。
「なるほど! その答えは思いつかなった! 町野さん、すごい!」
橋田は両手がふさがっていなければ拍手でもしそうな雰囲気で町野さんの答えを絶賛した。
橋田に褒められて、えへへと頬を赤く染めて照れる町野さん。彼女も普段からこういう雰囲気でいれば、可愛いのになと思った。
「で、その答えは思いつかなかったってことは、橋田、お前の考えた答えはなんなんだ?」
いつも何を考えているかわからないヘラヘラした男ではあるが、何かあると細かい情報をかき集めてそれらしく聞こえる話を組み立てる才能があるのが、この橋田だ。
橋田が今回は何を思いついたのか、俺は気になった。
「先週ケーキを注文しに行ってくれたのは、エマさんなんだよね。誰か注文のためのメモを書いてエマさんに渡した?」
「いや、誰もそんなメモ渡してなかった。皆で相談した時は七号のサイズのケーキで予算は五千円以内にしようとしか言っていなかった」
俺は先週、チーム内でケーキの相談をした時にその場にいたので、特にそんな場面は見なかった。
「でもまあ、あのケーキ屋ではメッセージの内容は店頭で申し込み用紙に書くから、メモがあったとしても最終的にはエマさんが書いた内容でチョコプレートは作られることになるぞ」
以前、別の機会であのケーキ屋を利用したことがあり、メッセージの申し込み方法を俺は知っていた。というより、それを知っていたから今回その店を薦めたのだ。
「それじゃ、結局、分からないじゃない」
話を聞いていた町野さんが、もっともなことを言う。
「いやいや、申し込み用紙にエマさんが書いたことが分かったので、答えが固まってきたよ。ありがとう若木くん」
普段はその笑顔と一緒に手をヒラヒラ動かしてオーバーに動くところだが、橋田の両手は今、ペットボトルが入った重いコンビニ袋でふさがっているので大人しい。
「で、結局、どうして犬とサイが描かれていたんだよ?」
「まあ、時間だし、ケーキを皆に披露して食べながら、こうなった理由の話もしようよ」
橋田は視線を先に向ける。
俺達三人は話をして歩いている間に校門をくくり、南校舎と北校舎をつなぐ渡り廊下のある通路まで来ていた。実験準備室はここから南校舎に入ったところにある。もう着いたのだ。
時間は十九時のちょっと前。実験準備室にはチームのメンバーがもう集まっていた。
十九時から始まったチームの定例会議は五分で終わった。
チームリーダーの五年生の柴田先輩がロボコン大会の結果と反省点をいくつか話をして、来年の活動で参考にする失敗したことやうまくいったことをノートに記入するだけだった。
顧問の渡辺先生は、だらしなく浅く椅子に座り髭を撫でながら話を聞いて、たまに「ありゃルールがダメなだけだよ」と愚痴を言うぐらいだった。
そんな形式上の定例会議が終わり、用意した飲み物とお菓子を出して雑談のような時間になった。そこで出てきたのが、例のケーキだ。
「ヤスくん。誕生日おめでとー」
チーム皆から祝福され、照れ笑いをするヤスの目の前に十七本のロウソクに火が付いたケーキが出てきた。バースデーソングを歌い、ロウソクを吹き消すというお決まりの流れの後、チョコのプレートを見たヤスが噴き出した。
「って、これ! なんで犬! なんでサイ! ウケル! 面白い! ありがとう!」
こいつは五文字以上の単語を言えないのかと思うほど、語彙力のないヤスが笑うと、その場にいた皆が笑顔になった。
一人、エマさんを除いて……。
「え? なんで?」
怪訝な顔で戸惑うエマさん。
そこにスッと手を出して、柔らかい笑顔で橋田が言う。
「エマさん、これ、とても面白かったから、説明あとまわしにしちゃったの。ごめんなさい。エマさん、そこにある黒板に十七って数字を書いてもらえます?」
「え? ああ、セヴンティーンね。すうじをかくのね。でもなんで?」
「書けばわかるから、ね、お願いします」そういうと橋田はチョークをエマさんに渡した。
「わ、わかった。じゃあ、かくね」
そう言うと、エマさんは黒板に大きくアラビア数字の17を書いた。
「あぁ……、それで、イヌ……」
黒板をみていたチームのメンバー全員が、静かにつぶやいた。
エマさんが黒板に書いた数字の1は、日本人がよく書く縦棒一本ではなく、上の方にある斜めの払い線が強調されて書かれていた。数字の7には、右上から斜めに流れる縦方向の線に直交する短い線が一本足されていた。
ちょうど、数字の1はカタカナのイ、数字の7はカタカナのヌに見える。
橋田がその17の下に、カタカナでイヌと書いた。
その瞬間、エマさんは小さく「オゥ……」と言ったあとクスクスと笑い出した。
「アハハ、わたし……、おみせでちゃんと『オメデトウ ヤス(ハート) 17サイ』ってかいたの。アハハ、でも、これ、イヌね。イヌとサイね。ハハハ」
エマさんがあまりにも豪快に笑いだしたので、チームのメンバーもついついつられて笑い出した。
「たぶん、店員さん、17をイヌと読み間違えて、もうそれにつられて後ろのサイ年齢の『歳』じゃなくて動物のサイって思いこんだんだのかもね。でも誕生日ケーキだよ? サイって書かれて動物のサイになる? チョコのプレート作る人も、そうとう頑張ったと思うよ。ほんと、このサイ、良く描けていて可愛いよね。ハハハ」
黒板の前で橋田とエマさんは二人とも腹を抱えて相手の肩をたたき合いながらしばらく笑っていた。
あとで冷静になったら、何がそこまで面白かったのか良く分からない話だった。
しかし、今でもうちのロボコンチームの反省ノートには『数字の書き方には注意すること』というノウハウが書き込まれ、残っている。