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最終回 前編

輪廻の鎖 改訂版


― 最終回 前編 ―


 世界が変化したのは一瞬の事だった。

 固い、それでいて冷たい、石で作られた商店街の道は瞬く間に砕け、その形を変貌させていく。その場に佇む真冬は溢れる感情を制御する事など出来る訳がなかった。見慣れた地が、親しんだ地が、変わってしまったのだ。当然である。

「――止めろ」

 真冬は短く、それでいて鋭い一言を発する。外へと吐き出さねば、生まれ続ける感情によって内側から壊れてしまいそうだったから。

「もう戻る場所はないんだね」

 左隣に佇む春がぽつりと呟く。

 春が言う通り、真冬が戻るべき場所はすでにない。

 二人の想いが初めて交差したドーナツの店は、禍々しい真紅の大剣により天井を抉られ、店内を見渡す事が可能だったウインドウは粉々に破砕されている。他にも指輪を購入した店が、普段からよく通っていたカジュアルな服が並べられた店も、全てがただの鉄筋とコンクリートの塊となってしまっているのだから。もう日常を歩む事は出来ない。

 非日常が、日常と混ざってしまった、今は。

 善良な人間であれば、躊躇するであろう行い。それを平然と成したのは、選ばれた地の中心に立ち尽くす存在である。

 淡い金髪を、降り注ぐ大剣の剣風によって揺らし、愛らしい瞳を狂喜に歪める少年だった。

 真冬が、そんな彼へと鋭い視線を向けると。

「綺麗になった」

 彼は可笑しそうに笑う。

 実際に楽しいのだろう。降り注ぐ剣が、建物を、人を破壊する度に浮かべた笑みは深くなるのだから。彼にとっては、叫び声は心地良い音色だとでもいうのだろうか。破壊する事は、気分を晴らすような行いだとでもいうのだろうか。そんな事があってもいいとは真冬には思えない。

 だから、叫ぶ。力の限りに。

「――止めろ!」

 もう我慢の限界だったから。

 作戦を立てた方がいい。

 戻って皆と合流した方がいい。

 幾重にも渡る、数えればきりがない、足を止める理由の数々。しかし、真冬の足は止まらない。無慈悲な破壊を続けさせる訳にはいかないから。

 春を止めるために刀を失い、すでに雫の力はない。丸腰、つまりは無防備。

 それでも駆けなければいけない。人を殺す事を楽しむなど、許される訳がないのだから。どんな理由があっても。

 その想いに応えてくれたのは――

「真冬。僕の力を」

 心を弾ませてくれる、妹だった。

 刹那。

 無造作に転がるコンクリートに足を取られながら疾走する真冬の前方に、それは出現した。

 想い人の力を帯びた刃が。

 長さ二メートルはあるであろう、一振りの太刀。刀身は監視者の力の影響なのか、真紅。穢れの、そして天に昇る不気味な月の色である。

 真冬を、皆を死へと追い詰めた色と言っても過言ではない。不吉さを感じさせる、色。

 だが、真冬が躊躇したのは一瞬の事だった。

(春を――信じる!)

 心中で叫んだ真冬は、天を貫くかの如くに浮く太刀の柄を握り締めて、右に振り抜く。

 その瞬間に、右肩が悲鳴を上げる。

 本来は両手持ちを想定した武器を、片手で振り抜いたためだろう。だが、痛みが走ったのは一呼吸の間のみ。

 伝わるのは、春の力。

 温かくて、包むような優しい力だった。

「俺が――終わらせる!」

 全身を包む恐怖を追い出した真冬は疾走する。今までの、もたついた足取りではなく、コンクリートを踏み抜くように激しく、それでいて鋭い疾走。

 ――目標の彼までは、すでに五十メートル。

 彼を守るように陣を組むように配置されているのは、穢れ。

 天使の軍団レギオンの猛攻を受けても、生き残った穢れの残党である。

 西洋甲冑を纏った穢れ十体は、彼の前方で二列に並び、霧の穢れ八体は左右へと、均等に分かれ両翼を広げるように展開している。

 彼の眼前を固める事で敵を阻み、足を鈍らせる。その間に、両翼からの猛攻で倒す作戦なのだろう。単独での突破は明らかに無謀だろう。

(上手く天使と連携出来れば)

