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第十二話 中編

― 十二 中編 ―


 周囲を満たすのは、耳が痛いほどの静寂。

(――当然か)

 静寂の中心にいる真冬は心中で呟く。時刻は午後九時を越えており、静寂の地、正確に言えば集合墓地の中心が騒がしい訳はないのである。どこかの不良グループが集まって騒ぐ、などの例外が起こりでもしない限りは。

 実際は真冬の耳には、車やバイクなどが発する騒音、住宅地から発せられる生活の音が届いているのかもしれない。だが、真冬には何も届かない。

 春に想いを告げてからは周囲の人が、音がどこか遠くに感じるのである。まるで真冬だけが取り残されてしまったかのように。

 春に誇れる兄でいる、と誓ったというのに。その誓いの通りに懸命に両足を前へ、前へと進めた。だが、真冬の心は元の通りにはなる事はなかった。決してなかったのだ。

「――春がいないと駄目なんだ」

 呟いて屈む。指に触れたのは冷たい感触。手に取ったのは真冬が捧げた想いの結晶である。

「だから――届けに行くよ。この想いと一緒に」

 言葉を意志に変えて、真冬は指輪を握り締める。強く、強く握って、ぶれない、溢れる想いを確かめる。

 その瞬間に真冬の視界に光が満ちる。まるで世界が開けたように。

 ようやく焦点の合った瞳に映った景色は、ずっと瞳を逸らしていた景色。すでに真冬が知っている景色ではない、どこか異国の、いや、異世界を思わせる景色だった。

 それは、ただただ赤い世界。墓地を、世界を赤く照らす光に満ちた世界だった。その正体は空へと昇る月である。

 三十日月の日。

 本来であれば月が世界を照らさない日。だが、月は世界を照らしている。死を思わせる不気味な光を放って。そして、この状況を引き起こしている者を想像する事は容易い。こんな人外を超えた事が出来る者は、この世界にはたった一人しかいないのだから。

 そんな彼女の望みも分かっている。

 この世界に穢れを放ち、人と穢れのバランスを保つ事。そして、真冬を、皆を殺す事である。すなわち皆が生まれ変わった世界で、春のいない世界で、幸せに暮らす事。笑っていられる場を作る事。それが彼女の願いなのである。

(そんな事はさせない)

 真冬は心中で呟くと、固い石畳みを蹴りつける。自らの道を進むために。

 春に、想いを寄せる彼女に孤独な道を歩ませたくないのである。幸せを目指すのであれば、一人足りないのである。春がいてこその、幸せなのである。

 そして、どれだけ望まれた世界に生まれ変わろうとも、春がいなければ世界は明るくはならないのだ。沈んだ心は、弾まないのである。

 だから。

 真冬は赤く照らされた、固い石畳みをただひたすらに走る。想いが伝わる事を、一途に想って。再び二人の想いが重なる事を強く願って。

 駆け抜ける場は、数日前に走った道。以前と違う事と言えば進行方向が真逆である事、そして今回は目的地に会いたい人がいるという事だ。以前は会えなかった彼女に会えるのである。

(今回は――届けられるから)

 息が乱れる事も気にせずに走る。住宅街を、アパート群を超えた先にある場所に向けて。赤き光が集まる場所へ。もどかしさを、焦りを、心に感じながらも。

 ――時間にして、五分。

 辿り着いた場は商店街。最も人が集まり、そして、複雑に感情が入り混じる場所。穢れは負の感情が集まる場を好み、そして強さを発揮出来る。それは春から教えてもらった知識である。

 つまり春は愚直に、セオリー通りに場所を選び、そして日を選んだのだろう。

 この事態の意味を、真意を予想出来る真冬達は動ける。だが、事実を知らない住民はどうだろうか。同じ景色を見つめても、反応が明らかに異なっている事は言うまでもないだろう。

 彼らは、一生に一度体験するかどうかの奇異なる出来事を瞳に焼き付けるためなのか、一様に空を見上げ、呆然と立ち尽くしていた。まるで意思無き人形のように固まる彼らを、どう反応していいのか迷っている彼らを、右に左に避けてさらに前へと突き進む。

(気にもしないんだな)

 真冬は心中で呟くと共に、一度自らを包む衣類に目を向ける。真冬が身に纏っている服は袴姿である。平日にこんな恰好をして出歩けば、注目される事は当然の事である。

 だが、住民は袴姿よりも空に浮かぶ現象の方が珍しいのか、奇異の視線を向けられる事はない。それを幸いとして、真冬は気にせずに進んでいく。成すべき事を成すために。

 息は絶え絶えで、肩で息をしていると。

 視界に入ったのは巫女服を身に纏う少女。そして、そんな彼女の周囲に立ち尽くすのは修道服、司祭服に身を包むフリージアとカイン、そして真冬と同じく袴姿の藤堂だった。

「遅いぞ、少年」

 そして最後にフリージアと同じ修道服に身を包んでいた女性が、片手を胸の高さまで上げて手招きをする。彼女が、カインの姉であるセシリアなのだろうか。

 その事実を確認しようとすると。

「行きますよ」

 雫は普段と変わらぬ凛とした声で呟き、背を向ける。どうやら確認する暇も、立ち止まる時間もないらしい。何が起こるか分からない状態であるので、当然ではあるのだが。

 刹那、先頭を進む雫の体が歪む。視界で捉える事は不可能だが、その場は監視者の、春の世界に繋がっているのだろう。

 不気味な光に照らされた、故郷。こんな異様な状況を放っておく、というのは若干気が引ける。だが、原因は進む先にある。そして、止めなければいけない人も中にいるのである。

