22話:喫茶部の充実とロッキード事件
この頃になると、いざなぎ景気が終わりをつげて、景気が落ち込んできた。そのため閉店する店が出始めると、もう一店、多くの料理を作れるレストランがないかと待ち続けていた時、同じビルの最上階の大型展望レストランが閉店するとの情報が入った。しかし、賃料は高く、どうしようかと迷ったが、チャンスは少ないと踏んだ里見賢一は、借り受けると連絡して契約した。
2月に工事を始め3月から開店できることになった。そのレストランの作りは古く、回収費用が、かさんだが最新鋭の料理器具に変えた。全体の面積の中でも調理室の比率が高い旧式の作りで人気がなかったこともあって価格交渉で安く借りられた。3月から料理を開始した時、横浜本店の喫茶部の責任者、西藤健太が、喫茶部を充実させて利益率を上昇させた方が良いと提案した。
西藤の提案では、東京の元喫茶店の1つで高級珈琲、紅茶、中国茶を出して東京でも、なかなか飲めないような商品を出して儲けようと言う考えだった。格安店だけでなく高級店も作り、知名度が上がれば、客は来るはずと積極的に里見賢一を説得。そのプランを聞いて了解した。西藤の弟子を2人作って高級珈琲、紅茶、中国茶を低価格で大量に手に入れられるプロを育成するように指示した。
わかりと答え、若者の中から2人を決めて仲買の修業をさせると伝えて人選を始めた。5月連休明け人選が決まり3人で高級珈琲、紅茶、中国茶の仕入れに御徒町、上野へ毎日のように出かけた。そして、モカ、コナ、ハイランド、キリマンジャロ、マンデリン、トアラジャ、アイスコーヒー、ブラジルスペシャル、水出しコーヒーの品ぞろえを提案。
紅茶でもダージリン、アッサム、ウバ、アールグレー、アップルティーやローズティーをそろえた。その他、台湾の銘茶もジャスミンティー、プーアール、文山包種茶跌観音茶、凍頂烏龍茶、凍頂四季春茶、阿里山金萱茶をそろえた。その後、全商品を少しずつそろえて店の休みの昼過ぎ、最初は、珈琲、次に紅茶、その次が烏龍茶の茶会を開いて値段と香りと味をみてもらった。
そして最終的に珈琲4種類、紅茶4種類、中国茶4種類の特性、普通の珈琲、紅茶、ウーロン茶も決定した。試験的に販売をしてみるとランチの時、かなり好評だった。中には、珈琲豆、お茶の葉を売ってほしいと言うリクエストまでも出た位。そこで、料理だけをAセット、料理にお茶を付けたランチ、ディナーセットBセットにして料金を300円を加え出すと、かなりの量が売れた。
そこで、食事が途切れる、昼、夜の中心時間帯以外は、お茶だけでも提供した。各ブランドの特別珈琲、紅茶、ウーロン茶とお菓子のセットも提供し始めた所、それ目当てのお客さんが増えてきて、売り上げ貢献し利益率も上がった。特別珈琲、紅茶、ウーロン茶とお菓子も予約販売と言う形で提供し始めた。そうしてるうちに1973年を迎えた。
しかし、この当時は、石油ショック、異常な物価高騰の狂乱物価が起きて、高度成長は、終わりを告げた。その後、景気が落ち込んで今まの高級店から先に影響を受け始めた。高級店から少し安い店に来るお客さんが増えて、むしろ里見の店は、割安優良店として高級店からのお客さんが入るようになった。そのため客が増えて営業時間を増やして対応していった。
しかし、さすがに、1974年には、戦後初めて経済成長率がマイナスに転落すると伸びが鈍化。そのうちに、お客さんの減少に耐えられなくなった店から店舗閉鎖し里見の高級店の減少が食い止められた。里見賢一は、この不景気を乗り越えれば、きっと先は明るくなると、店の若者に言い聞かせて、喫茶部門の強化と宅配事業を開始し、中高年からの注文が増えた。
その後、利益率は、小さいが、ランチセット、ディナーセットを格安の値段で出す作戦に転じた。客単価を下げても売り上げを上げる戦術を取りチキン、豚挽き肉、豚バラ肉、輸入牛肉を格安で手に入れた。さらに牛バラ肉もミンチマシンを買い込んで自分の店でひき肉を作った。その涙ぐましい努力で利益を積み上げていき耐え忍んでいった。




