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第十二話 後編

― 十二 後編 ―


 響き渡るのは、耳障りな金属音。音は幾重にも鳴り響き、緊迫した空気を作り、そして心をまるで縛るかのように引き締めいく。

 音の発生源の一つは、カインの操る金色の大剣である。そして、重なり響き合うのは愚直なほどに真っ直ぐに突き出される、鋭い槍のような骨。

「ふっ――!」

 一息吐くと同時に、カインは左手に握る大剣の柄を握り直す。放ったのは高速の剣閃。

 ――視界を埋め尽くしたのは、溢れる火花だった。

 まるで金属槍のようだ、とカインは思う。左手に伝わるのは、固い確かな感触。そして、溢れるのは火花である。見た目通りの骨であるというのであれば、現在の半分の力があれば破砕出来る事だろう。そもそも火花など上がる事はないのだ。カインでなくても、おそらく同じように考えるのではないだろうか。

 思考を進められたのは、ここまで。

 振り上げるように駆けた左腕に握る大剣が空へと上る、その瞬間。

(厄介なのは――こちらだな)

 心中で呟いて、右腕に全ての力を込めるカイン。

 穢れが取った次の一手は、骨が突き出した事で破れた包帯を操る事であった。

 一度、穢れの頭部にある赤き瞳が輝く。次の瞬間には、まるでそれぞれの包帯が意思を持っているかの如くに、カインの腕を、足を目掛けて伸びる。

 掴まれば、それで終わり。骨によって串刺しにされ、地へと引きずり込まれるだろう。フェレアスに伝わる、あの悪魔と同じであるのであれば。

 ――巻き起こったのは、突風に似た剣風。

 右手に握る大剣を左から右に横薙ぎに走らせる事で作った風である。空間を金色の輝きを持って切り裂いた大剣は、骨を、包帯を切り裂き、宙へと舞わせる。

 ここまでは至って順調に見える戦い。だが、カインは己が不利である事を承知している。

(この重量。手数で攻められれば不利か)

 奥歯を噛み締めて、心中で己の弱さを、突き所を正確に呟く。

 カインが操るのは大剣。しかも大剣の二刀流である。

 メンバーの中では規格外の力を持っているカインではあるが、速さに関しては一番に遅く、それでいて鈍いという事は誰の目にも明らかである。一撃の重さ、という単純な威力においては当然他に秀でた者はいないのも確かなのだが。

 その弱点を知ってか、知らずか。

 穢れは速度を重視した鋭利な槍を、そして縦横無尽に走る柔軟な搦め手を使う。翻弄されている、とまでは言わない。だが、動きに追いつけていない、と述べる事は容易いのではないだろうか。

 その証拠にカインが両手に握る重量物を、再び構え直そうとすると。

「ぐっ――!」

 左肩に、まるで巨大なハンマーで殴打されたような衝撃と、熱が伝わる。穢れが放った純白の骨がカインの左肩を貫いたのだ。態勢を整える事に要した時間はたったの一秒。

 そんな些細な隙を正確に突いたのは、神速の一撃。カインの腹部を狙う、穢れの鋭き骨だった。

 だが。

 この中で戦闘経験が最も多いカインが、この程度で慌てる事はない。すぐさま半歩下がる事で突き刺さった槍を肩から外すと、鮮血が舞う事も気にせずに。

 ――両手の大剣を走らせる。

 剣響が鼓膜を震わせる。その音を気にもせずに、溢れる火花のさらに奥をカインは睨みつける。僅かに左腕の動きが鈍い。そして、痛みのせいなのか威力が足りていない。

 だが、カインは再び前へと進む。

 退く訳にはいかないのだから。カインが退けば、勝利の可能性は格段に下がってしまうのだ。

 理由は一つ。

 目の前の悪魔に似た穢れは、カインを倒した後はさらに進み、セシリアとフリージアを狙う可能性が高いからである。

 圧倒的に数で劣るカイン達。その不利を支えているのは、セシリアが行使する、天使の軍団レギオンである。そして、無数の天使を呼び出す力の根源となっているのはフリージアの体から溢れる光と、そして聖歌。

 天使の軍団レギオンを召喚する条件は、場を形成する事。場とは、すなわち教会の事である。溢れる光はステンドグラスから入った神聖なる光を再現し、歌はそのままだ。教会で歌う聖歌を再現しているに過ぎない。