 真冬は速度を緩める事なく、視線を走らせる。

 真冬達と同様に、監視者の世界から日常の世界に舞い降りた天使を。

 だが、真冬の期待はすぐに打ち砕かれる。穢れの軍勢を容易く撃破せしめた天使達ではあるが、現在は見るからに動きが鈍いのである。まるで蓄えた電力を失った機械を思わせるほどに、鈍いのである。中には身を形成する力すら足りないのか、真っ白な光の粒子へと変わっていく者もいるほどだ。

 正確な数を把握してはいないが、動ける天使はざっと十体ほどではないだろうか。

 目標である彼が、どこまでの力を有しているのかは不明である。だというのに、数に置いては不利。劣勢である事は言うまでもないだろう。

「道を作ってくれ」

 真冬は言葉が通じるのかは分からないが、天使へと低く呟く。

 進みながらでも活路を切り開くために。この段階になれば敵に背を向けて退く事は、自身の身を危険に晒す事になる事は真冬でも分かる。天使を盾にして後退するという選択もある。だが、天使を失った真冬達に抗う手段はない。

 ならば進む他に道はないのである。そもそも退くつもりなどないのだから。

 覚悟を決めて、地面を強く蹴ると。

 天使は意思が伝わったのか、両翼を羽ばたかせ飛翔を開始する。

 ――それが合図だった。

 敵も、元凶のみを叩くという、こちらの意図を察したのだろう。すぐさま両翼に広がる穢れは、両刃の騎士剣を、槍を射出する。

「みんな消してね。こんな醜い存在」

 彼は赤い瞳をうっすらと細めて、どこか明るい声で指示を飛ばす。

 その瞬間。両翼から射出される刃に加わり、もう一つ刃が加わる。

 それは真冬の日常を破壊し尽くした刃だった。彼の武器だと思われる、真紅の大剣の雨である。

 左右、そして頭上からと。背後以外は全て塞がれてしまった真冬。

 地面を蹴る度に、迫る刃の勢いは鋭くなり、自身の死は近づいていく。

 ――目標まで、残り三十メートル。

 前方を固めている西洋甲冑を纏う穢れと交戦しなければならない距離に差し掛かる。

 咄嗟に進路を塞いだのは、二体の穢れ。

 一体の穢れが剣を振り下ろしたのを視界に収めた真冬は、一息で懐へと入る。

「断ち切る!」

 叫ぶと共に、右手に握る太刀を左下から右上に向けて、刹那の速さで振り上げる。信じるのは愛する人の力。

 一閃が剣響を響かせる。

 駆け抜ける真紅の輝きは、振り下ろされた穢れの騎士剣を、甲冑を、あっさりと両断する。

 太刀を振り上げる、複数を相手にするには明らかに隙が大きい動作。無防備な体を晒すような動作が可能なのは、信じている人がいるからである。

 まるで計ったようなタイミングで舞ったのは桜色の花びら。花びらは意思を持つかのように鮮やかに舞い、頭上を覆う大剣を、無防備な真冬を狙う穢れの刃を切り裂く。

 その瞬間、刃の内側から膨れ上がるのは桜色の結晶。

「真冬は――僕が守るよ」

 背に届く、春の言葉。

 言葉が届く限り、想いが伝わる限りは進める、そう真冬思う。どんな困難があろうとも。

 結晶と形を変えていく刃が砕ける様を、視界に収めた真冬は穢れの左隣りを通り抜ける。武器を失った穢れを、進路を塞いではいない穢れの相手をしていられる状態ではないのだから。

「来るんだね。なら――受け取ってよ。ボクの想いを」

 彼は空から降り注ぐ大剣の一つを掴み取り、地面と平行に構える。刃を通して伝わるのは確かな殺意。いや、それだけではない。怒り、憎しみ、絶望、数多の感情。

 彼の想いは、この地に住む者が抱いた想いの蓄積。誰しもが直視する事を躊躇う感情である。

 しかし、真冬は彼の瞳から視線を外さない。狂喜に満ちた瞳を注意深く見つめ続ける。彼が表面的に浮かべる瞳の、さらに奥を。彼を知るために。

(揺れている?)