 迷ったのは一瞬だった。

「行こう!」

 走りながら叫んだ真冬は、声に反応して振り向いた雫を追い抜く。他の誰でもない、真冬自身の力で春を止めるために。この腕で、再び抱きしめるために。

 溢れたのは閃光。瞳が焼かれるのではないかと思う程の閃光だった。

(ここが――)

 閃光を突き抜けた瞬間。

 瞳に映ったのは、春の世界。以前の監視者の、どこか寂しい世界ではない。どこか体に馴染むような、まるで包んでくれるような優しい光に満たされた世界だった。

 淡い桜色の木が世界の中心にそびえ立ち、舞い散るのは桜の花びら。そして、舞い落ちる花びらを全身で受け止めていたのは。

「春!」

 漆黒のローブを身に纏った春だった。遠目だがはっきりと分かる。

 幼さを感じさせる童顔に、華奢な両肩。どこか小動物のように怯えた表情を浮かべているのは、真冬がよく知っている愛しい人だった。

 何も変わってはいない。変わらない姿で佇む彼女がそこにいた。

「あの時とは違う」

 だが唯一違う事がある。

 春は隣で笑っていてくれた。ずっと隣で。あんな悲しそうな怯えた顔などしてはいなかったのである。いや、隣にいたならば、あんな悲しそうな顔をさせる訳がなかったのだ。笑顔でいた筈なのだ。

「俺がいる限り!」

 力の限りに叫ぶ。叫びを力に変えて、真冬は全力で固い床を蹴る。

 ――春までの距離は約百メートル。

 まだ遠い。声は届かない。いや、声だけでは届かない。想いを伝えるためには出来るだけ、側にいかなければならないのだから。

 ただ走るだけならば容易い。だが、春まで到達するためには幾重の障害がある。

 その障害に素早く視線を走らせる。

 第一の関門は真冬から二十メートル先にいる、先頭にいる穢れ。包帯を全身に巻いたどこか異様な穢れである。現在の真冬は丸腰。

 このまま進めば包帯に隠しているかもしれない武器に串刺しにされるか、殴打され床に叩きつけられるか、またはそのどちらでもない何かによって、真冬が倒される事は火を見るよりも明らかだろう。

 だが、止まれはしない。この身が砕かれようとも進まなければいけないのだから。それに障害は目の前の穢れだけではない。本命は春の前方で三列に並ぶ西洋甲冑を身に纏う穢れ。そして、その頭上に浮かぶ真紅の瞳を浮かべた霧の穢れである。数にしてそれぞれ五十ずつ。

 最終的に行く手を阻むのは、以前真冬達が命懸けで倒した穢れに酷似した姿の穢れだった。

(霧の穢れは、大きさは半分。甲冑の穢れの剣には青い霧は……ない)

 素早く真冬は穢れに視線を走らせる。見るからに劣化しているのが、分かる穢れの軍団。手加減して油断させ、懐におびき寄せようとでも言うのだろうか。それとも以前戦った穢れの亜種なのか。

 それは分からない。だが、真冬は止まれないのだ。

「進むと決めたんだ。だから」

 声を発して、臆する心を吹き飛ばす。

 ――先頭にいる穢れまで、残り五メートル。

 包帯を身に纏う穢れはゆっくりと両手を掲げる。まるで迫る真冬を迎えるように。一歩、二歩、臆さず真冬は進む。

 刹那、包帯を突き破って飛び出したのは数十を超える、まるで槍の切っ先のように鋭い骨だった。

(避けられない!)

 真冬の全身を貫く、刹那の直前。

 瞬いたのは閃光だった。それと共に響くのは閃光の数と同数の剣響。

「行け、織部真冬。こいつは俺が引き受ける」

 真冬を守ったのは大剣を手にしたエクソシスト。両手に握る大剣を目にも止まらぬ速さで操り、幾重にも繰り出される槍を、粉砕していくカインだった。真冬を守るように、それでいて隙あれば穢れの胴を粉砕しようと試みる、剛の剣を繰り出す彼の様子を視界に捉えた真冬は迷わなかった。

