(2)
「それでそのレンと千草宗幸が連れ立って歩いてたっていう話題が学校内のあちこちで拡散されてるんだけど、それってじつはレンじゃなくて、やっぱりまた山田さんなんじゃないの?って思って!」
「えっ!?」
沙優海に詰め寄られて遙飛は仰け反った。
「またハルちゃん驚かせようとして、山田さんが遊びに来たんじゃないかとあたしは踏んでるんだけど、ハルちゃん、イトコさんからなんか聞いてない?」
「い、いや、その……」
『山田太郎』は漣なのだから、学校にいたこと自体は間違いではないのだが、あっさりそうだとも言えない。言葉に窮していると、またしても将輝が笑いながら会話に割りこんできた。
「サユちゃんさあ、遙飛の従兄がまた来てたっていうのはともかくとして、もうひとり増えてんのが説明つかないじゃん。そんなソックリの有名人がその辺にゴロゴロ転がってるわけないって。しかもなんでそいつまで、ウロつく場所がうちの学校?」
「だから余計にハルちゃん関係かなって思うんじゃない」
沙優海はすかさず反論した。
「山田さんがあれだけレンにソックリなんだよ? だったらその友達とか知り合いとかにもソックリさん仲間とか、なりきり仲間とかがいるかもしれないじゃない。あるいはやっぱりその人もハルちゃんのイトコさんで、鈴木一郎さんっていう人かもしれないし」
「ハル、おまえ、そんな名前の従兄もいるの?」
真顔で訊かれて、遙飛は激しく首を横に振った。
すごい発想力である。ここまで来ると、もはやなんでもありのような気がしてきた。
「あ、あの、気のせい、じゃないかな」
たじたじになりながらも、遙飛はなんとか口を開いた。途端に沙優海は鋭い眼差しを遙飛に向けてきた。
「え? 違うの?」
「うん。あの、昨日は従兄もここには来てない、と思う。まえのときの騒ぎでちゃんと釘刺しておいたし、それに向こうも仕事があるから、そんなしょっちゅうは来れないと思う」
「でも、それじゃ今回話題になってる人たちはだれ? まさか今度こそ本物のレン!?」
「――なわけはないと思う」
両手を頬に当て、「キャ~ッ」と盛り上がりかけた沙優海を、遙飛は冷静に制した。
「だからたぶん、見かけたっていう噂自体がホントじゃないか、もしくは見かけたと思ってる人が見間違えてるっていうか、勘違いしてるんじゃないかなと俺は思うけど」
「でも、すんごいたくさんいるんだよ?」
疑惑の眼差しを向ける沙優海に、遙飛は困ったような笑いを浮かべた。
「うん、でもやっぱり、その人たちの気のせいだと思う。だって、従兄のときでさえあんな騒ぎになったくらいだし、今日それだけ話題になってるなら、昨日の時点でもっとすごい騒ぎになっててもおかしくないと思うから。でも、そういう騒ぎは昨日はなかったはずだよね?」
今回ふたりに増えて、さらに見かけた場所が学校のなかだったんでしょ?と逆に訊き返すと、沙優海は難しい顔で考えこんだ。
「言われてみれば、たしかになんか変……。え~、でもなんで?」
「春だからじゃね?」
沙優海の疑問に、将輝が軽い調子で答えた。
「なにそれ」
沙優海は怪訝そうに将輝を顧みる。そんな沙優海に、将輝はとぼけた表情で応じた。
「いや、なんてかさ、五月病とかにはまだ早いけど、春ってなんか気がゆるむっていうかボ~ッとするから、こないだの遙飛の従兄の騒ぎもあって、なんとなく妄想がひとり歩きしちゃった、みたいな」
「え~、こんな大人数でぇ? そんなことあるぅ?」
「ないとは言いきれない。げんにさ、俺、昨日の古文とグラマーの授業、内容全然憶えてないし、ノートもとった形跡がないんだけど、サユちゃん、ちゃんと憶えてる?」
「え~、ちょっとなに言ってんの、イワッシーくん。つい昨日の話でしょ。大丈夫?」
将輝をバカにしかけた沙優海は、憶えてて当然とでも言いたげに内容を説明しかけて、そのまま口の動きが止まった。そして、