 瞳の奥深くから感じるのは悲しみだった。揺れ続ける、不安定な感情。しかし、なぜ彼は悲しむのだろうか。殺しを楽しんでいるかのように見える彼が。

 真冬は思考を走らせる。

 ――辿り着いた答えは。

 彼は負の感情の集合体として生まれた事を、そして怒りに突き動かされて人を殺める事を嘆いているのかもしれない、という事だった。人ではない存在の心境であるので、正しいとは断定出来ない。だが、どこかで人らしい感情が残っているというのであれば、それほど遠い答えではないのではないだろうか。

 怒りに満ちた狂喜の瞳。逸らしてしまいそうになる瞳。

 だが、彼の心に一瞬だけ触れた真冬は、決して逸らしてはいけないのだと思えた。

 無意識に悪だと思えてしまう、彼が抱いている感情。しかし、それは誰しもが浮かべる感情。真冬の心にも存在する想いなのだ。ただ、彼は抱える量が多いだけなのである。

 彼を拒み、この手で殺す事が最も簡単な結末。八割、いや九割以上の者がその道を選ぶ事だろう。真冬自身も今の今まで、そう思っていたのだから。

 その想いを変化させるのは、彼の揺れた瞳。

 今にも涙を浮かべそうな、年齢に見合った揺れた瞳だった。

 彼の瞳を、視界に収め続けた真冬は――

「解放して、あげないとな」

 成すべき事を、心に沁みさせる。刻まれた言葉は、真冬をさらに加速させる。

 結果が決まるのは、おそらく一瞬。

 世界の誰しもが、真冬を「愚か者」と呼ぶのかもしれない。

 だとしても真冬は、その一瞬に向けて、迷わず進む。救えるのだと、信じて。



 空へと向けて放たれるのは、鋭利な針。

 空を駆けた針は狙い違わず降り注ぐ大剣を貫通させ、微かに軌道を変化させる。すでに脅威とはなり得ない刃を視界から外した雫は、再び針を両手に形成する。

(このままでは進めませんね)

 直撃するものだけを弾いているが、あまりにも数が多すぎるのである。おそらく真冬の援護に向かわせないための足止め、のつもりだろう。

 雫一人であれば、障壁を展開しつつ前進すれば援護には向かえる。だが、それが出来ない理由が一つある。

「――俺が動ければ」

 背に悔しそうな声が響く。声を上げたのは片膝を地につけて悔しそうに呟く藤堂である。

 彼が動けないから、雫も動けないのである。

 見捨てていけば確かに進める。だが、それは今の自分には到底不可能な事だった。

(――丸くなったものですね)

 心中で苦笑した雫は、再び針を空へと投擲する。そして、宙で軌道を変更出来なかった大剣は、新たに両手に形成した鉄扇で地へと叩き落とす。

 伝わるのは、確かな重さ、そして衝撃。

 雫は両手が痺れる事も構わず、鉄扇を振るい続ける。まるで舞を踊るように。優雅に、可憐に、一切の乱れもなく。

 大剣が地へと突き刺さり轟音が鳴り響く。それでも変わらず、一定の速度で舞い続ける。お節介なクラスメイトを守るために。ただひたすらに。

(好機があれば、いいのですが)

 一息付ける時間さえあれば、藤堂に癒しの術式を行使出来る。しかし、その暇はない。せめて数秒でもあれば行使出来るというのに。

 僅かな好機をその手に掴むために、膝をつく彼に一度視線を走らせると。

「左! 新手だ」

 藤堂は表情を蒼白にして叫んだ。

(新手?)