 行ってもいいのだと、いや、道を作ってくれたのだと理解出来たから。

「分かった!」

 真冬は叫ぶと共に、穢れを中心に時計回りに駆け抜ける。

 だが。

 所詮は人の足の速さ。穢れの反応速度を上回る事は決してない。

 真冬が一度瞳を閉じて、再び開くと。迫ったのは鋭利な骨。そして、絡め取るように伸びるのは、身を包んでいた包帯だった。

 捕まる、そう思った瞬間。

「前だけを――春だけを見て下さい!」

 凛とした声が背に届く。

 迫る包帯を、鋭い刃を弾き返したのは光の壁。雫の障壁だった。だが、安心していられる訳は当然ない。

 ――その証拠に。

 鳴り響くのは数多の破砕音。眼前に広がる、命を繋いでくれている光の壁から鳴り響いているのだから。耐えられるのは秒単位。おそらく残り、一秒か、二秒か。

 慌てて全身に力を込めて、もつれる両足を叱咤して駆ける。背中に届いたのは、風を切り裂く音。振り返る事はないが、おそらく真冬が今まで立ち尽くしていた場を穢れの刃が走り抜けたのだろう。

(あそこまで――行けるのか)

 胸が熱い。心臓は激しく鳴り響く。思えば集合墓地から、ずっと全力疾走である。真冬の、ただの高校生の限界など、すでに超えているのである。

 霞む視界で前方を見つめると。

 視界を埋めるのは、宙に浮いた五十体の穢れが放つ、両刃の騎士剣または二メートルを超える金属槍。おそらく護士の力があっても防ぐ事など不可能な数。数百、いや数千かもしれない刃だった。

 絶望が一瞬だけ心を掠める。

 だが、奥歯を強く噛み締めて、真冬は足だけは止めない。

「止まるな、真冬!」

 声と共に真冬を追い越したのは藤堂。雫の力を受け取った彼は槍を器用に回転させて、射出された剣を、槍を地へと叩き落としていく。だが、その数は明らかに少ない。

 ――刹那。

 真冬の視界を鮮血が埋める。頬に生暖かい血がこびりつく。

「走れ、真冬! 道は必ず作ってくれるから!」

 槍を振るいながら、血を吐きながら友が叫ぶ。

「くそ。くっそ!」

 真冬は叫びながらも、壊れそうになる心を何とか保つ。藤堂の腕、足、いや、全身には鋭利な刃が貫いている。そして、瀕死の重傷を負っている彼に隠れるように、友を盾にして進む真冬。

 見る者が見れば、真冬をまるで下等生物を見るような、見下した瞳で見つめる事だろう。だが、ここで止まる事は許されない。止まってしまえば、全てが無駄になってしまうのだから。カインに、そして身を犠牲にしてまで守ってくれた藤堂を裏切る事など、決して出来ないのである。無謀な事をしているのは理解しているのだが。

 それに藤堂が立ち尽くす場を越えた先は無数の刃が飛ぶ場所。遅かれ早かれ真冬の全身は貫かれる。想いだけでは、決して届かないのだと教えるかのように。

(どうすればいい!)

 皆の力を借りる事でここまで走れた真冬。だが、この先に道はない。護士の力もないのだ。

 これまでなのか、と弱気な思考が刹那の速さで駆け抜けた、その瞬間――

「フリージアちゃん! 場を作って」

 届いたのは、屈強な戦士であるカインですら恐怖させる女性の声だった。

(彼女達が?)

 最後の道を作ってくれるというのだろうか。疑問が脳裏を掠めたのは一瞬。

 全ての音を、まるで吹き飛ばすかのように轟いたのは美声。常月には馴染みがない、聖歌と呼ばれる一つの歌だった。

 歌が響いた瞬間。真冬が長身の彼の背から飛び出した瞬間。

 背を光が埋め尽くす。場を作るとは、溢れる光を生み出す事だったらしい。奇跡を行使するのがエクソシスト。彼女達が道を作るのだとしたら。

 真冬は思考を走らせる。彼女達が頼る最も強き力を。

 溢れる光が消えた薄れる事と、金属音が鳴り響いたのは同時だった。

「天使の軍団レギオンにて、道を作るわ」

 聖歌に混じって聞こえるのは、セシリアの強き言葉。

 その彼女の言葉通りに真冬に迫る刃を地へと叩き落とし、そして西洋甲冑を纏う穢れを一突きで貫くのは、純白の羽を背に生やした、輝く金色の髪をした、天使の集団だった。

 正確な数は把握出来ないが、おそらく百を超える天使の軍団。三列で組んだ相手の隊列に、矢印の形をした陣形を組み、道をこじ開ける天使達だった。

 何か戦術的な意味を持っているであろう陣形。だが、真冬に戦術の知識がある訳はない。だが、見た所は突撃の陣で、それでいて真冬を春の元に送ってくれるためにだという事はすぐに理解出来た。

 ――だがら。

 真冬は雄叫びを上げて走る。心を埋め尽くす恐怖に抗うために。

「受け取れ!」

 最後の一押しをしてくれたのは、藤堂。

 叫ぶと共に空間を切り裂くように飛ぶ槍。その槍を、右手が焼けるような熱さを感じながらも真冬は掴み取る。

 槍は一度、光に変わり。すぐさま真冬が望む形へと変わる。それは一振りの刀。全身に溢れるのは護士の力だった。


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