 どちらか一人でも倒れれば、天使の軍団レギオンの力は失われてしまう。セシリアだけでも発動は可能だが、効力も持続時間も目に見えて減少してしまうのである。

(それだけは避けねば――なるまい)

 勝つためには。この身が犠牲になろうとも。

 一歩を進めた体に、数える事も面倒な数の刃が突き刺さる。

 だが、貫かれたカインは――

「この程度か! 穢れ!」

 血を吐きながらも叫ぶ。

 この程度の痛みで止まる事などは出来ないから。一刀斎は、そして今は敵となってしまった織部春は命を掛けてでも進んだのだから。

 死を望んでいる訳では、決してない。それを美徳としている訳でもない。

(だが、俺は進む。勝つために)

 全身に力を込める。死地で道を見つけるために。唯一誇る事が出来る、それでいて最も単純な方法で。

「砕けろ!」

 カインは吠える。ありったけの力を、外へと解き放つために。

 刹那。

 宙へと舞ったのは、赤く染まりし刃。カインの体を貫いていた刃だった。力を前へと、穢れへと向けた事で砕かれた刃である。

 全身に感じるのは生温かい感触。はっきりと不快だと感じる、全身から漏れる自らの血。だが、そんな些細な事にいちいち構っていられる余裕はない。

(ここまで――だというのか)

 カインが成せた事は、自身を貫いている槍を破壊せしめる事のみ。自身の器を越えた力は、確実にカインを内から破壊し、立っている事すらままならない状態である。

 遠くで声が聞こえる。セシリアかフリージアか。それは分からない。

 霞んだ視界で穢れを見つめると。

 穢れは寄りかかるようにカインへと倒れ込む。その瞬間、生温かい血を吸い込みながら巻きついたのは包帯。

 次に感じたのは泥を、緩い地面を踏みしめたような感覚。いや、それよりも深い。徐々に沈んでいく感覚だろう。カインには経験はないが、おそらく底なし沼に足を突っ込む事があればこれと近い感覚がするのではないだろうか。

 その意味する所は、穢れによって死後の世界に、生者が立つ事は許されない地へと誘われているという事である。

(力が)

 もはや声すら発する事は出来なかった。全身の力は抜け、両手に形成した大剣は徐々に光へと戻っていく。

 抗う方法はない。カインを待っているのは、夢と同じ光景。穢れに誘われて死ぬ。ただそれだけだった。

(俺は……この程度だと言うのか)

 両足が沈む。もはや思考する定かではない。思考が、カインという存在が溶けるような感覚が全身に広がっていく。

(光を――光を掴めないのか)

 望んだのは、冬月の地へと降り立った日の夜に求めた光。闇を払う輝きである。

 鮮明に浮かぶのは、空へと、闇を払う星をその手に掴もうとした自分。

 確かな意志を、心に刻んだカイン自身の姿だった。

「俺は――掴む」

 全ての力を言葉に変える。掴んだのは希望。

 カインの意志を受け取り、身を包む包帯を切り裂きながらも再形成された大剣だった。

「光を!」

 短い叫び。

 光を取り戻した青い瞳は、穢れの真紅の瞳を睨むと。素早く右手を振り上げる。

 剣閃は穢れの左腰から、右肩を一直線に駆け抜ける。

 視界を埋めたのは血に似た霧。だが、勝利を知らせる霧を見つめる事が出来たのは一瞬の事。赤き世界は、すぐさま何一つない漆黒の世界へと変わってしまったのだから。

 感じたのは固い感触。全身に感じたのは衝撃だった。おそらく床に倒れ込んだのだろう。おぼろげな意識の中でも、感覚的に理解出来た。

 カインは全身が冷える感触を、生きているという実感に触れてから、眠るように意識を失った。



(――どうして?)