 言葉は届いたが意味は理解出来なかった。確かめるために視線を、言葉通り左に向けると。

 一度、獣の唸り声が届く。

 その瞬間に、警告の意味を正確に把握した雫は鉄扇を構え直す。

 この程度の奇襲を防ぐ事など、雫からしてみれば余裕である。だが、問題は天から降り注ぐ大剣の雨だ。一秒すら暇がない状況で地を駆ける穢れに対処しろというのだ。

 冷静な雫は、すぐに不可能だと断定する。

 しかし、例え不可能だとしても成さねばならないのである。体は自然に、傾斜を流れる水のように滑らかに動く。どうやら走ってばかりいる真冬の熱に、触発されてしまったらしい。

(本当に――困った人です)

 結ばれる事なくとも、影響を与え続ける織部真冬。そんな彼に生きて再び会える事を祈って。そして、背に守る彼のために。雫は覚悟を決める。

 ――刹那の速さで鉄扇が駆ける。

 駆け抜けた鉄扇は、今まさに雫の首を食い千切ろうと迫る、狼に似た穢れの胴を両断する。

(――数は)

 奇襲を防いだ事で弛緩する心を叱咤して、視線を前方に。それと同時に空を覆う大剣にも意識を向け続ける。

 雫と藤堂を狙う、狼に似た穢れは左右にそれぞれ二体ずつ。前方にも二体。背後には気配を感じる事はない。現在の数は把握したが、おそらくまだ増えるだろう。

 一度、深呼吸をする。

 握り締めたのは鉄扇。状況確認のために止まってしまった雫の舞いのような連撃。止まった時間を埋めるためには、さらに鋭く、それでいて無駄のない動きが必要不可欠となるだろう。

 停止した体に、再び力を込めると。

「この! ここで止まってられっか」

 藤堂の叫び声が届く。どうやら最後の気力を振り絞って立ち上がったらしい。視線を向ける余裕はないため、正確には分からないのだが。

 藤堂の声に混じって届いたのは、先ほどからしつこく聞こえる獣の唸り声。そして、見上げた視界に入るのは真紅の大剣である。

 幾重にも渡る火花を撒き散らして、鉄扇が舞う。軌道を変更された大剣が地を抉り取る。ここまでは穢れも予測出来ていた事だろう。いや、おそらくこの瞬間を待っていたに違いない。

 雫の両手が痺れ、動きが鈍る、この瞬間を。態勢を整える、刹那の瞬間を。

 雫もこの時を狙ってくる事は理解していた。しかし、それでも防がねば大剣によって串刺しにされてしまうのだ、防ぐ他にはない。

 ――迫るのは、左右からそれぞれ二体ずつ。

 前方の穢れは様子を見ているようである。雫の態勢が完全に崩れる、その瞬間に飛び掛かるつもりなのだろう。獣の癖によく知恵が回る、と内心で毒づいた雫は即座に行動に移る。

 防戦に置いては切り札となる障壁を、右側から迫る穢れの正面に。溢れる閃光を視界には入れずに、素早く左側に向き直る雫。

 一度、二度。

 金属音を響かせて、進路を塞ぐ大剣を弾き飛ばす。溢れる火花の先に見たのは、地を蹴り、飛び上がる穢れの赤き瞳。

 そして、雫の胸を狙う鋭い爪だった。

「ふっ――!」

 一息吐くと共に鉄扇を振り上げて、一体の爪を受け止める。そして、時間差で飛び上がった穢れに対しては左手に握る鉄扇を下投げで投擲。縦の回転を得た鉄扇は穢れの頭部を切断し、血に似た霧を溢れさせる。