「………………え? あ、あれ……?」
言いながら、あわてたように鞄のなかに手をつっこみ、ガサゴソと漁った末に取り出したノートをパラパラとめくる。そしてもう一度、今度は机のなかを探っておなじようにノートを取り出し、ついでに教科書も取り出すと、それぞれの中身を熱心にチェックした。それから大きな目を瞠ったまま、無言で顔を上げた。
「あ、やっぱサユちゃんもないんだ」
よかった、俺だけじゃなかったと、将輝がなぜか嬉しそうに言う。そんな将輝を、沙優海は茫然と見て、それから遙飛にも目を向けた。言葉にはしないその目が、「なんで!?」と訴えていた。遙飛は苦笑を浮かべながら無言で肩を竦めた。
「な? だからさ、なんかわかんないけど、たぶんそういう季節なんだよ」
まったく理屈は通らないものの、将輝は勝手にそう結論づけてひとりで納得している。沙優海はふたたび自分のノートに視線を落とすと、「あたし受験、大丈夫かな……」と不安そうに呟いた。いささか申し訳ない気もするが、ここで余計なことを言うわけにもいかない。この調子ならば、学校中にひろまっているという漣と千草の噂も、すぐに立ち消えとなるだろう。
なんとなく話題がおさまったところで、担任が入ってきてホームルームがはじまった。
全員が着席した状態で、遙飛はあらためてクラス内を見渡す。その目はやはり、右斜め前方のひとつの席に留まった。先程まで空席だったその場所に、きちんと前方を向いて座る人影がある。一瞬ギクリとしたものの、すぐに見知ったクラスメイトのものだと気がついて、遙飛はホッと胸を撫で下ろした。そしてようやく思い至る。その生徒の名前こそが『湯川』だったのだと。
クラスのなかに、もうひとりの湯川がいた痕跡は、すでに完全に掻き消されていた。それはホッとする反面で、どこかもの悲しさのような痛みをおぼえる、遙飛だけの記憶だった。
たった数日間だけのクラスメイト。
漣と千草からは、あのあと本当に遙飛の携帯に連絡が入った。遙飛込みでの打ち上げをするというのは、冗談ではなかったらしい。
『霄壌、祈り盈つるるをもって世に光華溢れん。清冽なる力宿せし寿ぎは、邪を祓いたまいて万象覆らせん――』
ファルダーシュの詠唱が、ふと脳裡に甦る。
――君は、前世を信じますか?
出逢いは、信じられないほどいかがわしくて怪しかった。
こんなことが、本当に現実に起こりうるのだ。独り思って、遙飛はひそかに苦笑を漏らす。
剣も使えず、特別な異能もなく、無力で平凡で、ささいなことにも気後れして頭を悩ませてしまうヘタレな高校生。だけど、あのふたりに少しでも追いつけるよう、頑張ってみるのもいいかもしれない。そう思った。
人間の王としても、神族の要としても、ずっと中途半端だった。かつての世界でも、あのふたりのいる場所は、自分にはいつも眩しく、遙かに手の届かないものだった。だが、今度はおなじ人間として平和な世界にともに生まれ、こうしてふたたび出逢うことができた。
すでにこんなにも差が開いてしまった自分には、やはりどれほど必死に追いかけようとも、彼らのいる場所までたどり着くことはおろか、その背中に追い縋ることさえできないかもしれない。それでも。
立ち去りぎわ、屋上で振り返ったふたりの姿が浮かぶ。
たとえ追いつけなくとも、自分が諦めないかぎり、そして懸命に足掻きつづけるかぎり、彼らはいつでもその足を止め、笑顔で待っていてくれることだろう。
その笑顔が、遙飛の背中を押す。自分たちのいる場所まで這い上がってこいと。
こんな縁があってもいい。
彼方の異空にひろがる世界に、遙飛は懐かしく思いを馳せた。
~end~
最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。