 心中で問い、揺れる瞳を一人の男性へと向けたのは春である。

 天使の軍団に守られながら、そして時には最前列にその身を晒す彼を瞳に焼き付けるように見つめ続ける。心を惹きつけて、そして離さない掛け替えのない人を。

「真冬」

 発した言葉は春の身を、心を震わせる。迷ってはいけないというのに。この手で消さねばならないというのに。春の心は揺れていた。

 揺れた心中で浮かぶのは、以前の監視者。春達の前へと立ち塞がり、心を粉々に破壊するかのような夢を見せた存在だった。彼女は、今現在春が成そうとする事を成した。

 彼女は同じように迷ったのだろうか。細い両肩を失う恐怖で震わせたのか。それは春には分からない。だが、この時が訪れた事で春は理解した。自分には無理だという事が。

 だが、迷う心を、臆する心を消していくのは背に届く音。

 天使の操る槍と、甲冑を纏う穢れの剣が奏でる音に混じって響く音。それは破滅の音。もう幾度も聞いた、世界の終焉の音だった。

 彼を、この世界に出してはいけない。まるで自らを暗示にかけるように心中で、何度も、何度も呟く。すると、不思議なくらいに心は空になる。

(今なら――殺せる)

 瞳を薄っすらと細める。見つめるのは、当然愛しい人。抱きしめて欲しい、そう心から願うただ一人の人。

(殺して、幸せに出来る)

 乱れた思考を一つにする。間違っている、そう叫ぶ自分を殺して。

 春は両手を胸の高さまで掲げる。

 舞ったのは桜の花びら。春の、絶対者たる監視者の力である。

 ――目標までの距離はすでに十メートル。

 春は、もう彼の名前を脳裏から捨て去る。その方が楽だから。いや、そうでもしなければ動けないから。

 深呼吸。

 護士の力を得た目標は一歩、二歩と進む。

 道を塞ぐ甲冑を纏った穢れを斬り倒しながら。ただ一つの望みを胸に抱いて。彼の想いは、揺れない漆黒の瞳から痛いくらいに届く。想ってくれていると分かる。

 心臓は早鐘のように鳴り、心はすでに壊れそうだった。深呼吸をしたが、呼吸は落ち着かない。過呼吸に陥った春はなおも待つ。一撃で、痛みすら感じさせずに絶命させるために。

 その一瞬を待つ。

 ――目標まで残り一歩。

 頬に桜の花びらが触れた、その瞬間。

「散って」

 自らが発したとは思えない、低い声が響く。

 彼へと向けたのは確かな殺気。意思を受け取った花びらは、無防備に走る彼の周囲を全方位で囲む。後は切り裂き、内側から結晶化させれば終わりである。

「――約束を守る」

 後は目標に向けて飛ばすだけ、そう思っていると言葉が届く。全身を包み込むような優しい言葉が。

 短い言葉。だが、彼が何を言いたいのか春にはすぐに分かる。

 まだ幼い時に、彼が春にしてくれた約束。兄を好きになる、という禁忌を犯した一瞬の言葉が脳裏へと浮かぶ。それは命を失っても、もう人でも穢れでもない、何かになってしまったとしても覚えている約束だった。

 乱れに乱れた意志は、唯一の武器を鈍らせる。

 それでも春は胸まで掲げた両手を握り締める。全てを終わらすために。

「そのために――来た!」

 動きの鈍った桜の花びらを一回転する事で切り裂く、彼。

 彼を止めるために、春は慌てて力を発動させる。彼の唯一の武器を花びらは切り裂き、形を変質させていく。内側から膨れ上がるように広がる、桜色の結晶によって。

 もう彼には武器はない。護士の力はない。

 だが、彼は止まらなかった。残った花びらが身を切り裂いても、なお進む。荒い呼吸を繰り返しながら、前へ、前へと。ただ取り戻すために。

 花びらが切り裂いた瞬間に、彼の身を内側から破壊すればそれで終わっていた。だが、春は出来なかった。

 だから――

「――僕はどうすればいい?」

 春は彼に問う。

 その瞬間に感じたのは温もり。ずっと春を包んでくれた、心を弾ませて、それでいて心地良い気分にさせてくれる温もりだった。

 潤んだ霞んだ瞳は、すでに何も映らない。だが、触れ合えるほどに近くにいるのだ。狙いを外す事などない。監視者は、涙を流しながらも一刀斎を殺せた。自らの意志で。信じた道を貫くために。

 だから、春も成さねばならない。だというのに、春は動けなかった。この温もりに体も、心も再び奪われてしまったから。

「俺を信じろ」

 それでも再び決意を固めようとすると、迷わせるのは耳をくすぐるような声。声はすんなりと心へと落ちて、理屈もなく、体は、心は従おうとする。

「――彼が、出てしまう」

 従おうとする心を、何とか押しのけて春は言葉を絞り出す。春が止まれば、この世界に彼が出てしまう。それは世界の終わりなのだ。春を包んでくれる、この優しい温もりは消えてしまうのだ。それが春を監視者として保たせる、唯一のもの。