 ――まずは一体。

 普段であれば喜びたい所ではあるが、状況は一つも好転してはいない。その証拠に左肩に感じるのは焼けるような、熱さ。動きが止まった雫の左肩を大剣が掠めたのだ。

「ぐぅ――!」

 雫は痛みに呻く。左足に突き刺さらなかった事は幸いではある。だが、痛みによって雫の動きが鈍っている事は誰の目にも明らか。

「まだ――まだ倒れません!」

 鈍る体を鼓舞するために、雫は叫ぶ。

 叫びを力として右手に握る鉄扇を強引に横薙ぎに振るう。鉄扇は受け止めていた穢れの爪を切断し、穢れを地面へと叩きつける。

 その隙を、当然雫は見逃さない。痛む左肩を酷使して、即座に形成した針を投擲する。

 ――これで二体。

 残りは雫の背後にいる障壁で留めた二体と、右手側で動かない二体。

 休む暇も、巫女服を赤く染め上げる左肩を癒す暇も、当然ない。今まさに背後からは軽やかな足音が響いているのだから。展開した障壁は、すでに破壊されたという事だろう。

 対応するために、背後を振り返ろうとすると。

「――武器を」

 軽やかな足音に混じって聞こえたのは、藤堂の声だった。しかも、初めて聞くような有無を言わせない響きを持った、冷たい声。

 驚きを隠せない雫が振り返ると。雫の背を守るように立ち尽くしていたのは、赤い髪を揺らすクラスメイトだった。

「その怪我では――」

「お前も一緒だ。なら――ここは男の出番だって」

 彼は雫の言葉を遮り、先ほどの言葉が幻聴だと思えるような、いつもの陽気な笑顔を浮かべて返す。

(どうすれば)

 藤堂には障壁を突破した穢れが迫っている。雫が、今さら向かった所で、間に合いはしない。

 迷っている時間はすでにない。

「全てを切り裂く刃を――」

 雫は彼を信じて、言葉を紡ぐ。

「我を護る者に与えたまえ!」

 手に握る鉄扇を消失させて、力を彼へと与える。

 力を失った雫は、空から降り注ぐ大剣を視界に収める事は出来ない。あとは障壁で守るか、彼に守ってもらうしかないのである。

 解き放たれた力は、海のように深い青で塗られた槍へと変わる。

「任せろ!」

 その力を両手に収めた藤堂は雫を守るために、一歩、二歩と、後退していく。降り注ぐ大剣を叩き落としながら。そんな彼の背中を見つめながら、雫は、自身の命を彼へと託した。



 空へと放たれるのは光の矢。数十を、いや、数百を超える光の矢を一瞬で形成せしめているのは腰まで届く金髪をなびかせる少女、フリージアである。

「さすがに苦しいわね」

 左手の袖で汗を拭いながら、愚痴をこぼす。

 本来であれば聖歌を響かせる事で、天使の軍団を保つ事を優先させねばならないのだが、カインが倒れた今では無防備に歌っている訳にはいかないのである。

 現在の状況は、セシリア一人で天使の軍団を保ち、フリージアは足元で倒れているカインと、無防備なセシリアを守っている。他にはどうしようも出来ない、というのが正しいだろう。

「頑張って――こっちもそろそろ限界なんだから」

 左隣で立ち尽くすセシリアは、蒼白な表情を浮かべており、言葉通り限界が近い事は誰の目にも明らかだろう。本来であれば、一人で力を発動させる事くらいは平気でやってのけてしまう、最強のエクソシストである、セシリア。

 だが、今はフリージアの体を蝕んでいた、呪いのような監視者の力を受け取った事で、本調子ではない。しかし、天使の軍団が失われれば、ここから目測で百メートル先にいる真冬達は勝利を手にする事は叶わないだろう。

 戦いを終わらせるのは真冬達。だが、それを支えるのはフリージア達なのである。

(何か方法はないの?)

 光の矢の射出準備をしながら、必死で方法を探していくフリージア。ここで防戦のみに徹して、他人に任せるだけでいい、とは思えない。

 戦いにはそれぞれ役目がある。今のフリージアは天使の軍団の維持を助ける事。人によってはそれだけでも評価するのかもしれない。

 だが、納得出来る訳はないのである。

 ここでじっとしているなど、フリージアの性格が許さない。悩んでいる暇があるのなら行動する。そして、道が見えないのなら、見えるまで突き進むのがフリージアである。

(私にも同じ力がある。それなら――)

 フリージアの意志は徐々に固まっていく。現状を打開するには、このままで良いとは思えないから。不可能だと笑われるかもしれない。それでも何もしないで諦める事など、出来ないのだ。

「やるだけね」

 鋭い瞳を空へと向けて。とりあえずの危機を逃れるために光の矢を射出する。

 矢は天へと昇り、降り注ぐ大剣を粉々に破砕する。

 一瞬の猶予。態勢を整えるには絶好の好機。

 その瞬間に届いたのは――

「最強の名が泣くわね」

 姉と慕う女性の声。

 すぐさま視線を向けると。

 セシリアは砕けたコンクリートに片膝をついていた。すでに力を使い果たしてしまったのか、彼女の体から溢れる光は見えない。限界、という言葉には嘘偽りはなかったらしい。

「でもね。諦めないわ」

 呟いて鋭い視線を前方に向ける、セシリア。彼女の横顔は何かを決意したような、そんな表情だった。予感めいた寒気を感じてしまうほどに、張り詰めた表情だった。

「何を……するの?」

 全身の血の気が引いていく事を感じながら問う。

「人は、命を掛ければなーんでも出来てしまうんだよ、フリージアちゃん」

 にこりと笑ってセシリアは呟く。

 その瞬間。止める間もなく。

 光が溢れ、そして、歌が響く。

 世界の終わりを表現したかのような荒廃した、冬月の地に。

 彼女が選んだ奇跡は、最強と呼ばれる力。

 ――天使の軍団。

「無理だよ。そんな体で! 私が使うから――だから」

 言葉は発した。必死で叫んだ。それでも届かない。止められない。今さら止める事など、出来はしないのだ。それでもフリージアは叫ばずにはいられなかった。

「後はよろしく。忘れないで、奇跡を行使出来るのが――」

 それが最後の言葉。

 セシリアが浮かべていたのは、柔らかい、そして、どこか子供のようないつもの笑顔だった。

 力の足りないフリージアを励まし続けてくれた、笑顔。

 まだ、導いて欲しいと願う彼女の笑顔。

 だが、笑顔は、届いた声は徐々に消えていく。神力という、奇跡の力へと変わる事で。

 解き放たれた力を受け取るのは、フリージア。そして、彼女が成そうとした事を実行するのも、またフリージアである。

 心を悲しみが駆け抜けたのは、僅かな時間。一瞬でも気を抜けば崩れてしまいそうになる両膝に、そして震えが止まらない両腕に、あるだけの力を込める。

 嘆く心を追い出すために。奇跡を行使するために。突き進むために。

「――エクソシストなんだから!」

 フリージアは頬を涙で濡らして、彼女から貰った言葉を叫ぶ。弱い自分を打ち破るために。

 叫びは力に変わり、一瞬で解き放たれる。力は、セシリアの最後の力と混ざり合い、真紅の大剣を吹き飛ばしながら、天へと昇る。

(これだけの力があれば――出来る!)

 フリージアは瞳を閉じて、ゆっくりと左腕を胸の高さまで掲げる。右手に握るのは、当然、奇跡を行使するには必須の聖書。

 耳へと届くのは、光の風を逃れた大剣が地を破壊する轟音。地が一度、二度、揺れる。

 それでも臆さずフリージアは、力を制御していく。

 混ざり合った力が、自身の器を破壊するほどに溢れた瞬間。

 光が、天へと届いた瞬間。

 身を襲ったのは、全身を内側から爆破されたような衝撃と熱さ。死んだ方がましだと思えるような、鋭き痛み。だが、フリージアは力を緩めない。

 むしろ、さらに力を外へと向ける。それが彼女を死なせてしまったと言っても過言ではない、自身が出来る唯一の事だと思うから。

「やってやれない事なんて――ない!」

 恐怖する体を叫ぶ事で紛らわし、両目を見開く。

 それを合図にしたかのように発動したのは、人類最強と言われた彼女の力。

 ――天使の軍団だった。


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