「なら、俺が倒す。だから帰ってこい」

 さも当然のように呟く彼。一度、包んでいた体を離して、彼は優しい笑顔を浮かべた。まるで帰宅した家族を迎えるかのような笑顔を浮かべている。

「春を泣かせたんだ。俺が倒さないとな」

 そして、まるで春を助けるついでのように語る彼。まるで片手間で倒せる、と言いたげな言葉だった。だが、その言葉は本当に可能なのではないかと思えてしまうのだから不思議である。そう思えるのは、やはり春が彼を信じているからだろうか。

「どこにいるのかも教えずに……挙句には勝手に死んだ両親なんかさっさと忘れろ。親が必要なら……俺が代わりにずっと春を守るから」

 遠い日の約束の言葉。その瞬間に春にとって彼は、親であり、そして掛け替えのない大切な人になった瞬間の言葉を呟く。一字一句間違える事なく。いつの日か、この言葉を彼に届けた気がする。それは確か、この戦いの始まりの少し前だったような気がする。

「全部、覚えていなくても」

 返ってきた言葉は、やはり同じだった。あの頃から何も変わってはいない。想いも、関係も。

 兄は、真冬はずっといてくれる。約束通り守ってくれる。身も、心も。

「ずっと――側にいて。ううん、側にいたい。私は真冬の隣にいたい!」

 想いを全て込めて、春は叫ぶ。今の自分は監視者ではなくて、織部真冬の妹だった。

 世界は、役目を放棄した春を恨むだろうか。それとも許してくれるだろうか。それは分からない。だが、溢れた想いは止められなかった。側にいたい。それだけの想いを、どうか叶えさせて欲しいから。

「それだけで十分だ。ずっと――側にいてくれ。生まれ変わっても、ずっと」

 真冬は言葉と共に、袴の懐から一つの物を取り出す。それはよくある、指輪を収める濃い青色のケース。その中に納まっている物は言葉を受け取った春にはすぐに分かった。

 変わらず届くのは、世界の終わりの音。前方を向ければ、天使の軍団によって、駆逐されている穢れの軍団。春が加勢しなければ、穢れは外には出られない。人は粛正される事はない。

 全部、分かっている。

 だが、春は一人の少女としてゆっくりと手を伸ばす。そして、決意する。最後まで抗うと。出てしまうので、あれば倒すのみ。そして、唯一の想い人とずっと生きていくのだ。ずっと。

「早いプロポーズだね、真冬」

 忘れていた、いつもの笑顔を浮かべて春は呟く。触れたのはケースの中に納まる想いの結晶。

「そうだな。でも――もう想いは止められないから。倒すぞ、あいつを」

 指輪を受け取った事を確認した真冬は、ケースを懐に収める。すると視線を春の背後へと向ける。その先にいるのは、穢れの集合体。人が生み出した、負の感情の結晶である。

 兄の視線を追って、振り向くと。

「どうなるんだ?」

 真冬は、春の背に問う。

「この世界は――終わりを告げる」

 春は短く答えを返す。もう言葉で説明するよりも見た方が早いと思ったからである。

 刹那、世界が砕け散る。

 ガラスの破片と化した、春の世界が外の世界と混ざり合う。

 一瞬の浮遊感を全身に感じたのは一瞬で。気づいた時に立ち尽くしていたのは、春が選んだ土地。見慣れた商店街の一角だった。

「決戦だよ、真冬」

 春は呟いて、前方を見つめる。

 視線の先。商店街の中心である十字路に立ち尽くしているのは、この地を踏んではいけない存在。そして、その周囲にいるのは天使の猛攻から逃れた穢れの残党。

「この世界は――醜いね」

 真っ白なローブを身に纏う少年は拙い言葉を呟き、石で作られた固い地面を一歩進む。

 彼は何をするのか、緊張した面持ちで見つめていると。

「全部、壊さないと」

 彼は両手を天へと掲げる。すると頭上よりもさらなる高み。天へと昇る赤き月が輝きを増していく。

 刹那。

 赤く染まった世界に、降り注いだのは絶望。雨のように降り注ぐ真紅の大剣だった。春の耳へと届いたのは、絶叫。耳を覆っても、なお響く生者の、救いを求める声だった。


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